ケニヤにILRAD(現 ILRI)と呼ばれる国際獣疫研究所がある。国際機関に属する獣医関係の研究所の中では最も大きい組織で、日本が第二の出資国である。ウガンダ滞在中に一度ケニヤに出かけたのは、この研究所を見学するためであった。当時、ここで行われていた研究は、タイレリアという寄生虫が引き起こす東海岸熱と呼ばれる病気と、トリパノゾーマのふたつに関するものだけで、他の重要な疾病については全く何も手をつけていなかった。僕は単純に、トリパノゾーマの研究では世界のトップクラスにあったILRADを一度訪れてみたいものだと、わざわざ夜行列車に乗って出かけたのである。研究所はナイロビ近郊の広大な敷地の中にあった。プールがあり、スカッシュ・コート、テニス・コートもある。建物の内部も広々としていて美しい。そしてそこで働いている研究者は予想通りほとんどが欧米人であった。研究の内容はといえば、トリパノゾーマに対するワクチンの開発と西アフリカの在来種であるンダマという牛の遺伝子解析が主である。このンダマという牛はトリパノゾーマの感染に対して抵抗性を持つことで知られていたため、その抵抗性を司る遺伝子を見つけようとしていた。しかしどちらの研究も当時、解決不可能と思える難問を抱えており、そんな先の見えない研究に湯水のごとく金を使い、しかもケニヤで進めなければいけない研究なのかと多くの疑問が湧いてきた。つまり研究所内で行われていたことと、フィールドで僕が見てきたことがあまりにもかけ離れていたために大きな違和感を覚えたのである。これは国際的研究所という性格上、特異な例なのかもしれないが、欧米諸国は多かれ少なかれこのようなひとりよがりの開発援助を進めてきたのではないかと感じた。幸せなことに、僕が訪れてから数年後にILRADはILRIと名称を変え、よりフィールドに根ざした研究へと方向転換を始め、多くの家畜疾病を対象としフィールドに結びついた研究をするようになった。
もうひとつ感じたのはアフリカ人自身の中にある素養というか能力の問題だ。能力といっても頭の良し悪しを言っているのではなく、組織だった持続的努力を必要とする開発援助のような仕事がこなせるかどうかという問題である。前にも書いた通り個々人の知的レベルはかなり高く、実際イギリスで会った多くのアフリカ出身者は話題が豊富でかつ話が面白かった。しかし彼らは往々にして他人の行動に対し批判的な態度を見せるものの、自分から積極的に物事に関わり改善していこうという様な主体性に欠けていた。自分は常に傍観者であり、面倒なことには積極的に参加しない傾向があった。こんな素養を持つ人が多い組織においては何か活動を始めてもすぐに批判ばかりが渦巻き、まとまりがつかなくなってしまう事だろう。自分たちの国や社会の開発をしていく上で、主体性を持って関わろうとする人が少なければ自ずと結果は見えている。私利私欲に走る人が多ければなおさらだ。そうしてアフリカは長年にわたる欧米の援助をスポンジのように吸い取り、それに見合う結果は生み出されなかった。アフリカにおける開発援助の失敗の原因は、援助国側にも被援助国側にもあったのだと僕は思う。
ではどのような開発援助を進めていけばよいのだろうか。開発という仕事にあまり適さない国民性を持つ国を、どうやって発展させていけばよいのだろうか。と、自問したところで、今の僕に答えられるわけがない。まだ、経験も何もないのだから。しかしただひとつだけ感覚的にわかったのは、それにあてはめればすべてうまくいくという数学の公式のような開発理論なんてありえないだろうということ。それぞれの国、ひとつひとつのプロジェクトで条件が異なってくるのだから、同じような方針で物事が進むわけがない。それにかかわる人間の素質も重要なポイントになる。立ちはだかる問題をどう解決していくのか、そこが腕の見せ所であり、人間関係が威力を発揮するところであり、成否の鍵をにぎる分岐点となるのだろう。何事にもモーティベーションが必要なんだ。
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