ガウチョが駆ける・・・
この国はどこまで車で走ろうともなだらかな丘陵地帯が続く。パンパと呼ばれる大草原の海が広がり、ところどころに島のようなユーカリの林が広がっている。それゆえ牧畜はまるで天からこの国に与えられたような産業だ。特に内陸部には広大なエスタンシア(肉牛農場)がジクソーパズルのように並んでおり、多いところでは4000頭もの牛を飼育している。ウルグァイ人には脂肪ののらない赤身肉が好まれており、ヘレフォードと呼ばれる牛の品種が主体だ。この点、隣国のアルゼンチンではアンガス種が多く育てられており、こんなに近くの国にあっても少々異なるのが不思議である。
19世紀の後半、ホワイトは「エスタンシアにおける生活は、この地球上で恐らく最も自由と喜びに満ちているだろう。」と書いている。大地はどの方向を向いても明るく青い空に囲まれている。そこには堅苦しさなど存在せず、活動に立ちふさがる束縛から解放されており、行動をコントロールする必要もなかった。そして100年後の現在、もちろん昔ほどの自由は約束されていないが、それでもエスタンシアの中にはその広さから生まれ出てくる自由な空気を感じることができる。
エスタンシアには暑い日に牛が逃げ込めるような日陰をつくる林と、喉を潤すための池が必ずある。ウルグアイでは基本的に自然草地への放牧だけで肉牛を育てているため、増体率は低いものの牛は至って健康である。だいたい0.6から0.7ヘクタールに一頭の割合でしか飼育されていない。しかし国土の狭い日本では当然そんな優雅な飼い方は真似できず、肉骨粉などを与えて牛を無理矢理太らせるためにBSEが発生してしまった。もちろんウルグアイではその心配は低く未だに発生がない。
エスタンシアで実際に家畜の世話をしているのは、ガウチョと呼ばれるカーボーイ(牧童)たちだ。彼らは農場主に雇われ、住み込んで生活している。仕事は去勢や焼烙(焼き印)、脱角(角を切り落とす)、ワクチン接種、駆虫、等。その他にも羊の世話(実際、牛よりも手間がかかる)や彼らの足である馬の手入れなど、ガウチョの仕事は多岐に渡る。牧場内には必ず検査用のパドックがあり、その出口からは板塀で囲まれた狭い通路が続き、更にその先には保定用の枠場が設置されている。そこに牛を追い込めば一頭ずつ検査することができるのだ。広いパンパの中、ガウチョが馬を駆って走り牛を追う姿は、女性であれば必ずや一目惚れしてしまうであろう程イカしているが、馬を降りた後もカッコいいかどうかは保証の限りではない。
そんなガウチョはもともとパンパの馬に乗った遊牧民であった。紀律を嫌い、いたずらでありながら人に頼らないという威厳を備えた自由の化身である。18世紀半ば、ガウチョは無精で交戦好きなならず者と考えられていた。腹が減ると牛を殺し、新しいシャツが必要になると働き、家も家族も持たない。寒かろうが暑かろうが、地球というベッドに横たわり、ポンチョを掛け、馬の鞍をまくらにして星空の下でぐっすりと眠った。しかしその後、移民してきた人たちが最初に皮革や牛脂の貿易を始めた頃、パンパでの仕事に長けていたガウチョが必要とされるようになった。彼らは牛を集め、市場に連れて行き、皮革、牛脂、ビーフジャーキーを作るために動物を殺した。そしてこの忠誠心が強く誇り高き人々は、彼ら自身の小屋を建て定住するようになっていく。19世紀初めには軍に加入させられ、独立戦争で戦うことを強いられた。そして今日、インディオによる攻撃の危険がなくなるにつれ、パンパは国境やエスタンシアの柵で遮られるようになり、ガウチョも次第にその土地土地の労働者となっていった。
F.B.ヘッドというイギリス人は1828年にガウチョのことをこう書き記している。「ガウチョは非常に尊敬すべき人となりを有する。彼らは常に親切に客をもてなし、旅人は必ずや彼らの小屋で温かい歓迎を受ける。またしばしば天性の威厳を感じさせる素晴らしい作法で客をもてなす。」またかの有名なチャールズ・ダーウィンはこれまた有名な著作「ビーグル号の航海(1836年)」の中でガウチョをこう表現している。ちなみにダーウィンは航海の途中、ウルグアイ中西部に位置するソリアーノ県を訪れ、ラ・ポルテーニャという名前の牧場に滞在している(現在その牧場がある村はビジャ・ダーウィンと呼ばれている)。「ガウチョは例外なく親切な、礼儀正しい、客を上手にもてなす人々である。控えめであり、自分自身とその土地を敬い、同時に勇ましく大胆な友人である。」
定住した後もガウチョの住む小屋は非常に質素であったという。食糧は水と牛肉しか持たず、野菜や果物などは必要になった時に探しに出かけて採って来る。それゆえガウチョは怠惰な人間だと非難されてきたらしいが、それは事実ではなく、彼らがそうありたいと願っていたからに過ぎない。実際、彼らは大変な働き者であり、欲のない人々なのである。この遊牧民であったガウチョの姿を知るにつれ、彼らが砂漠の民ベドウィンと共通点が多いと僕は感じるようになった。威厳を持ち、客のもてなしがうまく、自然に抱かれて質素な生活を送る彼ら。しかしベドウィンが今日でも昔日の面影を強く残し、未だに多くの民が砂漠で暮らし伝統を守っている一方、ガウチョは時代の波にのまれて一労働者となってしまった。この違いは何が影響して生じてきたのだろうか。厳しい砂漠とやさしいパンパという自然環境の違いがそうさせたのであろうか。それとも家族を大切にしたベドウィンと孤独という自由を愛したガウチョが行き着いた当然の帰結なのであろうか。
そんなガウチョの大地を訪れる機会が多々あった。特に繁殖の部屋のレアンドロは精液の性状検査を担当していたので、彼や他のスタッフと日本より供与された診療車に乗って全国あちこちのエスタンシアへ出かけて行った。どの方向へ向かっても目指すのは青い空と緑の大地がまじわるあたりだ。
ウルグアイの牧場にはひとつひとつ名前がついている。特によく訪れたのは国のど真ん中に位置するドゥラスノ県、Cubas del Marones(雄牛の樽)というエスタンシアである。オーナーのマイオさんはモンテビデオの研究所近くにボデガ(ワイナリー)を持っており、普段はそっちの方で暮らしている。ここで毎日、牛や羊の世話をしているのは3人のガウチョ達だ。牛の受胎成績(雌牛が子供を産む割合)が年々悪くなっていると相談があり、精液の検査や繁殖試験をしに何度か通っていた。
受胎成績が悪いと聞いてまず疑うのがキャンピロバクターという細菌病だ。この病気は雄牛から雌牛へ、そして雌牛から雄牛へ交配をすることによって伝染する牛の性病である。人工授精で雌牛を妊娠させている場合には問題にならないが、ウルグアイのように繁殖用雌牛の群に雄を数頭入れて自然交配を行うような繁殖形態では厄介な病気である。新しく導入した雄牛が感染していたりすると、あっという間に雌の群に広がってしまうため、一度入り込むとなかなか排除できない。感染が生殖器に限局されるために抗生物質が効きにくく、特に雄牛は治療がまず難しいのだ。この病気の診断は雄牛からサンプルを採取して行う。先にギザギザがついた60センチくらいの長い棒を、牛のイチモツの皮と茎の間に突っ込んで引っ掻き、その棒の先を濯いだ液を培養して細菌がいるかどうか調べる。こう書くとすごく痛そうに聞こえるが、牛は結構じっとしているのでそうでもなさそうだ。
牛や犬などの動物はイチモツに骨がある。これをラテン語で「オス・ペニス」といい、学生時代に覚えた唯一の学名である。ミンクのオス・ペニスは鍵型をしており、交配していったんはまるとなかなか抜けないのだそうだ。
余談はさておき、牛のイチモツも普段は奥にしまわれているだけなので、その間に棒を突っ込まれてもたいして痛くないのだと思う。そうして培養されたキャンピロバクター菌は顕微鏡下で見ると細長い螺旋形をしている。それが視野の中をかなりのスピードで横切っていくので、ビジュアル的にもパフォーマンス的にも細菌の中でかなり高得点の部類に属する。もちろんこの検査は精液を培養しても可能であるので、この牧場では精液の性状を調べるついでに行うことにした。さてそれでは精液はどうやって採材するのだろうか。人間であればいたって簡単だが、牛で同じように採れるわけがない。それでエジャキュレーターという射精させるための道具を使うことになる。これは直径7−8センチくらいで長さが30センチくらいあるロケットのような形をしており、そこに電極がついている。それを牛の肛門に突っ込んで電流を流すと、隠れていたイチモツが出てきて射精するのだが、こんな風にして無理矢理精液を採られる雄牛は本当に哀れだ。しかし同情はするがやめるわけにはいかない。
学生時代に牛から精液を採取したことがある。ある晴れた日、同級生40人でバスに乗り種畜牧場へ行った。そこで人工授精用の凍結精液を作るために雄牛からの精液採取をするところを見学し、おまけに初めて実際に体験させて頂いた。その牧場では擬牝台というのを使って雄牛を興奮させる。最も擬牝台といっても雌牛の形などはしておらず、単なる台の上に雌牛の皮がかかっているだけの代物だ。つまり雄牛は雌の匂いで興奮するらしい。用意するのは擬牝台の他に人工膣という茶筒を2−3個つなげたような円筒形の道具で、片側には長いゴムのサックが内向きに取りつけられており、そのまわりにお湯を満たしてそれなりの弾力と温度を保つような仕組みになっている。準備ができたところで雄牛を連れてくる。これがまた1トン近くある猛獣でその迫力は並大抵ではない。この雄牛を擬牝台に近づけるとすぐさま興奮して後ろ脚立ちになって台の上に乗る。するとイチモツが飛び出してくるので、すぐさまそれを脇から掴んで人工膣の中に導くと、ズドンという感じでひと突きして射精するという手はずだ。俗に「牛のひと突き」と言うが、まさにその通りである。あっという間に興奮してあっという間に終わってしまうため、採る方にしてみれば楽なことこの上ない。
その種畜牧場にはもうひとつ違ったタイプの擬牝台があった。それは台の下にまるでレーシングカーのドライバーシートのような椅子があり、人がそこに座って採材するという仕組みになっている。つまり頭の上の台に牛が乗り、目の前にイチモツが飛び出てくる形になる。あろうことかこの僕がその役をすることになってしまった。仕方なく台の下に潜り込み、シートの上に腰を下ろして足を前に投げ出した。人工膣を渡され、それをバズーカ砲のように右の肩に担ぐ。雄牛が部屋に入ってきた。おおっという感じで緊張する。と、その時、大学の教官から注意が飛んだ。
「おい、柏崎、口を閉じろ、口を。」
そう、口を開けていてあれが口の中に入ってしまったら笑い話にもならない。あわてて口を閉じるか閉じないかのうちに牛が台に乗り、目の前にイチモツが槍のように突き刺さってきた。左手でぐっと掴み右肩の上の人工膣へ導くとズドンと一発腰を突いてあわれ牛は果てた。この間、ほんの10秒くらいの出来事である。その後、同じ雄牛を使って今度は女性の同級生が採精したところ、一回目の僕よりも量が沢山採れたため、牛でもやはり女性の方がいいのだろうという事になった。
話をドゥラスノ県のCubas del Maroues牧場に戻そう。エスタンシアでのエジャキュレーターを使った採精では、個体によってすぐに終わる牛となかなかうまくいかない牛がいた。そういう時には肛門に手を突っ込んでマッサージをすると結構うまくいく。特にアンヘルがこのマッサージを得意としており、「さすがテクニシャン」と唸らせることもしばしば。男にマッサージされて雄牛がイカサレルのだからかわいそうといえばかわいそうだが、この方がエジャキュレーターを使うよりはまだ人間的であろう。 採取した精液はpH(酸性アルカリ性の度合)、精子の活力、奇形精子の有無、細胞の数、精子の数などを調べ、残りは細菌検査に供された。これで雄牛の価値が決まってしまうわけである。本来であれば牛を買う前に検査をするべきなのだが、なかなか売り手が承知しないのが現状だ。
午前中にこんなサンプリングと検査の仕事をしていると、11時頃には母屋の方で煙が上がり始める。昼食用に羊のアサードを焼き始めたようだ。焼き上がるまでに2時間はかかるためにいつも早い時間から準備を始め、その煙が目にはいると腹が減って昼が待ち遠しくなる。1時過ぎか2時近くになってようやく予定していた仕事が終わると、大地にテーブルを並べ、マイオさんのボデガで作っているPiedra del Toro(雄牛の石)というワインをご馳走になりながらの焼き肉タイムとなる。天気の良い日に野外でワインを飲みながら食べるジューシーなアサードは格別だ。その日は近くにいた子羊の兄弟を殺して焼いたと聞いて驚いたが、こればかりはもう許しを請うしかない。
さて、プロジェクト終了の少し前、東部地域診断センターのあるトレインタ・イ・トレスでセミナーが開かれた。スペイン語での発表を何とか無事にこなし、盛会のうちにセミナーが終了した後、ネストルの友達であるマウリシオの牧場へ向かった。マウリシオが雄牛の細菌検査をネストルにたのんだからだ。エスタンシアに着いた時にはすでに日が落ち、月だけが明るく輝いていた。エスタンシアの中にあるマウリシオの家には普段誰も住んでいない。彼もここでの仕事はガウチョに任せ、モンテビデオで暮らしているという。それでも家にはひとりの若者がいたので、僕はてっきりその人が留守を守るガウチョなのだろうと思っていた。とにかくまずワインを飲み始めて空腹をごまかし、その間にアサードを焼いて食べ終わったのは11時過ぎ。こんな生活をしているからウルグアイ人は不健康なんだと思うが、僕も随分とそれに慣らされて日本に帰ったら冬眠できるくらいに脂肪がついてきた。
翌朝、朝早く起こされて簡単に朝食を済ませる。ネストルと外に出ると、既にマウリシオと昨日の若者、そしてマウリシオのガウチョが馬を集めて何かを始めようとしていた。ネストルによく事情を聞いてみると、今日、これから純血のクリオージョ馬に焼烙(焼き印)をするのだという。クリオージョとはウルグアイ原産の馬の品種で、マウリシオはその繁殖をこのエスタンシアでしているのだという。純血のクリオージョはAsociasi?n Rural del Uruguay(ウルグアイ地方協会とでも訳すのだろうか)に血統書を発行してもらい、焼烙を押すことで初めて純血種であると認められるのだそうだ。昨日の若者はその協会から派遣されてきた人だそうで、この承認のためにわざわざモンテビデオからやって来たのだという。
この日は快晴、朝の空気はまだ冷たくて肌に心地よい。母屋横にあるパドックの中に17頭の馬が囲われていた。焼烙をするのはこの中で2才になった5頭だという。走り回る馬の肌から立ち上る白い湯気を、朝の透明な光が際立たせている。パドックの裏にある林の間から漏れた日が地面を照らし、土の色さえも輝いている。気持ちの良い朝だ。パドックのすぐ外側で焚き火が燃え、番号のついたコテを焼いている。クリオージョは線の細い馬だ。アメリカの血統馬と並ぶと体つきが違うのがよくわかる。繊細で美しい体をしながらも鋼のような強さを保ち、パドックの中を敏捷に駆けまわる。
ガウチョが何とか目的の馬にロープを投げて捕まえた。一頭対二人の引き合いが始まる。あの細い足のどこにそんな力が隠されているのだろうと思うほどクリオージョは譲らない。それでも何とか引き倒して頭を抑えることができたのは、クビにかかったロープのせいで呼吸が苦しくなったからかもしれない。そして血統書の番号をコテでお尻に焼いていくと、白い煙が立ち上ってクリオージョは苦痛に目を剥いた。こうして5頭の焼烙を終えた頃にはすっかりと太陽が昇りきり、空気は透明感を失って熱さを増してきた。最後にマウリシオとエスタンシアのガウチョがロープ一本でクリオージョを一列に並べてみせてくれた。これは頭の良いクリオージョだからできる芸当で、昔からガウチョが受け継いできた技らしい。
このクリオージョ・ビジネスが終わった後でマウリシオとネストルと僕は雄牛からの採材をするために保定設備のある場所まで移動した。その途中、すぐ近くでニャンドゥに出会った。遠くの姿を見ることはよくあるが、近くで目にするのは珍しい。ニャンドゥはパンパに棲むダチョウの仲間である。ウルグアイに来た当初はこんなに大きな野生の鳥が草原を走り回っている姿に驚いたものだが、それも当たり前の光景になってしまった。ダチョウの目は脳よりも大きいというが本当だろうか。僕らは10頭の雄牛から採材をしてマウリシオのエスタンシアを後にした。
ウルグアイ滞在中、多くのエスタンシアを訪れてガウチョと一緒に仕事をしてきた。もちろんほとんどの場合一度限りの出会いであったが、僕が彼らに対して抱いた印象は、「親切で、礼儀正しく、控えめで、客を上手にもてなす人々である」というダーウィンの記述とあまり変わらなかった。特に口数の多いウルグアイ人にあって、例外なく常に控えめであったことが強く心に焼き付いている。
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