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ビクトリア通信 第四号

ビクトリア湖畔に建つ我が職場にいると、様々な生き物が姿を見せます。毎日姿を見せる動物だけでも牛、羊、山羊、豚、ロバ、ウサギ、鶏などがいます。それに加えてたまに見かけるのは、群で行動するベルベット・モンキーや天井の高い診断棟内の廊下で飛び回るコウモリなどなど。更にそれらにトカゲ、ヤモリを主体とした爬虫類のたぐいと昆虫が加わります。特に昆虫は厄介で、雨が続いた後に晴れて気温が上がると、レイク・フライと呼ばれる蚊にそっくりな虫が大発生し、湖畔から見るとまるで煙のように湖から立ち昇り、やがて湖畔に押し寄せて霧のようにあたりを覆い尽くします。また以前、ワシントンのスミソニアンにある自然史博物館で見た "Ancient Cockroach (古代のゴキブリ)" というラベルが貼られていた虫も、診断棟内で見かけます。特に流しの中の排水溝で死んでいる亡骸をよく見かけるのですが、死んでいるとはわかっていてもグロテスクなその姿を目にすると捨てる勇気がくじけ、ついついそのままにして誰かがかたづけるのをひたすら待つことになります。

つい先日、検査をした後に放っておいた洗い物を片付けてしまおうと部屋に入り、洗い桶の中から洗い物を取り出そうとした時のことです。水中で何か動いているような気配を感じ、じっと目をこらしてのぞくと、何と小さなカエルが桶の中を泳いでいるではないですか。確か洗剤を入れておいたはずなのに、そんなことは気にもとめていないような様子。桶の中に浮かぶチップ (小さな筒状のプラスティック) につかまり、のんびりと水面を漂っています。一体どこから入ってくるのか。それもよりによって洗い桶の中で何をしようとしているのか。そういえば以前、流しの中に 30 センチ近くもあるトカゲを見つけたこともありました。その流しは箱形をしたかなり大きなもので、深さが 20 センチくらいあります。中に入ったはいいものの、どうもそこから抜け出せないような感じでした。翌日も、その翌日も流しの中をうろうろとしており、いなくなる様子はありません。素手で捕まえて逃がす勇気もなく、どうしたものかと思案をしていたのですが、逃げられるようにステップを作ってあげればいいのだと気がつき、洗い物のガラス器具を流しの中に並べておいたところ、翌日には姿を消していました。

この様に生命を身近に感じることが多い毎日なのですが、それと同時に人の死も非常に簡単に訪れます。昨秋だったか、同僚のひとりが突然亡くなったのには驚きました。職場へは普通に出勤してきていたのに、その数日後に訃報が届きました。肝臓が悪かったらしいのですが、それでもこんなに急に亡くなるものかと、、、最近では職場の警備員さんと同僚の旦那さんが急逝されました。まだ 50 代だったそうです。ウガンダではエイズの感染率が 5 %前後あるようですから、その関連で死ぬ方も多いでしょう。この国でもまだ社会的に HIV 感染者が受け入れられてはいないようで、特に若くして知り合いが亡くなった場合、何となくその原因を聞くのがためらわれます。

交通事故に遭遇することも多く、昨年は一度、接触事故に巻き込まれました。車体の一部がへこんだ程度で大した事はなく、同乗者に怪我もありませんでしたし、普通の道であれば明らかに相手が悪い状況だったのです。そこはちょうど片側二車線道路が終わる場所で、中途半端なラウンド・アバウトになっていました。ラウンド・アバウトではその中へ先に入っている車が優先されるわけであり、この接触事故では相手の車が先に中にいたという状況でした。自分のドライバーは「ラウンド・アバウトには2種類あり、このラウンド・アバウトでは直進車優先のはずだ」と主張するのですが、相手はマタツ (乗り合いバン) の運転手と、ここぞとばかりに金をむしり取ろうと意気込む客達。言い争いをしてかなうはずがありません。その日は非常にスケジュールの詰まった日で時間を無駄にできなかったこともあり、示談にしていくらかの金を払い、それで済ませてしまいました。その事故があってから 4 ヶ月後、仕事の帰りにその同じラウンド・アバウトに差し掛かったところ、先がつまってちょっとした渋滞になっていました。それでも何とか少しずつ進んでラウンド・アバウトに入ってみると、ピックアップ・トラックとマタツが接触事故を起こしていました。自分は単に「ああ、ここではよく事故があるんだなあ」とあまり気にもとめなかったのですが、ドライバーはそのマタツを見て「あの時と同じマタツだ。ナンバーがいっしょだ。」と言うではないですか。これには二つの意味で非常に驚きました。ひとつは、うちのあのぐうたらなドライバーがよくもまあ 4 ヶ月前にぶつけられた車のナンバーを覚えていたなということ。執念深いのか、それとも記憶力だけはいいのか。そしてもうひとつは、そのマタツが同じような接触事故を繰り返して示談金を巻き上げる、ある種の当たり屋なのではないかとふと思ったことです。ここはウガンダ、何が起こってもいちいち驚いていては生活のできない国です。また、この一年で既に2度も死亡事故を目撃しています。日本とウガンダでは明らかに命の重さが違うのでしょう。ここでは死が身近にある分、動物である人間としてはより自然な生き方をしているのかもしれません。時を遡れば、日本でもそのような時代があったわけです。


筆者の事務所内を伺うベルベット・モンキー チップに捕まり、洗い桶の中に浮かんでいたカエル


診断棟に出没するゴキブリ ビクトリア湖上に立ち上るレイク・フライの煙

その昔、ジャーナリストの友人からはこんな E-メールが届きました。最近になってふと目にとまり読み返してみたところ、生命に満ちあふれたシンプルな言葉の行間から、既に変えようのない 60 年前のある人生が力強く湧き上がり、自然とその人の気持ちに思いを馳せている自分に気がつきました。確か随分と前に誰かへ宛てたメールに転載させてもらったことがあるのですが、ここでもう一度引用したいと思います。

> それから先日、取材のため出かけた鹿児島から足を伸ばして知覧へ行ってきました。薩摩の小京都ともいわれるこの町には、「武家屋敷」と、戦争中、陸軍の特攻基地があったことで知られています。平和記念館には多くの遺書が遺されていました。検閲などに配慮してか、遺された特攻隊員の遺書は同じような文面が多いのですが (それはそれで感動的なのですが)、特に印象に残った一通の遺書を書きとめてきたので紹介します。

        あんまり緑が美しい
        今日これから死にに行く事すら忘れてしまいそうだ
        真青な空
        ぽかんと浮かぶ白い雲
        六月の知覧はもうセミの声がして夏を思わせる

        (作戦命令を待つ間に)

        小鳥の声が楽しそう
        「俺もこんどは鳥になるよ」
        日のあたる草の上にねころんで
        杉本がこんなことを云っている
        笑わせるな
        本日十三時三十五分
        いよいよ知覧を離陸する
        なつかしの祖国よ
        さらば
        使いなれた万年筆をかたみに送ります

        (陸軍特別攻撃隊 振武隊員 昭和二十年六月六日、沖縄海上で戦死)

> 六月に入ったばかりのこの日は前日の雨もあがり、当時と同じような真夏を思わせる快晴。緑鮮やかな茶畑の向こうに、離陸した彼等が最初に目指したという開聞岳が姿を見せていました。


ウガンダの国鳥、ホオジロカンムリヅル: 全長 100 cm 程。和名の通り、頬の部分は白い。しかし繁殖期になるとこの白い部分も赤く染まる。池沼、湿地等に生息する。昼行性で、夜間は樹上で休む。草を積み上げた塚状の巣を作る。 ハシビロコウ:「嘴の広いコウノトリ」の略。体長約1.2メートル、体重約 5 キロの大型の鳥類である。巨大な嘴を持ち、獲物を狙うときは数時間にわたってほとんど動かないのが特徴。日本では上野、千葉、伊豆の動物園で飼育されている。

死に対峙していた戦争中の若者について何かコメントするような野暮な事はしませんが、こういった遺書が時代を超えて強いインパクトを持ち続けていることは否定できません。どんな気持ちで知覧を離陸したのか。むしろ死が間近にありすぎて、自然があまりにも平和すぎて、それを感じることすらできなかったのかもしれません。ウガンダの人もある意味、そうなのかもしれません。死は身近ですがそれを感じている人は少ないでしょう。逆に平和ボケをしていると言われる日本では、死が身近にはありませんが死を考えている人は多いのかもしれません。そういう人はコンロや硫化水素を使ってそれを身近に引き寄せているようです。「他人は殺しても自分は殺さない」と言って笑ったウガンダ人がいました。どちらが幸せか、それはその人次第でしょう。JR の駅で見かける日本の仕事人も、カンパラ・ロードを歩いているウガンダ人も、同じように苦虫をかじったような顔をしている人が多いですから。

ただ子供達を見比べると、ウガンダ人の方がより屈託がないように感じます。通り過ぎる車の中の自分に手を振る子供達は、まるで初めて口笛が鳴ったときの様な、初めて自転車に乗れた時のような顔をしています。ムズング (外国人) を目にしただけであれだけの笑顔を作れる子供達が一番幸せなのかもしれません。(2008 年 5 月 2 日 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記)

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