第8回ナショナル・コーディネーター会議(2005 年7月4日〜6日)
    第1回から7回までナショナル・コーディネーター(NC)会議をバンコクで開いてきたが、今回はどこか周辺国でということになり、ミャンマーの首都ヤンゴンでの開催となった。当日は7人のNC達に加え、ミャンマー畜産獣医局長(写真左)、国際獣疫局から2人の専門家、JICAミャンマー事務所所長、次長、東京の本部から国際協力専門員と担当職員、タイ事務所からも担当職員が加わり、いつになく大がかりでなごやかな会議の開催となった。
    各国からのカントリー・レポートの発表と今後の活動計画についての議論はこれまで通りの段取りであり、時節柄、鳥インフルエンザの発生状況に係る発表が目立った。
今回はプロジェクト終了後のあり方について活発な意見交換がなされた。当然の事ながら「プロジェクトを続けたい」という点では一致をしていたが、いざその方向性となると様々である。それでも「これからはもう少しフィールドへ踏み出す努力をしよう」という意見には賛同の声が多かった。

このように仏像に水をかける場所が10カ所くらいある。自分が生まれた日の曜日によって決まった場所があり、水曜日などは午前と午後に分かれている。過去百年間の1日ごとに曜日を記した辞書があり、それをめくって自分の誕生日の曜日を調べることができる。
会議2日目の午後はフィールド・トリップということで、ヤンゴンの宝であるシュウェダゴン・パゴダへ出かけた。どこか畜産農家でも見学に出かけるのかと期待していたためちょっと肩すかしをくらった感じがするも、この金ピカに光るパゴダを初めて訪れたNC達にとっては、なかなか興味深かったようだ。
    すべてのミャンマー人にとってシュウェダゴン・パゴダは最も神聖な場所であり、一生のうちに一度は訪れたいと願っている。
    パゴダの金の塔(写真右上)は高さが98メートルあり、そのてっぺんには数々の大きな宝石で装飾された風見鶏が取り付けられている。伝説によればこの鐘の形をした塔は 2500 年の歴史がある言われているが、考古学者によれば6世紀から10世紀の間に最初に建立されたらしい。ミャンマーでは地震が多いためその後、何度も再建され、現在のものは 1769 年に遡るという。
ミャンマーのお坊さんの僧衣はエンジ色だ。タイやラオスはオレンジ色なので、ミャンマーの小坊主達は少し地味な感じがする。尼僧さんも多く、こちらはピンク色の僧衣をひるがえし、華やかな感じさえする(写真右、二段上)。エンジ色をした小さな日よけ傘を持っていることも多く、ついつい視線が奪われてしまう。
この鐘を3回叩くとまたミャンマーへ戻って来るという説明を受け、早速3回叩こうとしているベトナムNCのドクター・ナム。結局、全員が3回ずつ叩いたが、そのうちの誰が再びこの地を踏めるかは謎である。
シュウェダゴン・パゴダ内の日本コーナーで線香を上げるNC達。マレイシアのオン・ビー・リーを除いて(彼女はクリスチャン)他のNCはすべて仏教徒であり、こういう時に何か相通じるものを感じる。この日本コーナーは日本政府からの寄進によって作られたらしく、取り囲む柵に菊の御紋がついている。真偽のほどは定かでない。
各国のNCそろい踏み。左からパチョン(ラオス)、ソーン・サン(カンボジア)、オン・ビー・リー(マレイシア、女性)、案内をして頂いたシュウェダゴン・パゴダで一番偉い人、ヴァン・ナム(ベトナム)、チャンタニー(タイ、女性)、タン・フラー(ミャンマー)。ナムとチャンタニーの間にいる若い男性は OIE の専門家ステファン(フランス人)。
パゴダの後はジェード・ミュージアム(翡翠博物館)を訪れ、ミャンマーで採掘される宝石の数々にため息をついた。この宝石を全部売ってワクチンを買ったなら、重要な家畜疾病はみんななくなり、プロジェクトを続ける必要もなくなるだろうとふと思った。 左の白と赤い液体の入ったバイアルは、ミャンマー国産のブルセラ病診断用抗原で、当プロジェクトの研修を受けて帰国した研修員が、全くのゼロからスタートさせて生産までこぎつけた。こういう力がミャンマーにはある。
ジェード・ミュージアムの次に訪れたワクチン製造センターで説明を受けるNC達。政府予算が厳しくドナーによる援助も限られているミャンマーで、これだけのワクチンが生産されていることに驚き、かつ少なからず刺激を受けた様子であった。(20057月 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人)
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