ウガンダの角、キボガの大地 2009 年 3 月 9 日

      短期獣医隊員を募集するにあたり、「獣医師免許を持っていること」を資格条件としてきた。しかし今回の募集は選考過程で本部から「獣医学部の学生が応募しているがどうするか」という問い合わせがあった。当方が想定している短期隊員の業務は、ウガンダ人の獣医師と共に遂行することにしているため、やはり学部学生には荷が重いだろうと考え断るつもりでいた。しかしその応募者の経歴を見ると、畜産学科を卒業し、協力隊家畜飼育隊員としてマラウイにて 2 年間の活動経験を持ち、帰国後、社会人枠で獣医学部に編入とあった。将来、畜産・家畜衛生分野の開発援助関連で働くことを見据え、獣医師の資格を取るつもりなのだろう。そういった志を持つ学生であれば、ウガンダでの経験を将来の大きな糧にしてくれるだろうと考え、引き受けることにした。その彼が千葉くんである。
      2 月前半に試験があって他の 2 人より赴任が 2 週間遅れた。麻布大学獣医学部の 2 年目を終えたばかりであるから、まだ解剖学、組織学、生化学あたりしか習っていないはずだ。畜産学も同じく麻布大学で学んだ。実家が大学の近くらしく、自転車で通っているという。隊員の OV と聞いていたので鼻っ柱の強い自己主張のかたまりかと思いきや、なかなか人当たりの良い気遣いのできる青年であった。このマラウイ帰りのプリンスをキボガへ送った理由は、獣医事務所に若いンセレコという獣医師がおり、そいつがしっかり面倒を見てくれるだろうと踏んだからである。キルフラのカゾ獣医センターには全く獣医師がいないし、ムバレの事務所では獣医スタッフがラボでの検査に手を出さないため、学部学生の千葉くんを赴任させるのはためらわれたということだ。

サンプリング前の打ち合わせ

牛が入ってきてこれから採材の開始

始まり始まり

ロバート (左) と研修生

      キボガへ行く前の週に千葉くんから電話があり、インキュベーターが動かなくなったと言う。インキュベーターに関してはカゾ獣医センターでさんざん手こずっていたため、「またか」というのが正直な気持ちであった。千葉くんは既に医療機器整備隊員の吉野くんと連絡を取っており、次の月曜に来てもらう約束を取り付けていた。吉野くんには以前にもカゾ獣医センターへも足を運んでもらっている。今回、修理をしてもらうのにひとりマタツで行かせるのは気の毒に思い、筆者が吉野くんを連れてキボガへ行くことにした。ちょうど活動の視察に行こうと考えていたところだったので、同じ日にサンプリングを組んでもらい、吉野くんに了解を取って牧場での活動につきあってもらうことになった。結果的に炎天下の牧場で何時間も待つことになったため、吉野くんにとってはひとりで出かけた方がむしろ楽だったかもしれない。
      当日の朝、7 時過ぎにドミで吉野くんをひろいキボガへ向かう。早朝にもかかわらずカンパラ市内の渋滞がひどく、ホイマ・ロードへ出るのに時間がかかってしまった。サンプリングはドゥアニロ・サブカウンティーで実施することになっており、事務所のチームとはキボガ県最南端のブコメロという町で落ち合った。事務所チームはおなじみのモーゼスとロバートのコンビ、農業学校の女学生、それに千葉くんである。ドゥアニロ・サブカウンティーを担当する獣医スタッフの先導で牧場へと向かう。とにかく道が悪く、しかも遠い。本当に着くのだろうかと心配になった頃にようやく牧場に入った。しかしここからがまた遠いのだ。しかもバイクがやっと通れるような獣道しかない。そこをでかい四駆で行くのだから、車体が木の枝やトゲに擦れて悲鳴を上げる。キボガへは絶対に私用車で行かないのはこのためだ。パンクも恐れていたのであるが、何とか無事に最初の牧場に到着した。日は既に高く、牧野には休めるような木陰が全くない。暑く長い一日になりそうだ。

千葉君、尾静脈から採血をする。

モーゼスも今日は尻尾から血を採る。

早くも疲れ気味の千葉君

何故かぬかるんだ場所の一部に蝶が群がる。

      この牧場、クラッシャーが貧弱なので、暴れる牛を持ちこたえることができるのだろうかと心配になった。しかし、このあたりの牧場にはクラッシャーのないところが多いそうで、別の牧場の牛もここに連れて来て採材をするという。今日はまずここで 3 群の牛から採血し、その後は山羊。そして次の牧場に移動してもう 1 群から採血するらしい。うーん、時間がかかりそうだ。吉野くんはこの炎天に耐えられるだろうか。
      最初の群は程なく追い込み柵内に集まり、クラッシャーへと入れられた。以前と同じく、牧場のスタッフが牛の頭を抑え込み、モーゼスが頚静脈から採血をする。どうしてキボガではいつも頚からしか採血をしないのだろう。クラッシャーの中では時間ばかりかかって効率が悪い。特に今日は採血する頭数が多くなりそうなので、こんなことをしていたらいつ昼食にありつけるかわかったものではない。筆者もしばらく傍観していたのであるが、しびれを切らして千葉くんに「尻尾から採った方がいい」と伝え、千葉くんとモーゼスの 2 人が平行して尾静脈からの採血を始めた。二人とも慣れていないのか、最初は少し手こずっていたが、そのうちすぐにコツを覚えて数を稼げるようになった。流れに乗ってくると、サンプル処理をしていたロバートも忙しくなってきた。
      そのロバート、今日はちょっと凹んでいる。携帯をなくしたというのだ。ブコメロで事務所の車からプロジェクト・カーに乗り換え、牧場へ向かっている車中で携帯のないことに気づいたらしい。車の中を捜しても見つからなかった。ということは朝、事務所の車でブコメロまで来る途中に落とした可能性が強い。しかしそのドライバーに電話をして確かめたところ、車の中にはなかったというのだ。キボガへ戻ってからガレージへ修理に出したと言うので、そのガレージで盗まれてしまったのかもしれない。というわけで、携帯をなくしたロバートは元気がなかった。

牛の上に乗って保定する。

別の群を連れて来た。

牧場のスタッフは終始陽気で、時間のかかる炎天下の採材にずっとつきあってくれた。我々は頻繁に水のボトルを口にしていたが、ついぞ彼らが水を飲むところを見なかった。最もそれはこの牧場に限ったことではない。どこへ行っても牧場のスタッフは水も飲まずに牛を追ってかけずり回る。いったいどんな体をしているのか。身体能力の違いを嫌というほど感じてしまう。

必死に採血をする千葉君と、脳天気な牧場のスタッフ (左)

携帯なくして牛に八つ当たりをするロバート

モーゼスと交代し、ロバートが採血

ほら俺にも採れた。

      牛の採血は順調に進んだが、さすがに 3 群もこなすと時間がかかり、既に昼をまわっていた。これから山羊小屋に移動して採材し、その後でまた別の牧場へ行かなければならない。近くに病気の山羊がいるというのでその個体からも採血をすることになり、モーゼスにくっついて行く。その山羊は右の方向へ旋回するように進むという神経症状が出ているとのこと。確かに右へ右へと歩いて行くが、旋回するというほどではない。心水症によくある症状らしいが、筆者はこれまで心水症に罹った動物など見たことがないので「へえ」としか言いようがなかった。心水症はダニが媒介する原虫病で、脳の血管に原虫がつまり、神経症状を示す。また心嚢に水がたまることからこの名前がつけられたという。末梢血中に原虫が現れるわけではないために生前の診断は難しく、かつ有効な治療薬がないので発症すると転帰は速い。ウガンダでは何故かキボガに多い疾病のようである。
      山羊小屋に移動してみると、小屋脇の草むらに横たわって苦しそうに呼吸している山羊がいた。四肢と頚を伸ばしきっている。筆者が「破傷風みたいだ」と言うと、すかさずロバートに「いや違う。手足を伸ばしているが硬直しているわけではない」と反論された。確かにそうなのだ。一見硬直しているように見えたが、さわってみると柔らかく関節を曲げることができる。体温は 42 度と高い。心水症の末期症状らしい。最も彼らもこれまでにきちんとした診断をしたわけではないだろうから、本当に心水症なのかどうかはわからないが、やはり長いこと同じフィールドで仕事をしている人の経験は決して馬鹿にできないものだ。若いロバートにも教えてもらうことは多い。

そろそろ終わりにしよう、とモーゼス

この山羊小屋の中でサンプリング

心水症の末期と思われる山羊

山羊の採血

      2 ヶ所目の農場に移動。珍しい花が咲いていたり白鷺のような鳥が群れでいたりとなかなか面白い牧場だが、クラッシャーはなかった。牛を集めている間、牧野に咲いていた百合のような花の写真を撮っていたら、ロバートがやってきて「ドクター、それは花だ」と言う。「そんなこと見ればわかる。何の花だ?」と聞き返すと、「この牧場には沢山咲いている」という的を得ない答えをする。「そうじゃなくて、何という名前の花かを聞いてるんだ」と大人げなく声を荒げると、「知らない」だって。教養のない奴だ。心水症の件で少し見直したのに、もうボロを出した。

ウガンダに来て初めて見た蓮の花

白鷺のような鳥

2 カ所目の農場で、牛が集まってきた。

ウガンダに来て初めて見る花

      牛を一頭ずつ捕まえての採材が始まった。牧場スタッフの二人が張り切って次から次へと抑え込んでいく。ムピジのマッドゥと同じような感じだ。追い込み柵から牛が逃げると、すかさず追いかけて行ってとっつかまえる。千葉くんも負けじと彼らの中に加わり、角に振り回されながらも必死に食い下がっていた。牛が抑え込まれるとモーゼスが頚から採血をする。このような状況では頚からの方が速い。20 頭を終えたところでスタッフのひとりが足を怪我してしまい、採材を中止することになった。3 時近くになっていたため、正直なところホッとした。吉野くんもここまで時間がかかるとは思っていなかっただろう。
      再び長く状態の悪い道をスタコラと戻り、ブコメロにて干涸らびた体に給水をした。その後、キボガへ戻り、遅い昼食を取る。そして事務所に帰ってようやく吉野くんの出番となった。インキュベーターはヒューズが切れていたため作動しなかったと判明したが、そのヒューズ自体は本体内部にあり、しかも特殊なネジを使って取り付けられていたため、素人がいじくってもわからなかっただろう。その他にヘマトクリット遠心器と煮沸滅菌器も修理してもらった。筆者は千葉くんに頼まれて血液塗抹を見ていたが、途中で停電になってしまい、久しぶりに鏡で光を集め鏡検をした。原虫の中でも特にアナプラズマやタイレリアはゴミと区別するのが容易でないが、こればかりはきれいな塗抹作りを心がけ、枚数をこなすしか解決法はないだろう。基本的な検査だからこそ一朝一夕には修得できないだろうと筆者は考える。

ここの農場にはクラッシャーがない。

牧場の兄ちゃんが二人がかりで取り抑える。

千葉君も保定を手伝うが、体力ではかなわない。

逃げ出した牛を捕まえに走る、走る。本当にタフだ。

鼻をつかんで保定をする千葉君

採材の様子

吉野君 (左) と千葉君

ほら、フューズが切れているでしょ、と吉野君 (右)

      そんなこんなですっかり遅くなってしまった。獣医事務所を後にしたのは 7 時。月明かりの中を走ってカンパラへ戻った時には既に 9 時をまわっていた。それにしても暗闇の中、まわりに何もない寂しい道を歩いているウガンダ人の多いことには驚いた。

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2009 年 3 月 長期専門家 柏崎 佳人 記
"短期獣医隊員活動"のスライドショーをダウンロードする。(File Name: Uganda-JOCV'09.mov)