タイのクメール遺跡 その1ー カオ・プラ・ヴィハーン (Khao Phra Wihaan) |
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クメール遺跡のカオ・プラ・ヴィハーンは、タイのシーサケット県カンタララックよりほんの少しだけカンボジア国境を越えたところに位置している。事実上、カンボジア側から訪れることは困難であり、またクメール・ルージュによる戦闘がカンボジア国内で繰り広げられていた頃には、タイ側からでさえ立ち入り禁止となっていた。タイ、カンボジア両政府の1年間に渡る交渉の末、1991 年に遺跡は一般に公開されるようになったが、その後クメール・ルージュに対する攻撃が再燃し、再び閉じられてしまった。しかし現在では何の問題もなく、タイ側より訪れることができる。 |
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タイ側は切り立った崖の上。ここを登るのが容易ではないから、カンボジア側から来るのが大変なのだろう。 |
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タイ側からカンボジアの平原を見渡す。あちこちに焼き畑らしき煙が立ち上る。 |
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タイ側の入り口。この手前で車を停め、歩いてカンボジア側へ向かう。 |
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カンボジア側の入り口。沢山の出店が並ぶ。ここが本当の入り口になる。 |
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遺跡への最初のアプローチ。石を積んだ長い階段が丘の麓から約 120 メートル続き、登るに連れて険しさを増す。 |
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カオ・プラ・ヴィハーンは 10 世紀半ば、 Rajendravarman II 世の時代に建設が開始され、 12 世紀初めになって Suryavarman II 世がようやく完成に導いた。Suryavarman II 世はアンコールワットの建設を命令したクメールの王である。この遺跡が建つ丘は、神殿完成の少なくとも 500 年程前より、クメールのヒンドゥー教徒達にとって神聖な場所と考えられていた。プラ・ヴィハーンは Dangrek 山脈の端にある標高 600 メートルの丘の上に建てられ、その西側にタイの平原が広がっている。本来はヒンドゥー教寺院として、古典的なバプアンおよび初期のアンコール・スタイルによって建設された。 |
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1st Gopura:
遺跡の状態は悪く、骨組みを残すのみでほとんどが崩れ落ちてしまっている。左奥上の写真は 1st Gopura を入り口側より見たところであり、左奥下の写真は 2nd Gopura 側より写したものである。 |
遺跡群は 850 メートルの直線上に広がり、4つの Gopura (エントランス・パビリオン) を擁し、丘の頂上に中庭と回廊に囲まれた大きな神殿を持つ。丘の麓から始まるアプローチの階段は約 120 メートル。それを登り終えると聖域に入る。 |
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遺跡全体の保存状態は、コラートのパノム・ワンとブリラムのパノム・ルンの中間といったところだ。多くの建物で屋根が崩れ落ちてしまっているが、完全な状態で残っている石の彫刻も多い。 |
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2nd Gopura: 1st Gopura 同様に遺跡の状態は悪く、骨組みを残すのみでほとんどが崩れ落ちてしまっている。しかし石に彫られた彫刻類は損なわれておらず、今でもはっきりとその描写を目にすることができる。特に 3rd Gopura への戸口(南側出入り口)の上に飾られたヴィシュヌ神を描いた彫刻は見応えがある。 |
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2nd Gopura: 南側出入り口 |
3rd Gopura から 2nd Gopura を望む。 |
3rd Gopura |
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3rd Gopura: 前のふたつの Gopura (エントランス・パビリオン) よりは保存状態がよい。特に南側の出入り口(写真右上)には 2nd Gopura と同様に美しい彫刻が残されている。シバ神が妻であるウマと共に、左右対称に描かれた木の作る陰の下、ナンディ(シバ神の雄牛)の上にすわっている様子が描かれている。 |
この 3rd Gopura のすぐ南側に 4th Gopura が続いている。丘の頂上、 4th Gopura のすぐ奥に入ると回廊が中庭を取り囲んでおり、その中央に神殿が建つ。回廊は現在でもそのアーチ状の屋根が残っており保存状態は良いが、神殿は大修復が必要な状態である。 |
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3rd Gopura: 南側の出入り口 |
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4th Gopura |
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4th Gopura |
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4th Gorupaの先はやっぱり崖の上。広い大地と深い緑が人々の暮らしを包み込んでいる。 |
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Galleries and Prasat: 崖側より回廊と神殿を望む |
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神殿は元の状態を想像できないほど壊れており、ここでは彫刻にしてもその多くが無くなってしまっているか、もしくはまわりに積み上げられた瓦礫の山の中にうずもれている。遺跡への入場料等からあがる収入は、これまでのところカンボジア側からプラ・ヴィハーンへ通じる道の補修に充てられており、遺跡の修復までなかなか手が入れられないのが現実のようである。ガイドブックには「カンボジア側のスタッフはタイ国境に到達するまで約6−7時間も歩かなければならない」と書いてあるが、真偽のほどは定かでない。(2006年3月 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記) |
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遺跡の中でも特に神聖なこの中庭にまで出店が入り込んでいるのには驚かされる。もしこの遺跡がタイ側にあったならこうはいかないだろう。 |
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精巧に積まれた石壁の幾何学模様を見ていると、当時の建築技術の高さをうかがわせる。積み方の整然とした不規則さが何ともいい感じだ。 |
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