フィールドへ出かける、その1・・・

採材する場所はドクター・オクーナと交渉した通り全部で7カ所。UTROを中心にして半径50キロくらいの円を描き、その中で均等に散らばるようにして選んだ。最も東方向はケニヤに入ってしまうために無し。一応、村の名前を列挙すると、ムベヘニ、パポル、ブハトゥバ、ブタンガシ、ルミノ、ブシテマ、ナブヨンガとなる。これらの村に一日一カ所、3−4日おきに出かけることになる。つまり週に1−2カ所といったペースだ。2ヶ月あるのだからまあこんな感じでいいだろうと納得する。採材のついでにツェツェも捕まえることになり、トラップを2つばかり持って行くことになった。だいたい採材の4日前にスタッフのひとりがその村へ出かけて行って農家をまわり、「何月何日どこどこでトリパノゾーマの検査をするから牛を連れておいで」と宣伝するという。「検査で陽性となればすぐに無料で治療します」と言うことも忘れない。農家のおじさんたちもトリップスが厄介な寄生虫であることを十分知っている。そして採材の前日にもう一度同じ広報を繰り返して当日を迎える。うーむ、採材に関してはすでにしっかりしたシステムが出来上がっていると見た。こういう時は下手に口出しをせず、彼らに全てを任せておいた方が物事はうまく進むものだ。

採材初日、まだ肌寒い朝7時半頃ラボへ顔を出すとスタッフが準備を進めていた。かなりの大人数だ。ドライバーも入れて10人ばかりが出かけるという。みんなオーバーオールなどの作業着を着ていたが僕はGAPのショーツにT−シャツ、ウガンダは朝晩冷え込むのでヨットパーカーを羽織ってきた。車は2台、ぼろいランクルとピックアップである。採血用の注射器と針、血液を入れる容器、ジェネレーター、ヘマトクリット遠心器、顕微鏡、折り畳み式テーブル、椅子、ツェツェ・トラップ、水、等々持って行くものが沢山ある。僕は僕で自分の検査キットや記録用のノートなどを用意した。8時近くになってパッキングが済み、出かけることになった。僕はジョゼフと一緒にランクルの前に乗り込む。どっち車のどこに誰が乗るかで、このグループの中での各人の序列がだいたいわかるから面白い。

今日はムベヘニという村へ向かう。UTROから西南の方角だ。車はずっとでこぼこ道を走っていくのでそれほどスピードがでない。ピックアップの荷台に乗っている人もいるため余計にスピードは上げられない。まわりは森と呼べるほど木の密度は深くなく、灌木の間に大きな木が散在している程度だ。時々通り過ぎる村には申し訳程度の店と、路上に並ぶ野菜や肉、そしてそれを取り囲む色とりどりの服を着た人々がたむろしていた。道の両脇に並ぶ誇らしげな木々には服と同じような原色の花が咲いている。まさかコーディネートしているわけでもあるまいに。車の中ではたわいもない笑い話が続く。イギリスにいる頃から気がついていたのだが、アフリカから来ている学生の話す英語は独特の言い回しがあって結構気に入っていた。アクセントがどうのこうのと言っているのではない。話の進め方というか、使う言葉自体が独特なのだ。例えばブリストルで一緒に研修していたモーリスは「虫を殺す」と言う時に、"kill"(殺す)ではなくよく"execute"(死刑を執行する)を使っていた。ちょっとした単語の違いなのだが彼ら独特のユーモアを感じる。ヨーロッパ文化とアフリカ文化の違いがこんなところにも現れるのだろうか。

写真左:ツェツェバエのトラップ。ツェツェは青色に引きつけられ、黒色に留まる。白い部分に入り込んで行くと出られなくなり、ピラミッド型の最上部に捉えられる。写真右:木の下で勉強する子供達。この村の小学校には制服があった。


車の中での話というのはエイズにまつわる話題が多かった。当時、ウガンダでは成人の6人にひとりがHIVポジティブと言われており、状況としてはかなり深刻だった。しかしUTROのスタッフはまがりなりにも医学系研究所で働いているわけなので、自分たち家族のエイズ感染に対してはかなり注意を払っている。それゆえ彼らの回りで起こっているエイズがらみの事件については対岸の火事的な感覚で見ていた様だ。ジェゼフが言う。

「最近、WHO(世界保健機関)はウガンダに1000万個のコンドームを供給すると発表したんだ。だけどウガンダには性的に成熟している男性が確実に500万人以上はいるんだぜ。つまりひとりにつき2個のコンドームしかまわってこない計算だ。WHOはウガンダ国民に2回やったらそれで打ち止めにしろと言っているのか、それとも使用済みのを洗って何度も使い回せというのか。1000万個と聞くとすごく多い様に聞こえるけど、継続的にずっと供与してくれるというのならばまだしも、一回限りであればほとんど何の役にも立たないのは目に見えている。WHOも何を考えているんだか、本当に馬鹿だよなあ。これは単なるWHOのポーズなのかもしれないけど。」

 すると他の奴らは、

「WHOから供与されるコンドームにはWHOのマークが入っているのかなあ。もしそうだとしたら俺は記念にひとつ欲しいんだけど。」

「馬鹿、ロゴなんか入れてたらコンドームが弱くなってやっている最中に破れてしまうかもしれないだろ。WHOに供与されたコンドームを使ってエイズに感染したらいい笑いもんだ。」などと言い出す。

こんな話も聞いた。ウガンダでは一夫多妻が認められており、兄弟が亡くなると残った兄弟がその嫁を妻として迎える習わしがあるという。つまりお兄さんがたとえエイズで亡くなっても弟は兄嫁を引き取るため、結果的にエイズは兄嫁から引き取った弟へ、そしてその弟から本来の妻へと広がっていくことになる。また田舎にある部落では売春婦を共有する習慣が残っているところもあって、そういう部落では当然の事ながらほとんどの男性がエイズに感染しているらしい。最近ではさすがにエイズ教育が普及してきて人々も注意を払うようになってきたが、まだまだ耳から入ってきた知識だけでは実感が湧かず、昔ながらの性習慣が根強く残っているという。こういった性的な側面での大らかさが、アフリカでエイズ感染を広めた原因になっていたのかと深く納得する。車の中の世間話から学ぶことは多い。

そうこうしているうちに目的の村に到着。採材を行う場所は小学校の校庭である。アドビのような泥で塗り固められた小さな校舎の前には青々とした草に覆われた校庭が広がり、農家のおじさんと彼らの牛たちが既に集まっていた。一軒の農家で飼っている牛は多くても10頭程度、少ない家は乳を搾るために1−2頭を飼っているにすぎない。校庭のまわりには太くてたくましい木が生えている。ここでも緑は生き生きと輝いていて、その場にいるだけでエネルギーを与えてくれる。車から外にでると、草の匂いの中にまだ朝のきりっとした冷たい空気がほのかに感じられる。あと1時間もすれば何もかもがすっかり熱を帯び、僕たちを汗だくにさせることだろう。校舎の横にある一番たくましい木の下には20人くらいの子供たちがすわり、先生が小さな黒板を前にして授業の最中だった。しかし子供たちは校庭で始まろうとしている出来事が気になって仕方がないらしい。僕らが到着して彼らは余計にそわそわしだしたのか、先生がしきりに注意している。それに水を差すかのように僕が大きく手を振ると、子供たちも小さく手を振り返してくれた。先生に挨拶とお詫びの言葉を大声で言い、子供たちには「しっかり勉強しろ」と声をかけた。

村の小学校。町中では制服を採用している小学校が多いようだが、地方に行くとさすがにそこまではという感じで、日本と同じく服装は自由。靴を履いている子供などほとんどいなかった。


UTROのスタッフは校庭の一番手前に根を張っている一番やさしそうな木の下に荷物を広げ始めた。まずテーブルを組み立ててその上に遠心器と顕微鏡を置く。スタッフのひとりは血液を入れる容器に抗凝固剤(血液を固まらせなくするための薬品)を一滴ずつ垂らしていく。別のスタッフは針と注射器を揃えたりしていた。他の2人はツェツェ・トラップを仕掛けると言ってどこかに消えた。大きめの容器に水を注いでいる奴もいる。「何すんの」と聞いたら、この水で使い終わった注射器を洗うのだという。うーむ、こんなことは日本では絶対にしないのだ。日本ではたいてい注射器や針は一度使ったらそれで廃棄する。特に針はそうしないと病気を移す危険性がある。人間ではエイズ、牛では白血病などがこの針の使い回しによって蔓延する。しかしここでそんな講釈を始めたって仕方がない。新しい針など持ってきていないのだから。とにかく彼らのやり方に従って採材を進めるより仕方がない。いったいどのくらい使い回しをした針なのだかは知らないが、恐らくとてつもなく切れが悪そうだということは察しがついた。あわれな牛たちだ。切れない針で刺されるのはさぞかし痛いことだろうし、刺す方にしても切れない針を血管に通すというのは至難の業なのである。

と、辺りを見回すと今日の犠牲牛達がまだのんびりと草をはみ、美しい校庭に糞をたれている。体格は小柄で200から300キロといった程度か、大きい牛でもせいぜい400キロ位だと思う。色もまちまちだし、斑が入ったり粕毛が混ざっているのもいて、いったい何て言う品種なのかと不思議に思った。さて、大方の準備が整ったところでいざ採材開始とあいなった。だいたいの流れはこんな感じだ。まず農家のおっちゃん達が力ずくで牛をなぎ倒す。するとマーカーを持ったスタッフがまず牛のケツに番号を書く。そこへ血を採る人がとことこ出向いて採血をする。採った血液は、容器を並べたトレイを持っている人に渡し、番号を伝える。その人は容器に血液を入れて番号を書く。ある程度サンプルが貯まったところでそのトレイを机まで持っていき、新しいトレイを受け取る。血液の入ったサンプルを受け取った人は、その血液をひとつずつヘマトクリット管という遠心用のガラス管に流し込み、粘土で一方をふさいで遠心係に渡す。遠心係は受け取ったヘマトクリット管を遠心器に並べていく。遠心器が一杯になったところで遠心器を回す。遠心が終わったら今度はそのヘマトクリット管を番号順に顕微鏡検査係の人に渡していく。顕微鏡検査係は受け取ったヘマトクリット管を10−15本ずつスライドグラスの上に並べ、それを顕微鏡で見て検査をする。その他にも使い終わった注射器と針を洗う係の人もいる。というわけでざっと10人近くの人間が必要なのだ。このチームによる流れ作業は非常にうまく機能していて僕はいたく感心してしまった。

さてここでヘマトクリット管なるものを説明しておこう。これは薄いガラスでできた直径1.5ミリ、長さ8センチくらいの管である。この中に血液を入れ、粘土で片方だけ蓋をして遠心する。そうすると当然の事ながら一番重たい赤血球が一番下に沈み、その上に白血球、そしてその上に血清の層ができる。こうすることによって血液中の赤血球の占める割合がわかり、貧血かどうかの判断が下せるのだ。正常値は牛だとだいたい平均で40%位だろう。ウガンダではもう少し低く35−30%位だった。何でトリパノゾーマの検査でこれをやるのかと言えば、トリパノゾーマは遠心すると白血球層のすぐ上に集まることが知られており、顕微鏡でその部分をのぞけば容易に見つけることができるからだ。この方法は直接に血液を検査するよりも感度がいいため、フィールドで検査をする時によく使われていた。

こんな感じで検査チームがセットアップをする。写真左、机の上に置いた顕微鏡で検査をする。机の右となり、黄色いふたのついた機械がヘマトクリット用遠心器である。手前の男性は採血が終わった注射器を洗っているところ。全くもって不衛生で、白血病などの病気を逆に感染させてしまう危険もあるが、新品を使えるほどの余裕もなく、「郷に入っては郷に従え」という事にした。


話を元に戻して採材である。僕自身は自分の検査をフィールドで試したかったので、採材の全てを他のスタッフに任せるつもりでいた。ところが結局、採血要員として組み込まれてしまい、あの切れそうもない針のついた注射器を渡されてしまった。やはり採血に一番時間がかかるために採血要員だけは3人いた。獣医ではないが採血のうまいベテラン・スタッフがひとりにジョゼフと僕だ。採血に時間がかかるというのは針に問題がある証拠ではないか、と文句を言ったところで始まらない。とにかく呼ばれるがままに出かけて行って試してみた。普通、牛では頸静脈、つまり首か尻尾から採血を行う。この針では尻尾からは無理だということが目に見えているので、首から採るしかない。「よっこらしょっと」といった気合いの入れ方では、針は牛の皮膚さえ突き破らなかった。「えいやー」という感じでやっと入る。皮膚を通ったとしても血管に入らなければ当然血は採れない。人間と違って動物の場合は血管が皮膚の下で動く(これを新米獣医は「逃げる」といって恐れる)ためになかなか刺さりにくいのだ。左手で首のつけ根を押さえて血管を鬱血させると、浮き出てくるのでわかりやすくなる。また押さえることによって血管がある程度固定される。その上で針を刺すのだが、それでも皮膚の下で何度か引いては突き、引いては突きを繰り返してようやく血を採ることができた。針は予想以上に切れない。しかし牛をおさえている農家のおっちゃんにはそんなことはわからない。彼らは早く僕が採血を終えるのを汗をかきかき待っている。そう思うと気の小さい僕はよけいにあせる。ようやく終わってホッとするのも束の間、またすぐに呼ばれて次の牛へと向かう。だいたい獣医は採血ができてあたりまえという考えが誰の頭の中にもある。確かに動物の保定がしっかりできていて、かつ新しい注射器と針を使えば簡単にできるのだ。ところがこんな場所ではそんな理想的な条件は揃っておらず、かといって回りの人間にそんなことを愚痴っても言い訳を言っているダメな奴としか思われない。寅さんも僕らもつらいのである。だいたい意地の悪い農家のおっちゃんは「ああ、この牛は血がないんだ」なんて平気な顔をして言うからいけ好かない。

というわけで自分の検査どころの話ではなくなった。まあ、僕の検査はUTROに戻ってからでもできるので、「採った血は捨てるなよ」とだけ頼んで採血を続けた。ジョゼフも採血のベテラン君も結構手間取っているから少しは気分も楽になる。学校の休み時間になると子供たちがワーッと押し寄せて来て取り囲み、ジーッと僕のすることを見ているので面白い。余裕がでてきた僕が採血しながら名前を聞いたり何を勉強しているのか聞いたりしていると、「早くやれ」とおっちゃん達に催促される。牛をおさえているから大変なのだ、彼らも。佳境に入ってくると校庭のあちこちで男達が牛と格闘している姿が目にはいる。大きい牛になるとなかなか力ずくで倒すこともできず、ロープを使ったりして数人がかりで組み合っている。一旦倒してしまうと、あとは頭さえしっかり押さえておけば動物は起きあがれないので楽なのだが。あちこちで番号係と採血係を呼ぶ声が聞こえる。検査の結果が出始めるとジョゼフは採血をやめて陽性だった牛に薬を注射し始めたので、残った2人はよけいに忙しくなる。僕が校庭を駆けめぐっている間、暑さで麻痺し始めた頭の中で「いつ終わんのかなあ」という思いも駆けめぐっていた。

初日のこの日、検査した牛の数、221頭。フィールドの検査で陽性の牛は27頭だった。仕事が終わったのは2時過ぎ、ジョゼフ曰く昼飯は帰るまで食わないとのことなので体から力が抜けていく。機材を車に放り込んでいざ出発するまでずっと子供たちに取り囲まれていた。校庭は牛の糞だらけになってしまい、明日から彼らが遊ぶのが大変になることだろう。申し訳なく思いながら車に乗り込んで手を振った。帰る途中雨が降り出し、大きな木の下で雨宿り。ピックアップ・トラックの荷台にも人が乗っているから雨の中を走るわけにはいかない。UTROへ戻った時には4時をまわっていた。(2002 年 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記)

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