ルアンプラバン・フィールド活動記 その3の2
      ウドムサイを早朝に出発してルアン・ナムター県のロン地区まで移動。到着は昼過ぎになった。途中、少数山岳民族の村をいくつも通り過ぎた。ここはミャンマー国境まであと 20 キロ程しかない。我々が訪れたパーカー村も少数民族の村で、特に女性は特徴的な衣装に身を包んでいた。
      パーカー村では米作が行われており、昨日までの雨が止んで晴れ間が広がったこの日、村人たちの多くは収穫に出かけてしまい、我々が到着した時には村内が閑散としていた。
ミーティングを開いた村の小学校。
教室で村人の到着を待つ我々スタッフ。
晴れ渡った空のもと、汗を流して稲を刈っているであろう村人たちが戻ってくる気配は全くない。筆者はカメラをぶら下げて村内の散策に出かけた。とある木の下に男の子たちが集まり、パチンコでさかんに何かを狙っている。普通、カメラを向けると恥ずかしがって逃げ隠れする子供たちが、全く気にもかけずに一心に高い木の上の獲物を狙っている。いったい何なのか、これだけ石が投げられたら小鳥はすぐに逃げてしまうだろう。巣でもあるのかと見てみるが、目の悪い自分には焦点が定まらない。蝉のような虫だとしたらまず見えないだろうし、やはり逃げてしまうことだろう。結局、誰も命中させることはできず、何も落ちては来なかった。
吊り橋を渡ってフィールドに入る。
収穫を待つ稲を湛える田と刈り取られた田が混ざる。
待っているのも時間がもったいないので、病気の豚を治療しに出かけることにした。歩くと 40 分はかかるというので車で行くも、途中から道が狭まり車体を背の高い草や枯れ枝が擦る。レンタカーのドライバーは気が気ではないだろう。途中からは歩きになった。吊り橋を渡り、刈り取りの終わった田を突っ切って豚小屋へと向かう。そこは貯水池の中、半島のように突き出た場所にあった。子豚たちは生後3ヶ月も経っているというのに、まるで生後3週間ほどにしか成長していない。同腹豚で成長に大きな差があるので、弱い個体が食べ負けしているのだろう。また寄生虫も大きく関与していると思われ、駆虫薬を打って様子を見ることにした。
村人たちが集まってきたのは結局5時過ぎだった。既に薄暗くなり始めており、字が見えなくなるのであわててミーティングを始める。基本的にヴァンヘウン村でのミーティングと同じ内容であったが、違ったのはやはり村人たちの姿勢だろう。この村では収入の中で家畜に頼っている部分が小さいためか、それほど真剣に耳を傾けているという人は少なかった。これはまた、これまで家畜疾病の大きな流行がなかったことにもよるのであろう。村人の多くは放っておいても家畜は元気に成長していくと考えている。
確かにこのような人里離れた村では人や動物の往き来が少ないため、病気が入り込むチャンスが少ない。しかし今後、外部の人間が入り込んできたり、新しい動物を導入したりした際、感染症を持ち込む可能性は高く、そのような状況に備えた対策も必要になってくるだろう。
講習はあまり真剣に聞いていなかった村人も、駆虫薬をもらえるとなると夕闇が迫る中、続々と集まってきた。
民族服を着た子供たち。興味はあるくせにカメラを向けると恥ずかしがってなかなか撮らせてくれない。
ロン地区では夜9時15分になると電気が切れ、真っ暗になった。夜手探りで近くにおいたマッチを探し、ロウソクに灯をともしてトイレへ行かなければならない。朝起きると山肌を靄が走り、蓮の花がそっと咲いていた。ゲストハウスの向かいに市場があり、どこからわいてくるのか大勢の人が集まって来る。よく写真で目にする少数民族の衣装を着ている女性も多い。市場では野菜、肉、魚といった生鮮食料品を中心に売られていたが、ほんの15分くらいですべて売り切れてしまった。
マーケットの一角でボール遊びをしていた男の子。まわりはどこ吹く風、自分の世界に浸りきっていた。
時間が経つに連れて日が差し、色が鮮やかに浮かび上がってきた。
ロン地区の農林事務所にて。前列左からブントム、筆者、サティス、事務所長。
朝食を食べに寄ったレストラン。男の子が学校へ出かける前、お母さんに促されてモソモソとまるで義務のようにご飯を食べていた。
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