コウモリを捕まえる・・・
マレイシアに生息するオオコウモリは羽を広げると2メートル近くにもなる。当然このオオコウモリを対象に調査をしたいのだが、マレイシアでは保護動物になっているため勝手に捕獲することはできない。またここイポ近辺にはそのオオコウモリの生息地は無く、ドリアンなど果物の花が咲く頃に飛来するだけなのだそうだ。それならばここに生息する他のフルーツバットを調査しようじゃあないかということで、昨年初め頃から捕獲調査が始まった。
夕方、車にかすみ網とポールを積み込んでいざ出発。研究所を出てしばらく走るとKLへ向かう高速をまたぐ高架を渡る。その先から舗装道路をはずれてガタゴト道に入り、岩山が連なる方向へ向かって進んでいく。この岩山の中にコウモリの格好の棲み家となる洞穴が散在しているのである。しばらく車を走らせると左手にイスカンダルン・ポロ・クラブという名前の馬場が現れる。よく手入れされた芝が広がり、こんなところにもかつてイギリスの植民地であった頃の名残があるのかと感心させられる。ここで馬を走らせるにはきっと服装なども厳しくチェックされることだろう。何故かいつも馬はほんの数頭しか見あたらず、乗馬に興じている人の姿も目にしたことがない。
ポロ・クラブをすぎると道が狭まり、車2台がすれ違うのもやっと。最もめったに車などは走っておらず、たまにバイクとすれ違うくらいである。左手に大きな池を目にしながら車の揺れに体をまかせる。イポは錫の産地として知られ、かつて天然堀をしていた場所に水が溜まってできた池が数多くある。今では魚の養殖にでも使われているのだろうか、沢山の魚影が伺われる。右手には魚釣りにも水浴びにももってこいの川が流れており、その日本的な姿が目を涼ませてくれる。池を過ぎると岩山がすぐ近くに迫ってくるが、道路との間にはまだ果樹園が広がっている。岩山を見上げると50メートルくらいの高さのところに洞窟があり、そこまで心もとない古びた梯子がのびていく。コウモリの糞を採るために登っていくのだそうだ。肥料としては最高らしい。
そんな風景の中をゆっくりと車は進んでいく。途中でゲートがあり、その脇にはまさに掘っ建て小屋と呼ぶにふさわしいあばら屋が建っている。薄暗い中をのぞいてスタッフが声をかけると返事があり、初めて中に人がいるのだと気がついた。僕らが目指す場所はまだまだ遠い。向こうにふたつ見える岩山の中間あたりだ。このあたりから果樹園の中に豚屋さんが点在するようになる。ニパウイルスの発生が起こった場所だ。今ではもちろん豚は飼われておらず、昔の豚小屋は廃墟のまま放置されていたり、養鶏に取って代わられているところも多い。
それにしても不思議だ。豚はこの地で20年も30年も前から飼われ続けてきたのだ。それなのにどうして今頃になって病気が突然発生したのであろうか。しかも病気を蔓延させた張本人のオオコウモリは、このあたりには生息していないのである。毎年ドリアンの季節になると一時的に飛来するだけなのに。養豚業が長年に渡って少しずつ奥地へと前進していった間に、あの病気がいつ発生してもおかしくないような素地が出来上がっていったのだろうか。偶然に偶然が重なったのか、それとも必然性に富んだ偶然であったのか、1998年に思いもよらない惨事が発生してしまったわけである。
道は進むにつれてどんどん細くなり、最後には轍だけが頼りとなる。そして細い小さな清流を渡るとひとつの果樹園の中へと入り込み、ついにその轍も姿を消してしまう。ここが目的地だ。4輪駆動車なのでもう少し果樹園の奥まで潜り込んでから車を降りてネットを張る準備をする。日本のかすみ網はもともと小鳥を捕まえるために考案されたもの。それが今ではコウモリを捕まえるために広く世界中で利用されているらしい。僕らが使うかすみ網はタイ製で、縦3メートルに横10メートルくらいの大きさがある。ひとつ30リンギットなのでだいたい1000円くらいか。
ネットは研究所スタッフのザイニーとアジジーがてきぱきとセッティングをしてくれる。ランブータンの木が茂る果樹園の中の少しばかり開けた草地にポールを2本立て、その間にかすみ網を張っていく。だいたいかかりやすい場所は決まっているが、せっかく来たのだからと少し離れたところにもうひとつ網を仕掛ける。張り終わる頃には日暮れも近づいてくるため、そそくさと車に乗り込んでもと来た道を研究所へ向かう。大きな水の音に目を凝らして見ると、道の脇を流れる川の水が赤茶色に濁り、水かさもさっきとは比べものにならないほどに増している。この1時間ほどの間に上流で激しい雨でも降ったのだろうか。網を仕掛けた場所でこれから雨が降らないことを願うばかりだ。
研究所に帰り着いたのはだいたい7時頃だろうか。網にかかったコウモリを回収しに出かけるのは夜の10時過ぎなので、その間に夕食を済ませることになる。いつも出かけるのは近くにあるチェンパカという地区で、ここに屋台が軒を連ねるフード・コートがある。マレイシアの庶民の食堂、安くおいしく安心して食べられる場所である。普通、昼飯もここまで歩いて食べに来ているのだが、昼には開いていない屋台もある。そのうちのひとつがクレイ・ポット・チキンを出す店だ。かなり大きめの土鍋に入ったご飯の上に、醤油・みりん系のソースで甘酸っぱく味付けされた鶏肉がのっている。いつ鍋にに鶏肉を入れるのかは定かでないが、客が注文するとしばらく土鍋を火にかけてから運んでくる。
ふたを取るとそこには飴色に光る鶏肉がご飯をおおっており、口の中に唾液が湧き出してくるのがわかる。ぱらぱらと散りばめられた香菜の緑も美しい。視覚的にも嗅覚的にも申し分ない。これを別に用意してくれた皿へ取り分けて、いざ、がっつくことになる。ご飯にも適度にソースが染み込んでおり、いい色をしている。一緒に注文した青菜の炒め物もうまそうだ。きざみ唐辛子が沢山入った醤油をまぶし、鶏肉とご飯を混ぜて口へ運ぶと絶妙な至福の味が広がっていく。日本食でいえば焼き鳥のタレに近いだろうか。しかしあれほどくどくも甘くもなくて食が進む。タイでもベトナムでも感じたが、中国系の人たちの味に対するセンスは相当なものだなあと感心してしまう。青菜の炒め物も、さっぱりしていて歯ごたえがあって、後を引く味付けである。
夕食を終え、研究所に戻ってひと休みしていると、再びあの岩山へ出かける時間になる。今度は真っ暗闇の中を進んでいく。ポロ・クラブ近くの狭い路上を、何故か数頭の馬が歩いており、僕らも馬たちもお互いに驚きあう。ゲート横の小屋をのぞくとロウソクの灯りが見えたので、ザイニーがまた声をかけてから現場へと向かった。
その日は50匹獲ると息巻いていたのだが、かかったのはたった6匹。いつもよりも全く少ない。時期にもよるがたいてい20匹くらいはかかるだろう。いずれにしろ無駄にはできないのでリカバーすることにして準備を始めた。あたりは真っ暗なので明かりを確保しなければならない。車に積んできたジェネレーターとライトを降ろし、ネットの近くにセットする。これでようやく作業ができるようになる。網に捕らえられたコウモリは暴れるために、細いかすみ網の糸がほとんど修復不可能と思えるほどに絡みついている。僕らは動物に噛まれても大丈夫な防護用の手袋を左手にはめてコウモリをつかみ、右手にはピンセットを持って糸を外していく。これが根気のいる一番大変な作業だ。どうにもはずれない時にはあきらめて糸を切ってしまうことになる。
その日、捕獲したコウモリの中に子供を抱いた雌が一匹いた。子供はお母さんのオッパイに吸い付いて全く離れない。前にも書いたとおり、赤ん坊を抱いたまま飛ぶのは生後のほんの短い期間だけと本には書いてあったので、その子供も生まれたばかりだったのだろうか。それにしても大きな赤ん坊であった。コウモリの母親もつらいのである。明け方になると小鳥が活動し始めるため、余計な殺傷を避けようといつも夜のうちにネットは取り外すことにしていた。しかしその日はあまりにも捕獲した数が少なかったので、朝までかすみ網をセットしたままにしておくことにした。翌朝早く出かけてみると更に11匹がかかっていた。幸いなことに鳥の被害はなく、少しは罪悪感が薄らいだ。
さてこのコウモリたち、血液等の材料採取のために研究所で殺すことになる。中には妊娠中の雌もいたりして本当にかわいそうであるのだが、ニパウイルスという致死的な病気の調査のために犠牲になってもらっている。ちなみにこのイポ周辺で捕獲されるコウモリは2種類。コイヌカオフルーツコウモリとヨアケオオコウモリであった。これまで調べた100匹以上のコウモリはニパウイルスに対する抗体が陰性だったので、やはりこれからはオオコウモリを中心に調べていく必要がありそうだ。ちなみにこれらのコウモリから今までに報告されていない新しいウイルスが2種類も分離された。これらはもちろん人間に病原性のあるものではない。が、この事実は「野生動物が未知の病原体を持っている可能性はまだ十分にある」ということを示唆している。(2003年 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記、「動物におけるニパウイルス」研究協力プロジェクト 元短期専門家)
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