イヌ肉を食べる・・・
2001年の暮れ、誕生日+クリスマスイヴということでラボのスタッフを20人くらい食事に招待した。なかなかハノイにしては素敵なレストランを予約してくれ、色々と誕生日のプレゼントまで準備していただき気分は上々。しかしこのパーティーの席上、何も考えずに場つなぎ的に放った「ベトナムではイヌを食べるんだよねえ」という自分の言葉で、翌日は心に残るクリスマスとなった。
というわけで戌年生まれの自分がいる。それが自分の失言からイヌを食べることになってしまうとは。時は2001年12月25日のお昼、所はハノイ市内の某イヌ料理屋。昨日のパーティーに来た人の半分くらいに研究所の大御所を迎えてタクシーでいざ出陣。そこはレストランとは呼びたくもない店構え、入り口の脇にはうちわをあおいで肉を焼いている人がいる。中に入るとプーンとすえた犬の匂いが店の中の至る所に染みついていた。入って左側、ゴザがひいてある上がり場で車座になり、まず日本の甘酒のような白い濁り酒を飲み始める。ねとっと喉にまとわりついて、これじゃあ食が進むわけないと早くもネガティブな気分をつのらせる。
最初に運ばれてきたのは蒸したか茹でたかした肉を薄くスライスした料理。特に肉自体に臭みは感じなかったが、それをつけて食べるタレがものすごい異臭を発していた。どうもオキアミを発酵させたものらしく、日本の塩辛をもっと臭くした感じだ。塩辛でさえ食べられない僕にとっては、まさに吐き気を押さえながら食べることになる。ベトナム人のホスピタリティーからわざわざその肉をタレにどっぷりつけて僕の皿に取ってくれたりするので、泣きたい気持ちを抑えながらの笑顔作りに気の遠くなる思いだった。まだまだ始まったばかり、先は長い。
さてお次はイヌの腸に米と豆を詰めてカラッと揚げた料理だ。これは予想に反して臭いもなく美味であり、口直しも手伝ってか箸が随分とすすんだ。まわりの同僚達に僕がイヌ肉料理を楽しんでいると見せつける絶好の機会。この後何が供されるか予想もつかないので、不本意ではあるが食べられる時に沢山食べておかなければならない。そしてスープが運ばれてきたのだが、これにはビジュアル的に参ってしまった。まず、僕に取ってくれたのは上腕骨ウィズ筋肉。皮がむかれただけの生々しい犬の腕が僕のスープボールの中に入っている。スープを少しすすってみるとこれは薄味でなかなかいける。が、しかしその腕をつかんで肉をかじろうとすると、「ああ、自分は今、犬の腕を食べようとしているんだ」という思いと生きてるイヌの腕のイメージが頭に浮かんできて吐き気がこみ上げてきた。
しかし、それも何とかクリアーしてもう怖いものなどないと思ったのも束の間、僕がそのスープを気に入ったのだと隣に座っていたニンさんが思い込み、もうひとかけらの肉を取ってくれた。それは何ともかわいらしいイヌの手だった。爪がついたままのプクプクしたイヌの手が僕のスープボールの中に鎮座している。ふと隣を見ると細菌学研究室の副室長ニエンさんが尻尾をかじっているではないか。またしても意識がフッと遠くなるのをぐっと踏ん張って呼び戻し、意を決してイヌの手にかぶりついた。ゼラチン質の肉球をカミカミしてベトナム風濁り酒で流し込んだ。
次に運ばれてきた串焼きバーベキューはなかなかおいしくいただけたが、それは単に比較の問題だったのだろう。僕らが飲み会の最後にお茶漬けを食べるように、そうめんの様な麺にあのくさいオキアミのタレをつけて食べている人もいた。僕の限界はその時点で既に超えており、そうめんどころの騒ぎではない。その後の事はよく覚えていないのだが、何度か濁り酒で一気飲みをさせられた後に無罪放免になったようだ。
それからが本当のイヌのたたりの始まりだった。研究所に戻ってからすぐに吐き気をもよおし、まず2時間ほどの間にトイレで3回吐いて初戦を終える。午後4時頃まで職場で我慢をしていたのだが、とても耐えきれなくなり早退を宣言してホテルに帰還。部屋に着いてすぐにベッドに潜り込んだ。目が覚めると外は既に真っ暗。これでもう大丈夫だろうと思ったのも束の間、フラッシュバックのようにあの目に焼き付いた映像と臭いがよみがえり、またもトイレへ直行する。ニオイのフラッシュバックというのは初めての体験だった。それも一度では治まらない。一時間おきくらいにやってきてはトイレに駆け込む。そのうちに吐くものがなくなり、夜半には胃が絞られる痛みだけが増してきた。最終的にはくたびれ果てて眠りについたのだが、吐いているときはこれがこの先一生続くのではないかというトラウマに襲われた。
幸いなことに翌朝、目が覚めるとそのフラッシュバックもなくなっており、体調ももとに戻っていた。どうもこの嘔吐はイヌ肉のせいではなく(もちろんビジュアル的には刺激が強かったのだが)、それをつけて食べたあのオキアミを発酵させたタレのせいだろうと思っている。とにかくものすごい臭いなのだがベトナムではかなりポピュラーなタレらしく、その後も何度か食事の席でお目にかかった。もちろん僕は残りのベトナム滞在中、絶対に口にはしなかった。
これがイヌ肉第一回目の経験談である。その後、更に4回も食べに連れて行かれることとなる。だいたい月に一回のペースである。もちろん回を重ねるごとに随分と慣れてはきたのだが、それでもうまいと思って食べていたわけではない。しかしまわりの同僚は僕がイヌ肉が大好きだと最後まで思っていたようだ。以下は日記からの抜粋である。
1月25日(金)朝、霧雨のち曇り。イヌ肉2回目。昼にまたイヌを食べに連れて行かれた。とにかく店のニオイが気になって仕方がなかったが、例のタレにはつけず酒もビールにしたので何とか切り抜けた。店の奥でイヌが鳴いていたがまさかここで殺して肉にするわけではあるまい。少なくともレストランで出しているわけだから、それなりの検査を通っていなければいけないはずだが。そういえば鶏やアヒルは各食堂で殺していたから、食肉検査などは受けていないのだろう。
2月7日(木)曇り。イヌ肉3回目。免疫学教室の忘年会でまたしても昼はイヌ肉へ連れて行かれた。イヌ肉の食べ納めらしく、ものすごい混みようにビックリ。それでも今回はあのニオイさえあまり気にならなかった。今日は手の代わりに尻尾をボールに入れられたが、さすがに全部は食べられず。
3月1日(金)曇り。イヌ肉4回目。今日はテト正月後、イヌ肉食べ初めの日とかでまたまた連れて行かれた。つまりテト正月から今日まで店は閉められていたわけだ。そのせいか店に染みついていたイヌのニオイもいつもほど強くはなくて楽だった。もう4度目なので身体がかなり慣れてきたらしく、沢山食べても一向に何ともなくなったのが我ながら恐ろしい。
5月7日(火)晴れのち曇り、夕方から雨がパラつく+カミナリ。イヌ肉5回目。今日は最後のイヌ肉に連れて行かれた。
とまあ、回を追うごとに平気になっていくのがわかる。このイヌ肉、何も言わずに出されたら絶対にわからないだろう。ニオイから言えば山羊肉の方が余程くさい。ある動物の肉を食べる、食べないという習慣は、宗教や生活のスタイルから生まれてくるものだろう。イスラム教徒が豚を食べないとか、ヒンドゥー教徒が牛を食べないのがいい例だ。ウルグアイ人にとっては彼らの良き伴侶である馬を食べる何ていうことはとんでもない話である。
日本にはもともと魚以外の動物を食べる習慣がなかった分、何でも受け入れてきたのではないかと思う。イヌも例外ではないだろう。僕が「イヌを食べた」と友達に向けて発信したところ、特に東北地方に住んでいる人たちから「昔、食べたことがある」という返事が舞い込んできた。美味しい順は一白、二赤、三ブチ(斑)であり、食べると体が温まることから子供の寝小便の特効薬だったそうだ。
イヌ肉料理用の犬はベトナム原産の小型犬で、養殖されているという。レストランでは既に処理された肉を仕入れ、焼いたり煮込んだりして料理をするというので少し安心した。もちろんベトナム人にもこのイヌ肉が苦手な人は多く、研究所にも食べないという人は沢山いた。僕がここに書くまでもなくベトナム料理には他にも沢山おいしい料理があるのだから、何も好きこのんで犬を食べなくても良いと思うのだが。 (2002年 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記、「ベトナム国立獣医研究所強化計画」プロジェクト 元短期専門家)
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