NAHPIC (家畜病性鑑定所)、その後
ー坂井田協力隊員の報告書第三号から (2005 年 8 月記)ー
配属先の動向
血清ウイルス学部門:スタッフは女性4名で変わらず。チーフとサブチーフの二人が海外での研修や会議に出席することが多いのはこの一年変わらずで、不満を持っているスタッフもいるようだが、感染症関係の研修や会議が多いこと、英語の能力、この部門の他の二人が海外に出たくないという希望がある(子供が小さいので)ことなど考えると仕方がないのかなと思う。周辺の東南アジア諸国では、部門に関わらず研修に出たりしているようだが、「自分の部門以外の研修に出られるほど基礎的なことを知らない」と言うスタッフもいる。JICA−THAI広域プロジェクト(ADCプロジェクト)より、入谷専門家(2005年1月:4週間、7〜8月:6週間)、が来所。年内に、口蹄疫ELISA法、豚コレラ検査法などの技術研修で短期専門家が来所する予定。仕事はHPAIの疑い(疑われる程度には差あり)、または疫学調査(抗体保有状況)がほとんど。年内はADCプロジェクトの、口蹄疫疫学調査(牛、豚の抗体保有状況)のプロジェクトの仕事もする予定とのこと。

ソーン・サン所長(後列)とセンター・スタッフ

ダヴン副所長(左端)とセンター・スタッフ
疫学部門:スタッフは男性3人で変わらず。カンポット州でHPAIによる死亡者が出たときなどに、周辺農場に出かけるなど、FAOと連携して仕事をしている。血清学部門で検査をしているHPAI疫学調査のために地方に採材に出かける仕事もしている。血清学部門で実施予定の口蹄疫疫学調査の採材にもこの部門のスタッフが出かける予定。
細菌学部門:スタッフは女性3人で変わらず。チーフとスタッフ1名が、2005年2月にタイでこの分野に関する研修を受講(1ヶ月程度)。2005年1月に血清ウイルス学部門と兼務で入谷専門家がマイコプラズマ検査法などの技術指導を実施。飼料の細菌検査が持ち込まれたのを2回目撃したが、それ以外に仕事はなく、スタッフは毎日特にすることもなく、部屋はおしゃべりしたい女性スタッフの溜まり場になっている。ただ、先日搬入された鶏の検体については、少し前に専門家の方から指導を受けたばかりの、家禽コレラの菌分離に挑戦していた。他の部門のスタッフについても感じることであるが、どこかで新しいことを教わったとしても、それだけではまだ自信を持って自分で取り組むことができず、誰かが教えてくれる状態でたくさん経験を積む、ということがまだまだ必要なのだろうと思う。
病理学部門:スタッフは男性3人、女性1人。もともと血液学部門配属で、副業が忙しくて来ていなかった男性スタッフが職場に戻りたいと希望したところ、血液学部門ではなく、病理学部門に配属になり、現在午前中のみ出勤している。2004年9月にチーフが退職して以来、チーフ不在。ときどき来るHPAIが疑われる検体と、HPAIの疫学調査のために持ち込まれる、市場で買ってきた鶏などを解剖して採材するのが主な仕事で、それ以外の検体の搬入はこの一年間なし。組織検査は実施していない。女性スタッフが、2005年2月にタイで研修を受けたが、カンボジアでもほとんど仕事をしていない(職場に来ておしゃべりしているだけ)ため、基礎的なことも分からず、英語もあまり話せずで、タイ人の指導者が怒ってしまい、研修を最後まで受けることができなかったとのこと。また、男性スタッフの1人は、2004年末より備品管理の担当になり、その仕事で毎日パソコンに向かいっぱなしの状態。このスタッフは地方獣医事務所スタッフへのHPAIの概要説明と備品・ポスター配布のために出張も多い。

タイ人専門家 Dr. ウドム(左端)
残る男性スタッフ1人はまじめに出勤しており、このスタッフの希望でスライドを使った勉強会を始めることとなった。2005年7月、JICA−THAI広域プロジェクト(ADCプロジェクト)により、Mr. Udom Chuachan (タイ人専門家、National Institute of Animal Health より:1週間)が来所。この専門家はカンボジアとの国境付近で生まれ育ったので少しクメール語が話せるということから抜擢されたそうである。標本や写真をおいていってくれたため、男性スタッフ3人はそれを使って勉強している。

寄生虫部門:スタッフは男性2名、女性2名。子供が生まれたばかりで週に1度しか来ないが、2005年6月ごろより女性スタッフ(学校を卒業したばかり)が一人加わった。トンレサップ川沿いの肝蛭の感染状況調査のために、牛の糞便が持ち込まれるが、時期が集中しているようで2〜3ヶ月忙しそうにしていたかと思うと2〜3ヶ月何もしていないということがよくある。このほか、血液と糞便という組み合わせで検体の入ることが多いので、血液学部門と搬入検体数はほぼ同じ。男性スタッフ1人が、2005年6月にタイでこの分野に関する研修を受講。2005年7月、JICA−THAI広域プロジェクト(ADCプロジェクト)により、肝蛭の中間宿主検査法、住血吸虫検査法指導にMr. Nopporn Saratapha(タイ人専門家、National Institute of Animal Health より:1週間)が来所。スタッフに今後これらの調査もしたいという希望はあるものの、結局どこかお金を出してくれることがない限り、採材にも出て行けない状態である。時期は不確定だが、血液学部門と寄生虫学部門が合併するといううわさもあり、そうなると自分の配属はどうなるかと少し気になっている。

血液学部門:スタッフ2人とも仕事に対する熱心さや、まじめさは、他のスタッフには類を見ないほどである。前任者が入るまでは、ほとんど検体も来ず、農家へ出かけることもなく、また、他の部門と違って海外での研修などもあまりなかったので、とにかく経験が少ないと感じる。カンボジアではどこでも同じと思うが、数学、理科などの基礎知識に欠ける部分が多く、獣医学に関しても、大学で基礎的なことを教わっていないし、病気に関する全般的な知識も少ない。ただ、教えたことをきちんと覚えているとか、理解力とか、潜在能力は高いと感じるし、顕微鏡をじっくり見ることができるなど、根気もある。勉強したいとは言うものの、落ち着いて本や資料を読むということは苦手なようだが、英語だというせいもあるし、慣れていないのかもしれないと思う。
配属先など任地の人々の日本や日本人に対する意識

配属先における日本や日本人に対する印象は大変よい。これまで一緒に仕事をしてきた日本人(前任の協力隊員や専門家など)に対して好感を持っていると共に、日本がカンボジアという国全体に金額的にも大きな援助をしていること、日本の工業製品と、その技術に対する信頼感や、西洋とは異なる文化に対する共感もあると考えられる。

配属先には常駐しているわけではないが、フランス人、オーストラリア人が仕事で訪れるときがあるが、カンボジア人の彼らに対する態度と、私を含め日本人に対する態度は大きく違う。日本人には「親しみ」を最も強く感じているが、西洋人に対しては非常にへりくだった態度を見せる。その場は分かったような会話をしておきながら、あとで私に聞くということもある。自分も含め、日本人はあまり失敗したこととか、知識がないことに対して責めるとか、何度も聞かれたことに対して「もう教えた」とか、「なぜこんな大事なことを知らないの?」という言い方は決してしないけど、西洋人にはそれを口にする人もいる。そのあたりの接し方の違いが、日本人に対する好感や親しみを生じさせていると共に、甘えることの出来る存在になっているとも感じる。信頼関係を作って、技術を伝える、という意味からはとてもよい関係なのかもしれないとも思えるが、カンボジア人は非常に相手をよく見ていて、意識しているかいないか分からないが、したたかさを感じる部分もあり、西洋人のやり方の方が、自立できるのかなと感じることもある。
派遣国の人々との交流

2005年4月、中華系カンボジア人であるカウンターパートの、チェインメイン(清明節)のお墓参りに参加させてもらい、日本とは違う習慣を体験させてもらった。

2005年7月〜8月にかけてADCプロジェクトから派遣されていた、短期専門家(ウイルス病診断)の入谷先生を囲んで、自宅で食事をした。私ははじめ、「ひとり1皿食べるものを持ってきて」と言っていたのだけど、スタッフの1人に、「カンボジアでは招いた人が食べ物や飲み物を準備するので、日本や西洋のような一人一皿もって来るパーティーはしないのよ(・・私の家で隊員が集まってごはんを食べたときにそのスタッフを呼んだ事があり、そのときにみんなが1人ずつおかずを持ってくるのを目撃したことがあるため、そのことは理解していたらしい)」と言われてしまった。しかし、私にクメールの料理は出来るわけがなく、参加するスタッフに集まってもらって相談したところ、“ソムロー・カリー”という、お祝いの席でよく食べるというスープをお店で買い(私が食べたいと主張した。そしてこの場合私が買うのがルール)、それをつけて食べるフランスパンやノンバンチョック(クメール風そうめん)、スープに入れる野菜、果物、使い捨ての食器などをスタッフが用意してくれることになった。はじめはどうなることやらと思ったが、みんな始まる時間の2時間前から続々と集まって来て、ござをしいたり、野菜や果物を切って準備してくれたりと、たくさん手伝ってくれ、開始予定30分前には食べ始めてしまった。スタッフもとても楽しんでくれていたようだったので、自分が帰国する前にも、もう一度やってみようと思っている。他の人の話では、職場の人を家に呼ぶと、置いてあるものの値段を聞かれたり、帰国するときにくれなどと言われたりすると聞いていたのだけど、そのようなことはまったくなかった。一つ残念だったのが、私の作った日本風料理(ジャガイモと豚肉を炊いたのと、おにぎり)は、あまりおいしくなかった(というか食べ慣れない?)らしい。おにぎりの海苔は珍しかったらしく、みんなはがして食べていた。
ジェンダーに関する所見

職場のほぼ半数は女性である。しかし、日本に比べると、まだまだ1人できちんと仕事を出来る人は、男性と比べると少ないという印象である。

また、「力仕事や危険を伴う仕事は男がやればいい」と、考えている女性が多く、例えば、トラックで荷物が搬入されてきて、それがたとえ自分の部門で使うものだとしても(そしてそれほど重いものでなくても)、その運搬を手伝おうとする女性は皆無である。私が手伝っていると、男性スタッフもやらなくていいと言う(女性だからか、スタッフではないからかは分からないけど)。

牛の採血なども、カウンターパートは「男の人がやってくれるからやらなくてよい」と考えており、私が、「保定はともかく、採血に男女の差はないし、力もいらないから出来る」と言ったところ、反発されてしまった。彼女たちの言い分は、「現場では、採血以外にも台帳に記入したり、標本を作ったりと、することはたくさんあるから、女性はそちらの仕事をすればよい」という考えのようであった。地方に採材に行ったりするようになれば、自分で採らなければいけない機会もあると思うし、両方できるようにしておいたほうが今後のためにもよいと思うのだが、まだまだ男性に頼ればよいという考えのようである。しかし、カウンターパートの1人が「地方の獣医で採血方法を見て欲しいと言ってる人がいる」という話を他のスタッフから聞き、彼女は「教えてあげる」と言ってしまったという、出来事があった(ほとんど採血などしたことはないのだが)。彼女は私が教えればいいと思って返事したようだが、私が、「ちょっと練習して自分で教えてみてはどうか」と言ったところ、次の採材のときから練習をするようになった。結局は責任感とか、人から頼りにされるという意識によって行動は変わってくるのではないかと思う。

また、8月はじめに行った National Phnom Tamau Cattle Breeding Station では、スタッフに獣医師がおらず(採血は出来る人もいるのだが)、自分でほとんどやらないといけないだろうけど、最後に少しやってみてもらおうかなぐらいな気持ちで出かけて行ったところ、途中から二人もやりたいと言い出して、驚いた。前任は男性だったので、“男の人がやる仕事”“それを補助する私たち”という理由に矛盾がなかったけど、私が採血をしてしまったので、その理由が通らなくなったと感じたのか、口の悪い(気は優しいのだけど)牧場のスタッフにからかわれたのか、ただ単純にやってみたくなったのか・・・理由はまだ聞いていないけど、そんなところだと思われる。女性スタッフが多い中で、自分が女性であることで、やりにくい部分を感じることもあるが、なんらか刺激になってくれたらなと思う。

畜産局全体を含め、女性に責任ある仕事を任せることに対する、抵抗はないように感じられる。事実、部門長をしている女性もいるし、昇格して畜産局の要職についた女性もいる。また、海外への長期の研修にも抵抗なく出かけている。そういう意味ではいわゆる「ジェンダー」の問題はない様に見えるが、どちらかというと女性の側の仕事に対する意識に、人による差が大きいように思われる。ただ、これまでのカンボジアの生活習慣にそういう意識が根付いている、というところから来ている部分もあるように思うし、スタッフを見ているとこれからどんどん変わっていくのではないかと思う。
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