羊の糞と格闘する・・・

さて、一息ついたところでおもむろに仕事、つまり検査を始めることにする。研究室にある機材は顕微鏡、遠心器とインキュベーター、あとは試験管やビーカーといったごく一般的なガラス器具程度だ。しかし幸いなことに寄生虫の基本的な検査は顕微鏡が一台あればたいていのことが済んでしまうので、細菌やウイルスといった病原体に比べれば検査自体は簡便である。何故かと言えば、体内に住む寄生虫の多くは宿主(寄生している動物)の消化管内にその虫卵を排泄するため、動物の糞便を顕微鏡下で精査すれば虫卵の形から寄生虫の種類がおのずと明らかになるからだ。また血液中に住む寄生虫にしても、血液を薄く引き伸ばした塗抹を特別な色素で染色することにより、顕微鏡を使って見つけることができる。羊の糞はコロコロしていてかわいく、他の草食動物と同じように臭くないので扱いやすい。ヒトの糞はとてつもなく臭いが、羊の糞は手で触ってもオーケーである。ヒトの糞で思い出したがシリア人は相当に尻癖が悪い。クソをしてもちゃんと流さない人が多く、それは公衆便所で特にその傾向が強い。トイレはたいていスクワット式で懐かしい和式のトイレとよく似ている。そしてお尻がくる位置の右側に水道の蛇口がありホースが取り付けてある。用が終わると右手でそのホースを持ち、水を出して肛門に水を当て、左手で洗う。洗い終わったらそのままパンツをはいて身支度し、そしてホースの水で自分の出したものを流すのだが、それをパスする輩が多いのだ。公共のトイレに入ってまず他の人がした糞を流さなければいけないという現実にはつらいものがある。

ここから少々話の質を高めよう。体内の寄生虫には大きく分けて4つの異なる種類がある。ひとつは線虫と言われ紐のように細長い虫で、回虫やフィラリアなどがこれの代表選手である。次に長くて平べったいことで有名なサナダムシの仲間が属する条虫、そして日本住血吸虫でも知られる吸虫が上げられる。最後のひとつ、僕の一番のお気に入りである原虫は、他の3種類とは異なり肉眼では見つけることができないほど小さな寄生虫でだ。マラリアがこの種類の酋長的存在である。ここハマの研究所で寄生虫の検査のために持ち込まれるサンプルの多くは羊の糞であり、それを検査することによって見つけられる寄生虫には次のようなものがある。

一番よく目にするのは消化管内線虫とひと括りにされる虫たちで、これには沢山の異なった種類がある。その卵の形を見て線虫卵だということはわかるものの、外見だけでは種の判別が不可能な虫が多い。ネマトディルスやマーシャラギアなど、とても子供にはつけられないような名前の虫ばかりである。たいていの牛や羊は線虫をおなかに持っているものであり、若干飼養効率は下がるものの一部の線虫を除いて健康に大きな被害はない。しかし羊では消化管内線虫といえども感染が重度になるとかなり深刻な症状に陥るため侮ることはできない。これらの虫の卵を効率よく探すためには、浮遊法という比重の違いを利用した簡単な検査方法が用いられる。まず塩をどっさり入れた水を用意する。塩はもうこれ以上溶けなくなるまで放り込み、常に塩の結晶が沈殿しているような飽和状態の塩水が一番良い。次に動物の糞をその飽和食塩水とよく混ぜ、その混ざった糞液を試験管にあふれるくらいになみなみと注ぎ込む。そうして30分くらい待つと、その塩水よりも比重の軽い線虫卵は浮いて表面に集まり、比重の重い糞の中のゴミは試験管の底に沈殿するので、塩水の表面部分をちょっと取って顕微鏡で調べると卵が見える仕組みだ。最もそこで見える世界にはインターアクティブで万華鏡の様なきらびやかさはなく、かなりモノトーンで地味であるため毎日見ているとじわじわと飽きがくる。まあどんな検査でも同じ事の繰り返しなので単調にならざるを得ないし、他の多くの仕事もそんなものだろう。だからいつもあまり見かけないような虫卵を見つけると結構うれしいのであるが、羊の寄生虫卵を見つけて喜んでいる自分はあまり好きになれない。

さてハマの研究所で次にポピュラーな寄生虫は肺虫である。これもやはり線虫の仲間だが肺に寄生する。何で肺に寄生しているのにその卵が糞の中に現れるのかというと、それは気管の表面にある繊毛が異物を外に出そうとする動きや咳などの働きによる。肺の中で産み落とされた卵がそういった気管の防御機能により口の中まで送り出されると、唾液や餌といっしょに飲み込まれて胃の中に入るからである。実際には羊が糞を排出するまでに卵は既に孵化しているため、感染した動物の糞の中には沢山の子虫がいる。この子虫は外界に出ると今度はカタツムリのような陸生の巻き貝の中に入って成長する。このように寄生虫が子虫期間に寄生する動物を中間宿主と言い、これは哺乳動物であることもあれば、この巻き貝のように昆虫の仲間であることもある。羊が草を食べるときに子虫に感染した巻き貝を一緒に食べてしまうと、おなかの中で貝が消化されて子虫が放出され、今度はその子虫が腸管の粘膜に食い込んで血管の中に入る。そうなれば後は子虫にとってしめたもので、そのまま血流に乗って肺まで到達し、そこで成長して一人前の虫になる。これで肺虫の生活環が完了する。というわけでこの肺虫のように、成長するまでにちょっとした波乱ぶくみの生涯を送る寄生虫はかなり沢山知られている。

この肺虫の中にシスティオコラスという名前の虫がある。名前の通り成虫になると肺にシスト(包嚢)を作り、その中に入り込む。研究所には、病気で死んだりもしくは死にそうな動物がその原因を調べるため頻繁に運ばれてくるのであるが、そういった動物たちはまず解剖されて肉眼的に悪い部分を検査される。その解剖の時に羊の肺の表面をよく見ると、2−3ミリの小さな茶色のシストが見つかり、その丸く膨らんだシストの表面にメスで傷を入れるとクチャクチャに絡まった虫が飛び出してくる。その団子状の虫を生理食塩水に漬けると、その絡まった虫体が徐々にほどけてきて5分くらいで5センチくらいの糸のような虫になる。どうしてシストを作ってその中に入り込むのか勉強不足でよくわからないが、こんなに小さなひとつひとつの寄生虫にも色々な成長の仕方、生き方があるんだなあと、仕事を通して動物の生態を観察する度に感心してしまう。だから生き物相手の仕事は面白いのだ。

話を元に戻してこの肺虫の検査であるが、ガーゼとぬるま湯を使って糞の中から子虫を取り出すという方法を使う。コロコロとした羊の糞をいくつかガーゼにくるみ、ぬるま湯をたっぷり入れた太い試験管に差し込んでおく。すると暖まって心地よくなった虫たちがガーゼを通って這い出して来るため、試験管の底に落っこちて貯まるのだ。この底の方の水を取って顕微鏡の下で覗くと、忙しく腰を振っている子虫が簡単に見つかる。牛に寄生する肺虫は1種類だけなのだが羊では5種類が知られており、シリアではその全部を見ることができるので検査を始めた頃はなかなか興味深かった。2−3種類の混合感染は当たり前、5種類の肺虫すべてに感染している羊もいたりして、これはかなり楽しめる。その5種類をどうやって見分けるのかというと、しっぽの先の形がそれぞれ異なっているのでそんなに難しくないのだ。ヨーチンを少し垂らすと虫たちは大人しくなり、かつ黄色っぽくヨーチン色に染まるのでじっくりと観察しやすくなる。同僚のハッサンと二人で、「俺はあの虫を見つけた」「今度はこの虫がいた」「いやそれは違うぞ」、などと言い合いながら、単調な検査をこなしていった。

もうひとつよく見つかる寄生虫は条虫である。羊ではベネデン条虫と拡張条虫がよく知られており、シリアでもよく見られた。この検査は消化管内線虫と同じく浮遊法でその卵を見つけることができる。病理検査のための解剖に持ち込まれた動物の腸を開いてみたりするとよくこの条虫が見つかった。見た目は長い長い長いきしめんの様で、頭の部分だけ細くて腸壁に食い込んでいる。体のきしめん部分はよく見ると長方形の片節に分かれており、それが何百とつながって長い長い虫体を作っているのがわかる。この片節ひとつひとつが生殖器官を持ち、それが古い方からちぎれ落ちていく時に中に詰まった卵が糞の中に混ざっていくのだ。糞をよく見るとその表面に片節がくっついていたり、その一部が顔を出しているのを見つけることさえある。人間のサナダムシと同じでこの虫を持っているからといって羊が死んでしまうことはないが、養分を吸い取られてしまうので成長が遅くなるだろう。昔、電車の中吊り広告に、「私はサナダムシで12キロ痩せた!究極の寄生虫ダイエット」という見出しを見つけて驚いたことがあるが、シリアに来てから寄生虫をダイエットに使うというアイデアも悪くないなと思うようになった。在シリア協力隊員の間では生野菜などから感染してしまうアメーバ赤痢やランブル鞭毛虫をかかえているのが普通であったが、女性隊員はそのおかげでかなり体重が減ったといい、「アメーバ様々」と敬意を払う人が多かった。

川や池など、水の近くで飼育されている牛や羊にとってやっかいな肝蛭という寄生虫がいる。その名前からもわかる通り肝臓に巣くう蛭なので、もちろん吸虫の仲間である。虫自体は白くて小さな木の葉のような形をしており、感染した動物の肝臓にナイフを入れるとニョロニョロと姿を現す。この病気は重症になると死に至ることも多いため、反芻獣の重要な寄生虫病のひとつである。何で水辺にいる動物が感染するのかというと、水性の巻き貝が中間宿主であるからだ。動物の肝臓にいる虫の卵は胆管を通って腸管内に排出され、糞に混ざって出てくる。そうするとその卵からかえった幼虫が水の中を泳いで川や池に棲む巻き貝に入り込む。巻き貝の中で十分に成長すると再び水の中に出て来て、今度は水辺の草によじ登りそこでさなぎのような状態になってじっと待つ。そしてその草を牛や羊が食べるとおなかの中で再び幼虫になり、血流を通って肝臓へ到達しそこで成熟するわけだ。この草についたさなぎの状態で、乾燥したまま長い間感染力を保ち続けることができるため、稲藁を餌として与えられた牛なども感染する。ちなみにこの肝蛭という寄生虫の卵は重たくて飽和食塩水の中でも沈んでしまう。それゆえこの寄生虫の虫卵検査をするときには、目の細かさが違うメッシュをいくつか組み合わせ、そこに水で溶いた糞液を通すことによって夾雑物を取り除き、最後に残った糞液の沈渣を顕微鏡で調べる。

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