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ビクトリア通信 第二号
職場でコンピューターと長いこと向き合っていてふと目をモニターから左へそらすと、つぶらな瞳でじっと見つめる子ヤギと目が合いました。だいたい山羊の目というのは薄情そうで人を小馬鹿にしたような、何とも冷たいものだという先入観があったのですが、この時初めて可愛い目をした山羊に出会った気になりました。そういえば大学の同級生で、卒業アルバムに「ヤギです私」というキャプションをつけられたヤツもいたなあ、何て事に思考回路がトリップ、あいつも目がヤギに似ていたからそんなことを言われたんだったなあと、、、。そんな事を考えていた僕を見て入室を許されたものと勘違いしたのか、それとも隙があると悟ったのか、トコトコと部屋の中に入ってくるではないですか。しかも更にもう2匹の子ヤギもくっついて入ってきました。僕の部屋は管理棟のちょうど真ん中あたりにあります。入り口から入って行くと2〜3段の階段を下り、右へ曲がって左側2つめの部屋ですから、入り口のすぐ近くにあるわけではありません。子ヤギだから好奇心でどこへでも行ってみたくなるのでしょう、人間の子どもと同じです。とはいっても放っておいて黒豆のような糞をされても困るので、すぐに外へ追いやったのですが、写真を一枚撮っておけばよかったと、またしても後悔は先に立ちませんでした。
さて糞と言えば便ですが、先日こんな経験をしました。前日に何かおかしなものを食べたのか、もしくは冷たいビールを飲み過ぎたのか、その日は朝から腹の調子がおかしく、職場へ行ってすぐにトイレへ駆け込みました。ウガンダではほとんどが座って用を足す洋式トイレで、職場の管理棟には女性用と男性用の個室がひとつずつあります。男性は小用でもその個室で用を足します。さて、トイレに入って便器を見ると水がたまっているところにトイレットペーパーが乗せたように浮かんでいました。何か嫌な予感がしたのですが、状況は差し迫っていたので早速ズボンをおろして腸内を清浄化すべく頑張った次第です。と、その時、誰かが鍵をガチャガチャとまわし始めました。
またここでひとつ説明しておかなければならないのですが、管理棟のトイレの鍵は個人個人が持たされており、用を足す度にそれぞれが自分の鍵を持って行かなければなりません。つまり常に鍵を閉めているということで、赴任当初に「何でそんなことをするんだ」と聞いたところ、「トイレを悪用する人がいるから」という返事が返ってきました。「悪用っていったいどんなふうに」と聞き返したのですが、納得できるような答えはナシ。それなのに赴任してまず最初に、JICAの予算を使ってトイレの鍵を替えさせられました (替えたからこういうシステムにしたとも考えられますが)。つまりは日本国民の国税によって取り付けられた鍵なのです。
僕はいつもトイレに入るとき、鍵を差し込んで開けた後、「中に入っていますよ」という意思表示の意味で、鍵を鍵穴に差したままにしておきます。扉の内側にはかんぬきのような鍵があるため、それでも別に問題はないのです。それなのにその日、その外側に差したままの鍵をまたガチャガチャまわしている馬鹿者が現れたわけです。明らかに開かないのだから中に入っているとわかりそうなものなのに立ち去る気配がないので、仕方なく声を出して中に入っている旨を告げました。これで僕が中に入っているのがわかってしまったわけです。ちなみにそのアホも「スミマセン」と返事をしたので、自分もそのアホが誰なのかはわかりました。今年、大阪府立大の獣医学科で行われる3ヶ月の集団研修コースに送る予定の獣医でした。こんなに気が利かないヤツを大阪に送って大丈夫なのか、ちょっと気になったのは確かです。
さて、ここでまたひとつ説明しなくてはならないことがあります。賢明な方は「何故、ドアをノックしないんだ」と思われたことでしょう。そうすれば声を出さなくても中に人が入っているのがわかるからです。しかし男子用の個室は便器がドアから離れており、座っていると (立って用を足していてもそうですが) いくら手を伸ばしてもドアには届かないのです。それ故、声を出して断らなくてはならなかった訳です。
再び話をトイレに戻しましょう。アホな訪問者も去り、これでゆっくりと排便に集中することができ、ようやく腹痛が治まってスッキリした気分で水を流しました。と、ところが流れた後を見るとマシュマロのように柔らかそうな大量の糞がプカプカと便器の中に浮かんでいるではないですか。マシュマロのようだとはいえ、色はもちろん茶色です。いわゆる通常の長細い便ではなく、形のない軟便と思われ、それがまるで雲のように便器の中に浮かんでいるわけです。ロシア人のツルゲーネフは「浮草」という小説を書きましたが、僕の同僚のウガンダ人は「浮きグソ」をお出しになったわけです。この「浮きグソ」、放っておけば窓から入り込んだ種が舞い降り、芽が出て草が生えてきそうな感じでした。何せ栄養と水だけはたっぷりあるのですから。ちなみに「浮草」の翻訳者はかの有名な二葉亭四迷だったそうですが、「浮きグソ」の報告者はかくいう私です。
これで最初にトイレに入ったときに便器内にトイレットペーパーが浮かんでいたわけがわかりました。全くこすからい事をするヤツがいるものです。しかし恨んだからといって「浮きグソ」が消えるわけではありません。とにかく何とかしなければなりません。というのも、僕が出ればすぐにトイレに入るであろう同僚は僕がここで用を足していたことを知っているのです。つまりこのままにしておけば僕がこの「浮きグソ」をしたと彼は推察するでしょう。そんなことになったら専門家としての面目は丸つぶれです。
そんな場面でできることはただひとつ、水を流すことだけです。しかしこんな時に限ってタンクに水が貯まるのが遅いのです。洗面所の水は勢いが良いのにタンクに注ぐ水はちょろちょろとしか出ず、途中でレバーを押してしまおうかという誘惑に駆られながらも何とか我慢し、水の音が途絶えてタンクが満ちたのをようやく確認してから、祈るような気持ちで再び水を流しました。ところが恐ろしや「浮きグソ」、浮かんでいるために水の勢いが強くてもなかなか便器の奥底についている排水溝に入っていかないのです。だいたい水洗便所というものは、便が水に浮くことを前提には設計されていないのです。
先ほどの量の3分の2ほどにはなったものの、それでもまだかなりの量が残っています。二進も三進もいかず、自分の名誉をかけてもう一度タンクが満ちるまで待つことにしました。その間にも誰かが来るのではないかと気が気ではありません。全く気が遠くなるような経験とはこのようなことを言うのでしょう。
それにしてもいったい何を食べれば水に浮く大便ができるのでしょうか。ウガンダ人の主食はマトケという食用バナナなのですが、もしマトケを食べて糞が浮くようになるのであれば、ウガンダではあちこちで糞が浮いていなければなりません。だいたいあのような質感のあるものが水に浮くこと自体が信じられません。僕のこれまでの長い人生の中で糞が浮いたのを見たのはたった1度だけです。それはコスタリカ人の友達と車でボリビアにあるウジュニという塩湖 (エンコです、ウンコではありません 。) に行った時の事です。湖の水は干上がり、湖面は何十センチもある塩の層に覆われているため、その上を車で走ることができるのですが、ちょうどその頃は雨期であったために5センチほどの深さで雨水がたまり、湖一面が鏡のようになっていました。無謀にもその水が貯まっている湖面を車で走ったため、当然の如く塩水がエンジンルームに入り込み、湖の真ん中でエンジンが停止し、夜明かしをする羽目になりました。ほとんど食べるものもなかったのですが、朝起きるといつも通り便意をもよおすではないですか。仕方なく車の影で用を足したところ、思いもかけず糞がプカプカと浮かび、列を成して少しずつ車の後方へ流れて行きました。それを見て初めて湖面の水が流れていることを悟り、これが本当の塩の流れかと感心したものです。もちろん浮かんだ理由は、その水が飽和食塩水に近く比重が高かったからであり、食べ物のせいでも腹の具合のせいでもありません。というわけで、人糞の比重は水よりも重く、飽和食塩水よりも軽いと言うことがこの経験から解明されました。
また話がわき道にそれました。ついにタンクに水が貯まり3度目のレバーを押しましたが、予想通り「浮きグソ」は執念深く白い便器内に悠々と残りました。ここまでくるとほとんどあきらめの境地に入っており、「もう誰に何と思われようとどうでもいい、早くここから抜け出したい」という、人生を放棄してしまった落伍者に成り下がっていました。そこで結局、僕が最後にしたことは、トイレットペーパーを長めに取って折りたたみ、残った「浮きグソ」の上に乗せることでした。その後も何度かこの「浮きグソ」を目撃していますが、未だにその生産者が誰なのかは謎のままです。昨日は、太くて長い棒状のまま浮いていました。
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写真左:管理棟や診断棟のあるエリアから湖へ下る途中に建つ図書室。もちろんラボのプロパティーだ。内部は意外と広く、とてつもなく古い本がずらっと並べられている。現在ではスタッフ・ミーティング以外にほとんど利用されていないが、ロケーションは素晴らしく、いつかここでビールを飲んでみたいと考えている。立っているのはたまたま通りかかった近所に住む少年。写真右:管理棟内の自室から写した写真。最近よくサル (ベルベット・モンキー) が現れる。先日は部屋の窓枠に飛び乗り、僕が机に座ってコンピューターと向き合っている姿をしばらくのぞいていた。 |
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下の話はこのくらいにして話題を上の方に切り換えます。新しい国に赴任するとまずどこの床屋へ行こうかということが大きな関心事になります。以前、ベトナムの床屋で言葉が通じずに困った時の体験を書きましたが、ここではちょっとまた状況が異なりました。ウガンダ人の髪の毛はほぼ100 %縮れ毛であり、僕らとは全く違うのです。ですから床屋だといって闇雲に入って行っても、日本人のような髪を切ることに慣れている人がいる確立は低いのです。ウガンダに長く住んでいる日本人の方に聞くと、シェラトン・ホテル内の美容院は欧米人の髪を切るのに慣れているとのこと。しかしそんな高級ホテル内の美容院に行くのは気が引けますし、また芸もありません。JICA事務所の職員の方の中には、床屋へ行く度に頭が坊主になる人もいます (最も本人も納得の上でそうされているのでしょうが)。というわけで赴任してしばらく、カンパラ市内を車で走るときには注意して良さそうな床屋を物色していました。
ある時、いつも週末に出かけるショッピングセンター内にユニセックスなヘアサロンがあるのを見つけ、意を決して入ってみることにしました (以前、unisex を You need sex と勘違いした人がいましたが、、、)。入り口のすぐ脇に座っていたのが女性だったので、一応「女性用か?」と尋ねてみたところ、いや「男もやってるよ」との声を受けて中に入って行くと、確かに男性客も何人かいるようでした。美容師のひとりが立ち上がって僕を空いている席のひとつへ導いてくれたので、いくらかホッとして椅子に座ると、思ったよりもきちんと準備を整え始めました。つまり髪の毛が服の中に入らぬよう、首の回りに薄い紙を巻いたりということです。次に聞かれるのはどんな髪型にするかということですが、ベトナムの時と違って言葉が通じるのでこれは簡単、いつでもどこでも「短くしてね」と言うだけです。
若干のぎこちなさはあるものの、僕を担当した美容師はそれなりに様になって刈り始めたので、まわりを眺める余裕も生まれてきました。右隣ではスノッブな30代らしき男性が髭をトリミングしてもらっています。しかし照明が悪いせいもあるのでしょうが、僕には髭が何処にあるのかさえもよくわかりません。そうこうしているうちに、左隣にはイケメンの男性が参上。しかし頭を見てビックリ、ほとんど毛がないのです。いわゆるスラップ・ヘッドで、ウガンダの男性ではよくある頭なのですが、髭もないのでいったい何をしに来たのかと興味津々。すると美容師はおもむろにバリカンを取り出して、1〜2ミリ程度しか生えていないであろう髪の毛を剃り始めました。2〜3回バリカンを往復させて刈り込んでは左手に持った刷毛でサッサと頭を掃く、という動作の繰り返しです。これならば僕でもできる、ここの美容師はこの程度の技術でも勤まるのか、と、急に自分の頭の方が心配になってきました。
散髪はそれなりに無事終わりましたが、家に帰ってよく見てみると耳の上などはやはり不揃いで、素人っぽさがにじみ出ていました。普通、タイでも耳の上や襟足などは散髪後にナイフで剃ってくれるのですが、ここウガンダではそれはナシ。しかしエイズが蔓延しているこの国では、ない方がいいのかもしれません。散髪代は洗髪なしで約千円でした。マレイシア、ベトナム、タイでは洗髪しても500円弱だったので、かなり高めです。散髪代は物価の良いバロメーターなのかもしれません。
ジョギングも始めたのですが、標高1300メートルの、しかも坂道だらけのこの地ではキツイキツイ。だまされてインターナショナル・スクール主催の 10 km チャリティー・ファン・ランを走りましたが、まるで山道のようなコースに息も絶え絶え。しかも学校の生徒は軟弱なガキばかりでほとんど参加せず、走っているのは父兄と賞品狙いの競技会ゴロと、自分のようにだまされて参加したお人好しばかりという有様でした。
ウガンダに幸あれ、ということで第二号は終わりです。(2007 年 6 月 29 日 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記) |
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