マンダレー写真館 その1
      マンダレーはイギリス軍が占領する以前、最後のビルマ王朝の首都であった町であり、それゆえ現在でも文化的な中心地として重要な位置を占めている。歴史的にミャンマーの大きな都市の中でも最もビルマ的であり、ミャンマー人の心を感じ取ることのできる場所である。マンダレーの仏教寺院は国内で最も重要とされており、約 60 %の仏僧達がこの地域に集まっている。
      マンダレーという名前は、王宮のある城塞の北東部、236 メートルのマンダレー・ヒルからつけられた。現在の人口は 60 万から 80 万の間であり、首都ヤンゴンの北 700 キロに位置する国内第二の都市である。ミャンマーの乾燥地域の中心に位置し、非常に活気に溢れる町である。現在の町はマンダレー・ヒルと城塞の南および東側に広がっており、西側はエーヤワディ河によって仕切られている。
大きな氷の塊から滴り落ちるしずくを細かな白いメッシュで越し、下に置いてある容器で受ける。いったい何のためなのか、判らずじまいであった。 昔日本でも走っていたダイハツミゼットのような三輪車が今でも現役で使われている。写真を撮ろうとしたら、横から女性が現れた。 町の珈琲屋さん。一杯ほんの数円という値段だ。ベトナムやラオスとは違ってミャンマーではコーヒーは育たないのだろう、インスタントだった。
Mahamuni Paya
      街の西南に位置する寺院にマハムニと呼ばれる神聖な仏像が祀られている。Bodawpaya 王によって 1784 年に建立された後、1884 年に焼失した。現在の建物は比較的新しい。
      この仏像は 1784 年にバングラデシュとの国境に近い海沿いの地、Mrauk U から運ばれてきた(多くの寺院遺跡が集まる地)。もともとはブロンズ像であったが、長年に渡って敬虔な仏教徒により金箔が施され、現在ではその厚さが 15 cm にも達している。男性のみが仏像に近寄って金箔を貼ることが許されている。
Ayeyarwady River
      城塞の南辺を西に歩いていくとエーヤワディ河に突き当たる。水面には川底から砂を採取する舟が浮かび、河岸ではその集めた大量の砂を頭に乗せて船から運びあげる人が往き来する。黙々と休みなく行きかう人たちの多くは女性であることに驚かされた。日本であればすべて機械がこなす仕事だ。こんなきつい労働をしていったいいくら稼ぐことができるのか、自分との立場の違いに改めて生活の厳しさを感じる。
      この河辺には水遊びをする子供達、体を洗う親子、洗濯をする女達、荷下ろしをする男達の姿があり、ミャンマー人の活き活きとした生活の一部を垣間見ることができる。
Taungthaman Lake and U Bein's Bridge
湖にかかる歩道橋 U Bein's Bridge はこの地域で多くの観光客を集めている。984 本のチーク材を使って約 200 年前に建てられ、現在でもその多くが残っている。全長が 1.2 キロあり、世界最長のチーク材で造られた橋である。橋はタウンタマン村へ続き、朝夕には多くの村人が徒歩や自転車で行き交う。
Taungthamang Lake はマンダレーの南、Amarapura という地区にある非常に浅い湖であり、漁やカモの養殖が盛んだ。対岸のタウンタマン村には 1847 年に造られた Kyauktawgyi Paya が建つ。もともとバガンの Ananda Patho を模して造られたそうであるが、その五段になった屋根はむしろチベットやネパールの寺院に似ている。
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