その昔、ジャーナリストの友人からはこんな E-メールが届きました。最近になってふと目にとまり読み返してみたところ、生命に満ちあふれたシンプルな言葉の行間から、既に変えようのない 60 年前のある人生が力強く湧き上がり、自然とその人の気持ちに思いを馳せている自分に気がつきました。確か随分と前に誰かへ宛てたメールに転載させてもらったことがあるのですが、ここでもう一度引用したいと思います。
> それから先日、取材のため出かけた鹿児島から足を伸ばして知覧へ行ってきました。薩摩の小京都ともいわれるこの町には、「武家屋敷」と、戦争中、陸軍の特攻基地があったことで知られています。平和記念館には多くの遺書が遺されていました。検閲などに配慮してか、遺された特攻隊員の遺書は同じような文面が多いのですが (それはそれで感動的なのですが)、特に印象に残った一通の遺書を書きとめてきたので紹介します。
あんまり緑が美しい
今日これから死にに行く事すら忘れてしまいそうだ
真青な空
ぽかんと浮かぶ白い雲
六月の知覧はもうセミの声がして夏を思わせる
(作戦命令を待つ間に)
小鳥の声が楽しそう
「俺もこんどは鳥になるよ」
日のあたる草の上にねころんで
杉本がこんなことを云っている
笑わせるな
本日十三時三十五分
いよいよ知覧を離陸する
なつかしの祖国よ
さらば
使いなれた万年筆をかたみに送ります
(陸軍特別攻撃隊 振武隊員 昭和二十年六月六日、沖縄海上で戦死)
> 六月に入ったばかりのこの日は前日の雨もあがり、当時と同じような真夏を思わせる快晴。緑鮮やかな茶畑の向こうに、離陸した彼等が最初に目指したという開聞岳が姿を見せていました。
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