研究所で働く、寄生虫学研究室の巻・・・
プロジェクト5年間のうち最後の1年半を寄生虫学研究室に席を置くことになった。もともと寄生虫ばかり扱っていたので研究室自体を移ることには問題はなかったが、タイ人スタッフの中にひとり僕のことを目の敵にしている獣医(女性)がいた。それゆえヒステリックなその人と歯に衣を着せない僕との間で何か問題が起こるのではないかという、まわり人々の心配とも期待とも取れる空気を感じながらの移動であった。
この研究室の室長はタサニーというおばさんで、でっぷりと重量級、肝っ玉母さんのように室員には慕われている。そしてナンバー2はピヤヌート、彼女も肉付きがよろしく、このふたりが歩いていると横綱の土俵入りを思い起こさせた。ちなみにピヤヌートの娘はすらっとした美人で、母親の半分ほどしかない。ピヤヌートの若い頃の写真を見ると娘にそっくりなので、娘も20年後にはピヤヌートみたいになってしまうのだろう。その下の2人をおいといて、ナンバー5がモンタカンというやはり重量級の女性獣医だ。彼女はとにかくいつもしゃべりまくっている。うるさいことこの上ない。他のスタッフに「うるさくないか」と聞くとみんな「うるさくてしょうがない」と答えるのに、誰も彼女には注意しない。これは典型的なタイ人の反応で、公の場で口を大にして文句を言ったり言われたりすることを嫌う。それが上司から部下に対してさえも言わないので僕には不思議であった。
一番下の若いふたりは男の獣医で、スティサックとポンサトーンという。スティサックは見るからにやさしそうな男で、いつもニコニコと笑っている。さぞかしストレスがたまるのではないかと思うのだが、あれがタイ社会で仕事をしていく彼の防衛法なのかもしれない。方やポンサトーンは新卒の獣医でなかなかハンサムな若者であったが、タイ人らしからぬところもあり打たれ強い面を備えていた。
この研究室ではほとんどこのふたりと仕事をしていた。パチマがデスクワークに忙しかったため、バベシアやアナプラズマという原虫に関する仕事をこのふたりが担当していた。アナプラズマというのはリケッチアと呼ばれる微生物の仲間で、バベシアと同じように赤血球に寄生して牛に貧血や発熱といった症状を引き起こす。顕微鏡で見ると、バベシアは水滴のような形をしているが、アナプラズマは小さな黒い点にしか見えない。まあ、このふたりはそんな虫と格闘していたわけである。
スティサックはかなり裕福な家庭の出身、方やポンサトーンはどちらかといえば貧しい家庭で育てられた。それが彼らの性格にも端的に現れており、スティサックは笑うことで、ポンサトーンは我慢することで人間関係を乗り切っている様に見えた。スティサックは強く叱るとめげてしまうところがあったが、ポンサトーンは感心するほど打たれ強かった。タイ社会においては年功序列が絶対的である。職場でももちろんで、寄生虫学研究室において下っ端のこのふたりは、室長のタサニーやピヤヌートといった年齢的にずっと上のスタッフには絶対服従が暗黙の了解だ。波風を立てないのがタイ社会である。上司と一見フランクに話しているように見えても、それは下のスタッフがその不文律をわきまえているからといえる。そして自分の役職が上がるにつれてどうしたって役得を振り回すようになる。研究所のスタッフのように国家公務員であればなおさらだ。この研究室ではピヤヌートにそんな傾向があった。本来であれば室長のタサニーがそれを咎めなければいけなかったのだが、人のいい彼女はそれができないでいた。
そのピヤヌートがやっていたのはこんなことだった。彼女の旦那は製薬会社関係に勤めている。顧客は大規模な農場であり、いちばんよく売れるのは寄生虫の駆虫薬である。景気が良いうちは商売もうまくいっていたようだが、アジア経済危機の頃から薬の購入を控える農家が増えてきた。そこで顧客を引き留めるため、ピヤヌートは旦那の会社と取引がある農家の牛の寄生虫検査をすることにした。これが自分で検査をするのであれば夫を助けるけなげな妻の物語りで終わるのだが、そんな面倒なことをタイ人のシニアスタッフが自分でするはずもない。彼女は何百という献体(牛の糞)を持ち込み、獣医助手の若いスタッフにそれらの虫卵検査を押しつけた。獣医助手たちはそれらをこなすために週末も無給で出勤して検査に励んだ。僕もそれを見ていてひどいなあと思っていたが、プロジェクトに関係のないことであるし、タイ人スタッフで解決するべき問題であったので黙っていた。ところがそれを言いだしたのは一番年下のポンサトーンだった。彼はモンタカン、スティサックと一緒にピヤヌートと話し合い、その席で彼女にはっきり「やめるべきだ」と明言した。ポンサトーンにしてみれば自分が検査をさせられていたわけではないので被害はなかったのだが、弱い立場にある同僚の獣医助手が理不尽な仕事をさせられているのが我慢できなかったのだろう。結果的にポンサトーンはこのことが原因でピヤヌートとうまくいかなくなってしまい、僕がタイでの仕事を終えてから1年もしないうちに研究所をやめてしまった。もちろん僕はこの件があってポンサトーンを見直したのだが。
ドイツのHofstedeという人が面白い研究をしている。彼は4つの視点から53の国を点数化し、比較検討を試みた。例えば「男性社会」という視点では我が日本国が53カ国中でトップの座に輝き、北欧諸国が最も低いポイントを得た。この研究の中で、タイは「集団社会」と「権力社会」という観点で高い位置にランキングされている。これはつまりタイ社会が個人主義的というよりは集団主義的であり、かつその集団の中で権力格差が大きいという事を示している。タイトな社会のフレームの中で人々はグループ意識を強く持ち、そのグループの中にははっきりとした階級が存在するのだ。「Working with the Thais」の中でも説明されているが、タイにおける人間関係は多かれ少なかれ強い階級社会の中でコントロールされており、ランクが低い人たちの中にもその方が居心地がよいと思っている人間が多い。タイ人にとっては自分が属するグループの中で良い人間関係を築くことが最も重要であり、そのために摩擦や争いを避ける。それはランクが高い人であっても同じで、職場で怒りをあらわにすることは非常に稀である。上司は部下に、先生は生徒に、そして金持ちは貧乏人に対して慈悲深くあるべきであり、またグループ内の若いメンバーは自分の意見を主張するのではなく、むしろ言われたことを吸収するように期待される。それゆえポンサトーンのような若者はタイ社会の中でははみ出してしまうのだ。
さてここで天敵の話をしよう。寄生虫学研究室の中堅、ナンバー3,ナンバー4のふたりは同級生の男女である。男の名前はノッポン、女の名前はダルニーで、僕よりも少し年上だった。彼らは立ち回りがうまくて欧米人や日本人の研究者の知り合いが多い。欧米人や日本人の研究者はサンプルが欲しいからこのふたりに依頼する。このふたりはそのご褒美に、共同研究者として論文に名前を載せてもらうというギブ・アンド・テイク的な関係が出来上がっていた。それゆえこのふたりは自分が優秀な研究者であると勘違いしているところがあり、他のタイ人スタッフに対しても僕らに対してもろくに挨拶さえしなかったりと非常に感じが悪かった。ノッポンはハンサムでも何でもないのに名うての女ったらしで、JICAが雇っていた秘書にも手を出したこともある。妊娠したその秘書は拳銃を持って研究所に現れ、ノッポンと修羅場を演じた。ダルニーはエリート意識がものすごく強い女だ。しかし服装はというと、いい年をしてヒョウ柄のノースリーブ超ミニを着てきたりする。いったいどこのキャバレーのホステスかと見間違うこともしばしばだった。そのダルニーと僕とは研究所の誰もが認める犬猿の仲で、僕が寄生虫学研究室に移って以来、一触即発に近い状態であったといえる。
ある朝、出勤して研究室に入ろうとすると入り口が閉まっていた。仕方なくベランダにまわり、実験室のひとつから入ることにした。僕はその部屋の鍵しか持たされていなかったからである。しかしその部屋に行ってみるとダルニーがコンピューターの前に座っていた。つまり彼女は最初に出勤したのも関わらず、正面の入り口を開けなかったのである。少しむっとしながら鍵を開けて中に入った。僕は無言のままその部屋を通り抜け、研究室へのドアを開けてその実験室を出た。そのドアが曲者で、閉める時に気をつけないとすごく大きな音がするのである。そして図らずも僕がそのドアを閉めた時に大きな音を立ててしまった。それが引き金となって彼女の癇癪が爆発した。部屋から出てきて大声でわめき出す。僕は知らん顔をして正面の入り口の施錠を解きに行く。ダルニーはわめきながらついてきた。その後で自分の机に向かうと、収まりがつかなくなったダルニーがまだついてくる。僕はこの間ずっと無言である。彼女の性格からして僕が反論をしだすと火に油を注ぐようなものだと思ったからだ。僕は机のところで鞄を置いたり、コンピューターのスイッチとつけたりといつも通りの準備をした。さてコーヒーを煎れに行こうとした時、ダルニーが突然近くにあった段ボール箱を持ち上げ、それで殴りかかってきた。これにはさすがに驚いた。それで僕もプッツンしてしまった。彼女を押し返し、「何をするんだ」と日本語で叫んだ。それを聞いてひるんだ彼女はものすごい形相でどこかへ消えた。「ああ、何かするつもりだな」とは思ったが、放っておけばいいやとたかをくくり、いつも通り仕事を始めた。2時間くらい経っただろうか、専門家チームのリーダーから内線がかかってきた。「ああ、あの件だな」と思いリーダー室へ向かう。リーダーが言うには、ダルニーはあれから警察へ行って僕を逮捕するように要請したそうだ。「床に押し倒され、怪我をした」と言ったらしい。ところが警察では相手にされなかった。それでまたまた収まりがつかなくなったダルニーは病院へ出かけ、「打撲傷」という診断書を作らせた。それを持って軍隊にいる兄さんと研究所に戻り、畜産局の局長宛にレターを書いて所長に渡したらしい。所長はそのレターを預かり、リーダーのところへ相談におとずれたという。
僕は僕のサイドから事の次第をリーダーに説明した。それを聞いてリーダーは「僕も局長宛にレターを書くべきだ」と言う。つまり向こうのレターに対抗するべく、こちらも防衛しておいた方がいいということだ。こういう場合、日本人は悪くなくてもすぐにあやまって事を丸く収めようとするが、うちのリーダーはその点が違っており、なかなかめずらしい人格者であった。しかし研究所の所長はこう言った。
「研究所の誰もがダルニーの言うことなんか信じていない。ヨシの方が正しいと思っている。だからここは事を丸く収めるために謝ってくれないか。」
先にも説明したがこれは非常にタイ人的な考え方だ。事を荒だてることを嫌うため、所長でさえただの研究者に文句が言えない。つまり言った者勝ちのところがあり、だからダルニーのようにまわりのことを気にせずわがままばかり言うスタッフがのさばっていく。僕は自分が一方的に悪いとは思っていなかったので、この申し出は納得できず拒否した。それで仕方なく所長はもう一度ダルニーと話し合い、結局、双方が謝ると言うことで決着させることになった。所長、リーダー、ダルニー、それに僕の4人が所長室に入り、最初に僕が淡々と謝った。それを受けてダルニーが謝る番となったが、悔しそうな顔をして泣き始める。まず申し訳程度に僕に謝った。その後、「迷惑をかけて申し訳ない」と所長とリーダーのふたりに長々と謝る言葉を、僕は白々とした気分で聞いていた。
こういうことを書くと僕は何てひどい奴だと思われる方が多いだろう。しかし一般的なイメージとして多くの人が持つ「途上国の人間=良い人」という図式は全く当てはまらない。どんな国にも悪い奴、嫌な奴はいる。また開発援助の仕事をしているからといって、全ての人とうまくやっていけるわけでもない。もちろんそれなりの努力はするが、相性の良し悪しは少なからずあり、それが無視できなくなる場合もある。その時は無理をするよりも距離を置くなり、他の専門家にまかせるようにした方がお互いのためで、うまく事が運ぶ場合が多い。幸いなことにタイで険悪になったのはダルニーだけだった。彼女はタイ人スタッフとも問題が多かったので、まあ仕方がなかったのだろうと思っている。 (2002年 プロジェクト長期専門家 柏崎 佳人 記、「タイ国立家畜衛生研究所計画」フェーズ2プロジェクト 元長期専門家)
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