サンプリング百景 --- キルフラ 2007 年 11 月 5 - 7 日 |
11 月 5 日 (月)
カンパラに上がってきていた小林さんを乗せ、やはりカンパラに出ていたカウンターパートのカトーをピックアップして、一路キルフラへと向かった。カトーはマケレレ大学の修士課程のコースに出席するため、毎週末にカンパラへ上がってきている。片道 5 時間もかかる道のりを毎週出て来るのであるから、そのエネルギーだけでも相当なものだ。
短期隊員の小林さんは日大の 3 人とはかなり異なる経歴の持ち主だ。北海道や沖縄の久米島で大動物臨床獣医師として長年働いた後、現在は宮崎大の大学院博士課程に席を置きながら臨床のアルバイトをしているという、かなりの自由自在人。糞線虫でドクター論文を書くらしい。海外経験としては、宮崎大在学中にザンビア大学に 1 年間留学し、その後も協力隊の短期でザンビアへ。そして JIRCAS の特別研究員としてシリアにも行っていたことがあり、シリア隊員であった自分はそれを聞いただけで親近感を覚えた。
小林さんが久米島で働いていた頃、楽天イーグルスが久米島へキャンプにやって来たという。その折、役場の職員として交通整理をすることになり、お揃いの黄色い楽天野球帽をかぶって交差点に立っていたそうだ (久米島にも交差点があるのか?)。そんなある時、元西鉄ライオンズの名投手稲尾に呼び止められて道を聞かれ (車を呼んでくれと頼まれたのかも)、親切にしてあげる代わりに帽子にサインをもらったという。しかし筆者がそのサインに目を留めたのは、黄色い帽子に血液のシミがついているように見えたからで、小林さんに「汚れちゃったね」と言ったら、「これは稲尾さんにいただいたサインです」と叱られた。赤いマジックでサイン何か書いてもらわないようにと声を大にして言いたい。その時の思い出を胸に、記念の帽子をかぶってキルフラでフィールド・ワークに励んでいる小林さんである。
この日、カゾの獣医センターに到着したのは 3 時過ぎだった。小林さん持参の GPS によれば、このセンターは赤道の南、10 分ほどのところにあるという (10 分というのは 2 km ほどの距離らしい)。スタッフと挨拶を交わし、世間話をしていたら、フィールド・スタッフのひとりエンマが、ランピー・スキン病のワクチネーションに出かけるというので、ついて行くことにした。まずルシェレというムセベニ大統領のホームタウンまで行き、ワクチンを受け取る。その後、カゾ方面へ逆戻りする格好でカノニというサブカウンティーまで車を走らせた。本道から脇道へ分け入り、人と自転車が通れるほどの道を進んでいくとちらりほらりと農家が現れる。ここら辺の農家は小規模で、飼養している牛も 20 頭前後程度であろうか。それでもお手製のクラッシャーがあり、その中へ牛を詰め込んでいく。ギュウギュウに詰まったところで連続注射器を手にした小林さんがリズミカルにワクチンを接種していった。2 軒目の農家は高台の景色の良いところにあり、周辺の農家からも牛が集まってきた。3 軒目の農家に着く頃には暗くなり始め、小林さんが持参した懐中電灯を使っての作業となる。この農家のクラッシャーはバナナ・プランテーションの中にあって、何かせせこましく落ち着かなかったが、牛はバナナを食べないことを発見。帰り道、センターのスタッフであるカトーの家にお邪魔したりしたので、カゾへ戻ったのは 8 時過ぎになってしまった。 |
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ランピー・スキン病のワクチンを打つ小林さん。 |
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小さな農家でも自前のクラッシャーを持っている。 |
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キルフラの空、夕方の雲 |
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カゾ獣医センター、快晴の朝 |
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11 月 6 日 (火)
朝のうち、快晴。センターに 8 時集合。朝食を食べてから一路、ナカシャシャラ・サブカウンティーへ向かう。マサカームバレ道路に近いあたりだ。道路に出る手前の農場で今日、まず最初の採材をする。400 頭くらい飼育しているという、どうりで立派な薬浴槽とクラッシャーがあるわけだ。首を長くして待つこと約 30 分、ようやく牛が姿を見せ始めた。
ここでちょっと説明をしておくと、カゾの獣医センターには 3 人のスタッフがいる。まずは県の家畜衛生官であるカトー、そして若いフィールド・テクニシャンのエンマとアキレオだ。後者 2 人は県のスタッフではないらしいが、何故かセンターに寝泊まりして農家をまわり、家畜衛生サービスに従事している。この 2 人は敬虔なクリスチャンであり、かつなかなかの勉強家であるらしい。小林さんによれば、小林さんが持ってきた本を、夜、2 人でノートに書き写しているという。今の日本人であれば、コピーを取るかデジカメで写すかのどちらかであろう。感心感心。
牛がクラッシャーに収まり、サンプリングが始まった。キルフラでは尻尾から採血をしている。カトーはマネジャーを自認しているため記録係に徹し、採血はパス (多分、下手なんだろう)。若いスタッフの 2 人はまだちょっと不慣れなのか、牛によってはかなり時間がかかっているので、筆者も写真を撮る手を休めて採血に加わった。 ここ何年か採血などしていなかったが、それでも昔の勘はあまり鈍らないようで、トット、トットと血を採ることができた。今日はツベルクリンの PPD 抗原液を忘れてきたため、結核検査はお預け。40 頭ほど採血をして、この農場での採材を終わりにした。 |
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1 軒目の農場の薬浴槽 |
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牛が集められてくる。 |
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スタッフに指示を出す?小林さん |
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ギュウギュウに詰められてひたすら待つ牛達 |
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飄々と採血をする小林さん |
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ちょっと真剣に採血をする小林さん |
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真剣に採血をするエンマ |
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抵抗して抗う牛は往々にしてこうなってしまう。頭悪いなあ。 |
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2 番目の農場へ向かう前にルシータをひろう。ルシータはキルフラ県の獣医で、このナカシャシャラ・サブカウンティーに自分の家を持っているため、この地区のこともよく知っている (しかし担当するサブカウンティーは別のところだ)。彼の父親はウガンダ大使としてイギリスやウクライナで仕事をしていたことがあるため、彼も彼の地に住んでいたことがあり、ウクライナの獣医大学を卒業している。父親はその後、外務省に戻ってから事務次官をしていたというので、ルシータは血統書付きの良家のお坊ちゃんなのであった。しかし"上品"というよりは"ハイテンション"な男で、弾丸のようにしゃべりまくるため、長く一緒にいると相手を疲れてさせてしまうのが難か。
さて、この農場は広大な牧野を有する。またンブロ湖国立公園に近いため、野生動物の姿を見かけることもあるという。この見晴らしの良いだだっ広い牧野の真ん中にクラッシャーがあり、そこで待つこと 30 分、遠くの稜線に牛の姿が見え始めた。牛が集まり、クラッシャーに入れられてからの作業はいつもと同じだ。ルシータは採血が下手で、最初の 1 頭をカトーと 2 人がかりでとんでもない時間をかけ、あえなく自主退場、2 頭目はなし。その後はひたすら傍観し、口は出してもついぞ採血には手を出さなかった。情けない。採材終了後、農家のご主人にミルクティーをご馳走になり、雨の来る気配が漂う中、次の農家へと向かった。 |
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2 軒目の農場 |
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ひたすら牛が来るのを待つ人々 |
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集まってきた牛 |
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さて採血でもするか、とクラッシャーに向かう小林さん |
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ようやっと血が出てきたか、エンマ |
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うーん、なかなか血が出てこないアキレオ |
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3 人が同時に採血 |
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牧野に現れたシマウマ 3 頭 |
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2 軒目から 3 軒目の農場へ向かう途中、シマウマを発見。あまり近づけはしなかったが、その躍動感のある肢体をはっきりと目にすることができた。全部で 3 頭。雨季に目にすることは少ないと聞いていたので、運が良かったということか。小林さんによると、これまでの活動中、インパラとカンムリツルは見たことがあったそうだが、シマウマに出会ったのはこの日が初めてであったらしい。
3 軒目の農場でも同様の採材を始めたものの、20 頭あまり採血をしたところで雨が降り出し、急遽中止にして車に逃げ込んだ。近くにあるヤントンデという町まで行き、遅い昼食をとることにした。一息ついて携帯をチェックすると、キボガの松波くんから意味深なメールが入っている。レストランではテーブルのセッティングをしているところだったので、ちょっと気になって電話をかけると、昨日、サンプリングの時にハプニングがあったのだという。松波くんは他の 3 人よりも一足先にカンパラからキボガへ戻り、昨日、予定のサンプリングを済ませていた。
ある農家で牛をクラッシャーへ移動させている最中にその中の 1 頭が沼地にはまり、その上を他の牛が乗りかかってどんどん深みにはまり、結局、死んでしまったのだという。松波くんによるとクビから上だけが出ているような状態だったそうで、その知らせを聞いた牧場主があわてて飛んできて激怒したらしい。明らかに牛を誘導していた牧場スタッフのミスだろうが、牧場主は「松波くんらが採材なんかに来たからこんなことになったんだ」と切れたのだ。牧場のスタッフになだめられて少し落ち着き、大事には至らなかったそうだが、松波くんのカウンターパートの 2 人は早々と車に逃げ込んでしまったらしい。それほどウガンダ人は怒ると恐いということなのか、単に薄情なのか、いずれにしろ松波くんにとってはかなり閾値の高い経験だったのであろう。ひと通り松波くんの話を聞いた後で、既に昼食を食べ始めていた小林さんに携帯をバトンタッチしたところ、また最初から説明が始まったらしく、小林さんはしばらくテーブルに戻って来なかった。ああ、エア・タイム (プリペイド式携帯のポイント) がどんどんなくなっていく!
その日、カゾに戻ったのは 6 時を過ぎていた。小林さんがエンマ、アキレオといっしょに血液の処理を始めた。冷蔵庫に入れておけば翌日でもまあいけるだろうが、いつもその日にやってしまうのだそうだ。エライ! 若い二人は小林さんにし込まれ、テキパキとヘマトクリットや塗抹作りを進めていく。筆者は不謹慎にもシャワーを浴びさせてもらい、早々とフィールドの汚れを洗い流してしまった。 |
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3 軒目の農場での採材風景 |
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血液サンプルの処理中、みんなよく働く。 |
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11 月 7 日 (水)
曇り。今日はカンパラへ戻るだけの予定にしていたのだが、屠場で結核病変が見つかった牛がいた牧場へ、ツベルクリン検査をやりに行きたいというカトーの申し出を受け、カショギ・サブカウンティーまで出かけることにした。最もその病変を見た小林さんによると、結核病変というよりは腫瘍のように見えたとのことだった。
ここも大きな農場だ。牛を集めてクラッシャーへ連れてくるまでに、かなりの時間、待つことになった。採血は最初の 10 頭だけすることにし、ツベルクリン検査を主体とする。バイアル 1 本、約 50 頭の検査だ。今日は小林さんの主張で何とカトーが中心に PPD 抗原を注射している。たまには自ら体を動かして働くこともあるんだと、筆者はしばし傍観。
昼頃センターへ戻り、昼食をご馳走になり、そそくさとカンパラへ向けて出発した。途中から雨が降り出した。 |
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結核検査をしに行った農場 |
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クラッシャーに入っていよいよ始まり始まり |
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採血に向かうアキレオ |
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ツベルクリン液を注射する小林さん |
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ツベルクリン検査をするカトー |
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初期のランピー・スキン病のような症状を見せる牛 |
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2007 年 11 月 長期専門家 柏崎 佳人 記 |
"短期獣医隊員活動"のスライドショーをダウンロードする。(File Name: Uganda-JOCV'07.mov) |