開発援助について考える、その2・・・

このベトナムのプロジェクトの目標は「研究所における家畜感染症診断法、特に免疫学的診断技術が改善される」である。その活動として、「研究所における主要家畜感染症診断技術の改善」と、「主要家畜疾病疫学調査の実施」「適切な診断法に関する普及・研修の実施」が謳われていた。しかしこれらの活動を行っていくにあたっていくつかの問題点を抱えていた。ひとつにはこの研究所とは別に獣医診断センターという組織があり、その所属機関が研究所とは異なっているということだ。平たく言えば親分が違うわけで、日本と同じく縦割り行政の弊害から仲が悪いのである。

それゆえこの関係をどうにかしないことには、いくら研究所で信頼性の高い診断法を開発しようが、それを役に立てる場所がないということになる。そしてもうひとつ付け加えるならば、野外からの材料は当然診断センターに持ち込まれるわけなので、疫学調査を行うにしてもセンターの協力なしにはなかなか調査がはかどらないだろう。診断と疫学調査を活動の中心としたプロジェクトを始めるのであれば、何故最初から診断センターをプロジェクトのサイトにしなかったのであろうかという疑問が起こる。事前調査の段階でこんな問題は簡単に予測できたと思われ、それに対して何らかの対策が取られても良かったはずである。それなのに何であえて研究所の方でプロジェクトを始めたのだろうか。

この答えは簡単だ。診断センターでは既にEUによる協力が始まっていたため、日本が入り込む余地がなかったのである。それでは何でプロジェクトを始めたのかといえば、それは恐らくもっと上の政治的なレベルで、日本が協力を行うことが決まっていたのだろう。プロジェクトを始めるという大前提があり、その上で計画されたプロジェクトであったために歪みが生じたのだ。

前にも述べたが、開始前から問題点を指摘できるようなプロジェクトは、その後の運営に大きな障害を伴う。それゆえ事前調査の段階でできる限りそれらの問題点を取り除くような努力をすることが重要であるが、複雑な人間関係やお堅い行政組織、そして政治的な圧力など、種々多様なマイナス要因が働くために、ある程度の問題点を抱えながらの見切り発車は避けがたい現実である。そしてこのベトナムのプロジェクトでも長期専門家の方々がこれらの問題点を克服するために並々ならぬ努力をされていた。ベトナムの2つの機関の仲を日本人が取り持つのもおかしな話だが、まあその方が相手にとってみても受け入れやすいのかもしれない。研究所で開くセミナーや講演には必ずセンターのスタッフを招待したり、EUのスタッフとも交流を持つなどといった努力を続けておられ、徐々に気まずい関係がほぐれてきているようだった。

もうひとつの阻害要因は、研究所のスタッフが農家のおじさん達に信頼されていないということ。つまり病気の調査をするために農家をまわっても、動物から採材させてもらえないのだという。逆にお金を要求される事もあるようで、これでは疫学調査などできるはずもない。ベトナムでは国家公務員が国民に信用されていないだろう。まあ、どこかの日出ずる国と似ていないこともない。こういった信頼関係に根ざす問題を解決するには、時間をかけて取り組んでいくしか方法がない。プロジェクトではハノイから2時間ほど車を走らせたバビという農村をパイロット地区として取り組みを始めた。地区の責任者と良い関係を保ち、頻繁に農家を訪問し、研究所のスタッフを派遣して農家向けのセミナーを開き、専門家を派遣して診療活動を行い、差し出されたお酒につき合い、下手でもカラオケを歌う、などなど、地道な活動を続けられていた。こうした努力が実を結び始めるには長い時間が必要であろうが、一旦良い人間関係を築くことができればその後は順調に物事が進むようになっていくであろう。

ベトナムのゲアン省で行われているリプロダクティブ・ヘルス(出産にまつわる健康)向上プロジェクトは、NGOの活動がJICAプロジェクトに発展した数少ない例のひとつだ。ジョイセフ(家族計画国際協力財団)が草の根で築き上げてきた人的ネットワークを最大限に利用する形でJICAプロジェクトが開始された。ゲアン省運営委員会を中心に、その下に19郡の人民委員会、更にその下部組織として466のコミューン人民委員会、そしてそれに属する住民という、一大ネットワークをベースとしてプロジェクトが進められている。この点でプロジェクトの開始前に何のネットワークも持たなかった我らが研究所のプロジェクトとは大きく異なっていた。

僕がプロジェクトを訪問した折りに感じたのは、専門家チームとベトナム側スタッフの何ともいえない仲の良さ、つまりはお互いに信頼しあっているからこそ生まれる雰囲気のようなものだろうか。だいたいどのプロジェクトでも専門家チームとして部屋をいくつかもらい、日本人だけで机を並べているが、そのプロジェクトではひとつの部屋に双方のスタッフが肩を寄せ合って仕事をしており、その姿が僕の目にはすごく自然に映った。もちろんプロジェクトの計画に沿って大きな成果を上げているのだろうが、リーダー曰く「JICAのプロジェクトとして始まる何年も前からNGOの活動をやってきたからこそ、ここまで成果が上がっているのです」との事。本当にその通りだと感じて何か圧倒された気分になった。

JICAのプロジェクトとNGOの活動は根本的にその性質が異なっているが、このところそうともいえない感じになってきている。僕が携わっている家畜衛生関係のプロジェクトにおいても、その目的の中に「プロジェクトの成果が農民の利益の向上に寄与する」といった文章が入ってきた。実際問題として農民の利益の向上などを客観的に表すことは不可能なので、これは単に「プロジェクトが庶民の役に立っていない」という日本のODAに対する風評をかわすためだけに掲げられた一文の様な気がしてならない。本当にそれを目標としてプロジェクトを進めていくのであれば、何よりもまずプロジェクトの対象となる地域の人々とNGO並みの強い人間関係が必要になってくるからだ。日本人専門家が地域住民と良い人間関係を築けないばかりでなく、政府の役人が多い相手国側のスタッフにさえそんなことはしたくないという人は多くいる。それゆえ研究所での質の向上もそこに留まり、なかなかフィールドに反映されてはいかない。

それゆえゲアン省でのリプロダクティブ・ヘルス・プロジェクトのようにNGOと連携してその組織力を味方にできれば、JICA(国際協力事業団)にとってこれ以上強い味方はないだろう。JICAとNGOが補完するような形で協力関係が築けたなら、より効果的な協力ができるのではないか。金銭や時間的な部分で効率を求めるのではなく、もっと人間的な関わりの面で効果的なより良い方法を追求していけば、金銭や時間的な効率性もおのずと後からついてくると思う。

先日、NHKスペシャルで「変革の世紀」最終回を見た。このシリーズはなかなかよくできていて、市役所に代わって街造りを進めるアメリカのNPOや、自分が払う税金の一部を指定したNPOの活動資金に充てることができる制度を取り入れたヨーロッパの国の話など、いつも興味を持って見ていた。今回は企業などの組織、知的財産、NPOの活動について特に日本の現状を紹介していた。僕が興味を引かれたのは特に海外で活動を進める日本のNPOの活躍だった。そのNPOに研修に来られていた外務省の若手もコメントしていたが、単に「助けてあげたい」といった情熱だけでやみくもに活動をしているのではなく、もっと冷静な立場に立って様々な情報に裏打ちされた活動を行っている。つまり一方では人間的なつながりを重視しながら、他方ではネットワークを張り巡らせてあらゆる情報を駆使し、その時点で最善と考えられる活動を進められていた。

ではコテコテの政府機関であるJICAのプロジェクトではどんな活動をしているのだろうか。もちろん予算規模も違うし国対国の援助であるJICAプロジェクトを、非政府のNPO、NGO活動と比較するのは適当ではないだろう。NGOが協力の対象とするのは国や政府の機関ではなく、地域に点在する組織や団体である場合が多い(もしくはそういった組織を作っていくのだろう)。また活動内容にしても食糧援助であったり、小学校の建設であったり、井戸の設営であったり、診療活動であったりと、より人間生活の根幹に関わる部分での協力であるため、受け入れ側も真剣になるだろうし、かつ成果が目に見えやすいという利点もある。それでもやはり人間関係を築いていくのは大変だろうが、期間や枠組みを限定せずにより柔軟な運営をすることが可能であるため、あまりあせらずに気の長い協力関係を築いていくことができる。もちろんNGO側にも問題点は多々あると思うが、そういった取り組みからJICAが学ぶべき部分も数多くあるのは否定できない。

僕が関わっているJICAのプロジェクトはほとんどの場合、政府や地方自治体の組織をプロジェクトの拠点として、3年から5年という限られた期間において実施されている。開始時点においてプロジェクトの目標やそれに向けた活動を定め、予想される成果を細かく想定する。そして大まかな予算と人材の投入規模を定め、2国間で取り決めにサインをしていよいよプロジェクトの開始。ところが上層部で練り上げられた計画が末端部の人間によってすんなりと進められるわけがない。色々な問題が発生する。それは相手国政府の組織の縦割りによる責任の押し付け合いや、現場スタッフのやる気のなさであったり、日本人専門家の技量の狭さやコミュニケーション能力の低さであったりと様々だ。

こうした問題を解決する最大の武器はやはり人間関係であろうが、その構築にはかなりの時間がかかるし、プロジェクトに関わる人材の質にも大きく左右される。双方のプロジェクト責任者が経験豊富な人格者であれば、たいていのトラブルは解決することができるが、そうでない場合(この場合の方が多いだろう)はプロジェクトに携わるスタッフにとってかなり悲惨な状況になっていく。そして近年ではODA予算の縮小に伴ってプロジェクト運営の効率化が進められている。確かに無駄な予算や供与機材を削るのは必要な措置だと考えるが、必要な人材を減らしたりプロジェクト期間を短縮することによる効率化は、良い人間関係の確立と相反する部分が多いと感じている。

またプロジェクトの評価にしても成果や結果ばかりを重視し、プロジェクトに携わった個々の人間の努力等についてはほとんど無視されているように思う。それゆえプロジェクトの終了に向けては特に結果第一的なあせりが出てくる。カウンターパートの仕事ぶりが遅いと日本人専門家がひとりで仕事を進めてとにかく結果を出す、といったつじつま合わせが横行することになるのだ。評価ミッションが始まる前から終了時評価の筋書きはほぼ出来上がっているのが通常である。JICA専門家として赴任されるお偉い先生方の肩書きを汚さないためにも「失敗は赦されない」と豪語する人もいる。専門家の間で「JICAプロジェクトに失敗はない」と皮肉混じりに言われるのはこのためか。

例えば、ラボのあるセクションで年間1000検体の診断を行っていたのがプロジェクト期間中に3000検体に増えた、と言えばプロジェクトの大きな成果として認められる。ところが3000検体の診断をするために検査員が手を抜き始めたとしたら、それはむしろ悪い変化といえる。逆に同じ1000検体をこなすのであっても、プロジェクト期間中に検査員の技術が向上し、検査結果が質的に向上したとしたら非常に喜ばしいことなのだが、プロジェクトの成果としては質の向上をなかなか量的な評価として記載できない。

専門家はもとより、相手国側のスタッフに至っては個人的な能力に大きな差があり、誰がその活動の担当者になるのかによって仕事の進み具合が大きく違ってくる。そういう個人の能力を無視した形でプロジェクトの評価をしようとしているのであるから、専門家がそのゆがみを何とか修正しようとするあまりにつじつま合わせをしなくてはならなくなるわけだろう。またこれはプロジェクトが予定通りの成果を上げられなかった場合、その責任の矛先が専門家ばかりに向けられ、プロジェクトが終わってしまえば相手国政府には何の責任も問われないという仕組みによるところも大きいだろう。多くの場合、有償資金協力(資金返還の義務がある)によるプロジェクトの方が無償資金協力によるプロジェクトよりもコンスタントに大きな成果を上げているが、これは相手国側のスタッフがより真剣になるためであろう。無償資金協力によるJICAプロジェクトにおいても相手国政府の責任を明確にして、それを果たせなかった場合には供与機材の代金を支払う等、何らかのペナルティーを課すようなシステムに変えていかない限り、なかなか日本側と相手国側の温度差は縮まらないのではないか。特にプロジェクト期間の短縮や効率化を進めていく今後においてはなおさらだろう。

これまで長い期間JICAプロジェクトに関わってきた。当然の事ながら良い成果を上げた活動と、そううまくは事が運ばなかった部分がある。しかし最終的には全てがうまくいったという「しゃんしゃん手拍子」的な評価に落ち着けてしまい、問題点をはっきりと指摘しないままに終えてしまう事が何とも日本的、公務員的で納得できなかった。また、もう少し続けられれば格段に成果が上がるだろうと感じていながら、時間切れでプロジェクトが終わってしまうのもいただけない。結果に白黒をつけてしまうのではなく、成果の上がった部分、上がらなかった部分を明確にし、問題点を指摘することによって初めてプロジェクトを行った意味があったと言えるのではないだろうか。そしてそれを次につなげていく息の長さを求められているのだと思う。(2002 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記、「ベトナム国立獣医研究所強化計画」プロジェクト 元短期専門家)

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