マリを歩く ーー> ティンブクトゥ、その 1 |
1 月 1 日 (木) モプティからティンブクトゥへ (グルマ地方の地図を見る)
元旦だというのにそのことに全く気づかなかった。7 時前にホテルのレセプションへ。昨日、ティンブクトゥまでの車を予約し、今朝ホテルまで迎えに来ることになっていた。誰が一緒に行くのだろうかと待っていたら、ドイツ人女性の二人組が現れ、おもむろに日本語で挨拶された。2 人とも日本に 5 年間も住んでいたことがあるそうだ。普通に日本語で会話ができる。それはいいとして、彼女たちのひとりが今朝から熱っぽいらしく、マラリアを心配しているという。ティンブクトゥまで行ってしまうともしもの場合、治療ができるかどうか心配なので行くかどうか決めかねており、30 分くらい待ってもらえないかと言う。自分としてはひとりで車一台分の料金を支払うのももったいないので、当然のことながら待つことになり、その間、もうひとりの女性と話をした。二人とも大学の研究員みたいな形で東京に住んでいたらしい。四国八十八カ所のお遍路をするほど日本が大好きになったという。ドイツ語のガイドブックの執筆を頼まれ、今年の春には再び日本へ。担当は沖縄と中部地方で、楽しみにしているとのこと。その後は旅行会社のコンダクターとして就職が決まっており、日本へのツアーを担当することになっている。というわけで、今後とも日本とは縁が切れそうもない 2 人組なのである。
さてもうひとりの具合は 30 分休んでもさほど良くはならなかった。しかし、次にいつこの値段でティンブクトゥまで行かれるかどうかわからないから、と行くことに決めてくれ、自分としてもホッとして胸をなで下ろした。車は幹線道路沿いに走り、約 2 時間でドゥエンツァに到着した。ここからは土漠の中をひたすら北上することになる。走り始めてすぐに雄大な岩山の脇を通り、それをやり過ごすとあとはひたすら乾燥した平原が続く。10 頭、20 頭ものロバを引き連れて何かを運んでいる人がかなりいたのには驚いた。牛の群れも現れた。道なき道を行くのかと思いきや、全くそういうことはなく、間違えようもないほどにはっきりと道としての体裁を整えていた。対向車の数もそれなりに多い。まとまって現れるのは、フェリーで川を渡るせいだろう。そのひとつの集団が、ひとつのフェリーで川を渡った車なのだ。
中間地点であるバンバラ・マウンデを過ぎるとすぐに湖が現れた。ここらあたりの湖は季節によって現れたり消えたりするらしい。その一帯を抜けると再び平原が続く。車の力が衰えスピードが落ちてきたと感じていたら、ドライバーが車を止め、何やらパーツを換えだした。大丈夫なんだろうか。エンジンに燃料を送るポンプを交換している。荒っぽいその手つきを見ていると不安になるが、しかし部品を持ってきているということは、前からその調子が悪く、問題を十分に認識しているのだろうとポジティブに考えた。車は再び前の力を取り戻して軽快に走り始め、少しホッとしてウトウトと眠り込んでしまった。気がつくと水に囲まれた道の上におり、程なくしてフェリー乗り場に到着した。この時、2 時過ぎになっていたので、かれこれ 7 時間近くかかったことになる。具合の悪かった女性はまだあまり良くならないとのことなので、日本のシオヤ歯科でもらってきた痛み止めを渡した。日本の処方医薬用の小さな白い袋を見て、少し笑顔を見せた。 |
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羊の看板 (ドゥエンツァ) |
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ドゥエンツァ近郊の岩山 |
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ティンブクトゥまで 95 km (バンバラ・マウンデ) |
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ティンブクトゥへの途上で |
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薪を積んで帰ってきた少年 (フェリー乗り場) |
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薪を積んで帰ってきた少年 (フェリー乗り場) |
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それにしても風光明媚な良いところである。水はきれいだし、すべてが穏やかであり、何ともいえずいい感じの景色である。川という感じがしない。かといってナイルやラ・プラタみたいな大河とも全く違う。乾燥地帯を流れているせいだろうか。どこかシリアで見たアサド湖の景色に似ているかもしれない。日差しは厳しく空気は暑いが、景色はサクッとしている。しばらく写真を撮りながらフェリーを待った。この水の中に突き出た桟橋にはトゥグレグ族のテントが並んでいた。観光客相手に商売をしているのだろうか。ローシーズンにはどこか別のところへ行くのかもしれない。フェリーはジェネで使っていたのと同じスタイルである。YAMAHA のエンジンで動かしていた。水の上を滑るように移動していく。対岸まではかなり遠く、30 分以上もかかってコリウメに到着。バマコからジェネ、ティンブクトゥを通ってガオまで運行されている客船が着く、ティンブクトゥへの玄関口である。
コリウメからティンブクトゥへは数キロの道のりで、予約は入れていなかったが泊まろうと決めていたホテルまで車で送ってもらった。するとそのホテルの近くをうろついているひとりの白人女性が目にとまった。あの大きなケツはドゴンで一緒だった 3 人組のひとりである。車がホテルに着くと彼女も気がついて寄ってきた。やっぱりこのホテルに泊まっているという。自分は同乗者のドイツ人女性 2 人に挨拶をし、そのホテルにチェックインした。
その晩は新年の初日であったし、また数日ぶりの再会を祝して彼女たち 3 人組と一緒に食事をした。まず最初の話題はいかにティンブクトゥでは物価が高いかということ。ドゴンでさえ大瓶が 1000 フランしかしなかったビールが、ここでは小瓶で 1500 フラン (約 4 ドル) もする。暴利をむさぼっており、おちおちと気軽にビールさえ飲めなくなってしまった。夕飯も何のことはない食事が 1000 円以上する。この町にいる間、財布が空になるまで所持金を搾り取られそうな、巨大な罠にはまってしまったような錯覚を味わった。彼女たちは明日の早朝、船 (ピローグ) に乗ってモプティまで行くという。車で 8 時間の行程が、船だと 2 泊 3 日もかかるそうだ。しかし船の上での移動はさぞかしリラックスした空気に包まれているのだろうと、少しうらやましくもあった。 |
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フェリー乗り場にて |
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フェリー乗り場近くにて暮らすトゥグレグ族のテント |
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ニジェール川を渡るフェリー乗り場 |
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ニジェール川を渡るフェリー |
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フェリー上からフェリー乗り場を見る。 |
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フェリー上にて |
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1 月 2 日 (金) ティンブクトゥ
この町の歴史は 12 世紀にまでさかのぼる。主として貿易の中継地として発展し、 16 世紀にその黄金時代を迎えた。しかしそれ以降は徐々に衰退し、現在では観光が主要な産業となっている。町は砂漠の縁に位置し、北もしくは西方向へ歩いて行くと砂漠にぶつかる。 朝、暑くならないうちにホテルを出て砂漠へ向かった。すると砂漠の中に澄んだ水を満々と湛えた貯水池が目に入った。町の水源なのだろうが、いったい水はどこからひいてきているのだろう。その一角に記念碑のようなものが建てられており、そこにはリビアの国旗が踊っていた。リビアも砂漠の国なので、こういった灌漑施設はお手のものなのかもしれない。それにしても最近はウガンダでもリビアによる援助が目立つ。ここ 1 年の間にカダフィ大佐が 2 度もウガンダを訪れている。石油マネーがわんさか余っているのだろう。アフリカでのプレゼンスを高めるための援助をどんどん進めているのかもしれない。話を元へ戻そう。この貯水池からは水路が南の方向へ延びていた。ニジェール川の方向である。川からここまでの数キロをこの水路でつないでいるのだ。単に砂を掘り下げただけの水路であるが、護岸工事などを施していない分、周りの景色に違和感なくとけ込んでいた。
砂漠から町中に入り、ホテルへ戻る途中、高校生くらいの集団に出くわした。その中のひとりのアホが自分に近寄り、ワケのわからないフランス語で筆者をからかい始めたので、思いっきり顔をはたいてやった。この町のガキは本当にタチが悪い。小学生くらいのガキの集団にも同じようなことをされ、すっかり印象が悪くなってしまった。ドゴンやジェネでは「ハポネ (日本人)」と言われることが多かったが、ここではほとんどの場合「シノワ (中国人)」だ。 |
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リビアが飲用・灌漑用に造った水路 |
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リビアが飲用・灌漑用に造った水路 |
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帰るまでに十分なだけの両替はモプティで終えたと思っていたのだが、この町の物価の高さを全く考慮していなかったので、足りなくなりそうな気配になってきた。しかし今日は元旦である。ティンブクトゥも休日だ。銀行は開いていない。仕方なくホテルのフロントで「両替できるか」と聞いてみたところ、「1 ドル 300 フランだ」と言う。とんでもない話だ。空港で 425 フラン、その他の町ではどこでも 400 フランだった。300 フランということは 25 % も低いレートである。「これはありえない」と切り返すと、平然とした顔をして「ここでは 300 フランだ」と言う。ふざけている。旅行者を食いものにして成り立っているような町なのだろう。
部屋でひと休みしてから再び町へ出た。マーケットを中心に歩き、ある店でパンとジュースを買った。その店の主人は実直そうでしかも英語が少しできる。店の中を見ると輸入品が多く飾られている。こういう店では品物を輸入するためにドルを必要とするのではないかと思い、「このあたりでドルを交換できるところはあるか」と聞くと、案の定「俺がしてやる」という返事がかえってきた。レートは 375 フランだ。ちょっと安いが、ホテルで言われた 300 フランよりはずっといい。ここで残る日々をそこそこに過ごせる分だけ両替してもらい、ひと安心した。このおじさんのおかげで少しティンブクトゥの好感度がアップした。ホテルへ戻って「375 フランで替えてきた」と言い放ったのは言うまでもない。 |
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ティンブクトゥのマーケット |
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ジンガレイベル・モスク |
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フーズボールが人気の娯楽らしい。 |
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おしゃれな女の子 |
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午後に入ってから再び町に出た。旧市街を歩いていても全く面白くない。汚いし、これといって見るべきものもない。壊れている家が多いし、モスクさえ全く見栄えがしない。よくもまあこれで世界遺産になれたものだ。ゴミは多いし、小便くさい。夕方になってからは町に見切りをつけ、再び砂漠に歩を進めた。町の近くはゴミが多くて興醒めしたが、砂漠に入り込むにつれてトゥグレグ族のテントが目につき始め、そこで暮らす人々の様子を少しだけ垣間見ることができた。夕日があたりをオレンジ色に染め、砂丘で黄昏れる男たちの姿が哀愁を誘っていた。ティンブクトゥは町の雰囲気を期待して来るところではないらしい。砂漠を感じたい人のための玄関口なのだと思った。 |
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町外れの砂漠に住むトゥグレグ族 |
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砂丘で黄昏れる人たち |
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「マリを歩く」ティンブクトゥ、その 2 を読む
ドゴン | ニジェール・デルタ | ティンブクトゥ | Image Lab. |
2009 年 2 月 長期専門家 柏崎 佳人 記 |
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