ザンビア訪問記、その 1 2008 年 3 月 17 日 ~ 21 日

      多田専門員の鶴の一声でザンビア出張が決まった。目的は、ザンビアの家畜衛生プロジェクトおよび同分野行政システムの視察と、両国関係者間の交流である。ザンビアは筆者にとって因縁の地であり (その昔、専門家としてザンビア行きが決まりかけていながら、その後ひっくり返って断られたことがあった)、出身大学である北大が長年に渡って手がけてきたプロジェクトなので、行ってみたい気持ちは前々からあったのだが、「年度末であわただしいこの時期にかよ」という思いが先に立っていた。今年度、供与機材一部の納入が遅れに遅れ、3 月に入ってさえ届く気配がなかったし、またムピジ獣医事務所のラボの立ち上げや、残っている今年度予算の消化などなど、気にかかる仕事が多く残っていて気分的に落ち着かなかったからである。しかしとにもかくにもウガンダ人二人を連れて行くことに決まり、自分を取り囲むようにまわりでは準備が着々と進行していった。

3 月 17 日 (月)
      当日の飛行機は朝 5 時の便である。はた迷惑なスケジュールだ。3 時ちょっと前に迎えに来てくれと頼んでおいたドライバーが、よりにもよって1 時 45 分にやって来た。前の晩 11 時にベッドに入り、3 時間も眠っていない。もう 2 度とこんな飛行機には乗るまいと心に誓いながら、マケレレ大学獣医学部副学部長である Dr. ムワジを 3 時にひろい、エンテベ空港へと向かった。もうひとりの同行者、ラボの同僚である Dr. ムガビはエンテベに住んでいるため、空港内で会うことにしていた。今回の同行者を決めるにあたり、プロジェクトの担当省である農業省からひとり、支援機関であるマケレレ大学からひとりと決め、人選については各機関に任せていた。特に農業省には人材が少ないということもあり、これまでほとんどプロジェクト活動にかかわってこなかった Dr. ムガビが同行することになった。プロジェクトの骨子さえもよく理解していないスタッフで大丈夫なのだろうか、という不安は、実際にザンビアへ到着してからもぬぐえなかった。


ザンビア大学の入り口

ザンビア大のメイン・ストリート、 Chancellor's Drive

ザンビア大学獣医学部

獣医学部正面玄関

      ナイロビ空港で乗り換え、飛行機はほぼ予定通りルサカの空港に到着した。今回の訪問に際して色々とお骨折りをいただいた蔵田専門家が、イミグレーションの中まで入って来て出迎えて下さった。随分とアバウトな空港である。ビザ代 50 ドルが必要かと 3 人分 150 ドルを用意してきたのだが、あっさり「いらない」と断られた。ラッキーと小躍りしたのも束の間、筆者のカバンがロスト・バッゲージになってしまった。ウガンダ人のふたりはチェック・インしなかったためにセーフ。大して重くもなかったのに持ち運ぶのが面倒くさいとチェック・インした私がバカだった。今日は午後便がないらしい。明日は南部のチョマへ泊まりがけで出かける予定になっている。ということは明後日の夕方まで荷物なしということになる。ナイロビでは 2 時間以上もトランジットの時間があったというのに、ケニア航空は一体何をしていたのか。エンテベからの乗り継ぎ客はほぼ壊滅状態で、ロスト・バッゲージのカウンターに長蛇の列ができた。幸いにも早めに気がついて列の先頭にいた自分は、それほど待つこともなく手続きを済ますことができたが、後ろの方にいた人たちはさぞかし大変であったろうと、この場をかりてお悔やみ申し上げたい。
      さて、蔵田専門家は「家畜衛生・生産技術普及向上計画」というプロジェクトを担当されている。当プロジェクトと同様、ワンマン体制の弱小プロジェクト (予算規模として) であるが、大きく異なる点は、これまで JICA が 20 年に渡って協力を続けてきたザンビア大学獣医学部を実施機関としているところだ。ザンビア事務所から頂いた事業概要には以下のように書かれている。
「ザンビア大学獣医学部と、農業・協同組合省との連携を強化し、対象郡に対しフィールド・トレーニング等を実施することで、各郡獣医官及びその下に配置されている獣医師補の知識・技術を補強することにより、畜産を営む小規模農家の家畜生産率向上を目指す。」
      平たく言えば、大学と省がタッグを組み、現場で働く家畜衛生官に対し知識・技術の補強を目的とした普及活動を実施する、ということであろうか。20 年という期間に培われた豊富な人材と良好な人間関係は、大学に止まらず省にまで及んでいる。現在の事務次官が獣医学部の元副学長、そして獣医畜産局の局長も獣医学部のプロジェクトとは長い関わりのある方だそうである。これ以上、望みようがないほど恵まれた環境だ。

獣医学部の表札

中庭の池は国土の形をデフォルメしている。

学部長の Dr. ムウィネにプロジェクトについて伺う。写真左から Dr. ムウィネ、蔵田専門家、 Dr. ムアジ、Dr. ムガビ。

生化学のラボ

      大学内のホステルにチェックインしてすぐに昼食を取った我々は、早速、獣医学部を訪問した。学部長の Dr. ムウィネ (Mweene) と JICA プロジェクトのザンビア側の責任者である Dr. シヤカリマ (Syakalima) が出迎えてくれた。お二人とも人の良さが体中からにじみ出ているような風体で、特に Dr. ムウィネは大きな体、野太い声、冗談好き、と、三拍子揃った陽気な方であった。獣医学部の 1 期生だそうで、インフルエンザをテーマに日本で PhD を取っているという。
      まず最初にザンビア全体における家畜衛生分野の状況を Dr. ムウィネに説明していただいた。現在、家畜疾病の発生状況は最悪の状態にあるという。ザンビア大学獣医学部が創立して 20 年になるものの、毎年の卒業生は 20 人弱であり、まだまだ国の家畜衛生担当者が絶対的に不足している。それゆえネットワークの強化によってこのような状況を改善していかなければならない。幸いなことに長期間にわたる JICA の協力によって大学と農業・協同組合省間の連携は強化されてきており、その関係を効果的に利用してネットワークの改善を図っていきたいとのことであった。
      そこで Dr. シヤカリマにバトンタッチされ、現在、走っているプロジェクトの話に移った。ザンビアでは県 (district) の下にキャンプと呼ばれる行政単位があるが (ウガンダのサブカウンティーに相当)、獣医師が配属されているのは県事務所までである。しかも事務所長としてひとり配属されているにすぎない。キャンプには獣医師補がひとりずつ配属されており、実務的な家畜衛生サービスはすべて彼らが担っている。それゆえその獣医師補の知識と技術を補強することにより、プロジェクトサイトにおける家畜衛生サービスの質を向上させようじゃないか、というのがプロジェクトの狙いだと聞いた。明快で簡潔な説明である。筆者はむしろ、ザンビア側のスタッフがプロジェクトの中味について十分に理解しており、自分の言葉で相手にわかりやすく説明できる、という点に驚かされた。うちのプロジェクトには Dr. シヤカリマのようにプロジェクトの目的や活動内容について説明のできるウガンダ人スタッフなど皆無であろう (筆者の努力が足りないのだと言われればその通りであるのだが)。 Dr. シヤカリマにしてもわざわざ努力をして諳んじたわけではなく、それだけ深くプロジェクトにかかわってきたからこその成せる技。20 年と 1 年の差は、実際の年月よりもはるかに大きいと感じた。今回同行した Dr. ムガビなどは、我々のプロジェクトがいったい何を目的としているのかさえ知らないだろう。
      一通り話が済んだ後で学部内を案内していただいた。日本の ODA 華やかりし頃、無償資金協力で建設され整備されただけあり、どこもかしこも立派で設備も行き届いていた。ひと学年 20 人に満たないのであるから (今後、30 人程度に増やすらしい)、ここで学べる学生達は本当に恵まれている。同行したマケレレ大学の副学部長、Dr. ムワジもうらやましそうにしていた。機材は古くなり使えなくなったものも多いと聞いたが、20 年も経てばそれもいたしかたないだろう。現在では当初からの支援機関である北大獣医学部が独自に人獣共通感染症分野で協力を始めており、今後も JICA や北大との協力関係が続いていけばもっと大きな実がなるかもしれない。

解剖 & 検屍

大講堂

      大学を後にした我々は、JICA ザンビア事務所にて農業セクター担当の舛岡さん及びナショナル・スタッフの Mr. チッバムリロ (chibbamulilo) と合流してから農業協同組合省へと向かった。本省は 3 つの長方形をしたビルが三菱のマークのようにつながった構造をしている。ここでは事務次官 (PS)にご挨拶をする予定であったが緊急の会議に出席されているとかで、獣医畜産局の局長 Dr. シニャングエ (Sinyangwe) とお会いすることになった。なかなか話し好きな方であり、独特の口調に妙な説得力がある。蔵田専門家によれば多分に政治家的な方なのだそうだ。話はドナー協調や大学との関係、普及サービスへと展開していった。
      ザンビアでは Agricultural Consulting Forum という組織があり、ここに NGO も含めた全てのドナーによる農業系プロジェクトが参加し、援助協調についての話し合いを持っているという。中立を保てるように議長は省の人間ではない。まず、全てのプロジェクトをカテゴリー別に分類し、それを特化した後にフレームワークを作成する。このフレームワーク作りが大変な作業だそうで、色々な意味で敵も多くできると説明されていた。実態はどうなのか確かめようもないが、もしもうまく機能しているのだとすれば、無駄を省く意味においても連携強化を進める意味においても、非常に効果的な組織なのではないかと思えた。ウガンダの当プロジェクト・サイトだけを見ても、長年に渡ってその場しのぎ的な援助が進められてきており、もう少しウガンダ側がイニシアチブを取る形で効果的な援助マネジメントをするべきだろうと感じた。
      省は大学にとって最大のステークホルダーであるともおっしゃっておられた。省が大学に契約ベースで出資をし、その見返りとしてコンサルタント業務や専門性の高いサービス (診断など) を提供してもらっている。情報やアイディアの共有は当然のことであり、持ちつ持たれつの関係が築かれているようである。

農業協同組合省獣医畜産局長の話を聞く。

農業協同組合省

      普及サービスは省が担当するべきだと局長は断言されていた。もしくは省と連携して大学が実施するという形が望ましい (JICA プロジェクトのような形だ) とおっしゃる。家畜衛生分野のスペシャリストはほとんどがこの 2 つの組織に属しているのだから、至極もっともな考え方だ。しかしウガンダでは様相が異なる。世銀のかけ声の下、NAADS (National Agricultural Advisory Service) という組織が作られた。欧米のドナーがバスケット・ファンドに入れた予算を使って農家へ普及サービスをする機関であり、農業省とは別の組織になっている。ところがこの組織がうまく機能しておらず、昨年あたりから大統領さえも非難を始め、予算を凍結してしまうという騒ぎにまで発展した。特に家畜衛生分野ではほとんど何もサービスが提供されてきていないが、この分野の専門性を持つ職員が誰もいないのであるからそれもまあうなずける。とは言っても何もしなくても良いことにはならない。もともと人材を擁する農業省やマケレレ大学が普及に責任を持つ機関であったなら、もっとうまくやってこられたはずである。何の思惑があって世銀が NAADS のような組織をウガンダに作らせたのかは知らないが、ウガンダのように人々が素直で従順な国を、力のあるドナーがこぞって実験台にしているような気がしてならない。
      この局長
Dr. シニャングエとの話はなかなか示唆に富んでいて面白かった。外に出ると高い空に細長い巻物を並べたような雲が浮かんでいた。ザンビアの雲はなかなか魅力的である。長かった一日の予定を終え、我々 3 人は大学内のホステルへと戻った。(その 2 に続く)

ザンビア訪問記、
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2008 年 3 月 長期専門家 柏崎 佳人 記