フィールドへ出かける、その2・・・

さて今日はパポルへ出かける日だ。いつも通りに朝から快晴、準備作業にも慣れてきて8時前にはラボを出発した。車の中の会話はは毎度のことながらエイズ中心に進んでいく。本来であれば悲惨なはずの人の死が、同僚達の中で消化されると笑い話になってしまう。車の心地よい揺れに身を任せながら駆け抜けていく景色を見つめ、スワヒリ語と英語が交錯する会話にぼんやりと耳を傾けていた。しばらくそうしていると外の世界は現実感をどんどん失っていき、映画のスクリーンの中を走っているような錯覚にとらわれはじめる。このウガンダのどこにでもある日常は、ぼくにとってはそれだけ非日常的な色彩とエネルギーに満ちていたのかもしれない。

「日本には自殺する人が多いんだって聞いたけど本当かい。」と聞かれた。

「ああ、中高年にも、若い世代にも結構いるよ。ウガンダにはいないのか。」と言うと、

「俺たちは他人は殺しても自分を殺したりはしないさ。」と言ってのける。

 彼らが紡ぐ言葉の世界もまた色とりどりで、本当に何でも笑い話になった。

パポルの小学校に到着すると、校庭では沢山の牛が待っていた。いやあ、今日は遅くなりそうだなあと覚悟して車を降りる。手分けをして荷物を下ろし、セットアップをしていた。すると背の高い、明らかに農家のおじさんではない人がひとり校舎の方から早足にやって来た。何か怒っていてろくに挨拶もせずにあれやこれやまくしたてている。無礼な奴だ。ジョゼフが相手をしに出ていく。二人で何やら言い争っているが、僕らは気にもせずにサンプリングの準備を続けていた。しばらくしてジョゼフが話を終えて戻ってくる。一応、手を休めて成り行きを聞いた。

「あいつ、いったい誰だ。何を文句言ってたんだ。」

「この学校の校長だよ。今日、ここでサンプリングすることなんか聞いていないから許可できないって言うんだ。牛の糞で汚れるからさ。」

「へえ、農家に知らせに来た時に話をしなかったんだ。それにもう十分に汚れてるぜ。」

「いや、普通、学校は村のものだから、村の人たちが使う時には特に断らなくても使えるのさ。こんなの初めてだよ。しかもあの校長は牧師だぜ。牧師なら余計に村人の利益を考えるべきじゃないか。信じられないよ。」

「それでどうする。こんなに沢山集まってくれたのに。」

「うん、村の長老が来ているから行って話をしてくるよ。」

 と言ってジョゼフは村の人たちと話をしに行った。僕らは準備も終わり、そこここに腰かけて事の成り行きを見守ることにする。実のところ僕自身はこのことに関して大して気にもとめていなかった。というのは既にこれだけの人と牛が集まってきており、今更、他に移動できるような場所もないという状況で、いくらあの校長がひとり反対したところでそんな意見は通らないであろう事が目に見えていたからだ。果たして校長兼牧師さんと村の長老との激しい言い争いの末に予想した通りの展開となり、いよいよ採材開始の笛が鳴る。

とにかく今日は多い。その時点で校庭にいる牛が200頭は越えていた。しかもまだ続々とやって来る。そんな様子を眺めていたら、採血の終わった血液を集める係のオンディエックが近くにやってきた。彼は、血液を保管する小瓶が並んだお盆のような台を持っている。人のいいオンディエックの顔から笑顔がこぼれ落ちているのはいつものことだが、それがニタニタ笑いになったり馬鹿笑いになったりとどこかおかしい。ひとりで何か言ってはゲタゲタ笑っており、ふらふらと歩き回っている。ジョゼフを捕まえて言った。

「あいつ何かおかしいよ。」

「もう酒を飲んでいるんだ。農家のおっちゃんに酒を持ってきた人がいて、さっき、校長ともめていた間に酒盛りをしたらしい。それでいっしょに飲んだんだってさ。」

「だってまだ朝の9時半だぜ、勘弁してほしいなあ。血液こぼすなと言っとけよ。」

「ああ、わかった。」

 という恵まれた環境の中で長い一日が始まった。

採材風景。小さい牛は力ずくでも倒せるが、少し大きくなるとそういうわけにはいかず、ロープを使うことになる。角が大きいので慣れていないと結構こわい。太っていないから血管はすぐにわかるが、何せ注射針が切れないので血管が逃げて採血はなかなか難しい。


その日は採血をしていた3人ともにひっきりなしにあちこちから声がかかった。農家のおっちゃん達は牛を倒したらできるだけ早いうちに採血を済ませてしまいたいのだが、何せ3人しかいないためにさばききれず、彼らに大変な思いをさせて長い間待たせる事になってしまった。牛も必死なので何とか逃げようとするし、倒そうとすると牛に蹴りを入れられたりするのでみんなかなり熱くなる。その活きのいい牛をひとりふたりで押さえつけておくのは容易でない。その日、全てが終わったのは3時過ぎ、子供たちの相手をする余裕もなく、後半はただひたすら力まかせに注射針を刺しこんでいた。パポルでの採血頭数は420頭で、今回の調査中で最も多くなった。そのうちトリパノゾーマが見つかったのは35頭である。

数日後、今度はブタンガシという村へ出かける。車の中でジョゼフが不安そうにつぶやいた。今日の採材について農家へ知らせに行く事になっていたスタッフがすっかり忘れていて、昨日出かけなかったらしい。4日前には行ったので一応農家の人たちには伝わっていると思うが、果たしてそのうちの何人がまだ覚えているかあまり期待できないと言う。村に着くとジョゼフの予想は当たり、小学校には数人のおっちゃんと20ー30頭ばかりの牛がのんびりと僕らの到着を待ってるだけだった。

「あれだけ言ったのになあ。サンプリングは農家への広報が一番大事なんだ。連絡が十分に浸透したかどうかで集まり具合や協力態勢が全然違ってくる。モーティベーションがうまくいかないと人も牛も絶対に集まらないんだ。」

 と、ジョゼフは誰にあたるでもなくまくし立てていた。僕の中ではこのジョゼフが何の気なしに言った「モーティベーション」という言葉が心の中に深く沈殿し、なぜかそれはそのままずっとそこに残っていた。そしてこの言葉はずっと後になってから大切なキーワードになり、仕事を進めていく上で大きな意味を持つようになった。

その日、採材できたのはたった62頭だった。採材と並行して何人かのスタッフが村に入り、一軒一軒訪ねて小学校へ牛を連れてくるようにと呼びかけた。それでも集まったのはそれだけだ。農家はみんな兼業だから牛の世話ばかりをしているわけではない。他にも色々と用事があるので急に来いと言われても動けないのだろう。決して彼らは来たくなくて来なかったわけではないから余計に悔やまれる。やはり前日にもう一度連絡にまわり、念を押しておくことが大切なのだ。その日の陽性は3頭だけ、昼前に後かたづけもすべて終わった。仕事の後、みんなで記念写真を撮ることにして並び始める。ああだこうだ言いながらみんなが配置につき、僕は三脚に取りつけたカメラからのぞいてあれこれ注文をつける、がひとり足りない。管理部のスタッフ、イスラム教徒のムハンマドがまだ車のところでどうでもいい用事にかまけていた。みんなで何かしようという時には必ずこういう人間がひとりはいるものだ。ジョゼフがイライラして声をかける。

「おい、ムハンマド、何やってるんだ。早くここに来てモスレムらしく立ってみろ。」

 こういう言葉の表現の仕方が、僕が一番アフリカらしいと思うところだ。普通、イスラム教徒にモスレムらしく立てなんて言わない。そんな立ち方などないからだ。それをあえて言うところに彼らの言葉に対するセンスと明るさを感じてしまう。

写真撮影の後、ありがたいことに集まった農家の人たちが簡単な昼食を用意してくれた。シリアで食べていたホブスのようなパンに油で揚げた魚、野菜の炒め物で、みんなであっという間にたいらげてしまった。その中でも一番おいしかったのは飲み物としてふるまわれたバナナ・ワインである。石油を入れるようなポリタンクに入っていたが味はなかなかの美味で、バナナの芳醇な香りと甘みに程良いアルコールの刺激が加わり、ついついコップを口に運ぶ手が頻繁になる。すっかり気に入ってしまい、少し分けてもらえないだろうかと聞いてみたところ、売るためには作っていないのでもう残っていないという。残念無念。しかし、採材はうまくいかなかったものの、バナナ・ワインを味わえただけでも来たかいがあった。

写真左:ひと仕事の後、村の人たちが用意してくれた食事に舌鼓を打つ我が UTRO チーム。コップの中に入っているのはもちろんバナナワインである。写真右:サンプリングの見物につめかけてきた子供達。みんな興味津々で、じっと見守っている。

UTROへの帰り道、みんなの希望でビクトリア湖畔にある小さな村のマーケットに立ち寄った。トロロのマーケットの方が大きいんだから帰って買えばいいのにと思ったが、ここの方が安いんだという。一般庶民の値段への嗅覚はウガンダでも日本でも変わりない。僕も夕食用の野菜類を少し買い、あとはマーケットをブラブラするばかり。魚屋(といっても青空の下にテーブルとまな板が置いてあるだけだが)の前を通りかかると、1メートル以上はあるでっかい魚がちょうど運ばれてきたところだった。ビクトリア湖にはこんなでかい淡水魚がいるんだと驚く。魚屋の主人はこれまた筋肉質のいい体をしたでかい男で、おまけにスキンヘッドなので凄味がある。彼が鉈のような包丁をふるい、気持ちいいくらいにてきぱきと魚をさばいていく様にしばらく見とれていた。トロロの市場で売っている魚はほとんどが干物であり、しかも驚くほどのハエがたかっているためとても買う気にはなれない。しかしここの魚は新鮮だ。魚の解体が始まるとそのまわりに人だかりができ、我先にと切り分けられた魚の切り身に手を伸ばしていく。うちのスタッフも集まってきて取り合いが始まり、最後の一切れをめぐってあるふたりが言い争いをしていた。食い物の恨みは恐ろしいからなあ、、、余計な口出しはすまいと心に決めて傍観していると、泣き叫ぶ中年の女を荷台に乗せた自転車がすぐ後ろの道を走ってきた。何だ何だと思っているうちに過ぎ去り、静かな空気を残していった。誰か親しい身内の者でも亡くなってこれから葬儀にでも出席するのだろうと勝手に想像してみたが、これは大はずれ。あれは泣き女だと教えてもらった。家族の誰かが亡くなるとああいう女を雇い、その人が亡くなったことを他の村に住む知人達に知らせるのだという。泣きながら死の通知を運ぶ女かあ、世の中には色々な職業があるものだ。
写真左:村のマーケット。食料品ばかりでなく衣料品も売っていた。写真右:ビクトリア湖で獲れたばかりの巨大な魚。まわりでさばき終わるのを待っているのは、一緒に採材に出かけた UTRO のスタッフ。

7回にわたるフィールド・ワークで採血した牛は1686頭にのぼった。僕がイギリスで開発した診断キットを使っての検査は、採材の翌日と翌々日にUTROで行った。前にも説明した通り、そのキットは血液中のトリップス抗原、つまりトリパノゾーマ由来のタンパク質を検出することによって感染を証明する方法だ。同様の原理を用いた診断法を用いると、寄生虫学的な診断法(血液中の虫そのものを見つけて診断する方法)に比べて5倍近く感度が良いことが既に証明されていた。果たして僕のフィールド診断法も同程度の感度があることがわかり、かつブルセアイ、コンゴレンゼ、バイバックスと3種類あるトリップスの違いも判別することができた。この3種類の中で人に感染するのはブルセアイだけなので、この区別が可能であることは診断法として特に重要な要件である。たかだか半径50キロという狭い範囲にあっても、それぞれの地域によって感染率が15%から80%近くと大きく異なり、かつ流行しているトリップスの種類にも差があるという結果に少なからず驚いた。これは恐らくツェツェの飛行範囲と大きく関わる現象なのであろう。ちなみに今回の7度にわたるフィールド・ワーク中、捕まえたツェツェはたかだか数十匹にすぎない。実際にフィールドでツェツェが飛んでいる姿を一度も見ることができなかった。それほどハエのポピュレーションが低いにもかかわらず、牛に関しては感染率が驚くほど高い。つまりトリップスに感染したたった1匹のツェツェが、その地域に棲む実に沢山の動物に病気を蔓延させうるということであり、ツェツェの寿命の長さを鑑みれば当然の現象であろうことが容易に推察できた。トリパノゾーマも寄生虫として生き延びていくために、色々な術を身につけているのだ。人間との知恵比べは、今のところまだトリパノゾーマに歩があるだろう。この虫のコントロールの難しさを体で感じることができた2ヶ月間であった。(2002 年 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記)

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