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サイアム通信 第一号(プロジェクト専門家から友人への近況報告)

ご無沙汰しております。10月半ばにタイへ赴任して早くも2ヶ月が過ぎようとしています。勝手知ったる国なので何の緊張感もなくドンムアン空港に降り立ちました。空港から街へ向かう途中、かつての職場であった研究所に立ち寄り、当時から6才年を取った同僚達に挨拶。各人の顔つきも各研究室の様子も少しずつは変わっていたもののそこに漂う空気はあの頃のまま、この6年間の記憶が頭から飛んでつい昨日までここで働いていたような錯覚にとらわれました。

さて、今回働き始めたJICAプロジェクトについて少し説明しておきましょう。名前は「タイ及び周辺国における家畜疾病防除計画」と言います。その名の通り、インドシナ半島地域において家畜疾病をコントロールできるような体制を築いていこうという取り組みです。タイ及びマレイシアで過去20年に渡り取り組んできた家畜衛生分野における日本の協力を土台にし、その成果を周辺国(カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)へ普及していこうというアイディアのもとに始まりました。それゆえ技術移転に関してはタイ人、マレイシア人に頑張ってもらおうというねらいがあり、常駐する日本人専門家は基本的に3人と、他のプロジェクトに比べて少な目です。

プロジェクトでは疾病診断、ワクチン製造、動物検疫の3分野をカバーしています。これまでの3年間はそれをタイ、マレイシア、日本における研修、タイ人、マレイシア人、日本人専門家の派遣、日本からの機材供与という3つの活動でレベルアップしていこうとしてきました。それゆえ活動はどうしてもタイ国内が中心となり、研修を受けた各国の技術者が、それぞれの国内でどのようにその技術を生かしていくのかという点にはあまり重点が置かれていませんでした。専門家がほとんど周辺国には派遣されなかったという事も原因のひとつです。

当然、プロジェクトの性格上、このところの一番ホットな話題は鳥インフルエンザです。参加6カ国のうち、ミャンマーを除く5カ国で発生が確認され、特に鶏肉輸出国のタイなどは対策に追われててんやわんやです。プロジェクトにとって追い風なのは、この騒ぎで家畜衛生の重要性が再認識されたことでしょうか。鳥インフルエンザ関連の緊急援助で、援助団体から各国関係機関にわんさか機材が投入されています。最もそういったハード面の支援に対して、ソフト面の支援が追いついていないという印象は拭えませんが。そんな中、唯一貧乏くじをひいたのは発生がないミャンマーかもしれません。援助は全くなし。しかし鳥インフルエンザも確定診断ができないだけで、発生している可能性は否定できないといいます。

さて、今回僕が早急に派遣された理由は、このプロジェクトの中間評価が11月中旬に行われることになっていたからでした。日本から5人の評価団が来タイし、タイ側の評価チームと合同でこれまでの活動について調査をし、今後2年間の活動についての指針を示すということが目的です。自分はこれからの活動に関わる者として、その評価に加わるためにあわてて日本を後にした訳です。

その調査団に先駆けてコンサルタント(評価のプロです)の方がひとり来タイされ、僕はその方と一緒にまずミャンマー、ラオスへ出張に出かけました。ミャンマーへは3年ばかり前に一度遊びに行ったことがあり、その折には接した人たちの語学能力の高さ、控えめな態度と礼儀正しさに感心した覚えがあります。実際にミャンマーはその昔、タイやマレイシアなどより余程発展しており、この地域におけるリーダー的国家であったと聞きました。しかしその後、御存じの通り民主化への移行が遅れたために国の発展が滞っている状態にあります。現在でも開発援助を行っているのは日本くらいで、数多くのドナーによる開発援助プロジェクトが目白押しに進む他の東南アジア諸国とは対照的です。

僕らが訪問したワクチン製造センターや診断センターでは、設備・機材も非常に古いものを大切に使っているという状態で、タイなどの施設とは比べものになりません。それでも特にワクチンなどは11の疾病に対して生産しており、かれこれ20年も前に日本が供与した機材が未だに現役で動いていました。診断センターの方は機材不足、予算不足でどうにもならない中、それでも工夫をして何とか仕事をしているという努力の跡を垣間見ることができ、「金がない」、「機材がない」といった、どこでも良く聞く言い訳をしない点が印象的でした。またミャンマーでは獣医畜産局の局長が特にこのプロジェクトに対して協力的であり、僕らはVIP待遇(僕ら2人を5人で案内してくれました)でシュウェダゴン・パゴダの観光までさせて頂きました。

次に訪れたラオスは、このところ援助漬けの代表国のようになっている国です。国民性が素直で穏やかなため、援助効果が上がりやすいという利点があるためでしょう、EUやらACIAR(オーストラリアの援助機関)、IAEA(国際原子力機関)、FAO(食糧農業機関)、WB(世界銀行)といったドナーからの援助がひしめいています。僕らのプロジェクト・サイトであるワクチン製造センターと診断センターでもEUのプロジェクトが終了したばかりで、機材はミャンマーなどとは比べものにならないくらいに揃っていました。しかしEUプロジェクトは地域における普及活動を中心に行われていたため、ラボに機材を入れたもののそれを使うセンター・スタッフへの技術移転を十分に行っておらず、まだまだ機材を効果的に活用できていない点が目に留まりました。スタッフと予算の不足も足枷になりそうです。ひとつ救われたのは、援助慣れしきってドナーに頼ってばかりのスタッフが多い中、モンゴル人のような風貌の診断センターの所長はなかなか実直で、僕らへの対応も正直であったということでしょうか。彼は実際、モンゴルの獣医大学を卒業したそうです。

その頃、ラオスの首都ビエンチャンは拡大ASEAN会議の準備に追われており、日本の援助で新しくオープンした空港でも警備の強化に力を入れていました。新しい滑走路が各国政府専用機の離着陸に十分なものであるかどうかを確かめるため、日本政府は親切にもカラの政府専用機を飛ばして事前に離着陸の試験を行ったそうであります。小泉首相も参加した会議中、ビエンチャンの学校はお休み、会社も休み、長距離バスのビエンチャン市内への乗り入れも禁止と、市民には願ってもない良い休息になったようです。

ここでいったんタイへ戻って調査団本隊を迎えた後、タイ人、マレイシア人も加わって2グループに分かれ、僕が入ったAチーム8人はカンボジア、ベトナムへと向かいました。カンボジア、プノンペンの新空港はフランスの援助だそうで、さすがに日本が援助したビエンチャンの新空港よりも垢抜けています。空港から街へ向かう途中、何故かまわりが明るく輝いて見えたのは、発展途上にある国のエネルギーなのでしょうか。ミャンマーやラオスでは感じられなかったような高揚感がこの街にはありました。

この国のプロジェクト・サイトである診断センターにも多くの援助機関が入っています。驚いたことにこのセンターには人件費以外の予算が全くなく、全ての活動はその資金源を援助機関に頼っているとのこと。一国の家畜衛生事業としては無策に近いといえます。ワクチン生産はストップ、検疫はなし、診断はできない(ほとんどが臨床診断)ではお話になりません。これも畜産が外貨を得る手段ではないから済ませられる事なのでしょうが、カンボジアからの家畜の密輸が絶えない周辺国としては「ふざけるんじゃない」と言いたいところでしょう。実際にベトナム政府から「密輸業者を取り締まれ」という要請があったそうですが、カンボジア政府は「自分たちで密輸業者を見つけて送り返せ」と応答したそうです。

10年ばかり前にタイに赴任してすぐ、口蹄疫という病気のインドシナ地域におけるコントロールに関する国際会議に出席したことがあります。各国の代表がカントリー・レポートを発表する中、カンボジア代表も演台に上がりました。この会議の少し前にカンボジアの南部、メコン川沿いで口蹄疫の流行があったことはすでに周知の事実であったため、その流行の原因をどう説明するのかに興味が集まっていました。代表者は何とも人の良さそうな田舎の兄ちゃんといった風体でありましたが、国を代表して来ているのだから恐らくエリートなのでしょう。彼はオーバーヘッドで地図を示しながら次のような説明を行いました。

「この口蹄疫の流行の前、メコン川の上流で出血性敗血症(パスツレラという細菌の感染によって起こる牛の致死的な急性疾患)の発生がありました。みなさんご存じの通り、出血性敗血症に感染した牛は高熱を発するためのどが渇き、その牛はメコン川に水を飲みに行きました。ところが高熱で意識はもうろうとしていたために足を滑らせて川に落っこちてしまったのです。悲しいかなその牛はおぼれ死んでしまい、その死体が川下に流れていきました。実はその牛は口蹄疫にも感染していたために、抵抗力の強い口蹄疫ウイルスがその死体の流れ着いた地域に広まり、流行が起こったと考えられます。」

国際会議の席上でこのような証拠も何もないおとぎ話のような発表ができるカンボジア代表の彼がいっぺんで好きになり、いつか僕もそんな彼の住む国で仕事をしてみたいものだという思いが強く心に残ったのですが、まさかそれが現実になるとは思ってもいませんでした。

このカンボジアの診断センターには倉庫に眠っている機材が大量にあり、いったいどうなっているんだとよく見たところ、日本の国旗が貼ってあるのに驚きました。聞いたところによると、Japan Trust Fund という日本政府の基金を使ってFAOが入れた機材だそうで、FAOもこんないい加減な機材供与を行っているのかと落胆。しかしこの街が発散するエネルギーは何か行動を起こせば突き動かしてくれそうな気がするし、それにここには青年海外協力隊の獣医隊員がいるので、彼女に手伝ってもらいながら活動を進めていくことにしようと、あまり悲観的な気分にはなりませんでした。

余談ですが、調査の合間にキリング・フィールドへ出かけてきました。プノンペン市内にある学校を改装した刑務所で拷問が行われ、その後、郊外20キロほどのところにあるこのキリング・フィールドへ連れて来られて殺されたそうです。今では記念塔が建てられ、その中に掘り起こされた頭骸骨が沢山並べられていました。刑務所跡の博物館に展示されている数多くの犠牲者の写真やキリング・フィールドの頭骸骨を見ていると、それがいかに残酷であったのかは想像できますが、まわりの景色があまりにも平和すぎて実感できるところまでにはいきません。こうやって僕らは悲惨な過去を忘れていってしまうのでしょうか。

そしてベトナム。三年前に半年間も働いていた地であるのですが、今回は若干サイトが異なります。ベトナムでは獣医研究所と診断センターが別組織になっており、最悪なことにこの2つの機関の仲が悪いのです。以前働いていたのは獣医研究所の方であり、5年間もプロジェクトが走ってきたので(来年2月で終了)機材が整っています。方や当プロジェクトのサイトは診断センターであり、この2つの機関は歩いて5分ほどのところにあるというのに、ほとんど交流がありません。研究所の方の機材が使えると非常に仕事がしやすいのですがそうは簡単にいかない様子。本省の手違いから、本来であれば診断センターの職員が行くべき当プロジェクト主催の研修に、研究所から職員が3人も行ったと、診断センターの方は怒っている有様です。

僕らの訪問中にも日本主催によるドナー国会議が行われていたくらいですからベトナムも援助漬けの感を拭えませんが、それでもダメだダメだとばかりは言っていられません。何かしら彼らと行動を共にしていき、10年後、20年後の変化を期待していくような意気込みで仕事をしていかなければいけないのだと思います。

というように4カ国で調査を終え、タイに戻りました。今回の調査で改めて感じたのは、投入と活動のバランスが取れていないということです。各国間で技術を共有し、レベルを平準化していこうとしているのに、これまで20年間にも渡って日本が機材を供与し続けてきたタイが、未だに他の周辺国より2倍以上も機材を受け取っている有様。日本での研修はほとんどがタイ人、日本人専門家もほとんどがタイへ赴任するのみであり、その内容は周辺国では役にも立たない高度な分子レベルの研究中心。これではワン・ポイントの投入ばかりで歯車が噛み合わず、効果的な活動にはつながらないため、インプットに見合う結果が期待できるわけもありません。タイ人にもう少しこの地域のリーダーとしての活躍を期待していたのですが、まだまだ受益者としてのぬるま湯から抜け出せないようです。日本側もどのような意図からかわかりませんが、タイを手元に置いて可愛がりすぎている気がしてなりません。

今後は活動を周辺国へ移していくということだけは各国間で確認しましたが、それに基づいて投入も変えていくのかどうかはまだ未知数です。しかしこのような問題は僕個人が異議を唱えたところでどうなるものでもなく、色々な個人の思惑や利害が絡んで決まることですので、まあ自分は自分にできる範囲内のことをしっかりこなしていこうと考えています。(200412月 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記)


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