西部出張記 (2008 年 6 月 5~6 日)

      3 月に始めたキルフラ県カゾ獣医センターの改修がようやく終わり、その支払いを済ませるため久しぶりに西部へ出かけることになった。そのついでといっては何だが、ブシェニ県 (Bushenyi) のカボヘ (Kabwohe) という町で働く協力隊村落隊員、兼光くんが住む学校と、キルフラ県サンガにある誰も使っていない獣医センターの状態を見てくることにした。

アンコーレ・ウエスタン工科学院 (Ankole Western Institute for Science and Technology)
      村落隊員の兼光くんは、畜産関係の大学を卒業した牛が大好きな青年である。どのくらい好きかというと、ノン・ジャパニーズを含む全ての知り合いに、自分のことを「ウッシー」と呼ばせているくらいである。その兼光くんの配属先は何を血迷ったか養蚕組合なのであるが、住んでいるところはアンコーレ・ウエスタン工科学院という学校の中。しかもこの学校、「工科」と名前がつくくせに、今のところ畜産・農業関連のコースを中心としている。兼光くんはこの学校の校長先生、カナダ人の肝っ玉母さん キャロライン・ラングフォードさんと学校住宅をシェアしている。夕飯はキャロラインさんが作り、後片付けを兼光くんがすることになっているそうだ。
      もう少しこの学校について詳しく説明しておこう。もともとウガンダのウエスト・アンコーレ・アングリカン・チャーチ (英国国教会) がこの地区に 7 つの中・高等学校を創ったのが始まりらしい。その後、大学を創設しようという構想に膨らみ、Ankole Western University Project が始められた。2002 年にこの町はずれの丘に校舎の建設を開始し、2005 年から学生の受入を始めた。将来的な大学化へのステップとして現在の専門学校を創設し、今年初めての卒業生を送り出すという。
      名前は「工科学院」であるが、現在進められているコースは、家畜衛生・畜産 (Animal Health & Production) と、農業経営・農村開発 (Agribusiness & Community Development) のふたつである。両方共に 2 年間のディプロマ・コースである。校長のキャロラインは、カナダの英国国教会から派遣されてきている。ここに来る前はムピジ県西部にある同様な学校にいたそうだ。キャロラインも獣医師であり、家畜の病気について相当な関心を持っている。ウガンダにおける家畜疾病の発生状況などについて色々と調べており、その分野の話で盛り上がった。「ウガンダの山羊にトキソプラズマが多い」という情報は筆者にとっても初めて耳にする話であり、やはりたまには同業者と情報交換をする必要があるなあ、という思いを強くした。アメリカの医学生が経験を積みに毎年何名か数ヶ月単位でウガンダへ来るらしく、そういった学生たちと何かいっしょにできないものかと思案しているところとのこと。つまりは人獣共通感染症について何かしたいという事か。当プロジェクトとしても何かしらつながりを持てたら面白いと思う。
      実際に動物を扱う実習などは、隣接するンガンワ高校で実施しているという。また学校では新しい校舎の建設を進めており、その一部を検査室にするそうだ。それができれば糞便検査や血液検査などの実習が行える。こういった教育を受けた学生が、県獣医事務所のラボで働いてくれるようになれば良いと思うが、そうなるまでにはまだまだ時間がかかるであろう。キャロライン曰く、「専門的な情報が欲しい」とのこと。できる限りの協力をしたいと思う。

学校はカボヘの町を見下ろす高台にある。

左から事務長さん、兼光くん、校長のキャロライン

サンガ獣医センター
      ムブロ湖国立公園近く、ムバララ道路沿いのサンガという町にも獣医センターがある。西部の中心都市ムバララまでは約 30 km と近い。以前、ドイツ GTZ の協力で整備されたそうであるが、プロジェクトの終了後に担当者が供与された機材類を売り払ってしまったという、悪い意味で曰く付きのセンターである。ちなみにその担当者は今でも農業省で働いているというので、ウガンダはこういった官僚の立場を利用した汚職について、本当に寛容な国なのであろう。それは言葉を換えれば「多かれ少なかれ誰でもやっている」ということなのかもしれない。
      何故ここへ視察に来たのかというと、キルフラで牛乳の検査ができる場所をつくらなければいけないと感じていたからだ。キルフラ県では酪農が盛んであり、ウガンダにおける牛乳の一大生産地として知られている。消費者ばかりでなく生産者を守るためにも、牛乳の検査が必要だ。しかしカゾの獣医センターでは電気をソーラーに頼っており、冷蔵庫ひとつ分の電気さえも十分に供給できていない。そういった事情から電気が通っているサンガに目をつけたわけである。最もパワーライン自体はセンターまで引かれていないため、まずはそのラインを町から引く段取りから始めなければならない。建物そのものはなかなか頑丈にできており、改修の必要はないように見えた。水のタンクもある。パワーラインを引き、センター内の配線を取り替えれば、電気が使えるようになる。牛乳の検査に必要なインキュベーターやオートクレーブ等の機材は、その大半を既に買いそろえている。という状況から、プロジェクトとしてこのセンターにも手をつけることに、筆者の心の中で 99 % 決めてしまった。あとは「パワーラインを引くのにいくらかかるか」が鍵となる。
      このセンターを整備したとして、一体誰が働くのか、人材はいるのか、という点を一番心配していたのだが、それは杞憂に終わりそうだ。同じ場所にある官舎に、サンガ・サブカウンティーの担当獣医師 Dr. キイェンベが住んでいるし、サンガにはもうひとり畜産スタッフがいるのだそうである。ふたりともどの程度働いてくれるかは未知数だが、人がいるということであるから、整備するだけの価値はあると思う。あとはどれだけ検査の必要性が生じてくるかだ。

サンガ獣医センター

センターの隣にあるキイェンベの家

検査室内部で電気の配線を調べる。

Dr. キイェンベ (左) と管理人さん

カゾ獣医センター
      改修、主に内部の塗り替えを 3 月から行っていたが、それがようやく終わったということで、支払いを済ませる目的で久しぶりに訪れた。外側は塗り替えができないタイプの壁なのであまり変わり映えもしないが、内部は一新されてきれいにそして明るくなった。これで仕事もしてくれたら言うことはないのだが、検査室はあまり利用していないようだ (フィールド・アシスタントのエンマ談)。ここの責任者であるカトー自身が自ら検査などをするようなタイプではないし、フィールドからの要望もあまり上がってこないのだろう。まあ長い目で見守っていくしかない。
      ここでも心配なのは電気だ。ソーラーパネルが小さいのか、とにかく電気量が少なく、冷蔵庫が使い物にならない。それなのに中には大量の口蹄疫ワクチンや、プロジェクトが供与した診断試薬類を保管している。電気のチャージャーもうまく作動していないようであり、どこに問題があるのかを早急に調べて連絡するよう、カトーに頼んでおいた。どうなることやら、、、。いずれにしろこの状態が改善されなければ、今後診断用生剤などの供給が躊躇される。
      今回カゾにやって来たもうひとつの目的は、サブカウンティーのチェアマンに挨拶をすることであった。少なくともカトーにそう言われてやって来たわけで、センターで会うものとばかり思っていた。ところがよく話を聞いてみると、その日、サブカウンティーで 3 ヶ月に一度のミーティングが開かれており、その場でプロジェクトのアピールをするという段取りになっていた。どうしてウガンダ人はこんな単純なことさえきちんと説明できないのか、言葉が足りないために理解できず色々な場面で面食らうことがこれまでにも度々あった。まあとにかくカトーに言われるまま、そのミーティングとやらに足を運び、たかが田舎のサブカウンティーなのに偉そうにふんぞり返っている約 50 人くらいの人たちを前にして、カトーの意に沿うようにプロジェクト活動をアピールしてきた。
      こういう場面に遭遇する度、「ウガンダは末端までイギリスの官僚主義的なシステムに染まっている」という思いを深くする。非常に形式的であり、表面的な見栄えの良さを重視する。大きなことを言い虚勢を張り、自分の意見がいかに優れているかを協調するが、それが実行に移されることはほとんどない。平たく言えば見栄っ張りなだけで、行動が伴わないのだ。これは国民性みたいなもので、良識のあるウガンダ人はきちんと認識している。すぐには変えようのないことなのだ。もしかしたらほとんどのウガンダ人は認識しているのかもしれない。表面的にはそのような絵に描いた餅を受け入れ、賞賛する素振りを見せるものの、誰もそれが実現するとは思っていないことで、社会がうまく廻っているのかもしれない。筆者のように表立って非難をしないからこそ、お互いに居心地の良い関係でいられるというような状態か。気候があまりにも良いために、あくせく働かなくても生きていけるからこうなったのだろうか。

改修を終えたカゾ獣医センター

改修を終えたカゾ獣医センター

この日は曇りがちで、ソーラーも働かず、、、

塗り替えを終えた検査室で、エンマ (右) とシルヴァ

      カンパラに出たいというカトーを乗せてカゾを出発したのは 1 時半頃だ。途中、キルフラの県庁に寄り、獣医官である Dr. ムギシャと会い、サンガのパワーラインの件について相談をした。ヤントンデで遅い昼食を取った後、悪路のマサカ・ロードをカンパラへとひた走った。もちろん筆者は助手席で惰眠をむさぼっていただけなのだが、、、

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2008 年 6 月 9 日 長期専門家 柏崎 佳人 記