ベトナム人と仕事をする・・・
ベトナムでの仕事も国際協力事業団のプロジェクトだ。タイやウルグアイと同じくベトナム国立獣医研究所に対する開発援助である。ひとつ違う点は、ここでの任期が半年だけの短期であるということ。タイとウルグアイへ赴任した時には長期専門家としての派遣であったが、ベトナムでは6ヶ月間の短期決戦。免疫学的な診断法やテクニックを、免疫学と寄生虫学というふたつのセクションをかけもちで指導することになった。
一般的に長期専門家はプロジェクト全体の流れを考えながら、バランス良く仕事をこなしていかなければならない。技術指導ばかりでなく、日本から供与する機材の取りまとめやセミナーの準備、はては教材の作製等々仕事内容は多岐に渡る。一方短期専門家は長期の方々がカバーしきれない技術分野を補完する目的で派遣されることが多い。それゆえ行うべき仕事の内容ががはっきりしており、目に見えた成果が上がりやすい。共に働くことになる相手国のスタッフ(カウンターパート)の人数も限られているため、コントロールも効きやすい。プロジェクト内の余計な雑務に煩わされることなく、技術的な指導に集中できるという利点もある。
僕はタイやウルグアイで多くの短期専門家の方々の仕事ぶりを拝見させて頂いており、ある意味でうらやましく感じていた。長期で仕事をしているとカウンターパートとの緊張関係がどうしても長続きせずにいつしか馴れ合いになってしまいがちだ。ところが相手が短期専門家であると滞在期間が短いことが初めからわかっているため、カウンターパート達も俄然張り切って仕事をする。そんな彼らのやりとりをサポートしながら、「いつもそのくらい張り切ってくれよな」と心の中で思っていた。カウンターパート達も僕に対してそう思っていたかもしれない。その短期専門家としてベトナムへ赴任したわけである。
前にも書いた通り、獣医研究所での仕事は二つの研究室に出入りすることとなった。免疫学研究室では実験動物を使っていくつかの抗体を作り、診断に使えるよう準備を整えること。そして寄生虫学研究室ではトリパノゾーマとネオスポラに対する免疫学的診断法をこしらえるというのが僕に課された仕事の内容だ。
免疫の部屋ではこんな人たちが働いていた。室長は研究所長が兼任なので、実質的にはふたりのシニア・スタッフが研究室の仕事を取り仕切っている。ひとりはドクター・タインで、知識は豊富だが実際に自分では手を出さないというよくいるタイプ。各国からの援助をうまく取りつけ多くの国で研修を受けているが、何をしてきたのか実際の仕事に役立てているようには見受けられない。いいように使われて大騒ぎをしないよう、こういう人とはちょっと注意してつき合わないといけない。もうひとりはニンさん。人のいい田舎のおじさん的雰囲気に包まれている。技術的にもしっかりしたものを持っており、また僕ら日本人に対しても細かい気配りを怠らない。仕事がしやすいようにいつもサポートしてくれた。このタインとニンの二人は大のイヌ肉好き、酒好きコンビだ。ビアホイへ一緒に行っても飲む量が半端ではないので、ホテルへ戻ってから何度吐いたか数知れない。
僕が実際に働いていたのは4人の若いスタッフである。特にその中でも唯一の男であり、かつ英語が話せるファンといつも一緒に仕事をしていた。ファンはなかなか骨のある若者で、勘は悪いが打たれ強い。こういった国では珍しく何に対しても意欲的で、お金のためにではなく純粋に仕事に対する興味から働いているといった気概が感じられた。研究所での仕事は記録を残しておくことが非常に重要なのだが、ファンはこれまでの仕事についても実験ノートにきちんと記録していた。字は汚いものの、「オッ、なかなかやるな」という好印象を持った。
さて問題の寄生虫学研究室だ。ここの室長はマダム・ミーさん。小柄で活動的で人のいい女性だが頑固である。その下にはおっとりとしたおとぼけ人間のズワインと、占い師でもあるズンがいたが、まあこの二人について書きはじめると長くなるので置いておくことにしよう。ナンバー4が日本での研修を終えて帰国したばかりのリンさんである。誰が見ても彼女がこの研究室内で一番の切れ者であることは一目瞭然であった。それゆえ僕も彼女と仕事をしたいと何度もマダム・ミーに頼んだのであるが、ミーさんはこの件に関しては頑として頭を縦に振ろうとしなかった。短期間に技術移転を行う場合、相手国カウンターパートの能力が大きく影響するのでこれは痛い。
そしてマダム・ミーが選んだ僕のカウンターパートがトゥイという20代後半の女の子、免疫学研究室のファンと同級だ。彼女の性格は良いと思うが、僕の目からすれば落語家春風亭小朝さんが言うところの「どこに出しても恥ずかしくない馬鹿」であった。関西風に「アホの仮面をかぶった馬鹿」と言い直しても良い。彼女はわかっているんだかいないんだか反応が鈍く、やる気があるんだかないんだかもわからない。これまでにもほとんど仕事らしい仕事をしてきていないらしい。しかしマダム・ミーはそんな彼女でも日本人専門家と働かせれば少しはできるようになるだろうと、頑なに僕と仕事をさせようとしていた。しかし僕からすればそれは全くお門違いで、本人にやる気があるのならばまだ救い様はあるもののどうもそうではないらしい。長期であれば時間をかけてじっくり取り組めるのだが、短期ではそうのんびりはしていられず、効果的な技術移転はどうしてもカウンターパートの質に左右されるところとなる。
とういうわけで免疫学研究室では意欲的なファンと、そして寄生虫学研究室では何を考えているのかわからないトゥイと仕事をすることになった。結果は始める前からわかっていたが、ファンとは予定していた技術移転を滞りなく終えることができた。しかしトゥイとは一応計画通りに仕事を進めたものの、最終的に彼女が技術を習得したとはとうてい思えなかった。
仕事に関して僕が受けたベトナム人スタッフ全体の印象は、研究所という理論的な考え方を一番要求される職場にあって、前後の脈絡なしに場当たり的な事ばかりをしている人たちが多いということか。タイで仕事をしていた時に受けた印象に近い。これもやはり初等教育の影響なのだろうかとふと思った。道を渡る時に車をかわしていくように柔軟であることは良いのだが、仕事に関して適当にかわされてはかなわない。
だいたいこの研究所の職員には血縁者がとても多い。つまり国立の研究所でもあるにかかわらず縁故採用が多いということだ。僕が赴任して間もない頃に新人採用試験が行われた。ファンやトゥイを含め、研究所の若いスタッフの多くは臨時雇用であるため、彼らが正式職員のポストを目指して争うことになった。もちろん外部からも受験者がいる。まず英語の試験が行われ、数日後に専門を含めた一般的な試験という二本立ての採用試験となった。英語の試験ではファンがトップ、ほとんどの受験生の点数はかなりひどかったらしい。その喜ぶファンのもとに「今回の英語の試験結果は採用決定に加味しない」という何とも不公平な知らせが届いた。「それならば最初っから試験何かするんじゃない」と怒鳴りたくもなるだろう。いったいどうなっているのだか。
この間、当然の事ながらファンは毎日仕事にも精を出していたが、片やトゥイは試験勉強という名目で職場にさえ姿を現さなかった。そして結局コネのあったトゥイが合格してファンは落選。更に悪いことには、外部からの受験生であったファンの同級生のハーと後輩のホアが、免疫学研究室の新人として採用が決まってしまったのだ。そこに、やはりファンの後輩となるニャンが研修生として加わり、免疫学研究室には一挙にハー、ホア、ニャンと3人の女性若手が加わることになった。
結局、臨時雇いのファンが正式職員である女性陣を指導するという図式になり、ファンにとっては面白くないことこの上なかったであろう。特に研修生のニャンは気の強い性格で、かつ大学で助手をしているということもありプライドが高い。僕から見ても、研修に来ている割には態度がでかいところがあり、性格的にもファンとは合わないようだった。それゆえ必然的にこの二人がことごとく対立することになっていった。僕がニャンに言いたい小言があってもファンに代弁させたりしていたので余計に悪かったのだろう。しかもニャンの旦那はファンの同級生で、その当時ベルギーだかデンマークに留学していた。ニャンはファンの悪口をメールで外国にいる旦那に送る。すると旦那はそれに尾ひれを付けてベトナムいる彼の同級生に様子を尋ねる。ニャンの旦那の同級生はファンの同級生でもあるわけだから、そんな話が同級生の間を渡り歩いてファンの耳にも当然入ってくる。こんな風に国境を越えて最もらしい噂がどんどんふくらんでいった。
ファンには悪いと思っていたが、実のところ僕はそんな風に人を介して状況が変えられていく様を密かに楽しんでいた。元々は痴話げんかのようなものなので、ファンもニャンも憎しみ合っているわけではない。ニャンの様子を見ながら、ファンの愚痴を聞いてやっていた。どこの国でも人は下世話な話が好きで、まことしやかに噂が広まっていくものなんだなあと、変なところで安心してしまった。ヨーロッパを中継地点として噂が飛び交うとは、ベトナムも国際的になったものである。
そしてベトナムにも世界各国と同じく年末年始が近づいてきた。ハノイでは公園などに飾り物が増えただけで街や人々の様子は普段と変わりなく、日本の馬鹿騒ぎが懐かしく思える一方、何だかそれが不思議にも思えてくる。年末気分の始まりはアラブ人でも祝うユニバーサル行事のクリスマスだが、イヴが誕生日の自分にとってはこの時期、嫌でも自分の年齢を思い出させられる。
その年のクリスマスイヴには通常通りラボで仕事に精出していた。ベトナム人のスタッフといっしょに寄生虫の部屋で仕事をしていたところ、ぞろぞろと30人くらいの大学生が入ってきた。何でもハノイから北に80キロほどのところにある農科大学の獣医学部の学生だということで、授業の一環としてこの研究所の見学にやって来たのだそうだ。日本の獣医学部と同じく女と男が半数ずつくらいか、みんな初々しくてやっぱり学生はいいなあとニヤニヤしながら部屋の隅で傍観していた。研究室の室長さんであるマダム・ミーが説明を始めたが耳を傾けている生徒は半分もおらず、他の人たちは勝手気ままに部屋を歩き回ったりおしゃべりしたりしている。僕自身も学生の頃は、どこかに見学に出かけても説明など全く聞いておらず缶蹴りなどをしていたので、どこでも同じだなあなとまたまた変なところで感心していた。
そんな雰囲気の中、当然、自分の存在が若者達の好奇心の的になっているのも感じていた。その微妙な均衡を破ったのは近くにいてもじもじしていた女の子だ。ゆっくりと一言ずつ言葉を選びながらどこから来たのかとか、名前とか、ここで何をしているのとかを聞いてきた。僕も大学のことやベトナムの獣医学教育の事などを聞き返しているうちに周りにいた女の子達も何人か会話に加わってきた。いつも不思議に思うのだが、こういう状況で最初に話しかけてくるのは大抵が女の子だ。まあそれは置いておくとして、ひと通り当たり障りのない質問が繰り返され、その後でお決まりの気まずい沈黙が訪れた時、それを破ったのもさっきの女の子だった。その時の質問は、"Have you ever fallen in love ?"だった。
さあて、40歳を過ぎてこういう質問をされたときには何と答えればよいのだろうか。周りの子達も別に笑うわけでもなく僕の答えを待っている様子。言葉に詰まってどぎまぎしている僕を見ている。ベトナムではこういう質問をするのが挨拶の代わりなのだろうかという思いも頭をよぎった。そうであれば何か気の利いた答え方があるような気もする。その状況を救ってくれたのは部屋の反対側の方にいた男の子だった。その学生が人をかき分けて僕らのいるところまでやって来て、質問をした女の子に何かこそこそと話しかけている。ニキビ面で人のいい根っからの田舎もんといった風貌の若者で、どうも英語は苦手で話せないようだ。が、とにかく僕と話したくてしょうがないというオーラを発している。
彼はベトナム語で何やら言ってから僕と握手をし、肩を組んでまた前にいた部屋の反対側へ戻って行った。いったい何だったんだと思ったのも束の間、先程の女の子が僕に、"He loves you."と言うではないか。これでも長年に渡る海外生活のおかげで少しは英語の表現に敏感になっているので、ちょっとこれには全身の力が抜けてしまった。もちろんその子は "He likes you." のつもりで言ったのは明らかだが、それにしても思わぬ展開になかなか刺激的な時間を過ごすことができた。 (2002年 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記、「ベトナム国立獣医研究所強化計画」プロジェクト 元短期専門家)
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