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レーニン公園の隣、つまり僕が泊まっているホテルの真ん前にサーカス小屋がある。小屋といっても結構立派な建物で、なんでもボリショイサーカスの流派を引き継いでいるとか。チケットはひとり約80円。開演10分前に入場したのにも関わらず、お客さんが数えるほどしかいない。しかし開演時間を過ぎた頃から少しずつと席が埋まり始め、ショーは20分ほど遅れて始まった。オープニングには出場者全員が登場し、まるでフィナーレの様に数少ない観客に向かって愛嬌を振りまく。出演者の華々しさとは裏腹に、客席には寒々しい空気が漂っており、これからの展開に一抹の不安を覚えた。

最初の出し物は空中アクロバットだった。こんなのは自分も初めて見たのでなかなか面白かったのだが、その日のショーのメインがこのアクロバットだったという事実に、全てが終わった後で初めて気がついた。この最初にして最後のメイン・ステージが終わったあたりから、ぞろぞろと学生の団体が到着し、あれよあれよという間に客席は埋まっていった。しかし彼らは中学生から高校生の子供たちなので落ち着かないこと甚だしく、まわりの騒音に敏感で育ちのよい僕などは、なかなかサーカスに集中できなくなってきた。最も集中して見るほどのサーカスではないという意見も当然ある。

それ以降、このざわわざわわとサトウキビのように揺れ動く子供たちに合わせたのか、動物の曲芸とピエロ的な出し物が多くなった。途中、歌謡ショーまで始まってしまい、妖しいお姉さんが歌い始めた。ユーミンは「シャングリラ」と銘打ったコンサートでサーカスをバックに歌ったが、ここベトナムのサーカスではサーカスの合間にベトナム演歌を唄うわけだ。その歌謡ショーの後は象の曲芸。座った席が背面だったので、象はみんなでかい尻を僕らの方に向けていた。失礼な奴らだ。そして再び同じ様な出し物が続き、またまた妖しいお姉さんのナンバー2が歌う段取りとなった。が、何故か突然にキャンセルされてサーカスは尻切れトンボで終わりとなってしまった。

ハノイにはオペラ・ハウスもある。もちろんミラノのスカラ座や、パリのオペラ座、ブエノス・アイレスのテアトロ・コロンのようなわけにはいかないが、これはこれでなかなか立派である。1911年、フランス統治時代に建設されたホールで客席は900席のみ、こぢんまりしているが内装は豪華で洒落ている。この劇場の名前はベトナム語で「大いに歌う家」ということだ。このオペラ・ハウスへオーケストラのコンサートを見に出かけた。出演はハノイ・フィルハーモニック・オーケストラとフランス人のハビエル・リストという名前の指揮者、それにベトナム人のバイオリニスト。演奏は少々スリリングな部分もあったが崩れそうで崩れず、なかなかまとまっていて楽しめた。横浜交響楽団よりは明らかにレベルが上であろう。

最後の演目であるラヴェルのボレロが終わってから、一旦ステージの袖へ引っ込んだ指揮者が聴衆の拍手に応えて呼び戻され、指揮台に上がって再び挨拶をする。どのコンサートでもおなじみの光景だ。しかしここハノイでは少し異なる。指揮者が指揮台に上がった直後、何とホールが停電になって真っ暗に。拍手は鳴りやまず、その暗闇の中を指揮者が2度3度とステージへ現れたが、とうとう電気は戻らずじまい。仕方なくあきらめた団員が席を立って楽屋に帰り始めたところで、ようやく電気がついた。しかしその時には既に拍手が鳴りやみ、客が帰り始めていたのでアンコールはなし。ベトナムらしいオチが付いたコンサートになった。

サーカス、オペラハウスと観覧したので、あとは水上人形劇に足を運べばハノイの3大エンターテイメントは征服である。水上人形劇は少なくとも千年以上も続いているきたベトナム特有の芸能らしい。紅河デルタの農民が、氾濫した川を舞台にみたてて通常の人形劇を行ったのが起源であるという。当時の農民はいちじくの木を削り、自分たち自身や身近な動物たち、そして神話に登場するような龍、不死鳥、一角獣などを作って劇に使っていた。このように、単なる村人の余暇を楽しむ一演芸として始められた水上人形劇は、11世紀から14世紀にかけて正式な品格のあるエンターテイメントへと昇華していったといわれる。しかし時が経つにつれ、その当時確立された芸術様式はほとんど失われていってしまったという。近年になってハノイ市営の水中人形劇場が開設されることになり、この芸能への感心が再燃することになった。

場所はホアン・キエム湖に浮かぶお寺近くの一角、旧市街の南東のはずれに劇場が建っている。ステージは腰くらいの深さに水が張られた四角いプールで、その左手、一段高いところに楽団が陣取っている。この楽団による音楽が水上人形劇の雰囲気作りに重要な役割を担っていた。使われているのは横笛、ゴング、太鼓、竹製の木琴、中国の胡弓の様な一弦の弦楽器、等々。音楽自体は中国の響きに近いが、効果音やかけ声などもふんだんに盛り込まれており、人形の動きと一体化している。人形は大きいもので50センチくらいの長さ、15キロ程の重さがあるという。その人形には長いポールが取りつけられており、舞台奥に取りつけられた竹製スクリーンの奥で10人の人形師達が水に浸かりながら操作をしている。複雑な動きをする人形には3本のポールや舵まで取りつけられているものもあるそうだ。操作法はもちろん秘密に保たれている。昔は父から息子へのみ受け継がれ、他の村へ嫁ぐ可能性のある娘へは伝授されなかったらしい。

さて、肝心の演目はというと、いくつもの短いセグメントに分かれており、そのひとつひとつがおとぎ話であったり、農村ライフの一コマであったり、王朝の行列であったり、伝説であったりと盛りだくさん。テンポが小気味よく、水中での花火あり、猫に追っかけられて椰子の木に登るネズミがいたりと、観客をあきさせない。例えば、農民が種を撒き、稲が生長して収穫するまでの様子は早送りの映画を見るようだ。漁師と獲物である魚との戦いもコミカルで面白い。魚の動きなどは人形とは思えぬほど生き活きしている。トラとアヒルの一群との追っかけっこ、船に揺られて前後に身体が波打つ人々の様子、水牛の背中の上で笛を吹く少年の姿も印象的だ。

この劇場が隣接するホアン・キエム湖にはひとつの伝説がある。16世紀半ば、天は当時のリ・タイ・トー(レ・ロイ)皇帝に魔法の剣を与え、皇帝はその剣の力によって中国によるベトナムへの侵略を一掃することができた。その戦の後、皇帝がホアン・キエム湖で船遊びに興じていると一匹の巨大な黄金の亀が現れ、その剣をくわえて湖の中へ消えたという。ホアン・キエムとは「返された剣」という意味だ。この伝説も人形劇で演じられる演目のひとつになっている。ちなみに現在、湖の中の小島に佇むンゴック・ソン寺には本物かどうかは定かでないが、甲羅の長さが1.5メートルくらいありそうな亀の剥製が置いてある。その近くの壁には湖に現れた大亀の写真も貼ってあり、一応日付はつい数年前のものだった。

話を水上人形劇に戻そう。ショーは天使達の舞で締めくくられる。劇を見に出かける前に職場の同僚から「ラストシーンで天使が空へ舞い上がり、感動すること間違いなし」と聞いていたので、いったいこの人形がどうやって舞い上がるのだろうかと楽しみにしていた。しかし実際には天使の群れがあっちへ行っては両手をパタパタ、こっちへ来ては両手をパタパタするだけ、最後はスクリーンの中に消えていった。これで空へ舞い上がる様子を演出していたのだろう。実際に空中へ浮かび上がると思っていたので、ちょっと肩をすかされた思いのうちにショーは終わった。

人形達が水の中から姿を現したり消えたりする様子には魔法がかった魅力があり、水の舞台がこんなに演出効果満点とは僕にとって新しい発見であった。最後に10人の人形使い達がスクリーンの後ろから現れて観客の喝采を浴びた。それまでに見慣れていた人形と比べて人間の何と大きいことか、と、変なところで感心したりもする。彼らは少なくとも3年の修行を経て一人前の人形師になれるという。決して暖かくもきれいでもない水中での操作で、恒常的な水系感染にも悩まされるのだそうだ。うーん、芸の道は厳しいのである。

ハノイの低い曇り空にもお日様がのぞくようになってきた頃、オペラ・ハウスで行われたスプリングコンサートへと足を運んだ。オーケストラのコンサートだと思って出かけたのだが、劇場内に入ってみると幕が下りている。その前のステージ上にはオーケストラのためのイスや譜面台が並んでおらず、嫌な予感が頭をよぎった。

しかし程なくして幕が開いてみるとオーケストラと合唱団が既に並んでかしこまっているではないか。若干、胸をなで下ろしたのも束の間、すぐにコンサートが始まって目が点になった。何と銀ラメのタキシードに銀のシルクハットをかぶったオペラ・ハウス・ダンサーズが現れ、オーケストラの前でウェルカム・ダンスを始めたのだ。一瞬ここはバンコクのカリプソ・ショー(バンコクでは有名なオカマ・ショー)ではないかと錯覚し、頭がくらくらした。隣には僕が「オーケストラのコンサートがある」と言ってお誘いしたプロジェクトのリーダーご夫妻が座っている。「あーあ、これで面目丸つぶれ」という感じだ。更に悪いことにはバンコクのカリプソショーの方がもっと面白いのだから救いようがない。というわけで開幕と同時に打ちのめされて、大きな絶望感を抱えながらコンサートは進んでいった。

次にお出ましの歌手はまるでチャーリーズ・エンジェルのロケを休んでアメリカから駆けつけて来たような女性3人組。違いといえばアオザイを着ていることくらいであった。もちろんそのアオザイにはスパンコールが散りばめられており、目が釘付けになるどころか目に釘を打たれたようなインパクトの瞬間を経験する。その後にも次々と現れる歌手やダンサー達、特に男性のソロ歌手は仕事帰りのさえないサラリーマンといった出で立ちで、オーケストラとの不一致度は閾値を超えていた。後ろに並んでいた合唱団の女性陣の衣装もアオザイだったのだが、その色は人それぞれでカラー・コーディネートという概念を全く無視しており、嫌でも視界に入るために気になって仕方がなかった。

最後の演目はオッフェンバック作曲のパリを舞台にした喜歌劇からの一幕。ソロ歌手が7人(うち5人はソロで歌わなかった)も現れ、その前ではダンサーズがフレンチ・カンカン張りの踊りを披露するという力の入れよう。ソロ歌手の中で本当にソロのパートを歌っていたのは男女2人だけだ。女性はフランス社交界で落ち目の貴婦人といった感じ(西洋風扇子持参)。男性の方は、バブル期にあった高級ディスコのドアボーイ風衣装に身を固めており、右斜め前方から見た姿は完璧だった。恐るべしベトナムの歌謡ショー、いやスプリングコンサート。ベトナム人に幸多かれと願わずにはいられないひとときであった。

しかしこのまま日本へ帰るわけにはいかないと、復活戦よろしくプロジェクト・リーダーご夫妻と再度オペラ・ハウスへコンサートに出かけた。今回はベトナム国立交響楽団である。ベトナム国立なのだからハノイ・フィルハーモニックよりも優秀なはずである。しかも交響楽団のコンサートなのであるから、スパンコールを散りばめた踊り子は出演しないはずである。指揮者はホンナ・テツジという名前の日本人であった。東京芸大で井上道義さんに師事。現在では日本室内オーケストラの主席指揮者を努め、ハンガリー国立フィルハーモニックやプラハ放送交響楽団などに客演したことがあるとプログラムに書いてあった。まあ、これならば大丈夫だろうと少し気持ちが落ち着いた。

さて一曲目は芥川也寸志さんのバレエ組曲「蜘蛛の糸」。父親である芥川龍之介さんの小説を題材にした作品である。舞台横上方にあるバルコニー席に陣取ったベトナム人俳優によるナレーション入りと芸が細かい。6つの小品に分かれている曲だが、最初の曲を聴いてホッと胸をなで下ろした。思った通りさすが国立だけあり、いつ音がはずれるかとドキドキするようなこともなく安心して聞いていられる。この曲自体、とても響きの美しい作品であった。お次はベトナム人の作曲家によるチェロ協奏曲だ。ソリストはこの交響楽団の首席奏者。テクニックのことはよくわからないが、いまひとつチェロの響きが悪くてソロがオーケストラに負けていた。

そしてメインがチャイコフスキーの5番。交響曲といえばブラームスの1番とチャイコフスキーの4番、5番が僕は好きだ。特にこの5番は全楽章で同じモチーフが使われるという、かなり珍しい形をとっているだけに、なおさら興味深い交響曲である。そしてその夜の演奏は僕の期待を裏切らない迫力のある、かつ繊細な音を響かせていた。これで何も思い残すことなく日本へ帰れるというものだ。 (2002 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記、「ベトナム国立獣医研究所強化計画」プロジェクト 元短期専門家)

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