プロジェクト強化週間 2008 年 12 月 1 - 6 日

      JICA はこれまで数多くの国において家畜衛生分野の協力を実施してきたが、その中でも特に長期間に渡る関係を築き上げてきたのがタイとザンビアである。タイにおいては主として農業協同省畜産局を対象に、30 年間に渡って疾病対策やワクチン製造にかかるプロジェクトを続けており、現在でもインドシナ半島 6 カ国を網羅する広域プロジェクトの中心国として JICA プロジェクトに関わっている。方やザンビアでは、 20 年間にわたり獣医教育改善にかかるプロジェクトをザンビア大学獣医学部において続けてきた。現在では国内支援機関であった北海道大学獣医学部と独自に学術交流を進めており、人獣共通感染症センターの設立などを通し、研究者や学生の交流が活発に行われている。
      このような背景から、両国におけるプロジェクト関係者は日本側と良好な関係を築き上げ、JICA の援助方法を熟知するようになった。その協力の課程で長きにわたり両国と関わってこられた多田専門員と、タイにおいて 7 年間の技術協力経験を有する筆者が話し合い、何とかこの貴重な関係をウガンダの関係者に紹介することができないだろうかと頭をひねって考えたのが、今回実施することにした技術交換セミナーである。両国の関係者を招待し、まだ協力関係の浅いウガンダの関係者に対して「JICA の協力とはいったいどういうものなのか」ということを第三者の口から話してもらおうという企画である。それであれば、日本側の支援機関である日本大学獣医学科にも参加して頂く方が良いだろうということになり、プロジェクト活動の評価もかねてプロジェクト立ち上げから継続して関わってこられた佐藤講師にご足労を願った。ちなみに佐藤講師は元 JICA 職員である。
      全くタイミングの悪いことにバンコクのスワンナプーム国際空港で反政府団体による占拠事件が発生し、参加予定であった Dr. モナヤと Dr. スジラはウガンダの地を踏むことはできなかった。しかしセミナーで発表予定であった彼女たちのプレゼンテーションは、事前にファイルを筆者に送ってもらっていたため、多田専門員と筆者が代役を務めて、タイでの協力関係についても何とかウガンダ側の参加者に伝えることができたと考える。

1 日 (月) 来ウガンダ
      佐藤講師がエミレーツ航空便でエンテベに到着され、多田専門員と筆者が出迎えた。佐藤講師と筆者はそのままカンパラへ移動したが、多田専門員は夜 7 時過ぎに到着するザンビアからの参加者 Dr. シヤカリマと Dr. ズルを出迎えるためにエンテベに残った。夜は佐藤講師と筆者が先にナイル・ビールと中華料理で盛り上がっていたところ、8 時半過ぎになってようやくザンビア人 2 名と多田専門員が到着し、5 人そろっての乾杯となった。

2 日 (火) 農業省関連機関視察
      午前中に Dr. シヤカリマと Dr. ズル、佐藤講師はエンテベへ移動し、農業省において局長の Dr. オラホ・ムカニを表敬訪問した。その後でプロジェクトのメイン・サイトである家畜疾病診断・疫学ラボラトリーを訪れ、獣医官である Dr. ンドゥムに所内を案内して頂き、当ラボラトリーの業務と活動内容について説明を聞いた。機材はそれなりに揃ってはいるものの、それらが使いやすいような状態に整備されておらず、診断記録や検査室の状態などから日常業務として診断が行われていないのは一目瞭然である、というのが訪問者の 3 名の感想であった。ウガンダ側は機材さえ揃っていれば見栄えが良く仕事をしているようにみえると考えているが、見る人が見ればラボが機能しているかどうかなどということはすぐに見抜かれてしまうということだ。

3 日 (水)「家畜疾病対策にかかる技術交換セミナー」を開催。
      プログラムは 3 部構成で、午前中に「セッション 1: 人獣共通感染症のコントロールおよび防疫体制にかかる経験と現状」と題し、特に高病原性鳥インフルエンザおよびブルセラ病を取り上げ、タイ、ザンビア、ウガンダからのプレゼンテーションと討議。午後に入り、「セッション 2: 家畜疾病対策にかかる関係機関間協力の経験と現状」について 3 カ国からの発表と討議。最後に「セッション 3. 家畜疾病対策にかかるアフリカ域内、およびアフリカーアジア間協力」とし、全般にわたる討議を行った。ウガンダ側の出席者は農業省から局長とコミッショナー、プロジェクトサイトである家畜疾病診断・疫学ラボラトリーの Dr. ンドゥムが、マケレレ大学獣医学部からは学部長の Dr. カバサと副学部長の Dr. ムワジをはじめ、教官が数名、そして農業研究機構に属する動物資源研究所から所長と共に数人の研究者が加わった。
      セッション 1 においては、やはり鳥インフルエンザの発生国であるタイの疾病対策と防疫体制が目を引いた。セッション 2 ではザンビア大学での JICA プロジェクトの事例、ザンビア大学と農業省との連携、さらに北海道大学との学術交流などについて興味深い話を聞くことができた。セッション 3 においては、当プロジェクトの後継案件として申請を上げている「ウガンダにおける家畜疾病対策 JICA プロジェクト」について、意見が活発に飛び交った。特に「メイン・サイトを農業省からマケレレ大学に移す」という点において、JICA 本部で疑問の声が上がっているという説明を事務所スタッフから受け、それに対する何らかのポジティブな動きを農業省とマケレレ大学間で示さなければいけないという危機感が芽生え、翌日にはそのための協議の場を設けることとなった。
      誰もが同じことを考えていながら、なかなかイニシアティブを取る人間が現れないのがウガンダ社会の特徴である。当案件についても農業省、マケレレ大学、動物資源研究所ともに同じような見解を示していながら、何も動き出さずにきた。オーナーシップを取ることができないというウガンダ人の弱点が図らずも露呈した形だ。しかしそれをサポートするように努めるのもドナーとしてのひとつの大きな役割かもしれない。いずれにしろ多田専門員のイニシアティブによる今回のセミナーが良いきっかけとなり、積年の課題が少し解決に向けて動き出したように感じられた。

インペリアル・ホテルで開かれたセミナーの様子

左から農業省のダイレクター Dr. ムカニ、コミッショナー Dr. カウタ

4 日 (木) マケレレ大学獣医学部訪問および JICA 事務所への報告
      多田専門員を筆頭に、 Dr. シヤカリマと Dr. ズル、佐藤講師、上田隊員、内藤職員、筆者の 7 名でマケレレ大学獣医学部を訪問し、主だった教官と意見交換を行った。昨日のセミナーに来ていたスタッフも顔を出しており、カバサ学部長の進行のもと、JICA のみならず将来における日本大学やザンビア大学との連携について活発な意見交換が成された。特にザンビア大学獣医学部は、その開校早々、マケレレ大学の教官が教鞭を執っていたという経緯もあり、今後の学術交流を大いに期待しているようであった。教官の相互派遣や、学位審査にかかる学外レフリーの依頼など、相互協力の幅は大いに広がりそうである。
      意見交換の後は学部内を案内していただいた。見学したのは分子生物学研究室、免疫学研究室、細菌学研究室、鳥インフルエンザ・ラボ、解剖・組織学研究室、コンピュータ・ラボである。鳥インフルエンザ・ラボ以外は機材類も古いものが多く、ベーシックなラボであったが、「よく使われている」という印象を強く受けた。逆に鳥インフルエンザ・ラボはアメリカの支援を受けて整備され、人件費からランニングコストまですべての点で支援を受けている。それゆえ鳥インフルエンザ以外の疾病には全く利用できないことになっており、マケレレ大学内にありながら、他の研究室とは一線を画しているようだ。
      JICA ウガンダ事務所においては、特にウガンダ外からの訪問者である 3 名から関事務所長に対して、セミナーや視察を通して受けた率直な感想を報告していただいた。ザンビアでは、昔、犬猿の仲であった農業省と大学が、今では非常にスムースな良い協力関係を築いているという。そのようなエピソードを色々と伺い、ウガンダでも関係機関同士でうまく連携するような協力関係を積み上げていくことができるかもしれないと、将来に向けた展望が若干明るくなった。

大学スタッフとの意見交換。左から佐藤講師、Dr. ズル、多田専門員、Dr. シヤカリマ、Dr. カバサ

細菌学ラボにて。左から Dr. シヤカリマ、Dr. ズル、佐藤講師、ひとりおいて微生物研究室長

スタッフの着ている白衣の背には洒落た文字が縫い込まれていた (鳥インフルエンザ・ラボ)。

アメリカ、ウォルター・リード財団の援助で作られた鳥インフルエンザ・ラボ

最近、整備されたというコンピューター・ラボを見学。すべてインターネットに接続されている。

小動物病院前で記念撮影。左から上田隊員、Dr. ズル、Dr. カバサ、Dr. シヤカリマ、佐藤講師、多田専門員、内藤職員、日大で研修予定のエディー

5 日 (金) 地方の現場視察
      日本人 4 名で、ウガンダ西部のプロジェクト・サブサイトであるムピジ県とキルフラ県を視察に訪れた。今回、特に佐藤講師はこれまでのプロジェクトの活動を評価することもひとつの来ウ目的であったため、重要な活動拠点である県獣医事務所を訪問していただくことにした次第である。
      まずはムピジ県獣医事務所へ。所長の Dr. セキウンガが不在のため、若手のホープ Dr. カバンダと仕事の熱心さでは日本人並みのムソケに色々と説明をしてもらった。ここは今年、日大の院生、戸田君が赴任していた事務所であり、現在は宮崎大の上田君が活動をしている。
      次にウガンダの酪農地帯であるキルフラ県に移動し、カゾ獣医センターを訪れた。ここでは県獣医官の Dr. ムギシャと、センターに常駐しているカトーが応対してくれた。このセンターはプロジェクトが協力した獣医事務所の中で、最も多額の予算をつぎ込んで整備を進めたところであり、それゆえ筆者にとって一番気になる場所でもある。畜産スタッフであるカトーはあまり自分で手を動かして働くようなタイプではないが、それでも自分の修士論文を仕上げるという私益が今のプロジェクト活動と合致し、彼なりに積極的にラボでの仕事などに興味を示すようになってきた。若いフィールド・スタッフのエンマもいることであるし、今後ともこの簡易ラボを地域のために有効利用していってもらいたいものである。

ムピジ獣医事務所にて。左から Dr. カバンダ、ムソケ、多田専門員、佐藤講師、内藤職員

ムピジ獣医事務所内簡易ラボにて。左から ムソケ、Dr. カバンダ、佐藤講師

キルフラ県カゾ獣医センターにて。左から佐藤講師、内藤職員、Dr. ムギシャ、多田専門員

キルフラ県カゾ獣医センターにて。左から Dr. ムギシャ、カトー、多田専門員

      センターにおいての説明が一段落した後で、カゾ・サブカウンティー内の牧場を見学に連れて行っていただいた。100 頭から 150 頭前後の乳牛牧場で、家族だけで管理をしているという。乳牛の多くはアンコーレとフリージアンの交雑種であり、フリージアン模様の体にアンコーレの角がのっているという感じの牛がほとんどであった。角があるのは F1、角がないのが F2 と説明していたが、それはどうも眉唾であろう。だいたい一頭あたり日量 7-8 リッターの牛乳を出しているというので、ウガンダの酪農家としてはなかなかうまくやっている農場である。搾乳に当たって特に牛をつなぐ場所はないという。搾乳中、牛はじっとして動かないのだそうだ。本当だろうか。農家はお互いにかなりプロテクティブであり、牧場自体は開放的に見えるが、近隣の牧場と牛が混ざることはないらしい。
      この農家では趣味でアンコーレ牛の純血種を繁殖しているというので、その群も見せてもらうことにした。運の悪いことに雨が降り出し、ウガンダに来てから特に薄くなってきた頭髪を気にしつつ待つこと 30 分、ようやく列を成してその群れが登場した。本当に純血種なのかどうかは定かでないが、確かにほとんどの牛が長くて太い角を掲げている。のっしのっしと歩いてくる姿には威厳と誇りが感じられた。このあたりは酪農地帯であるために乳量を上げようと闇雲な交雑が進み、アンコーレ牛の純血種などは数が少なくなってきたのであろう。筆者の乏しい経験からしても、キルフラよりは肉牛の多いキボガやムピジ県マッドゥの方が典型的なアンコーレは多いと感じる。

乳牛群 (アンコーレとフリージアンのクロス・ブリード)

山羊のように丘に登った子牛

牧野で農家の人たちの話を聞く。

この牧場の水飲み場

      我々がしきりにシャッターを押していた頃、農家の主人が Dr. ムギシャを呼んで何か深刻な話を始めた。特に気にもとめていなかったが、その後で Dr. ムギシャが筆者に耳打ちしたところによると、アンコーレ牛純血種を写真に撮ったことで、主人が金を要求しているとのこと。彼の言い分によれば、アンコーレは彼らにとって特別な牛であり、交雑種とは違う。だから写真を撮るのであれば初めに許可を取るべきであったし、それをしなかったのであるから金を払え、と言っているのだそうだ。しかもその金額は 5 千円である。親切な農家だと思ったのは大きな間違いで、とんでもない曲者だった。筆者はこれまでにも多くの農場を訪れ、数え切れないほどの写真を撮っているが、こんなことを言われたのは初めてであった。連れてきてくれた Dr. ムギシャやカトーも、こんな要求をされるとは思ってもみなかったようで、かなり困惑した様子だった。
      だいたい我々は最初からカメラをぶら下げ、あちこち牧場内の写真を撮りまくっていたわけだから、アンコーレが来れば当然カメラを向けるだろうことくらい彼にもわかっていたはずである。それなのに連れて来ることに同意したのだから、彼にも非がある。また、金がほしいのであれば、連れてくる前に金額の交渉をするべきであった。というような我々の不満を Dr. ムギシャに伝え、再度説得してもらったところ、あっけなく「金はいらない」ということになった。まあ、ダメモトで言うだけ言ってみようか、という気持ちだったのかもしれない。しかしそれでどれだけ印象を悪くするのかということも考えないのであろうか。
      ちょっと後味の悪いおまけがつき、この日の予定を終えた我々は、イバンダ経由で宿泊地のムバララへ向かった。

池の水を汲み、牛に水を飲ます準備をする農家の主人

列を成すアンコーレ牛

水を飲むアンコーレ牛の群

アンコーレの雄牛

6 日 (土) 地方の現場視察
      この日は特にこれといった予定はなく、「佐藤講師をエンテベ空港に送り届ける」任務だけだったのであるが、せっかくここまで来たのであるから、キルフラ県のもうひとつの獣医センターであり、Dr. ムギシャが未だにその復活を望んでいる、うち捨てられたサンガ獣医センターをお見せすることにした。かなり前にドイツのプロジェクトにより整備されたが、プロジェクト終了後、当時の担当官によりすべての機材が売り払われてしまった所である。詳しくはリンクのページ内「サンガ獣医センター」をご覧頂きたい。
      サンガの後は観光客に成り下がり、赤道の碑に立ち寄って記念撮影をした。筆者が気を利かせて新人職員内藤さんの記念写真を撮ったのであるが、何故か内藤さんのカメラでは何度写しても露出オーバーになってしまった。それで内藤さんに「では僕のカメラで撮りましょう」と言ったところ、近くにいた佐藤講師が当然のように碑の前に入り込んできた。いつもの筆者だとすかさずそこで「佐藤さん、邪魔です」と排除するのであるが、そのときはたしなめるタイミングを逸してしまい、それが下段左の写真に落ち着いた。内藤さんには申し訳ないことをしたのか否か、、、
      赤道の碑を後にするとすぐに雨が降り出し、一時は前が見えないほどに激しい降りとなった。しかしその雨もエンテベに近づくにつれて小降りとなり、昼食を終える頃には晴れ間も見えてきた。エンテベ空港で佐藤講師を見送りこの日の任務を終え、残った我々は通い慣れた道をカンパラの我が家へと向かった。

ドイツのプロジェクトが走っていたという唯一の名残?

サンガ・センター跡を前に

赤道の碑にて。佐藤講師と内藤さん。

エンテベ空港にて佐藤講師の出発を見送る。

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2008 年 12 月 8 日 長期専門家 柏崎 佳人 記