ゲストハウスで暮らす・・・

UTROの職員の勤務時間は午前中だけである。まあ、ほとんど予算がなく、活動資金がないのだから当然仕事もない。ひと月の給料が10ドルでは、彼らが仕事をしない事に対して異議を唱えるのもはばかられる。それゆえ僕も自分の検査をする必要のない日の午後はラボへは足を向けなかった。そんなある日、遅い昼食をすませた後にゲストハウスへ戻り昼寝をした。カーテンを引いて寝ていたので目が覚めた時にも部屋が薄暗かった。近くに置いた目覚ましを見ると一時間くらい眠ったようだ。ちょうどいい感じだなと延びをしながら起きあがり、サンダルを履こうと足をベッドから降ろした時、サンダルの上に何かいるのが目に入った。よく見ると右足のサンダルの上で小さなヘビがとぐろを巻いて寝ているではないか。それに気がつき、瞬間的に体のどこからか雄叫びが上がって余計にに驚く。この昼寝しているヘビをどうやって退治すればいいんだ。小さいとはいえ毒があるかもしれない。突っつけばどこかへ行くだろうが、家の中に住まわれてはこっちが困る。結局かわいそうだが死んでもらうことに決め、左足のサンダルを掴んだ。それでまたまた無意識のうちに叫び声を上げながら、必死になって右サンダルの上のヘビを左サンダルで叩きのめす。完全に死んだのを確認してから入り口の前に放り出した。その後、近くを通りかかったヤツを呼んでヘビの話をしたら、そいつはその死骸を見て、

「これは毒蛇だよ。でも普通は家の中には入ってこないな。」と言う。

「入ってきたじゃないか。」と言い返すと、

「運が悪かったな。」だって。困るんだよそれじゃ、何とかしてくんなきゃ。

このゲストハウスは夜になると天井裏がドタドタと非常にやかましくなる。当初、ネズミが住んでいるのだろうと思っていたのだが、ジョゼフに聞いてみたらあれはコウモリだという。そうかコウモリか。だから夕方くらいからうるさくなり、バタバタと羽ばたくような音もするんだと納得した。天井の隙間からは茶色い土のようなものが降ってきて床に積もるが、どう見てもネズミの糞ではないからやはりコウモリなのだろう。コウモリの糞は良い肥料になると聞いたことがあったが、、、そんなある晩、11時頃にはベッドに入ってウトウトしていたら、バタバタバタという物音で目が覚めた。寝室からリビングへ通じる通路のあたりである。今度はいったい何なんだ、と絶望的になるが、とにかく見に行かないわけにはいかない。ほおっておいてそのまま寝室にでも入ってこられたらもっと厄介だからだ。恐らくコウモリがどこかの隙間から入り込んできたのだろう。しかしバタバタ騒いでいるうちはちょっと怖いので静かになるまで待ち、頃合いを見計らって恐る恐る寝室の扉を開けた。もちろんサンダルを履く前にヘビのチェックは欠かさない。

通路に出て電気をつけるが別にこれといって何も目に入ったものはなかった。天井を見ても床を見ても何もいない。ちょっとホッとした時、リビングの端にあるカウンターの脇に何かがいるのが目に入った。顔を近づけてその物体を目にした途端に、また体のどこかから文字にならないような濁点のついた声がほとばしり出た。それは以前、アメリカ合衆国の首都ワシントンのスミソニアンにある国立自然史博物館で見たことがある生き物であった。自分の記憶が確かであれば、その生き物のケージの下には「Ancient Cockroach」という名前が記されていたはずだ。「古代のゴキブリ」である。それが何でこの現代の俺のゲストハウスにいるんだ、、、と怒っても誰も助けてはくれない。実は僕はゴキブリが大嫌いである。この世で一番嫌いな生き物がゴキブリである。小さい頃からゴキブリを殺すどころか、死んだゴキブリを家の外に捨てに行くことさえできなかった。家の中にゴキブリが出てそれがどこかへ隠れてしまうと、その晩はまず眠れなかった。そんな繊細な自分が今、ここウガンダで古代のゴキブリと対峙している。それはとにかくでかいのだ。長さが8センチ程もあり、幅でさえ6センチはある。この瞬間がこれまでの人生の中で一番の試練であったのは言うまでもない。とにかく殺さなければいけないと意を決し、ヘビを見事に殺したマイ・ラッキー・レフト・サンダルを手に取る。そして大きく振りかぶり、我が天敵の上に強烈な一撃を加えた。当然の事ながらそのインパクトの瞬間にはうめき声が洩れる。と、敵はあっさりと床に落ちてバタバタ、それを間髪入れず狂ったように打ちのめして見事な勝利をものにした。幸運だったのは普通のゴキブリと違ってとてつもなく動きが鈍い事だ。飛ぶのはうまいが歩くのは苦手とみた。さて、殺したはいいが今度はその死骸を外へ放り出すのもひと苦労だった。適当な紙が見あたらず、仕方がないのでA4サイズの大切な実験ノートを使って外まで運び出す。ドアを閉めてホッとし、ようやく深い眠りについた。

翌日、ジョゼフにその話をすると、それは森に住んでいるゴキブリだと言う。僕のゲストハウスのすぐ裏が森なので、そこから飛んで来たのだろうとのことだった。

「めったに来ないからもう安心していいよ。」

 というジョゼフ言葉とは裏腹に我が天敵はもう一度姿を現した。その日はまだベッドに入る前で、夜9時頃に便意をもよおしてトイレに行き、トランクスを下ろして便座に座った。そして力みながらふと前を見ると、洗面台の下の配水管に留まってウロウロしている古代ゴキブリの姿が目に入った。今度は二回目なので声は出なかったが、出かかっていた便は引っ込んでしまった。前回より若干冷静でいられたのはヤツの動きが鈍いことを知っていたからかもしれない。あわててトランクスを引き上げ、再びマイ・ラッキー・レフト・サンダルを手に取る。今度は曲がりくねっている配水管に留まっているので、はたく時に気をつけないと的をはずして大惨事になる可能性もある。慎重に狙いを定めて一撃を喰らわせた。ぽとりと落ちる。姿ほどにも手応えのない奴。敵に立ち向かおうという意気込みが感じられないのだ。というわけで、僕と古代ゴキブリとの勝負は2勝0敗に終わった。

「生きものゲストハウス紀行」はこれだけでは終わらなかった。ある晩、ベッドに横になって本を読んでいた僕は、寝る前に水が飲みたくなってリビングへと入っていった。通路の灯りだけつけたのでリビングは薄暗いままだ。そのリビングには奥の壁に添う形で括りつけのソファがあり、その前にテーブルと向かい合わせのソファが置いてある。つまり奥の壁の近くにその応接セット(この響きほど立派ではないが)があるため、部屋の真ん中あたりはガランとしていて何もない。僕は手前のカウンターで水を飲み、寝室へ戻ろうとした時にリビングに何かいる気配を感じた。ふり向いて薄暗い中をよく見てみると、部屋の真ん中にカエルがいてこちらを見ていた。かなり大きなカエルで10センチくらいはある。大学生時代、生理学(薬理だったかな?)の実習でよく使ったカエルくらいの大きさだ。そういえば実習の後、あわれにも死んでしまったカエルを家に持って帰った同級生がいた。翌日、クラスの弁当持参・生協パン購入組数名で昼飯を食べていたら、その同級生が突然、

「カエルって鶏肉みたいよね。」と言った。ちなみにその同級生は女である。みんなこいつは何を言ってるんだと思ったのだが、よく話を聞いてみるとその同級生は昨日実習で使ったカエルをクリーム煮にし、弁当に入れて持って来ていた。話を元へ戻そう。

「カエル?何で?」とあてもなく聞いてみるが、誰も答えてはくれない。頭の中で矢野顕子さんの名曲「ふりむけばカエル」が鳴り始めた。これは干していた洗濯物が雨に濡れてしまった時、目玉焼きを焼いていてくずしてしまった時にカエルに慰められる歌だが、その頃、僕の調査はうまくいっており、こんな夜中にカエルに慰めてもらおうなどとはこれっぽっちも思っていなかった。しかしカエルと目が合うというのは奇妙なもので、その少し悲しげな様子に心ならずも気持ちが通い合うのを感じたのも確かである。少なくともとぐろを巻いて寝ているヘビや古代のゴキブリよりはずっとましだ。さてどうしたものかと18秒ほど思案に暮れたが、やっぱり出て行ってもらうことに決める。おいでおいでをしてもついてくるわけはないので、牛や羊を動かす時のように後ろから追い立てて、何とか正面玄関からおいとま願った。

しかしそのカエルはその翌日も現れた。気になって夜の12時頃にリビングへ行くと昨日と同じようにそこにいた。かなり大きなカエルなので日中ゲストハウスのどこかに隠れているとも思えない。いったいどこから入ってくるんだろうかと気になるがまあ仕方ない。恐らく僕がここに来る前から毎晩来ているのだろうから、それをやめさせるのもかわいそうなのでほおっておくことにした。そしてその翌日もリビングにいた。それから数日後のこと、ちょっと早めの11時半頃に行ってみるとその日はいなかった。半分安心し、半分心配して寝室に戻ろうとしたら、通路の右側にあるガラス戸の下の隙間をくぐり抜けようとしているカエルを見つけた。「ああ、ここから入ってくるのか」とようやく納得する。しかしそのカエルの通り道は本当に隙間でしかなく、2センチ弱程度の高さしかない。そこを無理矢理体を押し込んで通り抜けようとしている。いつもはカーテンを引いているため隙間があることにさえ気がつかなかったのだが、これでようやくヘビやらゴキブリやらが入ってくる謎が解けた。しゃがみ込み、戸の下で苦戦しているカエルをじっと観察していたら、目が合って動きを止めた。進もうか戻ろうか迷っているに違いない。しかし考えたってあの体勢から後戻りするのは至難の業だろう。何だか恥ずかしそうにしているのでかわいそうになり、通路の電気を消して寝室に戻った。いったい何をしに来るのかわからなかったが、そのカエルはその後も毎晩我がリビングに姿を現した。

写真左:典型的な村の家。写真右:家の内部。中に入ってみると案外広いことがわかる。真ん中で"USA"のロゴが入った Tシャツを着ているのがナンシー、後ろで立っているのがカサンドラ。ナンシーの右側に座っている白人の若夫婦は、オーストリアから来た旅行者。どういった経緯でここにやって来たのか忘れてしまったが、1週間くらいゲストハウスに滞在していた。陰になって見えないが、真ん中にビールの入った壺が置かれていて、そこから竹のストローが伸びている。
    
写真左:ピントが合っていないが、シロアリの女王である。スティーヴンの子供がすぐに食べてしまった。写真右:建設途中の家。この後、1週間もかからずに出来上がった。


午後、ラボの仕事が早く片づいた時には村の中を徘徊していた。研究所で下働きをしている人たちはいわゆる官舎ももらえず、昔ながらの泥でできた家に住んでいる。それは木で円形に骨組みを作り、そこにこねた泥を塗り固めて家の胴体としている。屋根は草で葺くだけなのでいたって簡単、これで10年ぐらいは保つという。もちろん屋根の草は葺き替えなければいけないが、家自体は丈夫らしい。シロアリにさえやられなければもっと長く住めるという。その当時、スティーヴンがこの家造りをちょうどしていたので、一番簡単な泥塗りをナンシーやカサンドラと一緒に手伝っていた。ある日、その憎きシロアリを退治するために近くの巣を掘り起こして女王アリを探すことになった。シロアリは他のグループと混ざり合うことがなく、女王を捕ってしまえばその巣に住むアリが全滅するという。とにかく彼らがそう言うので、少なくともそのあたりではそうなのだろう。こんもりと盛り上がった巣をクワやスコップで掘り起こしていく。中は層になっていてかなり固そうだ。いくら掘っても出てくるのは働き盛りのシロアリばかりである。僕としては素足にサンダルを履いていたので刺されてはならじとそればかり気にしていた。1メートル近くも掘ったであろうか。スティーヴンが

「この下にいる。」と言う。

「何でわかるんだよ。」と聞き返すと、

「何度もやってるからすぐわかるんだよ。」とこともなげに言う。はたして女王アリは本当にその下にいた。しかしそれはアリとは似ても似つかぬ物体で、10センチくらいの長さの白い芋虫が栄養が良すぎて肥満したような生き物だった。貫禄からすれば女王と言えないことはないが、外見はとてつもなく醜くて頭が悪そうだ。スティーヴンはこれでこの巣にいた働きアリたちはみんな死んでしまうと言うのだが、確かめようがないので「へえ、そうかい」とうなずくしかない。その日の収穫である醜い女王アリはスティーヴンの4才になる子供が小さな缶からに入れてうれしそうに持って行った。

「あんなのどうするんだ。」と聞いたら、

「食べるんだよ。」と言う。

「どうやって。」

「あのまま飲み込むんだ。あいつの好物だよ。」

 うーん、アフリカの子供はやっぱり違う。確かに喜んでいたからめったに食べられないご馳走なんだろうが、、、。まあ、日本人が魚を生で食べたり、小魚を踊り食いをしたり、ウニを食べたりするのとあまり変わらないのかもしれない。

その晩、スティーヴンが準備してくれた夕飯を食べた後、カサンドラ、ナンシー、スティーヴンと僕の4人でビールを飲み始めた。本当はどこかパブか何かで飲みたい何て事を話していたら、村にはディスコがあるとスティーヴンが言う。いったいそんな洒落たものがこの村のどこにあるんだと聞くと、じゃあこれから行こうという話になった。ディスコの名前は「マンガマンガ」。いずれにしろあまり期待しない方がよいだろう、と慰め合いながらスティーヴンに先導されて暗い道を進んだ。何のことはない、そこは広場の入り口にある掘っ建て小屋で、僕はずっと空き家だと思って毎日その前を通っていた。中に入るとそこは土間で、汚いテーブルと椅子が何組か置いてある。安っぽいクリスマス用の飾りが申し訳程度につるされていたが、裸電球の下ではうら寂しさを増すばかりだ。一応音楽はかかっているがもちろん誰も踊っていないし、2−3人がテーブルに座って話しているだけだ。西洋文明のディスコとはほど遠い雰囲気に圧倒され気味の僕らを、スティーヴンがその部屋の奥へと連れ出した。と、そこは中庭のようなスペースで、かなり沢山の男達がそこここで車座になって座り何かをすすっていた。小さな村なので当たり前と言えば当たり前だが知った顔が沢山おり、挨拶を交わしてから僕らも座った。みんな何を飲んでいるのかと言えば地ビールである。ビールと言っても缶や瓶に入っているのとはわけが違う。ここのビールは大きな壺に入っていた。中を覗くと茶色いおどろおどろしい液体が入っている。いかにも「ただいま発酵しています」という状態にある液体だ。その壺を車座の真ん中に置き、各人が竹か何かで作った長い長いストローを突っ込み、ちびりちびり飲みながら話をしている。僕らもひと壺ビールを注文してすすってみた。味はというと何とも形容しがたい。もちろん冷たくはなく人肌というところ。クリーミーと言えばそう表現できないこともないが、しかしイギリスのビターにあるようなきめの細かいクリーミーさとはかけ離れている。彼らがビールと呼んでいるのだから、おそらく麦を発酵させているのだろう。真ん中に飲み物を置いて、みんなでいっしょに長いストローで飲むというスタイルだけは気に入った。

時間が経つにつれて人が減り、知った顔が僕らの輪に加わってきた。自分たちのビールが無くなったので僕らのところに入ってきただけなのだが。何壺か飲む頃にはさすがに酔いがまわってきたが、踊りに来たにもかかわらずまだ踊っていないことに気がつき、みんなで部屋の中に入って踊り始める。音楽はザイールのポップスでなかなかノリがいい。どこにあったのかミラーボールまで回りはじめ、裸電球にセロファンで色がついた。フロアリングの土間が若干気になったものの雰囲気だけはディスコに近づき、僕らは1時間くらい踊りまくってからカエルが待つゲストハウスへ戻った。

UTRO 付近の草原。なだらかな斜面で、ケニヤを見渡すことができる。牛が草を食み、子供が遊び、人が行き交うという情景は、どこでも同じく平和な気分にさせられる。
   
村の男子は皆、割礼をするしきたりらしく、この年は胸にタスキを掛けた3人の男の子がすることになっていた。この晩は、式本番の時に踊る踊りの練習をしていた。

週末はというと特別にやらなければいけないこともなかったが、かといって暇なわけでもなかった。誰か彼かがかわるがわるやって来ては世間話をしていく。ジョゼフがトウモロコシを持ってきてくれたり、ドクター・オクーナの息子さんがトマトを持ってきてくれたりとみんなそれなりに気を遣ってくれていた。ゲストハウスに入ってまだ間もない頃、2人の男の子がやって来た。トロロにある小学校の4年生で、二人ともUTROのスタッフの息子達だ。彼らは小学校への寄付金を集めに来たと言う。よく話を聞くとインド人の校長が経営している私立の小学校らしい。もうすぐ学校でフェスティバルがあり、この寄付金をある一定額以上集めた生徒は賞品が沢山もらえるゲームに参加できるのだという。子供をゲームの賞品で釣って寄付を集めさせるというやり方には共感できなかったが、まあとりあえず10口ずつ寄付をしておいた。結局、その二人は十分な寄付を集めきれずにゲームには参加できなかったのだが、このことがきっかけとなりその後も頻繁に僕のゲストハウスへ遊びに来るようになった。何をするわけでもない、折り紙を教えたり、絵を描いたり、音楽を聴いたり、近くの岩山へ登りに行ったりとその程度だ。スポーツは二人ともサッカーが好きなのだがまともなボールもない。それで僕がケニヤへ出かけた折りに、ナイロビのスポーツ店でサッカーボールをひとつおみやげに買って帰った。もちろん二人は喜んでくれて、学校の友達と楽しんでサッカーをプレイしていた。しかしそれから1年ぐらいが過ぎた頃、日本の実家にその二人のうちのひとりから手紙が届いた。内容はといえば、彼の友達であったもうひとりの子がボールを独占するようになり、口もきかなくなってしまったのでもうひとつボールを送って欲しいというお願いだ。これは十分予想できた結末であった。今となってはあげた方が良かったのか、あげない方が良かったのか知るよしもないが、たった一個のボールでも子供たちの世界にそれなりの波紋を広げていくものなんだなあと身にしみた手紙だった。(2002 年 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記)

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