開発援助について考える、その1・・・
5年という長きに渡ってひとつのプロジェクトに関わってきた。しかし僕にとっては長かったこの5年間も、開発という観点から考えれば、またタイ人の同僚や農家の人たちにしてみれば、あっという間の時間だったことだろう。5年で変わったこともあれば変わらなかったこともある。持続可能な開発を旗印に多くのプロジェクトが運営されているが、何をもって成功と位置づけるのか、何をもって失敗だと見なすのかが未だによくわからない。
日本の開発援助プロジェクトは Project Cycle Management(PCM)という手法に従って行われる。プロジェクトの開始前に目標、活動内容、予想される成果、評価の指標、阻害要因、などが詳細に検討され、暫定詳細実施計画(TDIP)にまとめられる。この TDIP に従ってプロジェクトの活動が進められ、定期的にその進捗状況をチェックしTDIPの予想される成果に近づいているかをモニターしていく。そうすることによって問題点を洗い出し、プロジェクトの軌道修正を早い段階で行えるようにと考えられた方法である。これは確かにプロジェクトを運営管理していくためには効果的な方法である。定期的な見直しと早期の問題発見は、プロジェクトの方向性を見誤らないために重要なポイントであろう。そしてプロジェクトの終了間際にどの程度まで目標が達成されたか、成果が上がったかを評価し、プロジェクトの成否を見極めることになる。
こう書いてみると非常に論理的にプロジェクトは運営されているような印象を受けるが、実際はそうでもない。人間がすることだから計画通りに進まないのは分かり切っており、その原因は色々と考えられる。物事の考え方、生活習慣の違いに始まり、言語力、個人個人の仕事に対する能力、人間関係、そして組織が内包するセクショニズムに至るまで様々だ。僕は特に日本側とタイ側との温度差をいつも感じていた。日本人専門家チームはこのプロジェクトに従事するためだけに派遣されて来ている。しかしタイ人スタッフにとってプロジェクトは数多くある日常業務の中の一部に過ぎない。表面的には日本とタイの立場は同等であり協力関係にあると謳っているが、プロジェクトにかかる予算の大半は日本が負担しており、そのため日本側とタイ側で運営費用に対する責任感も異なる。税金を使ってプロジェクトを運営している以上、日本側は成果を上げることに真剣に取り組むが、タイ側は同じ程度に精力を傾けているようには見えない。つまりプロジェクトの成果が上がらなかったところで彼らには何のペナルティーも課されないわけであるから、真剣になろうはずもない。また、プロジェクトの成果がなかなか見えてこないと、日本の実施機関は日本人専門家だけにその責任を押しつけてくる事が多い。そうなると今度はとにかく見せかけだけでも成果を上げるために専門家だけで仕事を進めるようになってしまい、本来の目的である技術移転がないがしろになるといった悪循環が生じてくる。つまり、あまりにもTDIPにばかり目を向けた運営をしていると、見た目の成果を上げることに縛られて本来の目的を見失ってしまうこともあるのだ。
ここら辺が開発援助の一番難しいところであろうか。計画なくしてはもちろんプロジェクトの効果的な運営など図れないだろう。しかしその計画に縛られてしまっては大切な事を見失う危険性もある。人間的な部分とどう向き合っていくのか、そこらあたりに鍵があるのかもしれない。成果ばかりを追い求めたところで、それだけで人間が育つとは思えない。人間が育った結果として目に見えた成果が現れてくるというのが最も望ましいプロジェクトのあり方だと思う。しかしその人間的な部分というのは目に見える形で現しにくい事であり、それゆえ評価の対象とはなりにくい。目に見えない人間的な成長が重要な鍵をにぎるプロジェクトにおいて、その評価は成果のみに頼らざるを得ないというところに問題が見え隠れする。最も「目に見えない人間的な成長」を評価するなどということはこれまた至難の業だ。
僕は人間関係の良し悪しがプロジェクトの成否を左右すると考えるようになった。特にタイ人のように集団主義的な社会ではなおさらだ。人から受けた恩や義理でさえも仕事のモーティベーションになりうる。またコネクションのあるなしで仕事の進み具合が大きく異なってくる。それゆえこれといって仕事がなくても同僚と一緒にいる時間を大切にし、仕事の話ばかりでなく個人的なおしゃべりにも花を咲かせた。大した用事がなくても地方へは繰り返し出かけ、同僚とできるだけ長い時間一緒にいるよう心がけた。そうして人間関係を築いていき、常に彼らとの距離を測っていた。つまり、その人にはどの程度のことまで言えるのか、ひとりひとりについて見極めていた。もちろん年齢によっても違ってくるし、言い方も変えなければならない。注意をしたりする時は必ず2人きりの時にして、どこまで言うかは相手によって変えていた。そうすることによってたいていの場合仕事はスムーズに進み、それなりの成果が上がってくるものだった。
プロジェクトの難しさはその運営の面だけには留まらない。プロジェクトは基本的にタイ政府からの要請を受ける形で日本側が調査を実施し、その上で承認されると初めて開始される。その場合、タイ政府が望むものと国民が欲するものが必ずしも一致しないズレが頻繁に見られた。つまりタイ政府と庶民との間にも温度差があるのだ。家畜衛生関係のプロジェクトにしても、必ず「農民の生活の向上に帰する」ことが目標のひとつに掲げられている。しかし、活動の中身を見ると理論的にはまわりまわってそういう方向に進むようになっているが、直接的な効果は期待できそうにない。政府は最先端の設備を整えた研究所が欲しいと要望するが、農家における家畜衛生環境の改善を意図するのであればそれ以前に整備するべき事が多々あるはずなのだ。その点を指摘するべき日本側の調査も政府の見解を全く無視するわけにはいかないので折衝案的な計画に落ち着く。こうなると開始以前に計画の段階で無理があるため、この中途半端さがプロジェクトを運営していく上で大きなネックになってくる。これには被援助国政府の面子や外交関係など色々な政治的要素が絡み合うので、被援助国の国民にとって最も正しいであろう方向にプロジェクトが走り出していけない大きな理由かもしれない。
コンケンのセンターでは数年前までドイツのプロジェクトが行われており、スタッフの中にもドイツで研修を受けてきたり、留学したりしてきた人が多くいた。ドイツの援助の根本的な考え方は、フィールドに根ざした活動と、その地域のレベルに合わせた技術の移転である。特に力を入れていたのはドラッグ・バンクというシステムの導入とその確立であった。寄生虫病は駆虫薬が揃っているため、その管理と配布を村ごとに行ってもらおうという取り組みである。パイロット地域の各村から数人ずつの責任者を選び、彼らに駆虫薬についての講習を受けてもらう。そして政府より供与された薬を彼らが管理し、検査結果にもとづいて村人に配布する役目を担うのだ。もちろん寄生虫の検査自体はサンプルをセンターに送ってもらい、スタッフが行っていた。このシステムはプロジェクト終了後もよく機能して、寄生虫病のコントロールに一役も二役もかっていた。
これは診断センターにおける開発援助プロジェクトの活動が農家の利益に結びついた良い例だと思う。ドイツ・プロジェクトの目的自体が明確でわかりやすい。しかも農家の利益にかなっている。そんなプロジェクトで働いていたコンケンのスタッフゆえに、他のセンターのスタッフに比べてフットワークが良く、頻繁にフィールドへ出かけていた。また我々JICAに頼ることなく、なるべく自分たちだけの予算で問題を解決しようと勤めていた。機材にしても非常にベーシックな機器が多く、その点においてもスタッフの考え方は地に足が着いていたと言える。ドイツ援助の考え方がそれぞれのスタッフに染み通っており、ディスカッションをしていても彼らの仕事に対する自信や熱意がひしひしと伝わってきた。
では、同じく5年間、日本の援助を受けていたツンソンのセンターはどうであったろう。3つのセンターの中で一番機材が揃っている。スタッフの知識も豊富だ。まあまあフィールドにも足を運ぶ。しかし5年間のプロジェクトの末に機材以外で日本の援助が残したもの、システムとか方法論とか目に見えないスピリットといった匂いのようなものが感じられなかった。ランパンのセンターではオーストラリアが援助を続けていた。特にウィルス病である口蹄疫にターゲットを絞っていたために、ウイルスと疫学のセクションのみでの活動であった。日本の援助と同じく機材は充実している。しかしその取り組み方は、オーストラリア国内で開発した診断キットを空輸し、そのキットを試験するフィールドとしてタイを使っているようなプロジェクトであり、どこまでセンター・スタッフの技術レベルの向上に寄与しているのだか、農民の生活の向上に寄与しているのだかは未知数に思えた。
長々とわかりにくいことを書いてきたが、大きなお金が動く開発援助には色々な力が複雑に働きあっている。しかしそれを何とか乗り越え、真の意味で被援助国の国民に資するプロジェクトを立案し、良好な人間関係を通して良い成果を上げていかなければならないのだと心から思う。タイのモンクット工科大学で日本の開発援助プロジェクトが行われた。ひとつの学科(精密機械関係であったと思う)を新設してその教育システムの確立に努めたプロジェクトだ。そして早くもプロジェクト開始から数年後には、その学科の学生グループが作ったロボットがNHKのロボコン世界大会で準優勝を飾ったという。これこそまさに開発援助の醍醐味ではないだろうか。普通、そんなに早くしかもそんなにわかりやすい形でプロジェクトの成果が現れる事は少ないが、そのモンクット工科大学のプロジェクトで汗を流された専門家の方々はさぞかし爽快な気分に浸られたこととだろう。僕もいつかそんなプロジェクトに携わってみたいものだと思う。 (2002年 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記、「タイ国立家畜衛生研究所計画」フェーズ2プロジェクト 元長期専門家)
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