パイサンドゥーへ通う・・・

ウルグアイの研究所「Rubino」も地方3カ所に地域診断センターを抱えていた。北部がタクアレンボ、東部がトレインタ・イ・トレス、そして西部がパイサンドゥーにあった。この中でタクアレンボとトレインタ・イ・トレスのセンターは免疫学的な診断に役立ちそうな機材がほとんどなかったので、それなりにベーシックな機材の揃っていたパイサンドゥーのセンターに通ってみることにした。うまいことにここの所長はまだ若かったのでフットワークが良く、スウェーデンに留学していただけあり英語も堪能だった。

モンテビデオからパイサンドゥーまでは約400キロの道のりである。モンテビデオを出てしばらく走るとリオ・ウルグアイを渡り、コロニアへ向かう道を進む。70キロくらい走ったところで右に折れ、あとはひたすら真っ直ぐ進むだけである。この国の景色はどこを走っても全く同じで右も左も緑の牧場が続く。しかしそれでも毎月通っているとそれなりに体が違いを覚えてくるもので、「もう少し走ると並木が続く道だ」とか「次の橋は細くて長いやつだ」とか思い出してくる。交通量はないも同然なので運転はいたって楽。スティングやトニー・リッチ・プロジェクトなんぞを聞きながら快適に飛ばしていく。               

途中、モンテビデオとパイサンドゥーのちょうど中間あたりにある街、トリニダードの小さな食堂で昼飯を食べる。ここのラヴィオレ・コン・ポジョはなかなかうまい。ラヴィオレは中に挽肉の入ったパスタ。小さい餃子を想像すればいい。トマトソースのかかったラヴィオレの上にやわらかく煮込んだ鶏肉のかたまりがのっている。これとカップチーノをいつもたのんで腹をふくらませた。食事の後はガソリンを入れ、一路パイサンドゥーへ向けて再びハンドルを握る。しばらく走るとリオ・ネグロの湖を越える。これはウルグアイの真ん中にできた人造湖で、その西の端のすぼまった部分に2本の橋がかかっている。研究所はこの湖の中に島をひとつ持っていて、そこで牛を飼っている。病気から守られたこれらの牛は、大切に育てられて感染実験などに使われる。リオ・ネグロを過ぎて次に通る街はジュング、アルファベットで「 YOUNG」と書きジュングと発音する。そこからはあと40分も運転すればパイサンドゥーのセンターに到着する。               

センターでは必ず所長のホルヘ(通称フホ)が僕の到着を待っていてくれた。研究所職員の勤務時間は3時まで、モンテビデオの研究所ではみんな2時過ぎには帰ってしまう。しかしフホはいつも夕方遅くまで仕事をしていた。だから特に僕の到着をわざわざ待っているわけでもないのだが、パイサンドゥーにやって来て最初にフホの顔を見ると何か落ち着いた。

このセンターにはスタッフが5人しかいない。獣医はフホとルーベンとバルタブル、テクニシャンのマルセル、それに秘書の女性。フホはどんどん突き進むタイプで、思ったことをすぐに実行に移す。マスコミ関係に宣伝することも忘れないし、ボス(ルビーノの所長や畜産局長)にも物怖じせずに進言する。ポジティブ・シンキングのかたまりみたいな男なので、一緒に仕事をしていると力が沸いてくる。ルーベンはおっとりやさしく、仕事に対する情熱は内に秘めているタイプだろうか。フホといいコンビだ。この二人と全く反対なのが一番若いバルタブルで、典型的な公務員獣医。面倒なことはせずにお金を貯めることと出世ばかり考えている。というわけで誰からもスタッフの一員として数えられていなかった。               

パイサンドゥーが他のセンターに比べてメリットが大きいのは獣医学部のフィールド・ステーションがあるためだ。大学の獣医グループとセンターが良い関係を築いており、お互いに足りない部分を補っていた。またパイサンドゥーの獣医師会はウルグアイ国内で最も組織力が強く、世界牛病学会という有名な国際会議を2000年12月に主催して世界中から参加者を集めた。そのくらい獣医が働く環境が整っている街だったので、僕にとっても勉強になることが多かった。

ここで特に力を入れていたのはネオスポラの検査だ。90年代に入って注目され始めた牛に流産を起こす寄生虫である。ウルグアイでは全く調べられていなかったため、モンテビデオの研究所でペドロと一緒にその診断キットを作り、このパイサンドゥーに持って来た。タイのルイでやったフィールド・ワークみたいなことができればと思っていたのだが、ここウルグアイの牧場の規模はタイと雲泥の差がある。それゆえどこかの牧場に的を絞り、そこの農場を徹底的に調べようということになった。まず流産が多く発生している乳牛牧場(スペイン語で「タンボ」という)をいくつか調べ、その中でどうもネオスポラが怪しいと思われる牧場をひとつ選んで定期的にそこへ通うことになった。

選ばれた名誉ある牧場の名前は「La Armona(ラ・アルモニーア:ハーモニーの意)」である。搾乳牛(実際に乳を搾っている牛)が200頭くらいいる牧場で、それを倍に増やそうとしているところであった。それゆえ新しい牛をどんどん導入しており、それにつれて流産が増えているという。搾乳牛が400頭になるということは、乾乳中(乳を搾っていない期間)の牛や未経産(まだ子供を産んだ経験のない)の牛をまぜて全部でその倍はいるということである。タイで僕らが対象にしていた農家は搾乳牛が5頭だったから、ものすごい違いである。毎朝、毎夕、400頭の牛の乳を搾るのを想像するだけでも気が遠くなるというものだ。そのラ・アルモニーアで牧場の管理を任されていたのがフホの友達のマルセルだった。フホの友達にはやたらマルセルという名前の男が多い。

ラ・アルモニーアはセンターから北へ40キロほど車を走らせたところにある。牧場の中に車をすべらせるとミルキング・バーン(牛を効率よく搾乳する場所)にぶつかる。一度に30頭近い牛を搾乳できるようになっている。そうでもしなければとても400頭の搾乳を一日2回もやってはいられないだろう。搾乳時間の前になるとガウチョと犬が牧野へ牛を集めに行きここまで連れて来る。そして牛は列に並んで大人しく順番を待ち、乳を搾ってもらうわけだ。一頭から平均して一日に20リットル搾るとすれば、毎日8トンの牛乳を生産しているわけだから大したものである。このラ・アラモニーアで最近流産の発生が急に多くなり、マルセルがどうしたものかとフホに相談したのだろう。既に考えうる病気の検査は済ませており、それでも原因が特定できずに困っていた。

まず、クロスセクショナル・スタディなるものを試みることにした。平たく言うとそれぞれの年齢グループの牛から同じ割合になるように採血をして検査をするというだけのことである。つまり一歳以下、一歳、二歳、三歳、と、牛を各年齢ごとにグループ分けし、そのグループの中の同じ割合牛から採血するわけだ。全頭を検査できればそれに越したことはないのだが数が多くてとても無理なので、例えば20パーセントとか30パーセントの牛を検査して全体像をつかもうということ。また母親と子供をペアで検査するのもネオスポラの検査では重要なポイントである。それはこの病気の感染様式が垂直感染(母から子へ)と水平感染(犬から牛へ)によるためだ。陽性の母親の子供に陽性が多いとすれば、この牧場における感染は垂直感染が主だと言える。しかし必ずしもそうでなければ、水平感染の方が強く疑われる。

ちなみにネオスポラ病は犬が終宿主である。ネオスポラに感染した牛の後産や流産胎児を犬が食べると感染する。感染した犬は糞の中にオオシストというステージのネオスポラ原虫を排泄して、それが草と一緒に牛の体内に入ると牛が感染するわけである。牛は一旦感染してしまうと生涯その原虫を体内に抱え、80から90パーセントという高い確率で感染した子供を産んでいく。

さて結果はというと、まずラ・アルモニーアで起こっている流産はネオスポラが原因であることがはっきりした。僕らの抗体調査と並行して流産した胎児をモンテビデオの研究所に持って帰り詳しく検査したところ、確かにその胎児が感染しているという病理学的な証拠を見つけた。もちろん僕らの抗体調査でも統計学的に証明していたのでまず間違いはない。感染様式としては水平感染が強く疑われた。一歳以上の牛ではほとんどの年齢グループで感染率が同じであったにもかかわらず、一歳以下の牛では感染率が極端に低かった事がひとつ。そして母親と子供の間に陽性率の相関関係が見つけられなかったことの2点が理由だ。つまりかなり最近になって、この牧場内で犬から牛への感染があったことが強く疑われた。そうだとすれば多くの母親が感染しているにもかかわらず、その子供の感染率が低い事も納得がいく。子供は親とは全く別の場所で育てられているために、犬からの感染は免れたのだろう。こういう調査はちょっとした推理心をかき立てられてなかなか面白い。

ラ・アルモニーアでの採材が終わると、よく僕らは温泉に出かけた。牧場から更に北へ向かうこと30キロ、途中には牧野に椰子の木が林立する不思議な一帯がある。この椰子の木地帯はウルグアイの東南部から西北部にかけて帯状に走っている。なぜこんな帯状に椰子の木が育ったか、フホの説明ではそこが渡り鳥の通り道だからだということ。渡り鳥が椰子の実を食べ、その種が糞といっしょにばらまかれたということだろう。うーむ、ベリー・ライクリーだが定かではない。その場所は夕暮れ時に通ると本当に素敵なシルエットが広がり、車の中での会話も途切れがちになる。

温泉はグアビジュという街にある。国道のすぐ左側にプールのような町営温泉が並んでおり、入浴は無料、宿泊設備もレストランも整っている。もちろん屋外にあるので水着を着用する。駐車場の近くにはゆっくりと浸かれる長方形の大きな浴槽が二つ並んでおり、上からはシャワーの様に温水が降り注いでいるので、それにあたるとまた気持ちよい。その隣、少し高いところには直径30メートルくらいある丸い温水プールが二つあって、のぼせた体を冷やすのには最適だ。

更衣室で着替えて浴槽に飛び込む。水温は40度程度と低いために長く入っていないとなかなか体は温まらないが、冬の寒い日に話をしながらお湯に浸かっているのはなかなか気持ちがいい。山もないのにウルグアイではこの地域だけ温泉が出る。グアビジュから30キロほどのところにあるサルトが一番有名な保養地であり、パイサンドゥーから東へ向かって車を走らせたアルミロンにも小さな温泉リゾートがある。水質は無色無臭、鉄、カリウム、カルシウム分などが多く含まれているというが味見してもよくわからない。ただ、肌がすべすべするのでやっぱり温泉なのだ。最も男の肌がすべすべしたところでどうってことはないのだが。仕事の後、こんな温泉に入って疲れを癒し、チョップ(生ビール)を飲み、チビートス(ウルグアイ式の豪華なハンバーガー)を食べてから街へ戻った。

パイサンドゥーで気に入っていたところをもうひとつ。ここにレオナルド・ファルコーネというボデガ(ワイナリー)がある。ウルグアイでもかなりマイナーなボデガで、モンテビデオでさえファルコーネのワインを揃えている店は少ない。しかしピサノと同じくヨーロッパのワイン・コンテストで数々の賞を受賞しているだけあり、その味と香りと色には惚れ惚れとしてしまう。特にボデガ内部を案内して頂き、実際にワイン作りにかかわっていらっしゃる方々の姿を拝見してからはすっかりファンになり、出張の度に大量に仕入れて日々の生活に備えていた。

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