NAHPIC (家畜病性鑑定所)、その後のその後
ー坂井田協力隊員の報告書第四号から (2006 年 1 月記)ー
配属先の動向

血清ウイルス学部門:スタッフは女性4名で変わらず。この半年の間に、FAOより鳥インフルエンザの機材のセッティングのためにMr.Leu(中華系アメリカ人専門家:2005年11月:1週間)、JICA−THAI広域プロジェクト(ADCプロジェクト)より、Ms.Monaya(タイ人専門家:2005年11月:1週間/NIAH免疫血清学研究室)が、プロジェクトの要田専門家とともに来所。Ms.Monayaは、ブルセラ病検査法(CF反応,ELISA法)を指導。タイ政府より、Ms.Aruny(タイ人専門家:2005年12月:1週間/NIAHウイルス学研究室)が、鳥インフルエンザの検査法指導のため来所。

一方、チーフは感染性病原体の海外への送付方法の講習、サブチーフは、口蹄疫(2ヶ月)、豚コレラ(3週間)、ブルセラ病(6週間)の研修に参加するためタイへ出張した。仕事はFAOが鶏を買い上げて実施する、HPAIの疑い(疑われる程度には差あり)、または疫学調査(抗体保有状況)がほとんど。11月よりADCプロジェクトの、口蹄疫疫学調査(抗体保有状況調査)のため、サブチーフが疫学部門スタッフとともに地方に採材に出かけていた。

Ms. Monayaにブルセラ病の検査法を教わるときには一緒に私も教わったのだが、このようなことをしたのは初めてであったので、いろいろと発見が多かった。まず、とにかくいろんな部署のスタッフが入れ替わり立ち代りやってくる。自分も教わりたい、と白衣を着てやる気満々、「資料をくれ」というので人数分あわててコピーしたのであるが、どういうわけだか、途中で帰ってしまったり、午後は来なかったり・・と、どう見ても興味本位?暇つぶし?としか見えない。このとき血清ウイルス学のチーフがタイで研修中であったので、サブチーフと、スタッフ2名しかいなかったのであるが、サブチーフ以外のスタッフ2名はどう見ても覚える気はない様で、洗い物やごみすて、器具の滅菌など、サブチーフの補助をするだけである。そして、時間通りには来ないし、夕方4時を過ぎれば子供の世話があるからと帰っていく。子供の世話があるから時間どおりに職場にいられないし、外国への研修にも行きたくない(そのスタッフの一人は「体が弱いからたくさんは働けない」とも言っていた)。だから自分たちは補助的な仕事しかしない。と、ものすごく割り切って仕事をしているようである。最終日に、サブチーフが、「フサコ見たでしょう?みんな途中で帰っていくでしょう?みんな関心ないのよ。だから私もやってもらうつもりはないの。」と言っていた。彼女が愚痴を言うのを聞くのは初めてだったので少し驚いたが、4人スタッフが配属されて入るものの、結局は全ての技術はチーフとサブチーフの2人だけで学んでいるわけで、負担が大きくなってしまっているのだと感じた。

Dr. モナヤ(左から2人目)とセンター・スタッフ

仕事中の坂井田隊員(前列右)

疫学部門:スタッフは男性3人で変わらず。スタッフの一人が、2005年にこの分野の研修を受講するため、2週間タイへ出張した。各調査のまとめの他、血清学部門で検査を実施している、鳥インフルエンザや口蹄疫疫学調査等、採材のために地方に出かけるのが主な仕事。

細菌学部門:スタッフは女性2人に減。スタッフ1名が本人の希望により、2005年秋から、農林水産省への勤務となった。また、もうひとりのスタッフがほとんど来ないのは何でだろうと疑問に思っていたのだが、APIPからの給与補填を受けていないためであるとのこと。相変わらずほとんど検体は入って来ない状況は変わらない。2度ほど出血性敗血症の検査をしてほしいという検体が持ち込まれた(カンダール州、タケオ州より)が、採材してから数日経っており、しかも、腸管内容と肺・肝臓などの実質臓器がすべて同じビニール袋に入っていたため、検査は出来ないと、地方スタッフに説明をしていた。「地方スタッフもあんまりよく知らないのよね!」と言うけど、どうやって採材してラボに搬入するかの技術を教える機会もないようである。また、カンボジアでは牛が死んでも肉として取れるところは取るため、その解体を農場でしているときに採材をする(もちろん無菌的な採材など出来るわけもないし、死んですぐ解体を始めるわけではない)。このような状況下でどうやったら正しい検査をするための採材が出来るのか、なんだか想像が付かないけど、今後スタッフと話し合って、地方ラボをまわる機会があれば、採材に関する説明もできたらと考えている。

病理学部門:スタッフは男性3人、女性1人。女性一人が秋に流産して、2ヶ月近く来ていなかったが、11月に復帰。もともと血液学部門配属で、今年職場復帰して病理学部門に配属になった男性(詳細は3号報告書参照)が、病気で現在ほとんど来ていない。3号報告と同様、ときどき来るHPAIが疑われる検体を解剖して採材するのが主な仕事で、それ以外の検体の搬入はこの半年なし。自分の部屋の仕事が忙しく、スライドを使った勉強会もすっかり出来なくなってしまって申し訳なく思っているところである。

寄生虫部門:スタッフは男性2名、女性2名で変わらず。トンレサップ川沿いの、肝蛭の感染状況調査のために、牛の糞便が持ち込まれるほか、検体の搬入はなし。チーフにどんなことをしたいのか聞いてみたところ、

タイからの専門家に教わった、住血吸虫の調査の採材に屠場に行きたいけど車のガソリン代もないから行けないという事であった。ADCプロジェクトの柏崎専門家に相談したところ、きちんと計画をたてて、所長を通して申請をすればそのような調査は可能であるとのこと。これまでは決まったプロジェクトの検査しかしていなかったが、自分達だけで検査もできるメンバーなので、企画を立てることから始めれば、もっと仕事に対して積極的になれるのではと思っている。

寄生虫部門のチーフと、血液学部門のチーフ(カウンターパート)が、10月に鑑定所副所長に昇進した。この昇進は公募で、2人とも立候補したとのことである。現在副所長は2名いるが、1人が定年のため、近々退職するようである。2人ともそれぞれの部屋の仕事はしなくなるといわれていたが、これまでどおり各部屋の仕事は続けながら、会議などに出席するような形で落ち着いたようである。そのために血液学部門と寄生虫学部門が合併するといううわさもあったが、そういうわけではないようである

また、APIPの給与補填が、2005年12月でついに終了するといわれていたが、ぎりぎりになって5ヶ月延長した。
血液学部門:カウンターパート2人ともが、これまでモンリティ社での採材時には手を出さなかった採血に挑戦するようになった。採血が出来るようになったことはもちろんであるが、今までは牛が動くたびにびくびくして飛び上がったり、うまく行かないとすぐ私を呼んでいたのであるが、最近ではちょっとのことではあきらめないし、牛の動きにあわせる余裕も出てきた。2人とも素直で記憶力もよいので、事前に説明しておいたことは農場できちんと説明ができるし、以前話したことを引き合いに出して農家さんや現地獣医師の質問に答えるなど、成長していることを感じる。一年ほど前は、農家さんに会うことになると私を前に出して説明させ、私のクメール語が通じない部分だけ横から補助するというような態度で、自分の意見を言わなかったことを考えると、少し自信がついてきたのかなと思う。
所感

地方の個人の農家へ行くことになって、自分自身も目からうろこの落ちるような話を多く聞くことが出来たが、カウンターパート2人にも、とても刺激になっていることを感じる。今まではとにかく農家さんに何か聞かれるのがコワイという感じであったが、私の話したことの受け売りでも何でも説明するようになったし、私への質問も多くなってきた。また、カウンターパートの一人(チーフ)が、副所長になって、一体どうなることやらと思ったが、検査が得意で飲み込みが早いもう一人のカウンターパートへのコンプレックスが多少解消されたのか、立場が上がったことで自覚が芽生えたのか、少しコミュニケーションを取れるようになって来ていると感じる。もう一人のカウンターパートも、自分が中心になって検査をしなければならないという自覚と、これまでいろいろ積み上げたことに自信がついてきたのか、今まではあまりなかった光景なのだが、チーフにちょっとしたことを教えたり、それをチーフが素直に受けいれるようになってきた。カンボジア人が教えあわないことについてこの1年半ものすごく苦痛に感じていてしばしば話もしてきたのであるが、もう少し見守って行きたいと思っている。もしかして私が口を出していたことで意地になっていた部分もあるのかもしれないと反省もしている。

今日(1月31日)、午前と午後で一人ずつ、カウンターパート2人に、これから残りの期間での計画について話をし、また、他に何かやってみたいことや勉強したいことはあるかなど聞いてみた。

チーフはもし出来るのなら、生化学検査を増やしたい、飼料検査などはこの部門でする仕事なのでは、などの意見があった。生化学検査については、乳用牛の飼養のほとんどないこの国ではまだそれほど重要ではないので、今は最低限の肝機能、腎機能の検査が出来れば十分ではないか、飼料検査はもちろん出来ればいいけど、新たに多数の機械の導入が必要であるし、私には経験がないし、王立農業大学には飼料分析の機械がかなりそろっていたので、もし必要ならそちらと連携を取って実施した方がいいのではという話をした。

2人とも、出血性敗血症のワクチン評価や、ニューカッスル病のモニタリング検査をしてはどうかという提案に対しては、血清ウイルス学のスタッフがどう思うかというところが不安な様であった。血清検査とウイルス検査を同じ部門で持っている国は、近隣諸国ではおそらくカンボジアだけで、今どう見てもこの部門のチーフとサブチーフの2人だけがものすごく忙しい状況が続いている。将来的に分かれる可能性があるのなら、血液学部門のスタッフに少しずつ仕事を移行させていくのもよいかと思ったのであるが、外国人である私が、外国人であることを利用して(・・私にはみんな親切で何でもどうぞという雰囲気もあるので)仕事の配分まで変えていくのは私の本意ではないとも思う。所長に今後の方針を聞く中で、慎重に考えていきたい。

また、もう一人のカウンターパートは、「農家はみんなニューカッスル病か家禽コレラで鶏が死んでいるというけど、本当はもっといろんな病気で死んでいるはずだと思う。鶏の病性鑑定依頼についてもっときちんと検査して、みんなで勉強するというのはとてもいい。フサコのクメール語が通じないところは私が説明するから大丈夫。何の病気で死んだのか、検査をしないから、農村獣医も州獣医スタッフもきちんと説明できないし、ワクチンも普及しない。」と、言っていた。チーフも、鳥インフルエンザとニューカッスル病の検査しかしていない状況が、農林水産省でも問題になっているのを聞いているとのことで、もっとこの件について取り組んだ方がよい、ぜひ勉強したいということであった。血液学セクションで大きく関わってくる検査ではないので、少し反応がこわかったのであるが、2人ともきちんと問題意識は持っていたし、後押しするようなことを言ってくれたのはとてもうれしい。

農家へ行くようになって、やってみたいこと、取り組むべきことが、たくさん浮かんできた。まだ整理がついていない状態で、特に今後の展開についてはやや中途半端な報告書になってしまったが、鑑定所所長やスタッフとよく話し合って、少しでも配属部門や鑑定所をよくしていけるような活動をしていきたいと思う。残りの期間でどこまで出来るかはわからないし、全ての問題を解決できるわけではもちろんないけれど、悔いの残らないよう、一日一日大事に過ごして行きたい。
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