ルアンプラバン・フィールド活動記 その1の1 |
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ラオスでは木の伐採と焼き畑農業による森林の消失が進んでいる(写真左)。そこで木材に頼らない収入源となる産業を支援することによって住民の収入増加を図り、森林の伐採に歯止めをかけようという目的で、「ラオス森林管理・住民支援 (FORCOM) プロジェクト」が行われている。
その代替産業として住民が希望するものは魚の養殖や果樹栽培など多岐にわたるが、その中でも特に要望の多いのが畜産なのだそうである。 |
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そんな折、ビエンチャンの家畜衛生センターの機能がなかなか向上しない原因のひとつに、持ち込まれる検査材料が少ないことがあげられると感じていた。つまり農村においては頻繁に感染症の流行があり、多くの家畜が死んでいながらも、その検査材料どころか情報さえも中央の組織に上がってこないという現実がある。それゆえセンターのスタッフがタイやマレイシアにおける研修を通していくら診断方法を学んでも、実際にそれを使う機会がなく、そのうちに忘れてしまうという悪循環が生じていた。
この悪循環に風穴を開けるためには、少しずつでも農家に対する家畜衛生サービスを充実させていかなければならない。その手始めとして、是非とも FORCOM のプロジェクト・サイトである村でサンプリングを目的とした家畜衛生サービスをさせて頂きたいと申し出たところ、快く承諾して頂き、今回のこの協力活動が実現した。
我々のチームは計4人。まず、タイのコンケンにある東北地域獣医診断センターのスタッフであるサティス。彼は6−7年前に僕が働いていたタイ家畜衛生研究所プロジェクトの活動から、よく一緒にフィールドへ出かけた獣医で、農家への普及活動や臨床に長けている。お次はビエンチャンの家畜衛生センターから、疫学セクションのチーフであるブンミー、そしてセンターのルアンプラバン支所で働くブントム(女性)、プラス自分で計4人という内訳である。
FORCOM からは専門家の方をはじめとして、数人のナショナル・スタッフ、そして県や地方レベルの担当官も加わったため、かなり大がかりな布陣となった。 |
メコンの渡し |
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まず、我々はサイヤブリ県にあるナモン村へと向かうことになった。そのためにはルアンプラバンからの途上、メコン川をフェリーで渡らなければならない。
我々がルアンプラバンから川べりに到着すると、はしけのようなフェリーが待っていた(左写真)。船員は水浴びをしていたので、これは出発までに時間がかかりそうだと、皆、それぞれ気ままに朝の時間を楽しみ始めた。そして適当に車が集まったところで出航となった。 |
フェリーは川べりを離れると上流に向かって進む。この時、上の写真の通り、操舵船の左舷が車を載せている台船に接している。操舵船と台船は一本の黄色い鉄棒によって繋がっており(下の写真)、フェリーは川上に向かいつつ、今度は操舵船の右舷が台船に接するようにくるっとまわる(写真右と下)。しかしこれは操舵船が向きを変えるというよりも、むしろ川の流れにのって台船がまわることにより、位置が変わるという感じだ。 |
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船はそのまま水に流される感じで若干川下へ向かい、対岸の船着き場(写真左下)を過ぎたところで前進をかけ、無事に着岸した(写真右下)。ほんの10分程度の船旅であったが、自然の力を利用した操舵術というのもなかなか面白い。メコンの水は褐色をしているが、いざ手ですくってみると透明に近く、これならば洗濯もできそうな気がしてきた。 |
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ルアンプラバンから約4時間車に揺られ、ナモン村に到着した。村に建つ家々の造りは結構立派で、あまり貧しいという印象は受けなかった。椰子を除けば日本の農村の景色にも近い。
さて肝心のサンプリングである。ナモン村に到着し、まず村長さんから村の概要と村で飼養されている家畜の状況などをお聞きした。
ナモン村では 260 戸が生活を営んでいるというからかなり大きな村である。現在の家畜数は、水牛が 528 頭、牛が 38 頭、豚が 456 頭、山羊が 60 頭、ゾウが2頭とのことであった。 |
村長さん(左端)から村の状況を聞く我がチーム |
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村の目抜き通り |
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村の中の一地区。この地区の住民は他の地区の住民とはエスニック・グループが異なる。 |
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採血をしてもらいに我が家の水牛を連れて歩く村の少年 |
鶏は 6483 羽いたが、そのほとんどがつい最近、病気で死んでしまったらしく、現在では 20 羽いるかいないかだろうという。アヒルは全く死ななかったというので、おそらくニューカッスル病だろう。これだけ大量に死んだのであれば普通、中央の機関へ連絡を入れるべきなのであるが、家畜衛生センターのブンミーはこの発生について全く知らず、やはり情報が流れていかないようだ。6000 羽といえば大きいが、一件の農家にすれば大した数ではないので、それほど経済的な損失はないのであろう。 |
今年3月8日から 10 日間ほどの間に水牛 16 頭と牛1頭が死亡した。まず水牛1頭が死亡し、その肉を食べるために解剖した時に近くにいた水牛や牛が次々に死んだというので、出血性敗血症が疑われた。
豚はこの2ヶ月の間に10 頭が死んだらしい。気がついたら死んでいたというが、どんなに急性な感染症でも、健康な状態からコロッと死んでしまうということはないので、単に状態が悪いのを見つけられなかったということであろう。これも問題だ。動物をほとんど放し飼いに近い状態で飼育しているため、目が届かず健康管理ができないのである。 |
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採血の練習をするFORCOMのスタッフと、口だけは達者な野次馬たち。特に獣医は他人がやっているのを見ると、口を出したくなるのだ。かといって自分がやっても必ずしもうまくいくわけではない。言い訳は山ほど用意してある。 |
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豚を仰向けに寝かせて前大静脈から採血する。 |
採血ショーをタダで見物する村人 |
ニューカッスル病によると思われる神経症状を呈する鶏 |
採材は村に残っていた動物を中心に行った。普通、村人は朝、農地へ出かける時に決まった放牧地へ家畜を連れて行き、夕方に帰宅するまでそのままにしておくということなので、我々が訪れた時には村人の姿も家畜(特に牛と水牛)の影も目にすることができなかった。それゆえナモン村での採材に2日間を費やしたにもかかわらず、採血のできた動物は全部で20頭未満とかなり少なかった。
左の写真の鶏は我々が購入し、昼飯前に解剖して病理検査用の採材を行った。 |
このようなサンプリングでは、採材した血清や糞便などの材料を診断センターへ持って帰り、いくつかの病気についての検査を行ってその結果を農家に還元する。しかしそれだけではなかなか利益が農家の目に見えにくいため、我々もある程度、抗生物質や寄生虫の駆虫剤などを準備し、様子のおかしい動物の治療も行って、農家へのサービスとする事が多い。しかし今回は初めてのラオスでの採材で、様子もわからなかったためほとんど何も準備してこなかった事が悔やまれた。次回、再訪の折にはもう少し充実した家畜衛生サービスを農家に提供できるよう、頑張りたい。 |
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採材の後、FORCOM ナショナル・スタッフとのミーティング。ブンミー(左から二人目)は政府のお役人であるため、こういう場になるとがぜん張り切り「君たちはこうあるべきだ」論をぶちまけるので、ハラハラさせられる。 |
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村の子供達 |
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自分の水牛を引っ張って連れてきてくれた少年(上の方の写真)。写真を撮られるとわかって、シャツを着てきた。 |
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