さてそのティグレイという地域には、小規模ではあるもののラリベラと同じような教会があちこちの山の頂に建っています。当時は外界と隔離された場所に好んで教会や修道院を造ったためだそうで、それゆえ現在でもそれらの教会を訪れるのはなかなか容易ではありません。その中でも一番古い修道院はエリトリアとの国境に近いテーブル・マウンテン(頂上が真っ平らの山で、そのまわりは断崖絶壁になっている)の上にあり、中へ入るためには 20 メートルほどのロック・クライミングをしなければなりません。最も腰にもロープを巻き付けて上にいる子供2人が引っ張り上げてはくれるのですが、それでも自力でこの重い体を何とかしなければいけないことには変わりなく、久々に肉体的にきつい精神的に怖い思いをしました。
アクスムは紀元前 10 世紀頃のシバ女王国の首都であったと言われている街であり、その後紀元1世紀から 10 世紀にかけてはアジアとの貿易で非常に栄えた要衝だったそうです(今ではその面影を全く感じさせないほどにさびれていますが)。ここにはその当時、王の墓標として建立された石柱や墓が残っています。現在でもまだ立っている石柱の中で最大のものが24メートル、倒れてしまったものの中で最大の石柱が 33 メートルあります。これらはエジプトのオベリスクのように石を繋ぎ合わせたものではなく、人類が切り出したひとつの石片としては最大のものだそうです。
長くなってしまったので端折りますが、次に訪れたゴンダールは 17 世紀、ファシラダス皇帝時代の首都で、山間の閑静な街中に当時の城塞やそれに関連した建物が残っています。
最後に立ち寄った街、バハル・ダールはタナ湖のほとりにあるエチオピア人向けのリゾート地であり、ここだけは山脈からはずれた標高も低い場所にあるためか開放的な印象を受けました。このタナ湖に浮かぶ島々に修道院が点在しているため、それが観光資源になっています。またこの湖はブルー・ナイルの源としても知られており、街から約 30 キロ離れたところにあるブルー・ナイル・フォールズ(滝)を見に来る人も多いようです。最も僕が訪れた時は乾季だということと川の水の大半が発電に使われているということで、雄大なはずの滝は伊豆の修善寺にある浄蓮の滝と大差ない有様でした。白ナイルの源流であるビクトリア湖岸の街、ウガンダのジンジャへは、以前リサーチワークに行った折りに訪れたことがあるので、これで両ナイルの源流を制覇したことになります。
4月 10 日、朝のフライトでバハル・ダールからアディスへ飛び、そのまま午後のフライトでロンドンへ戻る予定でした。朝、6時前に起きて荷づくりを済ませ、フロントで宿泊料の精算している時に航空会社から電話が入りました。「アディスへ行く朝のフライトがキャンセルになった」と告げられ、血の気が引く思い。実は 13 日までに提出しなければならないかなり難問の課題が出されていたのです。予定では 11 日の午前中にセント・アンドリューズへ戻ってすぐに取りかかり、2日間で仕上げるつもりでした。ですから1日帰宅が遅れると提出までに丸1日しかなくなり、終わるかどうかも危うくなります。成績の半分を左右する課題なので手を抜くわけにもいきませんし、かといって航空会社の人に当たり散らしたところで飛行機が飛ぶわけでもなし。とにかく午後のフライトでアディスへ飛ぶことにしました。
|