タイのクメール遺跡 その3ー パノム・ルン (Prasat Hin Khao Phanom Rung)
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      "Phanom Rung" とはクメール語で大きな丘の意味、しかしそこにタイ人はタイ語で丘 "Khao" と石 "Hin" を付け足し、この神殿 "Prasat" を祀る遺跡を Prasat Hin Khao Phanom Rung と呼んでいる。
      この遺跡が建つ丘はかつて火山であったその中心にあたり、海抜 383 メートルの高さがある。このあたりは平坦な原野が続く地域であるため、どの方向をも遠くまで見渡すことができる。東南の方向にはカンボジアの
Dongrek 山脈を望むことができるが、アンコール帝国の首都がかつて栄えたのはこの方向である。パノム・ルンの遺跡群はタイのクメール遺跡の中で最も大きく、かつ最も良い状態で保存されている(この修復には17 年の歳月がかかったという)。
      この神殿は 10 世紀から 13 世紀の間に建設されたが、特にアンコール建築様式の頂点といわれる
Suriyavarman 2 世による功績が大きい。遺跡群は最初のアンコールの首都を望む東側を向いている。東南アジアにおける他の三大遺跡では、アンコール・ワットが西に、カオ・プラ・ヴィハーンは北に、そしてピーマイが東南に向かって建設されている。これらの方向性が何か意味を持つのかはまだ知られていないが、タイ国内にあるほとんどのより小規模なクメール遺跡は東向きに建てられている。夜明けの方向を向くというのはヒンズー寺院に特徴的である。
正面ゲートに続く参道ーこれはパノム・ルンの最も特徴的なデザインであり、現存する遺跡の中でも最も典型的な一例である。
主神殿に通じる東側の回廊ー主神殿は4方向ともこの回廊で取り囲まれており、その各回廊の入り口は主神殿を模したデザインとなっている。
      参道は主神殿の東側 400 メートルのところにある坂の上から始まる。そこには十字形基礎の上に木造りのパヴィリオンが建てられていたと考えられる。この北側が White Elephant Hall と呼ばれる石造りの建物である。その更に北側には2つのプールがあり、神殿に入る前の儀式としての沐浴に使われていたと考えられている。神殿での捧げ物として使われる花輪などもここで預けられていた。
      このパヴィリオン域から神殿に向かって降りると 160 メートルの参道に入る。この道は紅土と砂岩のブロックによって舗装されており、側面にはハスのつぼみを冠した砂岩の柱が配置されている。これは初期のアンコール様式 (1100 年から 1180 年) と言われている。参道は、遺跡群に3カ所あるの中で最大かつ第一の Naga Bridge (コブラ神を祀ったテラスのような所) につながって終わる。タイに残る Naga Bridge はここパノム・ルン内の3カ所だけである。この第一の Bridge は 5つのコブラの頭を持つ神の彫刻が 16 カ所に配置されている。これは古典的なアンコール様式であり、事実これらの?§??はアンコールで見られるものと同一である。この Bridge を通ってから階段を上っていくと、主神殿に通じる東側の回廊に到着する。回廊は曲線的な屋根と、装飾的な欄干を配した窓を持つ。回廊やその入り口には様々な彫刻で装飾されており、アンコール・ワットのそれと同様にクメール芸術の頂点を代表するものである。
東側回廊の出入り口
東側回廊入り口上部およびペディメント部分
パノム・ルン遺跡群はヒンズー教の神殿として建設されたもので、ヴィシュヌ神やシバ神崇拝に関連する偶像が施されている。ヴィシュヌ神やシバ神の壮麗な彫刻は、主神殿への入り口の上部や更のその上のペディメント部分、また主神殿外部の様々な要所を飾っている。
主神殿内中央に配された牛の像
主神殿と回廊の間の中庭
Prasat (主神殿) 外壁と内壁の間の空間 整然と不規則に積まれた石の壁
遠足で来たらしい、タイの女学生の一団。
Prang Noi
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