プロジェクトが動き出す・・・
キャピタル・マンションと呼ばれるホテルがある。ビクトリア・モニュメントから北へ延びるパホンヨーチンという通り沿い、チャトゥチャックにあるウィークエンド・マーケットの手前に建っている。ベトナム戦争中、タイで休暇を過ごすアメリカ軍の兵士で賑わったホテルらしい。当時、バンコクにはすでに多くの気の利いたホテルがあったにもかかわらず、何故か僕が働くことになったプロジェクトではそのホテルを愛用していた。寒い日本から到着した自分も、もわっとした空気とともにその怪しいホテルへ運ばれ、しばらくそこに滞在することとなった。
翌朝、食事を食べに階下の食堂へ向かう。ある部屋から明らかに素人ではない妖しい女性が出てきて、同じエレベーターに乗り下に降りた。食堂はうらさびれていてもの悲しさが漂っている。長テーブルにフォークとスプーンが沢山セッティングされていたが、食べている人は数少ない。しかもそのほとんどが日本人の様だ。皆、思い思いのいかさない格好で黙々と食べている。どう見ても旅行者には見えないので長期滞在をされているのだろうと勝手に解釈した。席に着くとウェイターの兄ちゃんが食事を運んできてくれる。それは日本食もどきの朝食で、ご飯、味噌汁、焼き魚、沢庵だった。僕はバンコクに赴任して最初の朝食くらい、南国らしく燦々と光の差し込むレストランでおいしい食事を楽しみたかったのだが、それも叶わぬ夢と散った。さい先良いことこの上ない。しかし、バンコクの外面的な華やかさとは対照的なこのホテルの垢抜けない澱んだ空気が、その後時間が経つにつれて僕の中で膨らみ、タイという国のイメージと重なり合っていった。
急いで食事を終えた後、一張羅のスーツに着替えて職場からの迎えを待った。今日が初出勤だ。車に乗って研究所までの道のりを目で追っていく。評判通りものすごい車の数。大きな交差点の信号は警官がマニュアルで操作しており、10分も15分も待たされる。こんなところを自分で運転できるのだろうかと心配になるが、今から気をもんでも仕方がない。ホテルが職場に近いこともあり、30分ほどで車は研究所に到着した。
僕は外務省の外郭団体である国際協力事業団(JICA)の専門家としてこのタイへ赴任した。JICAは日本政府による開発援助を行っている機関で、世界中の発展途上にある国において、あらゆる分野の開発プロジェクトを進めている。僕が働くことになったのは家畜衛生分野(家畜の病気をコントロールする)のプロジェクトであり、研究所の機能強化、動物用ワクチン製造技術の改善、動物医薬品の検定技術の向上といった内容のプロジェクトが、これまでにも多くの国で行われてきた。
さて、プロジェクトの正式名称は「タイ国立家畜衛生研究所プロジェクト・フェーズ2」という。遡ること7年前、日本政府の援助によりタイに家畜衛生研究所が建設され、機材が整備された。このような箱物の援助を無償資金協力という。そしてその完成した研究所が効果的にその役目を果たせるよう、必要な技術を移転する目的でプロジェクト方式の技術協力が開始された。まずフェーズ1の7年間に、家畜衛生研究所として必要な基本的技術のノウハウを移転した。そして1993年12月よりフェーズ2が5年間の予定で開始された。
以上のかたい文章から受ける印象の通り、かなり仰々しい開発援助プロジェクトの専門家として働く機会を与えられ、自分には分不相応ではないかと恐縮していた。もちろん日本人専門家は自分ひとりではない。プロジェクト・リーダー、コーディネーターを中心にして細菌学、生化学、寄生虫学、免疫学の専門家がひとりずつ、つまり全部で6人の専門家とタイ人スタッフでこのプロジェクトを進めていくのである。ちなみに僕は免疫学を担当することになっていた。
もうしばらくかたくるしい文章におつきあい願いたい。このプロジェクトの背景と目的自体を説明しておかなければ話が先に進まないからだ。もともとタイにおけるこの分野の開発援助はその時点より15年前に遡る。バンコクの北200キロくらいのところにあるパクチョンという街に、口蹄疫という家畜の病気に対するワクチンの製造施設を作り、技術を移転したのが始まりである。それと並行してタイ南部のツンソンという街にある地域診断センターにおいても診断技術の向上が図られていた。そしてその流れの中で、タイ国における家畜衛生の中心となるような研究所の必要性が取りざたされ、この家畜衛生研究所が建設された。前にも書いた通りプロジェクトのフェーズ1では、研究所としての基盤を築くことが最重要課題であった。そして今回、その後を受け継いだフェーズ2では、いくつかの重要疾病に的を絞って診断技術を改善し、疾病のコントロールを図ることと、研究所で蓄積された診断技術を3カ所の地域診断センターへ移転することの2点が大目標に据えられた。つまり、バンコクの研究所においてはタイ人スタッフとともに診断方法の改善や開発に取り組み、それを持って地域診断センターへ出かけフィールドでの仕事に役立てるという活動が僕ら専門家に期待されていた。
このようなプロジェクトの目的や活動、成果の指標、外部条件などはProject Design Matrix(PDM)と呼ばれる全体計画と、各専門分野ごとに作られる暫定詳細実施計画(Tentative Detailed Implementation Plan: TDIP)の中で細部にわたって規定されている。プロジェクトに携わるスタッフはその計画に沿って活動を行い、四半期ごとに進捗状況をチェックし、バランス良くプロジェクトが成果を上げつつあるのかを常に意識して仕事をしている。もちろん予定通りに進んでいない活動がある場合には、その原因を探って改善できるように勤める努力をする。
また専門家の仕事はそればかりにとどまらない。特に重要なのが日本より供与する機材の選定や、供与された機材の維持・管理などを責任もって行うこと。特にタイ側のスタッフから要請が上がるリストには、彼らが使いこなせないと思われる複雑な機材や最先端の機器が往々にして含まれているため、よく精査して十分に意見交換を行い、より必要性の高い機材を選ぶよう指導をする。その他にも啓蒙普及活動の一環として中堅技術者に対する研修を開催したり、地方においてはフィールド従事者を対象としたセミナーを計画したりと仕事は多岐にわたった。
さてバンコクでの生活を送るアパートが見つかり、異次元にあったキャピタル・マンションにも別れを告げた。日本で注文しておいた車(70系のランクル・ショートボディで4.5リッターのガソリン車)も到着し、バンコクでの暮らしも板についてきた。あれほど心配していた運転も、いざハンドルを握って車の洪水の中に入ってみると別にこれといって怖いこともない。しかし研究所の方ではまだまだ仕事が軌道に乗っていたとは言えず、方向性を探しあぐねて四苦八苦していた。そんな折、バンコクにおいて東南アジアにおける口蹄疫撲滅のための関係国会議が開催される運びとなった。リーダーがオブザーバーとして出席することになっていたが都合が悪くなり、代わりに僕が出席するようにと仰せつかる。まあ、会議のあるホテルは研究所のすぐ近くだし、おいしい昼食も食べられると言われて物見遊山で出かけた。
口蹄疫(Foot and Mouth Disease)という病気について説明しておきたい。この病気は口蹄疫ウイルスの感染によって発症する牛,豚,めん羊等、偶蹄類(ひずめの形が割れている動物)の急性伝染病である。感染の初期に口,蹄(ひずめ),乳房の皮膚や粘膜に水疱ができ,それが破れることによって糜爛(びらん)化する。そのため痛みが激しく餌が食べられなくなり、滝のようなよだれを流し、また歩行障害を起こす。牛では死ぬことは一般的に少ないが、当然のことながら急激に痩せてしまう。ウイルスは破れた水疱から放出され、まわりの家畜にものすごい早さで広がる。また時には水滴について空中に舞い上がり、風雨によって広い範囲にばらまかれるため、世界中で最も恐れられている家畜伝染病である。それゆえ畜産業への被害が重大なことから,国際的に承認された清浄国は、この病気の常在国からの畜産物の輸入を厳しく制限している。東南アジアの各国は常在国であり、特にマレイシアやタイは何とかしてこの病気を撲滅し、日本のような清浄国に豚肉や牛肉を輸出できるようにしたいと躍起になっていた。しかし動物の非合法的な移動規制がままならない現在の状況では、国境を接する多くの国が協力してコントロールを進めていかないことには、どれか一国だけでの撲滅は不可能に近いという思いから始められた会議であった。
ホテルの広い会議室には長方形に長机が並べられていた。出席者は全部で30人ほどもいるだろうか。議長席にはスイス人が、そして副議長席には日本人が座っていた。東南アジア各国から1−2人ずつ、FAOやIAEAといった国連関係機関の代表、その他にオブザーバーとして並んでいたのは欧米の製薬会社から派遣された人たちだった。東南アジア諸国が中心となるべきの会議なのに出席者の半数以上が欧米人であることにまず違和感を覚える。そして会議が始まると案の定、議事が白人主体で進んでいく。まだタイやマレイシアといった国にこのような会議のまとめ役を務めるだけの力がないのかもしれないが、いい加減欧米諸国が首を突っ込んで舵取りをするのはやめにできないものなのかと少々不愉快な思いで耳を傾けていた。実はその日の前日に何か悪いものを食べたらしく、朝から腹の調子が悪かったので余計に腹が立ったのかもしれない。
そんな中で各国の代表によるカントリー・レポートの発表が始まった。最近における口蹄疫の発生状況を発表するお時間である。いったい国の代表がどう報告するか、僕はこれを楽しみに来ていた。というのはどの国も口蹄疫が蔓延していることを公に公表したくないため政府が発表する数字には嘘が多い。しかし、誰もそんな数字など信用している専門家はいないので、どの程度の嘘をつくか品定めをしようと思っていた。
まずマレイシアの代表が立つ。マレイシアはインドネシアと長い国境を接するボルネオ島ではなく、半島の方で撲滅に向けてかなりの成果を上げている。半島はシンガポールを除けばタイと少しばかり国境を接するだけなので、他の国に比べるとコントロールが容易である。発表では案の定、タイ国境で散発している現状を伝えた。つまりはっきりとタイのせいでなかなか撲滅できないと言っているのだ。それを受けてタイの代表が言うには、マレイシア国境に近い南部ではコントロール・キャンペーンがうまく進んでおり、口蹄疫の発生がないとのこと。それを聞いてFAOの代表が立ち上がる。実はこの方は日本人で、バンコクにあるFAOの地域事務所で10年近く働いておられる方だ。
「だめだよタイは嘘をついちゃ。公式の場で嘘ばかりついているから誰からも信用されなくなるんじゃないか。ちゃんと本当のことを報告しなさい。」
タイの代表が苦笑いをする。お互いに知った仲なのだろう。この方の歯に衣着せぬ発言は僕にとってはかなり爽快感があった。
さて自分が一番気に入ったのはカンボジア代表が行った報告である。この会議の少し前にカンボジアの南部、メコン川沿いで口蹄疫の流行があったことはすでに周知の事実であったため、その流行の原因をどう説明するのかに興味が集まった。代表者は何とも人の良さそうな田舎の兄ちゃんといった風体であったが、国を代表して来ているのだから恐らくエリートなのであろう。彼はオーバーヘッドで地図を示しながら次のような説明を行った。
「この口蹄疫の流行の前、メコン川の上流で出血性敗血症(パスツレラという細菌の感染によって起こる牛の致死的な急性疾患)の発生がありました。みなさんご存じの通り、出血性敗血症に感染した牛は高熱を発するためのどが渇き、メコン川に水を飲みに行きました。ところが高熱で意識はもうろうとしていたために足を滑らせて川に落っこちてしまったのです。悲しいかなその牛はおぼれ死んでしまい、その死体が川下に流れていきました。実はその牛は口蹄疫にも感染していたために、抵抗力の強い口蹄疫ウイルスがその死体の流れ着いた地域に広まり、流行が起こったと考えられます。」
この説明が始まってすぐに出席者から笑い声がもれ始めた。あたりまえだ。こんな絵本の中のおとぎ話のような説明が信用されるわけがない。証拠も一切ない。作り話であることに何の疑いもなかったからか誰からも異論が出ず、和やかな雰囲気の中でカンボジア代表の発表は終わった。これがこの会議で行われたプレゼンテーションの中で最も面白かった発表であり、これを聞いただけでも腹痛をおして来たかいがあったというものだ。こんな国際会議の席上でこのような発表ができるカンボジア代表の彼がいっぺんで好きになり、いつか彼の国でも仕事をしてみたいものだという思いが深く心に残った。学会でもこういった発表が多くなればもっと楽しくなるに違いないのだが。
というわけで、国際会議への出席など専門家の仕事は多岐にわたるというありがたいお話である。自分はこれまでほとんど組織というものに属したことがなく、かつ責任のある立場でなど仕事をしたこともなかった。しかしこういった会議への出席や、職場における様々な人々とのつき合いを通して、これまでの自分には見えなかった世界が広がってきたと感じる。開発援助はこうあるべきだなどという理屈は別にして、どの様に行動していかなければいけないのか、何をするべきなのかが頭の中でぼんやりと焦点を合わせ始めていた。 (2002年 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記、「タイ国立家畜衛生研究所計画」フェーズ2プロジェクト 元長期専門家)
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