トロロ - フィールド活動記


やって来た・・・

ブリュッセルを飛び立った飛行機はずっと闇の中を飛び続けた。目が冴えてなかなか眠れず、その日、マンチェスターで読み始めた「Absent in the Spring」という本を取りだしてページをめくる。これはアガサ・クリスティーがマリー・ウェストマコットという名で書いた小説で、初老の女性がイラクからの帰途に自分のこれまでの人生を振り返るという話だ。彼女は自分の子供たちに対してお仕着せがましいことをしてきたのではないか、本当は彼らはそれを望んでいなかったのではないかと砂漠の中で自問自答を始める。自分は子供たちの言葉に耳を傾けなかったのかもしれない、ただ単に自分が彼らにそうあってもらいたいという理想を押しつけてきたのかもしれない。そしてようやく子供たちの本当の気持ちをわかりかけるのであるが、いやそんなことはない、自分がこれまでしてきたことは正しかったのだと元の自分に戻ってしまう。これまで自分が信じて続けてきたことを否定する勇気がなく、自分に言い聞かせることによって真実に蓋をしてしまうという、ひとりの女性の心理を淡々と綴った小説だった。僕もまわりの人に対してこういうことをしているのかもしれないと不思議な気持ちになる。読み終わってしばらくウトウトして目を覚ますと、もう外はすっかり明るくなっていた。

空から見るウガンダは緑一色だった。腕まくりした心にしみこんでくる。チャーチルがウガンダのことを「アフリカの真珠」と呼んだという話は前に聞いたことがあったが、確かに緑豊かな美しい国だ。高校生の頃に読んだかの悪名高きアミン大統領の本のイメージしかなかった僕にとって、この飛行機の窓から見えるまぶしい光景は予想だにしなかった。かつて恐怖政治が行われ、理不尽な暴力によって支配されていた国は、今この豊かな緑の中にあって再びよみがえりつつあるのだろうか。人間の生活力も自然の生命力に負けてはいないことを信じたい。飛行機がエンテベ空港に着陸して外に出ると、思ったよりもさわやかな風が土と草と水と動物の匂いを運んできた。

空港には出迎えの車が待っていてくれて恐縮した。スーパーバイザーのデイビッドがフィールド・ワークのアレンジをお願いしたドクターがいて、彼が気を利かせて手配してくれたらしい。そのドクターの姓はムブランベリという。ドクター・ムブランベリ。口の中で転がすと何と心地よい響きがする名前だろう。自分の中で好きな名前のベスト3にはまずはいりそうだ。最も後でお会いしたジャムのような名前を持つ男は、大柄でよくしゃべる気のいいおじさんだった。

エンテベ空港から首都のカンパラを通り抜けてドクター・ムブランベリが待つジンジャという街に向かった。緑に守られた道を突き進んでいく。車の窓から見える景色には原色の似合う女たち、野性味あふれる男たち、裸足で跳びまわる子供たち、そして彼らの伴侶であろうやせこけた動物たちが彩りを添えている。アフリカを映したドキュメンタリー番組などでよく見られる風景がここにもあった。車が向かっているジンジャはビクトリア湖岸にある街で、ナイルが流れ出す地である。エジプト文明はそこから産声を上げたのだ。最も僕にとってのビクトリア湖は、シャーデーの「Is it a crime」という歌の中にある「私の愛はビクトリア湖よりも広く、エンパイア・ステイト・ビルよりも高い」という一節から生まれるイメージの方が強いのだが。

ジンジャは本当に小さな町だった。町の中心部には薄汚れた建物が立ち並んでいるだけで、車はあっという間に通り抜けて町はずれのホテルまでたどり着いた。今日はとにかくここで休み、明日ムブランベリに会うことになっているという。そして明後日、フィールドワークを行うことになっている東部のトロロという町まで送ってくれるらしい。そこにはウガンダ・トリパノゾーマ症研究所(通称UTRO)という施設があり、そこのスタッフと一緒に働くことになる。

ホテルは町から離れた森の中にあり、中庭を囲むようにこぢんまりとした部屋が並んでいる。壁は白く塗られ、窓枠は青く縁取りされているのが目に鮮やかだった。まずは両替をしてもらいにフロントへ出向く。50ポンド(当時1万2千円くらいか)渡したら5センチくらいの厚さの札束が返ってきてビックリ、生まれてこの方こんなに大量の札束を手にしたことはない。部屋に戻って早速記念写真を撮る。

写真左:左側がイギリス・ポンド札、右側がウガンダ・シリング札で、当時としての貨幣価値は同じであった (50ポンド)。当時ウガンダ・シリングで一番大きいのが500シリング札 (札束の一番上に乗っている新札) 、現在の一番高額な札は5万シリングである。写真右:ジンジャのマーケット


夜、ホテルのレストランで食事をした。どこの国の料理だかわからない風のステーキを食べながら今回のウガンダ行で2冊目となる本を読んでいた。僕はたいていどんな国の料理でもおいしく食することができる。これも幼少の頃から食べさせられ続けてきた粗食のおかげかもしれない。最もその割には肥満体の体をもてあまし続けてもいたのだが。食事も終わりかけた頃、テレビでは小学校対抗のクイズ番組が始まった。セットはあくまでも貧弱で、日本のどこかの小学校でやる学芸会か何かの方がよほど立派な小道具を用意できるだろう。出演した小学生はひとつの学校から5人づつ、2校の対抗戦なので左側にとある小学校から5人、右側に別の小学校の5人が座っている。どこの小学校かは知らない、ウガンダのどこかだ。みんな利発そうな子達で、紺の半ズボンもしくはスカートに白いシャツを着ている。まあ、選ばれてテレビに出てきたのだから、その学校でも一番優秀な子供たちが出場しているのだろう。司会者の男性アナウンサーは真ん中に座っていてかなりテンションが高かった。クイズが始まる。

「フランスの首都はパリですが、ではスペインの首都は?」

 ハイ、ハイ、と我先に手を挙げる子供たち。まあ、これは簡単な質問だ。僕だって小学生の時はこれくらいのことは知っていた。答えはマドリッドである。司会者は各質問ごと交互にどちらかの小学校のひとりを指名して答えさせていく。序盤戦では全く勝負がつかない。

「建物を設計する人を何といいますか?」

 この質問では手を挙げる子の数が減った。最初に当てられた子は間違え、権利がもうひとつの小学校に移る。かわいい男の子が当てられて自慢げに答える。

「Architect」

 日本では普通の高校生でさえこう答えられる人は少ないだろう。うーむ、こいつらただ者じゃあないという思いが強くなる。ここらあたりから二つの小学校で差がつき始めた。僕が一番驚いたのは次の質問である。

「ある街で牛が死亡し、炭疽病が疑われました。さてその時どの様な対応を取ったら良いでしょうか?」

 一瞬自分の耳を疑う。炭疽病のことは英語でAnthraxという。僕は獣医だから知ってはいたが、いったい日本人の中でどれだけの人がこの病気について知っているだろう。先のアメリカ同時多発テロ事件の時の騒ぎで炭疽病が有名になったため、今でこそ知っている方も多いと思うが、日本で一般の人がこの病気についての知識を持ちあわせているとは到底考えられない。しかもこのウガンダの子達は英名(番組は英語で進められていた)を知っているのだ。

炭疽は重要な人獣共通伝染病のひとつで、Bacillus anthracis という細菌の感染によって起こる急性敗血性の疾患だ。致死率も高い。通常、経口的にもしくは皮膚の創傷を通して感染し、発症後の経過は急性である。感染部位により肺炭疽、皮膚炭疽、腸炭疽などと呼び分けられるのは、先の炭疽騒ぎの時にテレビのニュースで報道されていたので聞き覚えのある人もいるだろう。死亡した牛では口や鼻、肛門などの天然孔から凝固不全、暗赤色タール様の血液の漏出が見られる。また解剖すると内出血した血液が暗赤色に変化し、内臓が黒ずんで見えるために和名では炭疽という名前がつけられた。日本では非常に稀な病気であることは確かであるが、全く存在しないわけではない。

さてその質問を受けて子供たちの反応はというと、元気良く一斉に沢山の手が挙がった。先程の建築家を間違えた子供が再び当てられて、今度は自信満々に答え始める。

「まず、その街から外部に通じる交通を遮断し、移動を禁止します。炭疽の疑いで死んだ動物の死体は穴を掘ってその中に入れ、生石灰をかけて消毒した上で埋めます。さらに発生農家の消毒を実施し、感染動物と接触を持った人や動物の検査を行います。そしてそれ以上感染の広がりがないと判断された時点で、移動の禁止を解除します。」

 長い長い答えだったがほぼ完璧である。僕が出場していたとしてもこれだけ理路整然と答えられただろうかと疑問に思う。彼らはいったいどんな教育を受けているのだろうか。この質問が出ることは事前に知らされていたのだろうか。恐らくウガンダでは炭疽病の発生が多くより身近な病気なのだとは思うが、それにしても10歳前後の子供ができる解答ではない。恐るべしウガンダの小学生。僕は食後のコーヒーを飲み終えて部屋に戻った。

さて翌日も快晴、10時頃に迎えが来てくれてムブランベリのいる研究所に向かった。ホテルのすぐ近くで歩いても行けるくらいの距離だ。それはかなり質素な建物で、トリパノゾーマ病のリサーチと検査を行っているラボだという。スタッフも10人とおらず機材類も非常にベーシックなものばかりであった。ドクター・ムブランベリはここの所長さんである。リバプールのデイビッドとは長いつきあいらしく、お茶請けに大学の話をしばらくしてからこのラボについて色々と質問をさせて頂いた。デイビッドのグループが中心となってイギリスODAによる援助が行われているという。しかし基本的に人的な交流が多く、機材の供与はほとんどないとのこと、これは内部を見学して一目でわかった。ここのスタッフがリバプールで研修を受けさせてもらう代わりに、リバプール大学の院生等を受け入れてフィールド・ワークの手伝いをするという。もちろん僕もそのひとりだ。デイビッド本人も毎年のようにここを訪れており、一緒にフィールドへ出かけている。ただしここは人間を主体としたリサーチを行っているため、動物を主体としたサンプリングを希望している僕には不向きである。それゆえ先にも書いたトロロにある研究所の獣医グループと仕事ができるようにドクター・ムブランベリがアレンジしてくれたわけだ。ここジンジャでは1980年代前半に人のトリパノゾーマ症(眠り病)の大流行があった。当時はまだ政情が不安定で、デイビッドがフィールドへ出かけた時に軍の兵士が道路脇で住民をなぶり殺しにしているのを目撃し、恐ろしくなってすぐにラボへ引き返したことがあったという。だいたい伝染病というのは政情不安になってコントロールにほころびが出始めると、途端に猛威をふるい始めたりするものだ。

ドクター・ムブランベリにアレンジのお礼を何度も言ってホテルへ戻った。午後は何も予定がないので昼食後ゆっくり昼寝をする。2時頃にむくっと起きあがり、カメラを片手にビクトリア湖のダム見学に出かけた。そこがナイルのひとつの源流で、もうひとつは確かウガンダ西部にあるルエンゾリ山の方だ。是非足をのばしたかったのだが危険だから絶対に行くなとイギリスで念を押されてきた。ホテルの中庭にいた従業員の少年にダムの方角を聞き、直線的にそっちの方へ歩いて行くことにする。何か普通の道を通っていくとすごく遠回りになりそうな予感がしたので、とにかくフィールドを突っ切ることにした。まずホテルを取り囲んでいる林を抜けると、ずっと畑が続いている。申し訳なさそうについているあぜ道を通り、なるたけ畑の中には入らないようにしながら歩いて行った。こんなところには誰もいないだろうと思っていたのだが、自転車をひいて歩いているおじさんや、畑で働いている母子連れやら結構人に会って驚いたが、向こうも草の影から突然現れた僕とはち合わせしてビックリしていた。

畑を突っ切ると舗装道路に出た。左の方にダムらしきものが見えるのでとことこ歩いていく。ダムの近くまで来ると視界が開け、ビクトリア湖が一望できる。頭の中に出来上がっていたイメージほどには神秘的でも美しくもなかったが、午後の強い光りに反射して力強く輝いていた。雨がよく降るのだろうか、湖は豊かすぎるほどの水をたたえており、オーバーフロウした大量の水が、僕が佇んでいるダムの上に引かれた道路のすぐ下を通り、滾るように反対側の川へ落ちていく。見ていると吸い込まれそうで恐ろしくなるが、湖の恵みが融け出してスーダンやエジプトまで流れていき、乾燥した地を潤していると考えると僕も一緒に漂って行きたい気になる。水は十分に泳げる程度にはきれいだった。そういえばブリストルへ一緒に行ったモーリスが、ビクトリア湖にはワニがいるからむやみに泳ぐと食べられてしまうと言っていたが本当だろうか。彼の家はケニアのビクトリア湖岸にある。子供の頃から湖で遊んでいて泳ぎはうまいのだろうと思っていたのだが、全然泳げないんだと言ってたっけ。残念なことにこのダム周辺は写真撮影禁止になっており、そこら中で若い兵士が見張っているため写すチャンスを全く窺えなかった。

写真左:石碑には「ウガンダ中部、北部、スーダン、エジプトを通って地中海へと注ぐナイル川の長い旅はここから始まる」と記されている。写真下:この流れの左側にビクトリア湖があり、 右写真のダムへと続く 。実際ナイルの源流は3ヶ所あり、ここはそのうちのひとつ。あとのふたつは、ウガンダ西部ルエンゾリ山系と、エチオピアのタナ湖である。

夜もホテルのレストランで食事をした。昨日と同じく本を読みながら食べていたらウェイターの兄ちゃんが、

「読み終わった本があったら譲ってくれないか」と言う。

「まだウガンダに来たばかりで1冊しか読み終わってないんだ。」と言うと、

「1冊でもいいんだ。ここで英語の小説は全く手に入らないから、ぜひ欲しい。」

「じゃあ、部屋に置いてあるから、後で持ってきてやるよ。」と約束をしたら、満足そうにキッチンへ戻って行った。読み終わったのは「Absent in the Spring」だ。この小説は渋いし地味だから彼みたいな若者にとっては面白くないだろうなあ、最初にもっとストーリー展開の激しい推理小説でも読んでおけば良かったなあと思いながら、まあいつかこの本の良さがわかる時が来るだろうとひとり納得して、部屋に本を取りに戻る。食後のコーヒーの後に彼を見つけて渡してあげると、すごく喜んでくれたので僕自身もうれしくなった。翌朝チェックアウトしてトロロへ向かう。(2002 年 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記)

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