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ニパウイルスに取り組む・・・

新興感染症と呼ばれる病気がある。英語ではEmerging Disease、直訳すると「新しく出現した病気」ということになろうか。古いところではエイズやエボラ出血熱がそうだ。もちろん牛海綿状脳症(BSE)もそれに含まれる。そして新しいところでは重症急性呼吸器症候群(SARS)が世界中に広がる勢いを見せている。日本ではあまり報道されなかったが、その他にもこのたぐいの感染症が数年おきに発生している。1994年にはオーストラリアで、そして1998年にはマレイシアで未知のウイルスが突然出現し、数多くの動物や人が感染するという事態になった。その後、オーストラリアで発生したウイルスはヘンドラ、そしてマレイシアで分離されたウイルスはニパと名付けられ、同じパラミクソウイルスというグループに属する近似のウイルスであることがわかった。

以下、ヘンドラウイルスとニパウイルスに関する発生時の状況を、東京大学の山内一也名誉教授が報告された霊長類フォーラム:人獣共通感染症(第80回)ヘンドラウイルスとニパウイルス、(第97回)ニパウイルス感染、(第102回)ニパウイルスの自然宿主と第2回エマージング感染症国際シンポジウム の中から抜粋してここに記す。

http://www.shiga-med.ac.jp/~hqanimal/zoonosis/zoonosis80.html
http://www.shiga-med.ac.jp/~hqanimal/zoonosis/zoonosis97.html
http://www.shiga-med.ac.jp/~hqanimal/zoonosis/zoonosis102.html

1994年9月にオーストラリア、ブリスベーンの郊外ヘンドラにあるサラブレッド競走馬の廐舎でその新しいウイルスは出現した。合計14頭の馬が死亡し,人は2名が発病してそのうち1名が死亡した。9月5日、キャノン・ヒルの飼育場から2頭の馬がヘンドラ廐舎に運ばれてきた。2日後の7日、そのうちの1頭が死亡したのが始まりである。それから2週間前後の間にさらに12頭の馬が死亡した。9月14日には廐務員が発病,翌15日にも調教師が発病した。廐務員は回復したが調教師は死亡した。このほかにキャノン・ヒルの飼育場で9月11日頃に1頭が死亡し,疫学的所見からこの馬も死亡例に組み込まれた。また他に発病した7頭は回復した。結果として21頭の馬が発病して14頭が死亡(致死率67%),人では2名が発病し1名が死亡したことになる。主な症状は馬と人のいずれも出血性肺炎であった。

1995年9月にクィーンズランド州北部のマッケイでサトウキビを栽培する農夫がブリスベーンの病院に入院し,2週間後の9月に急性進行性脳炎で死亡した。髄液と脳からヘンドラウイルスの遺伝子が検出された。この患者は獣医師である彼の妻の牧場で1994年8月1日と8月12日に死亡した2頭の馬の解剖を手伝っていた。この際に手袋,マスク,保護めがねなどは用いていなかった。その当時、患者はのどの痛み、頭痛、眠気、吐き気、頸のこりなどの症状を訴え、髄膜炎という仮の診断が下されていた。この際の血清を調べてみると低いながらもヘンドラウイルスに対する抗体が検出されたため、この患者はヘンドラウイルス感染による髄膜炎にかかって一度回復したものと判断された。何らかの原因で感染が再発して死亡したのであろう。

感染源を特定するために哺乳類、爬虫類、両生類、鳥類を含む46種類の動物から総計5550の血清を採取し検査したが結果はすべて陰性であった。この病気の2回の発生が、ヘンドラとマッケイという800km離れた2つの地域で、1カ月という短い期間に起きていた事実からすると,両地域間を移動しうるか,または両地域に生息する野生動物が宿主ではないかと考えられた。両地域に生息する既知の哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類のリストのうち、最も可能性が高い候補動物としてオオコウモリと渡り鳥が浮かんできた。普通、パラミクソウイルス科に属するウイルスの伝播は鳥から哺乳類へは起こらないので,哺乳類であるオオコウモリが重点的に調べられた。

その結果,4種類のオオコウモリすべてにヘンドラウイルス抗体が検出された。その後の調査でウイルス抗体陽性のオオコウモリは、中北部オーストラリアのダーウィンから南部オーストラリアのメルボルンにかけて広く存在していることが明らかになっている。ウイルスそのものは双生児の胎児を流産したハイガシラオオコウモリの子宮液から分離された。このウイルスは、発症した動物から分離されたヘンドラウイルスとまったく同じであったことより、オオコウモリが自然宿主であると結論された。

そしてそのオーストラリアでの発生から4年後、今度はマレイシアで脳炎症状をともなう感染症の流行が起こった。多数の人の死亡に加えて100万頭近い豚の殺処分を引き起こしたこのニパウイルス感染は、これまでにない新しい様相を示した人獣共通感染症である。このウイルスは先のヘンドラウイルスと同じグループに属するものであり、オーストラリアにおけるヘンドラウイルスに関する研究の蓄積がニパウイルス感染対策に大きく貢献した。

1998年9月にマレイシア、ペラ州イポ市の近辺で脳炎患者が発生し、翌年2月初めまでの間に15名が死亡した。患者は主として成人男性で、いずれも豚との接触歴があった。マレーシア保健省とWHO日本脳炎協力センターである長崎大学熱帯病研究所の調査で、この発生は日本脳炎感染によるものと診断され、豚舎への殺虫剤の散布や多くの人への不活化日本脳炎ワクチンの接種が行われた。第2の集団発生は1998年12月から1999年1月にかけて、ヌグリ・スンビラン州のシカマトの近くで起きた。つづいて第3の大発生が同じヌグリ・スンビラン州のブーキットペランダクで1998年12月に起きた。その他にもセランゴール州で2名の患者が出た。

当初、これらの患者も日本脳炎と診断されたが、疫学的所見は日本脳炎以外のウイルス感染を疑わせるものであった。すなわち、日本脳炎は主として子供に発生するのだが、今回の発生では成人が発病していること。豚と密接に接触する人でのみ発病していること。日本脳炎ウイルスは蚊で媒介されるにもかかわらず、同じ家庭内でも豚との接触のない人では発病がみられないこと。日本脳炎ワクチンの接種を受けた人でも発病していること、などである。

3月1日にマラヤ大学にセレンバン病院から患者の血清と髄液が届けられ、直ちにウイルス分離が試みられた。種々の細胞に材料が接種され、そのうちヴェロ細胞で接種5日目にシンシチウム形成が認められてウイルスが分離された。電子顕微鏡では160ー300nmの多形性粒子が見いだされた。このウイルスは、日本脳炎ウイルスをはじめ試験した数種のウイルスとは血清学的に異なることが明らかになった。

マレイシアの研究者がサンプルをCDCに持参してウイルス・リケッチア病部門で調べた結果、4年前にオーストラリアで突如発生したヘンドラウイルス抗体と反応することがわかり、ヘンドラ様ウイルスによる感染であることが明らかになった。ウイルスの分離から遺伝子解析による同定までの期間は17日間であった。このウイルスは分離材料が採取されたクアラルンプール新空港近くのスンガイ・ニパ村の名前をとり、4月上旬にニパウイルスと命名された。

その後、5月初めにWHOは流行の終息を発表した。それまでの入院患者数は265名で、死亡者数は105名。従って致死率は約40%ときわめて高くなるが、この数字には入院せずに軽い症状で回復した症例や抗体のみ陽性の無症状感染は含まれていないため、実際の致死率はもう少し低くなるものと推測される。この他、3月中旬にシンガポールのある屠畜場の従業員で9名の脳炎と2名の肺炎患者が見いだされ、ヘンドラウイルスに対する抗体が検出された。このうち1名が死亡し、この患者から分離したウイルスのDNA解析の結果から、ニパウイルス感染によることが確認された。これらの患者はマレーシアから輸入した豚を取り扱った人たちである。

人におけるニパウイルス感染の症状は脳炎が主体であって、呼吸器が冒されることは稀である。オーストラリアのヘンドラウイルス感染では、発症した3名中2人が出血性肺炎症状を示し、1名にだけ髄膜脳炎が見られ、この点でニパウイルスとは異なった。 潜伏期は多くの場合、4ー18日である。主な症状は3ー14日間にわたる高熱と頭痛、次いで眠気、方向感覚の喪失が起こり、重症例では感染から3ー30日後に昏睡に陥り死亡する。呼吸器症状はわずかの症例で見られた。人から人への伝播は稀であり、患者の看護や治療にあたった看護婦や医師、解剖を行った病理研究者に発病した人はいない。

豚では急性の気管支肺炎が主な症状である。離乳豚では呼吸困難、荒々しい咳、 開口呼吸などが主な症状で、時に間代性痙攣、筋肉れん縮、後肢の衰弱などの神経症状を伴う。成豚では40度に達する急性の発熱、開口呼吸、唾液分泌過多、鼻汁(時に血液を 含む)の症状を呈し、雌豚では流産の可能性もある。頭を押しつけたり、柵を咬んだりする豚も多い。

爆発的な咳が1マイルも離れたところでも聞こえるということから、one mile cough または barking cough syndrome という病名もつけられている。豚での致死率はあまり高くなく通常は2ー3%、時に5%程度である。しかし感染率は高く、95%の豚が抗体陽性の養豚場も見いだされている。豚以外の動物としては犬、猫、馬で感染が確認されている。犬では2つの汚染地域で計92頭中43頭でニパウイルス抗体が検出された。犬での症状は眼からの分泌を伴うジステンパー様のもので、主な病変は腎臓、肺、気管に見られている。猫ではこれまでに23匹が調べられ1匹が抗体陽性であった。イポの汚染養豚場近くのポロ競技場では、馬47頭中2頭に高いニパウイルス抗体が見いだされ、外見上、健康であったが殺処分された。その他に調べた1400頭の競走馬は抗体陰性であった。

ヘンドラウイルスの宿主がオオコウモリであったことから、ニパウイルスの場合にも同様のことが予測された。Australian Animal Health Laboratory は1999年4月から1ヶ月あまりにかけてオオコウモリ8種、食虫コウモリ6種の総計324匹から血清を採取して検査を行った。その結果、オオコウモリ4種で抗体が検出されたが、食虫コウモリからは検出されなかった。その後、オオコウモリの尿からウイルスが分離され、ヘンドラウイルスの場合と同様にオオコウモリが宿主であることが確認された。最初に人の感染が見いだされたイポ周辺の養豚場の多くは、岩山が林立するかつての錫鉱山の跡地などに点在している。オオコウモリから豚への感染経路は不明であるが、養豚場周辺には果樹園が多く、そこに餌を求めて飛んでくるオオコウモリに豚が接触する機会はさまざまな形で考えられる。恐らくそのような際に豚への感染が起きたものと推測された。

豚の間での伝播は感染豚の体液などを介した経口感染またはエアロゾル感染によると考えられている。しかし、畜舎から畜舎への伝播はあまり起きていない。畜舎間での豚の移動や獣医師の診療といった動き、さらに1本の注射器による日本脳炎ワクチンの多数の豚への接種など、人的要因が豚の間での大きな広がりに拍車をかけたものと考えられている。マールブルグ病、ラッサ熱、エボラ出血熱など、これまでの新興感染症はすべて野生動物宿主から直接人が感染している。ところがニパウイルスではまず豚に感染し、そこで増幅されたウイルスが人に感染した。家畜が介在することで、これまでとは異なる様相の人獣共通感染症とみなさなければならない。

マレーシアではこの20年間に養豚産業は急速に拡大し、ニパウイルス感染が大発生した3つの州には100万頭もの豚が飼育されていた。しかも当初は日本脳炎と思いこみ、ワクチン接種など色々な人的要因が多数の豚に感染を広げてしまった。迅速な診断とそれに伴う公衆衛生対策の必要性が如実に示されている。自然宿主であるオオコウモリはマレーシアに限ったものではない。オーストラリアではヘンドラウイルスの他にも、オオコウモリから人に致死的感染を起こす狂犬病関連ウイルス(リッサウイルス)や、ブタの流産とヒトに呼吸器感染を起こす疑いのあるメナングルウイルスという新しいウイルスが分離された。野生動物と現代社会の間に接点が生じると、未知のウイルスが出現する可能性にも留意しなければならないということだ。

この様な背景から、マレイシアのイポにある獣医学研究所で、日本の国際協力事業団(JICA)による研究協力「ニパウィルス」プロジェクトが2001年から実施されている。このプロジェクトでは特に動物におけるニパウイルスの研究調査を目的として始められ、僕は任期9ヶ月間の短期専門家として赴任することになった。担当するのは血清診断法の開発と、野生動物、特にコウモリにおける疫学調査である。(2003 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記、「動物におけるニパウイルス」研究協力プロジェクト 元短期専門家)

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