フィールド奮闘記 --- キボガ 2008 年 8 月 11 日

      短期隊員、近藤くんの様子を見がてらブルセラの材料を集めにキボガへ出かけた。近藤くんは日大生物資源科学部獣医の博士課程 3 年生。病理学研究室に所属する。3 月に短期専門家として技術指導をして下さった渋谷先生の弟子だ。ちょっと見はワイルドな感じがするが、話してみると非常に温厚で知的な印象を受ける (印象だけかもしれない、、、)。東京は墨田区出身、さしずめ下町の若旦那 (まだ独身だが) といったところか。
      当日、7 時に出発する予定であったがドライバーが来ず。確か昨年もキボガへ行く日に遅れてきたのを思い出した。このところ遅刻をすることが多く、しかも電話をかけてこないためにいつまで待てばよいのやらもわからない。このウガンダ的無責任さにイライラさせられないためには、結局、自分でできることは自分でやるしかないと、在ウガンダ 1 年半にしてようやく悟りを開いた今日この頃。きっかり 7 時 5 分には車に乗り込み、自らハンドルを握ってキボガへ向かうホイマ・ロードを走った。
      その日の朝はめずらしく霧が深く立ちこめ、見通しが悪い。慎重に運転しながらもユーミンの歌に耳を傾けていた。車の CD プレーヤーの調子が悪くて、このところコピーした CD だとエラーメッセージが出るようになった。ユーミンの CD だけは日本から持参した純正品なので、何とか聞くことができる。歌詞の世界とウガンダの景色は全く異なるはずなのに、あまり違和感がないのはどういうことなのだろうか。8 時 45 分にキボガ着。今日、解剖予定のブルセラ感染山羊を取りにモーゼスが出かけていたため、しばらく事務所で待つことになった。

1 軒目の牧場

1 軒目の牧場

傷跡もクッキリとヤクザな牛

フィールド活動の始まり始まり

      1 軒目の牧場は追い込み柵だけでクラッシャーがない。ムピジのマッドゥみたいな感じである。人の良さそうな牧場のマネジャーが「遅いじゃないか」と迎えてくれたので、「こいつが遅れたんだ」とモーゼスを指差したら、「ドクターが頼んだ山羊を取りに行ってたんじゃないか」と不満そうにブツブツつぶやいていた。牛は既に追い込み柵の中に集められていたのですぐに採材が始まった。昨年同様にモーゼスが採血担当。こういう状況では尻尾から採った方が絶対に簡単だと思うのだが、慣れていないせいだろうか頚静脈からの採血スタイルを崩さなかった。
      若いロバートは乳房炎のテスト (カリフォルニア・マスタイティス・テスト: CMT) を担当。専用のプレートに乳を搾ってきては試薬液を注ぎ、プレートを左右に揺すっている。あっという間に黄色い試薬が紫色に変わる。かなり pH が高いのだろう。4 分房からの乳のうち、ひとつかふたつは必ずどろっと餡かけ状になる。細胞数が多いのだ。凝固物の混ざった乳はほとんど無いので臨床的にはまだ問題ないのかもしれないが、大部分は潜在的な乳房炎を抱えているということか。衛生状態の悪い環境で乳を搾っているのだろう、という状況は容易に想像できる。牧場のスタッフに頼んだプレートを洗う水がなかなか届かず、筆者の飲み水を目聡く見つけたロバートに「それをちょっと使ってもいいか」と聞かれたので、「ボトル半分しかないんだからダメ」とあっさり却下してやった。

牛乳を搾ってきたロバート

検査の結果を判定する。

難しそうな顔をして結果を読む。

今度はどんなんかな?

      25 頭を採血して 1 軒目が終わり、残っていた牛を追い込み柵から追い出すと、また別の牛の群を連れてきた。別の農家の牛なのだそうで、追い込み柵をシェアしているのだろう、2 軒目の採材もここでするのだという。まあ、筆者にとっては変化がなくてつまらないが、動かなくていいから効率はいいだろう。特に今日は筆者が運転手でもあるので、少しは楽ができるというものだ。牛は違うが (見た目的にはほぼいっしょ) 牧場のスタッフも我々も全く同じ。和やかな雰囲気の中、サンプリングは粛々と進められていったのであった。

2 軒目の農家の牛

乳を飲ませないようにするため、木の札を装着されている。

アンコーレの角は本当にでかい

近藤くんとロバートの後ろ姿

      3 軒目の牧場に移動。マネジャーがおらず牛も集まっていない。牧場のスタッフを呼び止めて牛を集めてもらうことにし、我々は追い込み柵の中の木陰で休憩。待っても待っても牛は来ず、ただひたすら待つ。話題も尽きて誰もが「牛は本当に来るのだろうか」という疑心暗鬼に駆られた頃、モーォという鳴き声が聞こえてホッと胸をなで下ろす。牛が追い込み柵の中に収まったところで一悶着があった。牧場のスタッフがソーダを買う金をくれと言い出したのだ。モーゼスに「金を出せるか」と聞かれ、「いくらくらい?」と聞き返した。モーゼス「牧場スタッフは 5 人だから、ソーダ 5 本で 5000 シリングかな」、筆者「そのくらいだったらいいよ」。しかし彼らは「それでは足りない」と食い下がってきたため、モーゼスはあっさりと「じゃあ、ここはもうやめて行こう」と言って歩き出した。この人に媚びない態度はなかなか好感が持てた。これまで幾度となく牧場での採材に顔を出してきたが、牧場のスタッフに金を要求されたのは初めてだ。彼らは雇われて肉体労働をしているだけなので、病気の検査などには興味もないのだろう。しかしどんな状況であれ、こういった金のせびり方にはどうしても嫌悪感を覚える。

採材ができなかった 3 軒目の牧場

4 軒目の牧場

ロバートが乳のとり方を指導

みんな紫色になる。

牛の水飲み場。下の水場から水を汲む。

何か文句あるのか?

      この日最後の牧場へ行く。何かこの道、さっきも通ったよなあ、などと感じながら運転して着いた場所には、1+2 軒目の牧場にいたスタッフが待っていた。確かに追い込み柵は異なるが、朝の牧場と隣接しているのだろう。何か代わり映えはしないが、彼らはさっきの金くれカウボーイたちとは比べものにならないくらい気持ちのよいスタッフなので、これで文句を言っては罰が当たるというものである。慣れた調子で三度サンプリングを開始。みんなヒョロッと痩せているのに、次から次へと長い角のアンコーレを捕まえてくれた。

痩せているのに体力がある。

角を抑えてしまえば動けない。

柵を跳び越えて逃げ出した牛を追いかける。

左端の人がマネジャー。下の 2 枚の写真は彼が撮った。

悪びれもせずカメラの前を横切るロバート

みんなに冷やかされながらポーズをとる。

      事務所に戻ってから、朝、モーゼスが連れてきてくれたブルセラ抗体陽性の山羊を解剖した。事務所の所長である Dr. アティコルの牧場はブルセラ菌に汚染されており、そこから妊娠した感染山羊を一匹運んできてくれたのだ。目的は、現在エンテベのラボで細菌学的診断法を指導中である鎌田先生にお願いし、ブルセラ菌の分離と同定をするためである。ウガンダでは山羊の感染率が牛よりも高く、それが B. abortus によるものなのか、B. melitensis によるものなのかを解明しておきたいと考えたからだ。もちろん解剖を担当したのは病理を勉強している近藤くん。なかなか鮮やかな手つきで頸動脈を刺し、その山羊を放血殺してくれた。それに続く解剖も近藤くんひとりに任せて筆者は傍観。鎌田先生に頼まれた組織 (胎盤、盲腸、胎児の肺、それに加えて羊水) を一通り採材し、組織病理用にホルマリン材料も確保した。ところがどっこい、筆者がエンテベに戻ってからこの山羊の血清をローズ・ベンガル液で調べたところ、何と反応は陰性であった。いったいどういう事なんだ、近藤くん! 事務所のラボももう少し片づけようよ。
      筆者は 4 時にキボガを後にし、ドライバーを恨みつつ疲れた体にムチを打ってカンパラへと車を走らせた。

山羊の解剖中、何か身を引き加減のロバートと山羊の状態を見る近藤くん

事務所のスタッフ。左から近藤くん、Dr. カムラシ、ロバート、マケレレ大獣医の学生 (かなりムカつく奴らしい:近藤談)、モーゼス

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2008 年 8 月 長期専門家 柏崎 佳人 記
"短期獣医隊員活動"のスライドショーをダウンロードする。(File Name: Uganda-JOCV'08.mov)