Mt. Elgon National ParkDay 1 & 2

      エルゴン山を登ることになった。河内専門家 (ケニア OV) が隊員時代に一度挑戦したのだが、天候不順のため泣く泣く途中であきらめたことがあり、そのリベンジを目論みシニア・ボランティア (SV) の前原さんを誘ったのが始まり。パーティーを組むにあたりシニア世代で固めようということになり、筆者にも声がかかったというわけである。メンバーは他に日本語教師の SV 青木先生と協力隊員最年長の久芳さんを加え、計 5 人である。

2 月 21 日 (土) (マウント・エルゴン国立公園の地図を見る)
      当日朝、筆者がカンパラ組の青木先生と河内さんをひろいムバレへと向かった。昼前にはムバレに到着し、まずはムバレ病院内の前原宅へ向かう。同じくムバレ組である久芳さんもちょうど到着したところ。メンバーがそろい、まずは予算計画をたて、買い物リストを作り、それから町へ買い物に出かけた。河内さんはなかなかの買い物好きらしく、色々とこだわりがあって大量に買い込んだ。荷物はポーターが運んでくれるので、ひもじい思いをするよりは少し多めの方がいいだろうという算段か。買い物を終えてから昼食を済ませ、タクシーでブダディリというエルゴン登山のベースとなる町へ向かった。ムバレから 1 時間ほどである。ここに UWA (Uganda Wildlife Authority) の事務所があり、入山手続きと支払いを済ませることになる。ガイド料込みの入山料、ポーターの労賃、テントや寝袋、マットの賃貸料などだ。色々と書き込む書類が多く、この手続きだけで 1 時間以上かかってしまった。
      ブダディリには 2 軒のゲストハウスがあり、我々は "Last Chance" という宿に泊まった。ここを仕切っている女性が良く気のつく感じの良い人で、ベーシックな設備ながらも居心地の良い時間を過ごすことができる。野菜中心ながら食事がおいしく、ナイルを飲みながら夜 10 時半ころまで JICA の悪口に花を咲かせていた。ベッドのリネンなども清潔で電気がつき、寒い思いをすることは全くなかった。


登山前日、ナイル・ビールで壮行会


ブダディリのゲストハウス「ラスト・チャンス」


出発の朝、ラスト・チャンスで

ブマソラ村の目抜き通り

左から SV の前原さん、青木先生、専門家の河内さん

長期隊員の久芳さん (左) とガイドのフランシス (中央)

出発前に記念撮影 (後ろに並んだ 5 人がポーター)

こんな感じで歩きはじめた。


2 月 22 日 (日) (マウント・エルゴン国立公園の地図を見る)
      快晴。ゲストハウスで朝食を済ませ、車に荷物を積み込んでブマソラという村へ向かう。ポーター達が暮らす登山道の入り口である。30 分くらいで到着。ポーターは全部で 5 人なので、我々ひとりずつにポーターがひとりつくという計算だ。大量の食料や料理道具、寝袋やテントなど、どのようにして運ぶのかと思っていたら、リュックなど背負えるものは背負い、残りはズタ袋に入れて頭で担ぐとのこと。タフでなくては務まらない。
      記念撮影を終え、9 時過ぎにいよいよ出発。快晴なので暑い。どこまで行っても民家があり、ほとんどの土地は耕されている。こんな高地に住んでいると行き来だけでも大変だろうと思うのだが、すれ違う人達は慣れたものでスッスッと追い越していく。そこここに牛がつながれている。下界のムバレあたりとは異なり、外来種の血が混ざっているホルスタイン模様の牛が多い。寒冷地仕様のホルスタインに向いている気候なのかもしれない。子供達が「ジャンボ、ジャンボ」とスワヒリ語で挨拶を返してくるのも下界とは違うところだ。

子供たちに見送られる。

天気が良く、すぐに暑くなってきた。


村の小学校の校庭で

このクリフを登るのがつらい。


国立公園内に入る前の最後の村で


見送ってくれた男の子

最後の村を後にする。


ここまではまだ畑が続く。


      人々が暮らす最後の村を後にしてしばらく登ると、切り立った崖に行き当たり、手すりのついた登山道が見えてきた。ここから国立公園に入るらしい。まずはこのムダンゲ・クリフを登って一気に高度をかせがなくてはならない。2 週間前に打ちつけた右膝の腱が今頃になって腫れてきており、力を入れて踏ん張ったり曲げたりすると痛む。が、そんな弱音を吐いても仕方がないので、前を見ないように下を向いて踏ん張った。時間にすればたかだか 30 分くらいだろうか。何とかクリフを登り終え、休憩になったところで腹ごしらえをする。ポーター達は大きな荷物を頭に担ぎつつ、この急で足場の悪い坂道を登り、平気な顔をしている。年の差があるとはいえ、日本人との身体能力の違いは歴然としている。かつて過酷な奴隷船の中で生き延びてきた人たちがアメリカ黒人の祖先だから、アメリカ黒人には優秀なアスリートが多い、という話もまんざら嘘ではないかもしれない。
      その後、ダラダラとした上り坂が続く。この急な崖登りでいつもはあまり使わない筋肉を使ったためだろう、青木先生の太ももが痙り気味になってしまい、こまめに休憩を取りながら第一キャンプであるササ・リバー・キャンプへと向かった。筋肉はいったん痙りだすと、癖のようになってなかなか元には戻らないため厄介だ。

ここから国立公園内、まずムダンゲ・クリフを登る。


クリフを登り切り、バテ気味の青木先生


下界には隅から隅まで耕地が広がっていた。


休憩中、何か説明をしている久芳さん


青木先生の太ももが痙り気味になり、久芳さんの指導でストレッチをする。


今日のキャンプ地、ササ・リバー・キャンプを目指す。


キャンプ脇を流れる小川


ササ・リバー・キャンプ


      午後 2 時頃にササ・リバー・キャンプ到着。その名前の通りきれいな小川が近くを流れており、火照った頭を冷たい水で洗う。写真の小屋は、薄着でしかも寝袋のないポーター達が暖を取り、眠る場所だ。彼らは到着するとすぐに薪を集めに出かけ、小屋の中で燃やし始めた。高地だと沸点が低くて野菜などは煮えにくいというのが常識だが、彼らが燃やす焚き火は火力が強く、湯がすぐ沸くし大きな野菜も肉もやわらかく料理されていた。夕飯のメニューは牛肉がたんまりと入ったシチューにポショ。ポーター達にもふるまい、気前の良いところを見せる。この日、登頂を終えて下山してきたスイス人とイギリス人の若者 2 人組とキャンプでいっしょになり、夜は焚き火を囲んで 9 時頃まで話をしていた。青木、前原、久芳の 3 人と、河内、筆者の 2 人に分かれて就寝。

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2009 年 3 月 長期専門家 柏崎 佳人 撮影・記
"エルゴン登山"のスライドショーをダウンロードする。(File Name: MtElgonNP.mov)