マリを歩く ーー> ニジェール川 内陸デルタ編、その 2

      昼寝をしてから 4 時前に外へ出ると、ホテルの入り口でガイドに声をかけられた。毎日、ツーリストを食いものにしようと意気込む多くの自称ガイドに声をかけられるのだが、その人は感じが良かったので無視することもできず、少し話してみることにした。ジェネ郊外の村を観光しないか、と言う。ガイドブックの情報から、ジェネの北にセノッサとシリムーという 2 つの村があることを知っていた。ちょっと行ってみたいな、と思っていたこともあり、話をしているうちに値段次第では行ってみようかという気持ちになってきた。値段を交渉し、落ち着いた金額は 40 ドル。これが安いのだか高いのだかわからないが、まあ 40 ドルをケチって後悔するのも嫌だなと思い、行くことにした。バイクに二人乗りをして (JICA に知られたら怒られそうだ)、まずペウル族の村であるセノッサへ向かう。
      セノッサ村はジェネの北、およそ 4 km に位置し、6,000 人の村人が暮らしている。ペウル族はもともと遊牧民であったが、干ばつが続いてやむなく定住するようになったらしい。村の周りには平原が広がっていた。雨季には水で囲まれ、それを利用して米を作っているという。なかなか広い村で、モスクも 2 つある。村内の広場に子供たちがおり、空き缶をドラム代わりに村のダンスを踊ってくれた。ドゴンのエンデ村で夜見せてもらったような踊りだった。

食事の準備をする少女達 (セノッサ村)


富の象徴であるイヤリングをする女性 (セノッサ村)

村の中 (セノッサ村)


モスク (セノッサ村)

村に伝わる踊りを披露する子供たち (セノッサ村)


村の穀物倉 (セノッサ村)

      次に訪れたのはシリムー村で、ジェネの西 7 km ほどのところにある。ここはボゾ族の村である。村の周りには堀があり、水で囲まれた要塞のようになっていた。雨季にはもっと水かさが増すのだろう。バニ川沿いに船で行くこともできるらしい。というか、雨季には船でしか行けないのかもしれない。我々はバイクを乗り捨て、渡し船で村へと入った。この村の主産業は漁業だという。昨日、ジェネのマーケットで魚を売っていたのは、ここの村の人たちだったのかもしれない。魚をいぶして燻製にしている女性がいた。こんなに近い 2 つの村なのに産業が違うというのも面白い。ちょうど村を出るときに日が沈んでいき、モスクのシルエットが美しく映えていた。筆者が対岸に戻った頃、馬車で来たイタリア人のツーリストたちがちょうど到着した。さっきのセノッサ村でも見かけた人たちだ。これから村に入ってもすぐに暗くなってしまうだろう。10 人を超える団体客なので、動きが鈍い。馬車もいいが、日が落ちるのが早いこの時間にのんびりしていたら、せっかくのチャンスが無駄になる。こういうときに「ひとりで歩くのはいいなあ」とつくづく感じてしまう。ジェネへ戻ったときにはすでに薄暗くなっていた。

収穫した米を脱穀する (セノッサ村)


シリムー村へ入るため、これから渡し船に乗る。

シリムー村への渡し船に乗っていた男の子


モスク (シリムー村)

村の中 (シリムー村)


モスクをバックに沈む夕日 (シリムー村)

12 月 31 日 (水) モプティ
      大晦日。7 時前には乗り合いタクシーの乗り場へ。7 時半に出発。来たときと同じピックアップトラックであったが、人数が少なかったので乗り心地はまだましだった。しかしこれがとんでもない車で、エンジンとギアの調子が悪く、スピードが出ない。途中で後発のバンにも抜かれてしまった。全く運が悪い。モプティ着は 11 時半になったので、4 時間もかかってしまった。前と同じホテルにチェックインし、昼飯を食べ、ビールを飲み、ひと休みしてから町へ出かけた。
      モプティはもともと小さな漁村であったが、現在ではマリ中部の商業の中心都市として栄えている。ジェネの重要性が徐々に衰退してきた 19 世紀あたりからモプティが台頭し始め、貿易中継基地としてのジェネの機能をそっくり取って代わるようになった。モプティもジェネ同様、内陸デルタ内のいくつかの島の上に建てられた町であるが、今日では幹線道路沿いの町セヴァレへ延びる土手が建設され、陸路で簡単に行き来ができるようになった。港に浮かぶ船ピローグにはいろいろな装飾が施され、そのカラフルさと手描き感がアフリカらしくていい。

モプティ港


モプティ港

船には幾何学的な模様が描かれていた。(モプティ港)


食べ物を売る少年たち (モプティ港)

      マリではドルの両替にさんざん悩まされた。ユーロが外貨として最も強く安定しており、それ以外はどこでも敬遠される。ドルなどはレートが相当悪く、しかも銀行でさえ替えてくれないところが多い。モプティでも両替にさんざん苦労させられた。大晦日だということもあり、銀行は閉まっているところが多かった。キャッシング・コーナーでカードが使えるというので行ってみたら、日本の VISA カードは受け付けてくれない。こういうときに限ってイギリスの銀行が発行したカードを持って来ていないときている。さんざんあちこち苦労して聞き回ったあげくに、ようやく一件両替商を見つけてドルを両替してもらった。もちろんレートは良くないが仕方がない。最初にバマコに着いたとき、空港の両替所で「ここはレートがいいからもっと交換しておいた方がいいよ」と言われたが、「そんなわけないだろう、このひどいレートで」と言い返したのを思い出した。確かにあのときのレートがマリ旅行中で一番良かったのだ。
      モプティは商業の中心地だけあり、町は活気にあふれていた。特に港の周辺が面白い。ゴミが多くて引いてしまうところはあるが、通り沿いには小さなヴェンダーが建ち並び、多くの人でにぎわっている。川を挟んだ向かい側にも人が暮らしている様子をうかがえる。ここでもガキどもが「写真を撮れ」とうるさいくらいに寄ってくるので、かわいい子だけを選んでカメラのメモリーに納めた。

対岸の村


ヤマハのバイクを洗う少年 (モプティ港)

モプティのモスク


空手のポーズを取る少年たち (モプティ)
マリを歩く」
ドゴン | ニジェール・デルタ | ティンブクトゥ | Image Lab.

2009 年 2 月 長期専門家 柏崎 佳人 記
"マリ"のスライドショーをダウンロードする。(File Name: Mali.mov)