ベトナムの古都、フエ写真館
その2
Thien Mu Pagoda
フエの町から約3キロ
香河を下った丘の上に天姥(ティエンムー)寺がある。伝説によれば昔、現在寺の建つ丘に毎晩現われる不思議な老女が「王が現われて国家の繁栄のために仏寺を建てるだろう」と予言し、それを伝え聞いた初代阮主が早速寺を建立したといわれる。以来この寺は歴代の阮主・皇帝により修築増築を繰り返してきた。香河に乗り出す様に建つ7層の福縁塔が印象的である。
福縁塔、高さ 21 メートル
天姥(ティエンムー)寺
Minh Mang Tomb
Minh Mang Tomb
-
明命帝 (ミンマン
Minh Mang
)
Nguyen Phuc Kieu
(
1820
年 -
1841
年)
フエに現存する
7つの陵のうち最も整った構成を持つのが明命帝陵(1840〜1843造営)である。周長2kmの牆壁に囲まれた長円形の敷地の主軸上には、大紅門、拝庭、碑亭、段台状テラス、顕徳門、崇恩殿を中心とする廟、明楼、新月池、円陵と主要な建造物が一直線に並ぶ。これは明や清の陵制を忠実に真似たもので、大紅門や崇恩殿、明楼の名もそのまま使われている。しかし、その陵制が表わす厳格な秩序とは別に、その背景として改造された敷地は、主軸の左右を澄明湖と名付けられた大池が挟み、その周りを囲む幾つもの丘の頂に各々楼閣を建てる優雅なものである。
王国の積極的な設計者であった明命帝は、この陵においても厳格である陵と優雅な大庭園をひとつに融合させることを試み、それは見事に成功した。この長大なコンプレックスの中では、門を抜けたり楼に上ったりする度に、訪問者の目の前に新たなパノラマが開け、徐々に深い懐ふところに抱かれるように進んでいく。しかし帝は、1841年惜しくもその完成を見ることなく落馬が原因で亡くなってしまう。
阮朝第2代明命帝(ミンマン帝)の時代には清の制度に倣った中央集権化が推進され、科挙制度や省区分の地方制度が整備された。ヨーロッパ諸国との関係では、建国当初は親フランス的であったが、中国的な支配体制が整備されていくにつれて排外的な傾向があらわれるようになり、明命帝はキリスト教を禁止し、排外政策に転じる。
Living on Perfume River
Working on Perfume River
香河では数多くの舟が河床から砂や砂利を採取しており、非常に興味深い。
"四方山話"トップへ戻る
ベトナム"旅行記・他"トップへ戻る