サンプリング百景 --- ムピジ 2008 年 4 月 14-15 日 |
昨年 10 月から 11 月にかけて協力隊短期隊員を派遣した 4 ヶ所の獣医事務所においては、昨年中に牛結核病とブルセラ病の調査を終えた。一方、ムピジ獣医事務所では簡易ラボの改修が遅れに遅れ、今年 2 月になってようやく整備が完了し、3 月から調査を始める運びと相成った。ムピジは東西に細長い県である。事務所のある東部から牛回廊 (Cattle Corridor) に属する西部まではかなりの時間がかかる。それゆえ日帰りのサンプリングではなく、一回を 2 泊 3 日にセットし、それを 3 ラウンド実施することにした。3 月中に最初のラウンドを終了し、今回はその 2 ラウンド目。年度末のあわただしさを何とか凌ぎきり、4 月に入って筆者にも若干時間ができたため、前半の 2 日間だけ参加することにした。
当日は朝から雨。筆者がムピジへ行く日には雨が降っていることが多い。カンパラを 7 時に出発しムピジ着が 8 時。採材に行く予定の事務所スタッフ 3 人 (獣医のカバンダ、畜産スタッフのムソケ、それにドライバーのジョン) と、村落隊員として事務所に配属されている増井さんが街中の食堂で朝食を食べていた。増井さんはともかく、男性スタッフは朝からデンプン質豊富なしっかりとしたウガ飯を食べている。後でわかったことだが、採材を始めると夕方まで昼食を取ることができないからだ。筆者ももう少し無理をしてでも食べておけば良かったと後悔することになった。
運転手のジョンがどこかに姿を眩ませてしばらく現れなかったこともあり、ムピジ出発が 9 時になってしまった。ここからひたすら西へ車を走らせる。ムピジ・タウン周辺の丘陵地帯を抜けると平坦なサバンナ的地形がしばらく続く。そこここにあるブッシュが視界を遮り見渡すことはできない。そして更に車を走らせると大地は再び起伏を帯び始め、キルフラを彷彿とさせる景色に変わっていった。最もキルフラほどにはアップダウンは激しくもなく、キルフラの端と端を掴んで引っ張り、凹凸をまろやかにした感じか。ここまで来ると開墾された土地を目にすることはほとんど無かった。土地が痩せていて農耕には向いていないのだろう。だから家畜を飼うしか金を稼ぐ方策がないのかもしれない。ウガンダの牛回廊とは、それイコール痩せた土地なのかもしれない。 |
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ホルスタインとアンコーレのクロス・ブリード、何か変だ。 |
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ムピジ獣医事務所のスタッフ |
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最初に訪れた農場の若い牧場主 |
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運転手のジョンも採材の手伝い |
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11 時前にはマッドゥに到着。ここで獣医をしているカフルマと、最初に採材をする農場のご主人 (といってもすごく若そうであったが) と落ち合った。カフルマはサブカウンティーのスタッフではなく、フリーで開業をしている獣医らしい。何でも県のスタッフであるサブカウンティーの獣医は、とんでもない怠け者で役に立たないため、よく働いてくれるカフルマに頼んだとのことであった。
我々は牛を抑える縄や飲み水など、必要なものを購入し、早速、農場へと向かった。更に 30 分くらい車を走らせてようやく牧場内に入る。ここからがまた長い。どっちを見ても同じような景色の中、ブッシュとブッシュの間を擦り抜けながら進んでいく。以前、キボガでも同じような経験をしたが、その時よりも状況は悪い。トゲのあるアカシア系の灌木が多く、車体をこする音が「キキキ」と響く。手に入れてまだ 1 年の車はもう満身創痍である。
クラッシャーのある採材場所に到着したのは既に 12 時。それからがまた長い。牛を集めて連れてくるまでに約 30 分。我々 5 人はひたすら待つしかない。最も増井さんは男 4 人が呆けている中、せっせと準備にいそしんでいた。いつも思うのだが、あらかじめ採材に行くことを連絡してあるというのに、どうして牛を集めておいてくれないのであろうか。これまでキボガ、キルフラと何度も牧場に出かけたが、到着したときに準備が整っていたとことはひとつもなかった。ウガンダ人の頭の中では「採材に来る」と「準備をしなければならない」とは別物なのだろう。
そんなこんなで時間はかかったが、何とか採材が始まった。増井さんとジョンは記録+サンプル処理・整理+準備を担当。クラッシャーがあったので基本的にはキルフラでやっていた通り、カバンダ、ムソケ、それに筆者の 3 人が別々に尻尾から採血し、ツベルクリン液を注射していった。クラッシャーに詰め込まれているとはいえ、牛は少しずつだが動けるためなかなかじっとしていてくれず、3 人で採っている割には数がさばけない。増井さん曰く、「一頭ずつ抑えて採材するときと、あまりスピードは変わらないですよね。」まあ、この方が農家にとっては負担が少ないのだ。 |
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二ヶ所目の牧場で、スタッフが牛を追い込む。 |
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真ん中に立つ少年の足の長いこと !! |
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次に訪れた牧場にはクラッシャーがなく、追い込み柵内での採材となった。牧場のスタッフである背の高い足の長いお兄ちゃんふたりが、ぬかるみの中を走り回って牛を抑えてくれた。二人とも、牛を抑える段になると何のためらいもなくズボンや腰布を脱ぎ捨て、パンツ一丁になった。いくらウガンダ人牧場労働者といえども、女性の前ではそれなりに躊躇するものであるが、その日はうら若き乙女である増井さんがいたにもかかわらず、二人は何のためらいもなく服を脱ぎ去った。
抑えるのは二人ひと組なので一度に一頭ずつしか採血はできない。それゆえ採血はムソケに、そしてツベルクリン注射はカバンダに任せ、筆者は写真係に成り下がった。どうも採血はムソケの方がうまそうだ。カバンダがやるとどうしても時間がかかってしまい、抑えている二人に負担がかかる。それに血が採れないと本人も余計に焦ってしまう。尾静脈からの注射は針を刺す位置が重要だ。それをかなりいい加減に刺して、それから静脈を探ろうとしているからダメなのだろう。コツは教えたのだが、まあうまくできるようになるまでにはそれなりに時間が必要かもしれない。
一軒の農家で採材する牛の頭数は 25 頭。この牧場のようなコンディションでは、たった 25 頭でも牛を抑える人にとってはかなりの負担となる。しかも半分を過ぎたあたりから雲が切れて日射しが強くなり、傍観していただけの観客達がそそくさと日陰に入ってしまった。そのために追い込み柵の出入り口が開け放たれた状態になり、牛が簡単に出て行けるようになった。誰かが牛を遮るだろうからまあいいかと思ってしまうのだろう。それともそんなことさえ考えていないのかもしれない。中に入っている 4 人の苦労を目の当たりにしても、まわりの人はそれを感じることができないのだろうか。だから自分も我慢しようとは思わないのだろうか。採材の後、中で牛を抑えてくれた牧場スタッフがしきりと筆者に話しかけてきたのだが、現地語だったので全くわからなかった。しかし本人は意気揚々と楽しそうであり、彼の笑顔から覗いた歯並びの悪さが印象に残った。
マッドゥ・タウンに戻った我々は、夕方 5 時に遅い昼食を食べた。シャビーな食堂だというのに何故かマトケも肉もやわらかい。こんなにやわらかい肉を食べたのは、ウガ飯では初めてのことかもしれない。アルペン・ロッジ泊。 |
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追い込み柵の中で一頭ずつ牛を捕まえなければならない。 |
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青い帽子のムソケが採血を担当。 |
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ぬかるみの中、パンツ一丁でひたすら牛を捕まえてくれた。 |
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後半、日が照って暑くなり、疲れが見えてくる。 |
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翌朝、マッドゥの空は薄曇りという感じ。暑くもなく寒くもなく、まずまずの天気かと思いきや、増井さんのところに同じくムピジの村落隊員である梅垣主税くんから電話がかかってきた。主税くんの任地はこのマッドゥとムピジ・タウンの中間あたり。激しい雨が降っていて、その日予定していた土嚢工法 (土嚢を使った道路の修繕法) のデモンストレーションが中止になったとのこと。ということはこっちでももうすぐ雨が降り出すということか。昨夕、あのとろけるような肉を食べた食堂で朝食を取り、本日最初の農場へと向かった。肉は昨日ほどにはやわらかくなく、やっぱり煮込み方の違いなのかという話になった。
最初の農場は街を出てすぐのところだった。あたりには誰もいない。マッドゥの獣医師カフルマが農家の人を探しに出かけて行った。その頃には東の方からすごい勢いで雲が押し寄せてくるのが見えた。すぐに雨が降り出すだろう。手持ちぶさたであたりをうろついていたものの、押し寄せる雲の速さとくすんでいく辺りの景色に、我々の気持ちも飲み込まれていくようだった。
そのうちにカランコロンというカウベルの音が聞こえ、牛の鳴き声が近ずいてきた。カフルマと少年と老人 (とは言ってももしかしたら 50 代くらいなのかもしれない) が牛を追って現れた。我々も手伝って追い込み柵の中に入れ、そこから続くクラッシャーへと追い立てているその時、とうとう雨が降り出した。しかしここで休止するわけにはいかない。幸いにも雨足は強くない。日本で降るようなしとしと雨である。車にとって返し、St. Andrews で買ったウインドブレーカーを羽織り、ウルグアイ灯台守の帽子をかぶる。小林さんがかぶっていた楽天イーグルスの帽子よりは色も良くて落ち着いている。
雨の中での採血はあまり経験がなかった。どこもかしこも濡れて泥と糞でグチョグチョ状態に直面し、「ここでやめるわけにゃいかないぞ」というチャレンジ精神が湧いてきたのも事実だ。ウガンダ人は汚いことに自ら進んで手を出さないので、すぐに車の中に入ってしまうだろうと高をくくっていたのだが、みんなそれなりに頑張っていた。特にカバンダは、ムソケとカフルマが一時車の中に避難する中、最後まで一度も休憩をすることなく、筆者といっしょに黙々と採血を続けていた。なかなか偉い奴だと少し見直した。この牧場では働き手が年配のご主人と少年だけだったので、クラッシャーがあって本当に助かった。採材が終わるのを見計らったように雨が小降りになってきた。 |
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二日目、マッドゥの朝。この時、まだ空は青かった。 |
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東から雲が押し寄せ、この後、すぐに雨が降り出した。 |
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次に訪れた牧場は小高い丘の上に立派な家を構えていた。結構儲かっているのだろうか。まだ雨は降り続いていたが、牧場へ向かう頃にはほとんど気にならないくらいに止みかけていた。採材場所に着いてみると、立派な母屋を持つ牧場なのにクラッシャーどころか追い込み柵さえなかった。儲かっているのは確かだろうが、ご主人はケチなのかもしれない。隣接する二つのブッシュの間を倒木や枯れ枝や草木で塞ぎ、一応追い込み柵的な場は作ってあった。そこに牛を集めていざ採材。牛は動くし逃げるし抵抗するしで時間がかかる。しかし牧場のスタッフは多く、4 人で一頭ずつ抑え込んでいた。ここの牛は他のアンコーレと比較してもかなり大きな角を持っている。4 人で抑え込まれると牛もさすがに動けないのか、ムソケは採りやすい頸からの採血に切りかえていた。ジョンは「エキスパート」という言葉が気に入ったのか、採血がうまくいく度に「エキスパート」とかけ声をかけて笑いを誘っていたが、あまりにも乱発しすぎてすぐに失笑を買うようになった。 |
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この日、二軒目の牧場には追い込み柵さえなかった。 |
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角を抑え込んで保定する。 |
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ツベルクリン液を皮内注射するカバンダ。 |
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この牧場での採材参加者一同。 |
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何とか逃げようと様子を伺う。 |
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増井さんとジョン |
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三ヶ所目の採材場所に移動。ここは牛の売り買いがされる市場らしい。毎週、決まった曜日に牛を持ち寄り、売買交渉をするのだろう。しかし日本のような競りが行われるとは思えない。とにかく広い。サンプリングの条件がどんどん悪くなっていく。ここで一頭ずつ捕まえるのはきっと大変だろうな、と思いながら牛の到着を待った。
そうこうしているうちに 50-60 頭の一群が到着。きっと小さな牧場で、採材ができるような場所がないのだろう。昨日同様、雲が切れて日射しが強くなったが、ちょっと一息つけそうな日陰などはどこにもない。ひたすら牛を追いかけ回し、保定し、採血し、ツベルクリン液を打つという単純作業の繰り返しとなった。さすがにこれだけ広いと牛の角をおもむろに掴んで倒すというような離れ技はできず、長い棒にロープを巻き付けて輪を作り、それを背後や脇から牛に近づいて後肢をくぐらせ、足を引っかけて捕まえ、それから抑え込みに入っていった。ここで活躍したのはカフルマだ。暑い中、飼い主のおじさんと交代で何頭も牛を捕まえてくれた。暑くて脱いだジャケットを近くのストゥールに引っかけ、そのまま忘れてしまい、後で取りに戻ったときには既に無くなっていたのが気の毒であった。 |
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この日三ヶ所目は、だだっ広い市場での採材となった。 |
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棒にひもを巻き、後ろから足に引っかけて牛を捕まえる。 |
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こうされてしまうと、牛はどうしようもできない。 |
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何故か気持ちよさそうにくつろぐ牛もいる。 |
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4 軒目の農家へ行くも、人手は足りない、疲れがひどい、既に 5 時という三重苦に見舞われ、あっさり断念。その牧場は翌朝にまわすことにして一日の採材を終えた。マッドゥに戻った我々は、昨日同様にとろける肉のウガ飯を食べ、明日、用事のあるカバンダと筆者はマッドゥを後にした。 |
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四軒目の農場では人手が足らず、翌日、出直すことにした。 |
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マッドゥの街、空は晴れ渡り、雲のかけらさえ見えない。 |
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2008 年 4 月 長期専門家 柏崎 佳人 記 |
"短期獣医隊員活動"のスライドショーをダウンロードする。(File Name: Uganda-JOCV'08.mov) |