マリを歩く ーー> ドゴン編、その 1

      子供の頃のアフリカのイメージと言えば野生動物一色だった。大きくなったらアフリカに行って思う存分動物園にいるような野生動物をみたいと夢見ていた。しかし人間、年を取ればそれなりに成長し学習するらしく、十把一絡げに大陸としてのイメージしかなかったアフリカにも様々な国が存在することを知るようになった。アラブ世界である北アフリカは除くとして、いわゆるサハラ以南、暗黒大陸の中で自分がいつか訪れたいと思うようになった国が 3 つある。エチオピア、マダガスカル、そしてマリだ。エチオピアについては既に 5 年前に出かけ、旅行記も書いているのでそれを一読願いたい。マダガスカルは動植物相が特異的であり、あの島でしか見られない生物が数多く存在するためである。マリはといえば、あの世界最大の泥建築であるモスクを一目見たいと思ったからだ。夢に見ていた野生動物は、特にアフリカのある特定の国でしか見られないわけではないし、ここウガンダでもその醍醐味を味わえるわけで、それを目的として「ここだ」という国を思い浮かべられなくなったということ。人間は成長するのである。
      かといって、既にいい年のおじさんである筆者がひとりで旅行をするというのも億劫で仕方がなかった。しかし、今行っておかないと次にいつ行けそうな機会が訪れるかわからないという気持ちと、行けば行ったできっと「良かった」と思うに違いない、という気持ちに押され、後戻りできないように航空券を購入してしまった。実際、自分は 10 年ごとの節目節目に心に残る旅行をしてきた。20 才の時に初めてのひとり旅で八重山を訪れ、以来、その時お世話になった民宿へは未だに通い続けている。30 才になったときは、第一回「世界青年の船」に乗り、東京から南米まで 2 ヶ月半の船旅を経験した。40 才になったときは、その船で一緒だったコスタリカ人の友達と二人で、ウルグアイ、アルゼンチン、チリ、ボリビアを車で周遊。そして昨年末に 50 才を迎えた。だから何か思い出に残ることをしておきたかったという意気込みも自分の中にあった。
      マリのビザを取得するためまずガーナへ飛び、彼の地で専門家をしている友人宅に 4 泊ほどお世話になった。マリのビザはあっけないほど簡単に取得でき、2008 年のクリスマスと 50 才の誕生日をおじさん二人で過ごした後、26 日のエアー・ブルキナ便でマリの首都バマコへ飛んだ。エアー・ブルキナ便はおそろしく時間に正確で、ガーナを飛び立つときも、中継地であるブルキナ・ファソを飛び立つときも、スケジュールの時間ピッタリに空港を離陸した。バマコには夕方に到着し、空港から町へ向かう道の途上にあるホテルへチェックインした。


12 月 27 日 (土) (ドゴン地方の地図を見る)
      バマコ観光はせず、朝早くホテルを出て空港へ向かう。朝 7 時発の国内線でモプティという町へ飛ぶためだ。ここはバマコに次ぐ商業都市であり、観光地であるジェネやドゴン地方への玄関口となっている。マリの国内便は予想の通りプロペラ機だった。飛行機はほぼ定刻に出発。西アフリカの航空会社はどこも時間に正確なのだろうか。前回の一時帰国時に関空で日本航空に 3 時間も待たせられた。見習って欲しいものである。飛行機はニジェール川沿いを低空で飛行していたので、空からずっと大地の様子を目にすることができた。モプティ近郊ではより低空になり、町の様子が手に取るようにわかった。チェックインした荷物の中にカメラを入れてしまったことを後悔するも遅し。
      ここからドゴン観光の基地であるバンディアガラへ行くには、できれば直接行ってしまった方が早い。奮発してタクシーで行くか、と空港で値段を聞くと、1 万 5 千円とか 1 万 円とか言う。恐らく1 時間程度の距離であろうからこれは高いのではないかと考え、幹線道路まで歩いて出ることにした。ガイドブックには 1 キロ程度だと書いてある。歩いていると土産物売りの兄ちゃんが寄ってきた。空港で到着した客をカモにしようと待ち受けていたのだが、誰も引っかからなかったのだろう。なかなか気の良さそうな兄ちゃんだったが、いかんせんフランス語しか話さないので言葉が通じない。しかしそばを離れようとはしなかった。幹線道路に出てからその兄ちゃんに身振り手振りでバンディアガラへ行きたいんだと伝えると、ここでタクシーを捕まえてやると言う。しばらくすると本当にタクシーが通りかかり、その兄ちゃんが停めてしまった。ここで再び値段の交渉が始まり、5 千円というところで落ち着いた。兄ちゃんにチップをはずみ、おんぼろの車でバンディアガラへと向かう。運転手は 10 キロごとに車を停め、ラジエーターに水を入れる。漏れているのだろうか。まあとにかく走りさえしてくれればいいという気持ちで窓外の景色に目を走らせていた。
      やっぱり 1 時間ほどで町に到着した。まあ今日はここでゆっくりして、明日からのドゴン観光のアレンジをしようかと考え、町で一番いいホテルにタクシーを乗り付けた。ところがホテルは満室。レセプションのちょっと勘違い的に気取った女性から「うちみたいないいホテルにこの時期、予約なしで泊まれるわけがないだろ、アホ」というような冷たい視線を浴びせられつつホテルを後にし、別のホテルを見て回った。ところが空室のあるホテルはウガンダの田舎よりも状態がひどく、ちょっと気の利いたホテルは満室である。仕方なく今日からドゴンに出かけてしまおうとガイド事務所へ行くと、ガイドの元締めみたいな奴がいてこれからすぐに出かけられると言う。これがなかなか若い兄ちゃんで、胡散臭い軽さと信頼できそうな精悍さが微妙にブレンドした雰囲気を醸し出していた。1 泊 2 日のトレッキングに、ガイド代、宿泊、食事、車代、すべて込みで 1 万 6 千円。またしても高いんだか安いんだかわからず。ちょっと値切ってみたが全く譲らず、まあ仕方ないかと O.K. し、出かけることになった。白人の女の子 3 人のグループと一緒だというので、英語のできる専属のガイドをひとりつけてもらうことにした。

穀物倉 (手前) とアニミズム (精霊信仰) のための建物 (ジギボンボ)

女性用穀物倉の内部 (ジギボンボ)

調味料としてタマネギをつぶしているところ (ジギボンボ)。

つぶしたタマネギを丸めて干す (ジギボンボ)。

姉妹 (ジギボンボ)

井戸で水くみ (カニ・コンボーレ)

      ドゴン地方には、西南から東北にかけ約 70 キロにわたって断崖が続き、その崖に沿ってドゴン族の村が点在している。その昔、最初に崖の中に住み始めたのはテレムと呼ばれるピグミー族であり、彼らは狩猟を生活の糧としていた。崖の岩の上に家を造り、死者はその上の洞窟に埋葬し、当時は森に覆われていた大地で野生動物を捕らえ、生活を営んでいた。そこに入り込んできたのがドゴン族である。彼らは野生動物を恐れ、テレム同様、崖の中腹に住み始めた。また農耕民族であったため、森を開拓して農地に代えていった。それによって野生動物が減り、温厚な狩猟民族であったテレムは追われるようにこの地を去ることになる。その後も、イスラム教徒であるペウル人の侵略を恐れてドゴンは断崖に住み続けていたが、フランスがマリを征服し人々を統治した 20 世紀の初めになって、ドゴンの人々も崖を降り現在の平原に住むようになったという。
      我々一行は、ガーナでボランティアをしているオーストラリア人の女の子 2 人とカナダ人の女の子 1 人の 3 人組、ガイドのボスであるマボ (あの値段交渉をした相手)、もう一人のガイドであるオスマン、それに自分である。バンディアガラからドゴン断崖の最南端に位置する村、カニ・コンボーレとその隣のテリーまでは車で行くという。ちょっと古めのディスカバリーに乗り込み、ドゴンへと向かった。マリでは乾燥地が多いせいだろうか、農地がきれいに区画されており、その中は手入れが行き届いて青々と茂る緑が目に鮮やかだ。途中、断崖上の高原に広がるジギボンボ村に寄った後、崖沿いの道を車で降りていく。予想に反して舗装されており、観光客の多さを物語っていた。
      ジギボンボ村にはイスラム教とキリスト教と精霊信仰 (アニミズム) が混在する。それぞれの信仰のために村内にはモスクと教会があり、精霊を信仰する家には独特の建物がある (写真上)。積み上げた石の柱の上に木枠と藁葺きの屋根をのせた男たちの集会所も各宗教ごとにあった。特に目についたのは穀物倉であり、藁を編んだとんがり帽子の屋根がのっている。換気のためだろうか木を組み合わせた枠の上に建てられていた。男用の倉と女用の倉というのがあり、前者は後者よりも大きく、収穫された穀物が保管されている。後者にはすぐに料理できるような食材や料理器具が保管されている。次に訪れたカニ・コンボーレには村の中心に池があり、泥を固めたブロックを作っていた。そのほとりになかなか洒落たモスクが建ち、小さいながらも村のシンボルとして輝いていた。村の背後の断崖にはかつての居住跡が見える。次のテリー村まで再び車で移動し、ようやく昼食の時間となった。テリー村には観光客の四駆が沢山駐まっていた。キャンプメントと呼ばれる宿泊施設の中に入ると白人がわんさか休憩しており、ちょっとたじろぐ程であった。

モスク (ジギボンボ)

モスク (カニ・コンボーレ)

土を水で練った泥を固めて乾燥させブロックを作り、それを積み上げて建物を造る。(カニ・コンボーレ)

モスク (カニ・コンボーレ)

男の子にバオバブの実をみせてもらう。ほんのり甘い砂糖菓子のような食感だった。(カニ・コンボーレ)

実をつけるバオバブの木 (カニ・コンボーレ)

      昼食の時にガーナでボランティアをしている女性 3 人組と色々な話をした。3 人ともガーナ北部在住だが、任地は異なる。職場は学校関係。オーストラリア人 2 人のうちのひとりは、昨年末あたりから 3 ヶ月間ほど横浜のインターナショナル・スクールで働いていたらしい。ニセコへスキーに行き、寿司はあんきもと穴子が好物だと言っていた。どうも欧米人の若い女性は苦手なのだが、この 3 人組はさすが生活環境の悪い途上国でボランティアをしているだけあり、浮ついたところのないしっかりした若者たちだった。
      日中はさすがに暑い。昼食後、しばらく休憩を取り、3 時過ぎあたりから崖の中腹にある古い住居跡を案内してもらった。雨風をしのげるようにちょうど崖の奥まったところに建ち並んでいる。ひとつの家族は複数の住居と穀物倉を持っていたようで (ひとつにひと部屋しかないのだから当然か)、その中の一番上に家長が住んでいたと聞いた。「家長は色々とひとりですることがあった」とガイドが言っていたが、当時ひとりでしなければならないこととはいったい何だったのだろう。ピグミーの家はドゴンの家の半分もない程小さい。ミツバチを集めるための壺も崖沿いに並んでいた。後ろを見下ろすと乾燥した大地に点々と緑が浮いている。その昔、ここは森林で多くの野生動物が棲んでいたらしいが、今ではその面影すらない。

バオバブの木の後ろ、崖の中腹に昔の住居跡が残る。(テリ)

昔の村から現在の村を見下ろす。(テリ)

家長は家族の中で一番高い場所に部屋を持っていた。(テリ)

一番上の小さい家にはピグミーが住んでいたという。(テリ)

      テリーからエンデへは徒歩での移動となった。しかし荷物は牛が運んでくれたので、散歩に毛が生えたようなものである。贅沢を言えば、道が砂地だったため多少歩きづらかったことか。ここらあたりはバオバブの木が多く、写真を撮るためにも徒歩が最適であった。バオバブといっても多くの種類があるらしい。マリのバオバブはかの有名なマダガスカルのバオバブとは種類が違い、普通の木とマダガスカル・バオバブとのあいのこのようなルックスである。その木の太い枝に乾草が積んであるのをよく見かけた。乾季用の家畜の飼料で、こうやって保管しているのだそうだ。地面に積み上げておくと乾季になる前に食べられてしまうらしい。そういえばここの人たちは家畜を使役動物としてよく使っている。特にロバと牛は運搬用の動力源として大活躍している。どうしてこういった知恵がウガンダ人にはないのか本当に不思議だ。
      エンデ村に入るとマスクをかぶった男達の行列が村の中を練り歩いていた。ちょうど年に一度のマスク・ダンス・フェスティバルが始まったところだった。しばらく見物しているとあっけなく終わってしまったので、我々はキャンプメントと呼ばれる宿泊施設に入った。予想に反してなかなか設備の整ったところで、シャワーもトイレもある。しかも水洗だ。部屋には蚊帳つきのベッドが置いてあり、鍵がかかる。星を見ながら屋根で寝ることもできるが、夜はかなり寒そうだ。レストランには冷えたビールもあった。そういえば土産物を売る店も多く、日本の藍染めに似た色合いの布も売っていた。観光はきっとこの村の重要な収入源になっているのだろう。いやこの村ばかりではない、ドゴン地方全体が観光に依存し始めているのかもしれない。こうなってくると、彼らの文化が観光のためのものとして形骸化し、もともと冠婚葬祭や宗教的な行事のためであった踊りでさえ、ショーとして金を稼ぐ手段になっていく可能性がある。それが悪いこととは一概に言えないが、精神的な部分がどんどん忘れ去られていくとすれば、それは残念なことである。責任のある観光というのは難しいものだ。
      その日の晩、食事の後でその村に伝わる踊りを見た。ドラム隊 10 人ほどに踊り子が 10 人ほど。ガイドのマボが我々のためにアレンジしてくれたショーである。メロディーのない、種類の異なるドラムだけで複雑なリズムを刻み、ちょっと他では見られないようなエネルギッシュな踊りを次々と繰り出す。ビヨークが見たらきっと喜んでステージに取り入れそうだ。これが本来の目的で踊られるときのものと異なるとは思わないし、これはこれで大いに楽しめたが、それでもやっぱりショーとしてこういうパフォーマンスを見せるようになったことが彼らにとって良いことなのかどうか。見せるために生まれた日本舞踊やフラメンコなどとはやはり違うものであるような気がする。

乾季に与える家畜用の乾草は木の上に保管する。(テリ)

年に一度のマスク・ダンス・フェスティバル (エンデ)

村の行事などで踊るダンスを観光客に披露する。 (エンデ)

子供たちも若者達と同じように踊る。(エンデ)

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2009 年 1 月 長期専門家 柏崎 佳人 記
"マリ"のスライドショーをダウンロードする。(File Name: Mali.mov)