研究所で働く、免疫・血清学研究室の巻・・・

家畜衛生研究所はカセサートという農業分野に強い大学のキャンパス内にあった。チュラロンコン、タマサートと並んで名門国立大学のひとつである。総合大学であり、しかも多くの国立研究機関、附属高校やらが集まっているために、キャンパスはかなり広い。家畜衛生研究所はその一番端に位置しているために、近くの門からでも歩くと15分ほどかかる。しかし建物はさすがに日本の援助で建てられただけあって、質感が良くゆったりとしていた。正面が2階建ての管理棟、その左側に4階建ての研究棟が2棟並んで建っている。更にその奥には実験動物舎があり、大動物も小動物も飼育できる環境が整っていた。裏庭には広い池があって大きな魚も泳いでいたが、オフィシャルには釣りが禁止されていた。

僕が働いていた免疫・血清学研究室は最初の研究棟の二階にあった。ドアを開けて中に入るとまず左側に小さな台所がある。食にうるさいタイ人にとっては大切な空間だ。その横を通ってもうひとつドアを抜けるとだだっ広い部屋の左側に机が、そして右側には実験台がいくつか並んでいる。たいていの検査はここで行われていた。その奥には小さな研究室が左右に並んでいる。左側がレプトスピラという病気の検査をする部屋、そして右側がちょっとした研究をする部屋で、自分は主にこの部屋を使って仕事をしていた。更にその先の左側に僕の机があり、右側にはガラス器具などの洗い場があった。

この研究室ではいくつか重要な病気の血清診断を主体とした業務を行っていた。研究員は全員が女性で、室長さんはパチマというすらっと背の高いちょっとスノッブなおばさんである。彼女は英語がうまかった。タイでは英語を話せる人は多くてもきちんとした英語の文章を書ける人は少ない。しかしパチマは両方に堪能だったため、プロジェクト関係の英文書類のとりまとめなどは彼女の力に負うところが大であった。また彼女はタイ女性には珍しくビールが大好きだったので、日本人スタッフと食事に出かけるのを楽しんでいた。次に控えしはモナヤ。若い頃の写真を見るとすらりとやせ形でかわいらしい女性だったのがわかるが、僕が赴任した時にはもうその面影はほとんど残っていなかった。彼女は性格が良く、親切かつ働き者なのでみんなから頼りにされる。それゆえモナヤひとりで沢山の仕事を抱えるようになってしまい、損な役回りをいつも快く引き受けてくれていた。僕ら日本人チームもついつい彼女を頼ってしまい、いつも申し訳なく思っていた。そしてスリー。大人しいが感じの良い女性で、こつこつと地味な仕事をこなしていかなければいけない研究所という職場に向いた人である。会計を任されていたこの研究室の金庫番。大学の同級生だった旦那さんがビジネスで成功し、毎日運転手付のベンツで研究所まで通っている。僕は主にこのスリーといっしょに仕事をしていた。さてお次はドゥアンジャイだ。美人で陽気な彼女はさぞかしもてたことであろうが、仕事の面ではあまり感心するようなことがなかった。パチマ、モナヤ、スリーという大先輩に囲まれてちょいと影が薄かった気がする。そしてトリは大学卒業間もないレーカである。この子はコケティッシュで愛らしく、それでいて人一倍仕事をこなす頑張りやだ。その後、留学でアメリカに渡ったと聞いたが、おじさんとしてはアホなヤンキーに捕まっているのではないかと心配なことこの上ない。この5人が免疫・血清学研究室の獣医スタッフであり、その他にパラベテと呼ばれる獣医助手が5−6人いた。

仕事の分担はというとパチマとスリーが寄生虫の中の原虫病、モナヤとドゥアンジャイが細菌病、そしてレーカがウィルス病を担当していた。細かく説明すると、パチマはバベシア、スリーがトリパノゾーマ、モナヤは結核、ブルセラ、ヨーネ病、ドゥアンジャイがレプトスピラ、そしてレーカが口蹄疫という振り分けになっていた。僕がいっしょに仕事をしていたのは原虫担当のふたりだったので、その辺のことについて少しつっこんだ話を書いていくが、その前に血清診断とはどんなものなのかということを簡単に説明しておきたい。感染症(伝染病)の診断をする場合、その原因となる病原体を証明することが最も信頼性の高い診断方法である。しかし多くの場合、特定の寄生虫や細菌、ウィルスを短時間のうちに証明することが困難であることから、その病原体を形づくるタンパク質(抗原という)や、そのタンパク質に反応して感染動物が作り出す抗体を証明することにより診断を行うことが一般的である。これが血清(免疫学的)診断法と呼ばれている。具体的には、サンプル中の抗原を証明したい場合は実験動物などを使ってそれに対する抗体をあらかじめ準備しておく。また反対に抗体を証明する場合には培養等の技術を使って病原体(抗原)を用意する。そしてこのふたつが反応してできた結合体を視覚化することによって、そのどちらかの存在を証明するという仕組みになっている。視覚化するのにもいくつか方法はあるが、一番ポピュラーな方法は基質と呼ばれる試薬を酵素で発色させる方法だ。まあ、具体的な例は追々書くことにしよう。

バベシア症という病気がある。牛や羊などがバベシアという名前の原虫に感染することによって起こる感染症だ。人間に置き換えるとマラリアの様な病気である。マラリアは蚊によって伝搬されるが、バベシアはダニによって媒介される。バベシアが牛の体内に入ると赤血球の中に寄生する。形は水滴に似ており、多くの場合二つペアになって赤血球の中にある。両手でそれぞれ人差し指の腹と親指の腹をくっつけ、そして右と左の親指をくっつけ合わせたような感じである。血液塗抹(血液の薄層標本)を染色して顕微鏡でのぞくと赤血球はオレンジ色をしており、その中で暮らすこの原虫は紫色に染まるので結構見つけやすい。牛がこの病気にかかると発熱し、貧血、食欲不振などの症状が見られるようになる。さらに病勢が進行すると黄疸になり、血色素尿を出す様になって死の転帰をとる。タイのバベシアには2種類あるり、急性に進行するボビスという種類に感染してしまうと、具合が悪くなってから死亡するまでにほんの1−2日何てこともあるため、かなり迅速な診断が必要となる。

プロジェクトでは、牛がバベシアに感染した際に体内で作り出される抗体の有無を検査して、この国でどのくらいの牛がこの病気にかかっているかを調べることになった。そしてそれを調べるための検査法を僕がパチマといっしょに開発することになる。前にも書いた通り抗体を検出するためには、その抗体と結合する抗原、つまりこの場合はバベシア原虫そのものを集めなければならない。それをどういう風に行うのかと言えば、100キロぐらいの若い牛にわざとバベシアを感染させ、虫が増えたところで血液を採取しそれから虫だけを取り出すという、選ばれた牛にとっては誠に災難な方法を使った。これも書けば一行で終わるが、実際に行うのは大変な作業を伴う。既にかなりのおえらいさんであり、かつデスク・ワークに忙しいパチマは自分で動くことは少なく、結局、寄生虫学研究室にいた若いふたりの獣医と次のような作業をいっしょに行った。

まず牛をもらってくる。これは政府系機関だけあって融通が利いた。次にその牛の脾臓を取り出す。つまり手術をして脾臓を摘出するのだが、こうすると動物の抵抗力(免疫力)が落ちることが知られている。脾臓には抗体を作り出すリンパ球が沢山含まれるため、これを取ってしまうと抗体の産生能が落ちて病原体(この場合はバベシア原虫)が増えやすくなる。イギリスでもマルセルがマラリアをリスザルに感染させるため、リスザルの脾臓を摘出する手術を手伝ったことがあった。牛が手術から回復すると今度はバベシアを感染させる。普通、こういった原虫類はグリセリンを少し加えることによって生きたまま凍らせておくことができるので、たいていの研究所では色々な寄生虫(細菌でもウイルスでも基本的には同じだ)が既に液体窒素中に保管されている。凍ったバベシアを解凍し、牛に注射するだけである。それから毎日牛の様子を観察して原虫の数と牛の具合をモニターしていく。虫が増えたところで大量に採血し、その血液から虫を取り出すのだが、これがまた厄介なのである。虫が寄生している赤血球を壊すためにボンブ(爆弾)と呼ばれる特殊な容器を用いる。分厚い金属でできたこの容器は高圧に耐えられるようになっている。この中に洗った赤血球を入れ、窒素ガスを注入して圧力をかける。こうすると赤血球の中まで高圧になる。そうしておいて今度は一気に圧力を下げてしまう。すると圧力の急激な変化により赤血球が破裂して中のバベシア原虫が飛び出してくるという、何ともうまいこと考えられた方法だ。これは深い海から急浮上したダイバーが罹る潜水病と同じ原理である。とまあ、こんな面倒くさいプロセスを経て原虫を集め、それを使ってELISAと呼ばれる方法で抗体を検出するシステムを作っていった。この方法は感度が良いため多くの病気の診断に応用されており、例えばBSEの全頭検査もこの方法で行われている。

さてもうひとつは言わずと知れたトリパノゾーマ(トリップス)である。アフリカ以外でもトリップスが問題になっていることなど、タイに来るまで全く知らなかった。昔は日本でも沖縄あたりで問題になっていたらしい。最もアフリカ以外ではツェツェバエが生息していないので、トリップスの種類も少し異なる。東南アジアで問題になっているトリップスはエバンサイという種類の原虫で、人は感染しないので安心だ。姿形はアフリカのトリップスと同じである。この種類のトリップスはアブのような吸血昆虫によって機械的に伝搬される。つまり昆虫の体内での発育過程は持たないということだ。トリップスに感染した動物からアブが血を吸った時、口吻(血を吸う器官)にトリップスを含んだ血が残る。そしてそのまま次の動物にその口吻を刺すことによって、口吻についたトリップスが他の動物に伝搬される。このような感染の形態を「機械的な伝搬」と言う。アブに刺されると痛いものだ。動物も人間も同じである。それゆえ牛や豚はすぐに追い払おうとする。すると食事を邪魔されたアブはすぐまた隣の動物にとまって吸血を再開するのが普通だ。それゆえトリップスは同じ小舎にいる動物の間であっという間に広まってしまう。

トリパノゾーマに感染したところで動物は一見健康である。しかし感染した牛や豚は流産を起こすことが多く、それが問題なのだ。乳牛が流産をしてしまうと乳が搾れない。また繁殖豚が流産してしまえば10匹程度の子豚の損失だ。特に小規模農家にとっては経済的なダメージが大きく、感染症による流産はなるべく避けたい出来事である。

そのトリップスの診断法を開発するのはお手の物だ。イギリスで四苦八苦していたので、どうすればよいかだいたいわかっていた。トリップスの場合、抗原を検出することによって診断をする方が誤診が少なかったため、ここでもそうすることにした。イギリスの時のようにラットを使ってトリップスを殖やし、それを精製し、ウサギに注射して抗体を作る。その抗体でサンプル中の抗原をサンドイッチするようなELISAのシステムを開発して診断に使った。この仕事をいっしょにしていたのがスリーだ。彼女はこつこつと努力するタイプなので物覚えも早く、いっしょに仕事をしていて本当に楽だった。

とまあ、こんなことを毎日シコシコと続けていた。昼食は研究室のコモン・ルームに集まってみんなで食べる。この部屋には他の研究室からも人が大勢集まってくるため、昼食はいつもにぎやかだった。できあいの麺類やご飯ものを食べ、最後はかならずデザートに果物をつつく。みんなで頻繁に外食にも出かける。タイ人の食に対する貪欲さというのは大したものだ。おいしいものを食べるためには本当に労力を惜しまない。特に僕の同僚達はそうだったのだろうか、どこへ出かけても食に対してはうるさかったし、また僕自身もかなり鍛えられてうるさくなった。料理や食べ物の名前だけは未だにすぐ思い出せる。 (2002 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記、「タイ国立家畜衛生研究所計画」フェーズ2プロジェクト 元長期専門家)

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