いざ砂漠へと向かう・・・

朝、約束通りにいすゞトローパーでアブドーが迎えに来た。僕を乗せ、次にファレス、最後にアブドラハーディーをひろってからシリア砂漠へと向かう。シリアは国の西側に大きな街が集まっており、東側はユーフラテス川沿いにいくつか発達した街がある。その二つのラインの間に広がるのがシリア砂漠である。砂漠とはいってもアフリカのサハラのように砂の砂漠ではなく、いわゆる荒れ地のような土漠だ。シリアの緯度は日本とほぼ同じくらいに位置するため、長さの差こそあれシリアには四季がある。3月から4月にかけてが春、それから延々と雲ひとつ無い暑い暑い夏が10月始め頃まで続く。この間は毎日快晴続きで全く雨が降らないため、テレビからは天気予報番組が消えてしまう。その後は徐々にしのぎやすくなり雨も降り始め、12月にはいるともう冬、じとじとと湿った寒い日が3月始め頃まで続く。寒いといっても大したことはないんだろうと思われがちだがそんなことはない。ハマの寒さは東京の冬と変わらなかったし、雪も何度か経験した。

この雨期にあたる冬から春にかけて、シリア砂漠には草の息吹がよみがえり、うっすらと緑に覆われていく。特に春になると黄色いタンポポや赤いケシの花などが咲き始め、夏の間の厳しさが想像できないくらいにやさしい表情を見せる。あんな過酷な夏をどうやって耐えてきたのだろうかと思われるくらいに生命力にあふれ、砂漠も生きているんだなあと感じる。僕らがその砂漠へ足を踏み入れたのは2月も末頃、まだまだ寒い時期であり、残念なことに天気はあまり良くなかった。ハマの街を出る頃はまだ昨日の酒が残っていて頭がボーッとしており、うつらうつらと惰眠をむさぼっていたのだが、砂漠の中へ突き進んで行くにつれてそのいつもと違うカラフルさに、僕の頭の中も次第にはっきりと焦点が合ってきた。ただただ東へ車を走らせる。アブドラハーディーによればハマから150キロくらいのところまで行くのだという。ということはあの砂漠のど真ん中に位置するローマ時代の隊商都市パルミラとハマの丁度中間地点あたりだ。わずかに残る轍を頼りにその砂漠の中へとアブドーが運転していく。カーステレオからはフェイルーズだろうか、よく聴く女性の歌声が聞こえてくる。なかなかこのアラビア音楽には耳がなじまないのだが今日は不思議と違和感を覚えず、あのギュイーン・ギュイーンとうなる弦楽器の音が頭の中に響き渡って砂漠をより身近なものに感じさせてくれる。

車を走らせるにつれてそこここにベドウィンのテントが見えてくる。その周りでは羊たちの群れが草を食べている。ここでは冬から春にかけてが羊の出産シーズンなので、この日目にした羊たちもその多くが子供を連れていた。シリアの羊はしっぽの付け根に大きな脂肪のかたまりがついており、それが肛門の上にかぶさる感じでぶら下がっている。この羊の肉は匂いがほとんど無くて味が良く、牛肉よりも余程おいしい。チーズにしてもラバン(液体ヨーグルト)にしても羊乳で作ったものの方が牛乳で作ったものよりも値段が高く、実際に食べてみても味が濃い。また羊の毛皮は良い防寒着になる。特に子羊の毛皮は軽くて暖かくて肌さわりが良く、おみやげで買って帰ったチョッキを僕の祖母はずっと愛用していた。ただこの羊は羊毛種ではないため毛糸などのウール製品には向かず、必然的にこれだけ羊がいながらシリアではウールのセーターなどがほとんど売られていなかった。

というわけでシリア人、特にベドウィンにとって羊は欠くことのできない相棒である。しかし僕は昔から思っていたのだが羊は間の抜けた顔をしている。牛と違って横長の細長い羊のたれ目は優しく笑っているようにも見えるが、それがかえって間抜けた顔の原因になっていると思う。ただ間抜けな分、飼い主を騙したりというずるさはなく、そこは気の良いアホという感じだ。しかしそれにもかかわらず子羊たちは無条件にかわいい。大人の羊は毛がもこもこで汚れており触りたくもないが、子羊の毛はなめらかで手触りが良く輝いている。顔を近づけるとミルクの匂いがほのかにして本当に愛らしい。これがどうしてあんなに汚い羊になってしまうのか遺伝子の残酷さにおののくばかりだが、これはシリア人の大人と子供の関係に近い。やっぱり相棒というのは似てくるものなのだ。そういえば羊を見るたびに同僚であり今日の同行者であるアホのファレスとよく似ていると思うのだが、そんなことを言ったら羊の方がかわいそうかもしれない。

車で2時間半ほども走っただろうか、周囲を小高い丘で囲まれた広い平地に出た。手前に6−7つのテントが、そして遥か遠くの方にも同じくらいの数のテントが見える。ここには井戸があってベドウィンのベースキャンプになる場所なのだそうだ。まずチーズ工場へ連れて行ってくれるという。こんなところに工場何かあるのかといぶかしく思ったのも束の間、着いてみたらやっぱりテントだった。気を取り直して中に入ってみると二人のおっさんが働いていた。

「アッサラーム・アレイクン、シュローナック、キーファック」

 とお決まりの挨拶をやりとりしてから説明をしてもらう。この時期は出産シーズンであり、かつ草が良いので乳が沢山出るのだそうだ。それでこのテント村で消費しきれない乳をチーズに加工して売っているという。作り方は簡単、集めた羊の乳をでかい容器に入れて加熱する。そして程良く暖まったところでイースト菌を入れて発酵させる。発酵してくると固まってくるので、程良い固さになったところで木綿の布に包んで形を整え、同時に余分な水分を取り除くのだそうだ。木綿の布の大きさにもよるが、このチーズはだいたい15センチ四方くらいの丸みを帯びた正方形で、厚さは3センチくらい。どこでチーズを食べても表面に細かいでこぼこがついているのは、木綿の繊維の跡だったのだという事にこのとき気がついた。このチーズ、匂いがほとんどなくてあっさりしているため、もともとチーズが苦手の僕でさえすんなりと食べることができる。だから恐らく本当のチーズ・フリークには物足りない味だろうと思うが、自分にとってはサンドイッチの好きな具のひとつである。国営カルナックバスのハマ・オフィスでは、小さく平たいコッペパンに5ミリくらいの厚さにスライスしたこのチーズをはさみ、サンドイッチ・トーストにして売っているのだが、これがなかなかの美味である。

さてこのテント工場を後にして近くのテントを訪ねる。何でも所長のアブドラハーディーの知り合いなのだそうで、だからわざわざこんなに遠くまで来たのかと察しがついた。しかし僕にとっては貴重な体験であり、いつもけんかしている所長だが今日は感謝しなければいけない。アラブ人は挨拶に決まり文句が多く、これを一通りすまさなければ本題には入れない。テントの中にはコの字形にカーペットが敷いてあり、そこに座って紅茶を飲みながら30分くらいボーっとアブドラハーディーとベドウィンのご主人のやりとりを聞いていた。そしてようやく話は採材の方向へ進んでいったのであるが、羊は今、放牧に出ているためこのあたりにはいないと言う。しかし1時間もすれば搾乳のために戻って来るので、それが終わったら採材を始めるということになった。そうと決まればテントの中でいつまでもアブドラハーディーのつまらない話を聞いていても仕方がない。さっきから外へ出たくてうずうずしていたので、失礼のないようにご主人と所長に断り、カメラを手に席を立って近くの小高い丘の上に駆け上がった。

丘の上からは緑色に染まった平原が一望できる。このままここに寝ころんで流れる雲を見ていようか。あと2ヶ月もしたらここが真っ茶色の土漠に変わってしまうなんて信じられないが、そういう過酷な時期があるからこそ、冬から春にかけてこの緑から受ける恩恵も大くなるのだろう。この様な土地で一生を暮らす彼らの気持ちなど僕には到底はかり知れないが、少なくとも彼らの生活の一端を感じることができ、またこんなに魅力的なフィールドで働く機会を与えられたという幸運に感謝するばかりだ。日本ではもうあまり見かけなくなったが、この地球上には動物に依存して、もしくは彼らを伴侶として生活している人々はまだまだ多い。獣医を続けている限りはこれからもこんな機会が訪れるのではないかと胸が膨らんでくる。病みつきになりそうだ。

そんなことを思いながら眺めていると、確かに手前のテント村にはまだほとんど羊の姿が見あたらないが、遠くに見えるテント村のあたりには羊が群れている。ある一群では羊が2列に並ばされているので、きっと搾乳を始めるのだろう。と、その時、更にその向こうの丘の上からロバに乗った人が姿を現した。そしてその後ろから次々に羊たちが丘を下りてくるのが見える。そのロバを先頭にして、裾広がりの三列縦隊でえっちらおっちらとやって来る。よく慣れたものだ。一般的な放牧で羊をあやつりまとめるのは犬の仕事であり、後ろから追い立てながら群れを目的の方向へ連れて行くというのがよく見かける光景だ。人が移動させる場合でもやはり後ろから追い立てるのが普通だろう。しかしここではロバに乗った人が先頭に立ち、その後ろから羊が列を成してついてくるのだ。イスラム教では犬を不純な動物として忌み嫌うため、犬はものすごく虐げられている。当然のことながらイスラムの信者であるベドウィンも犬を遊牧には使わないので、こんな風に羊を操る術を身につけたのであろう。遠くに見えたときはゆっくりと進んでいる様に見えたが、近づいてくると結構速くてあっという間にこちらのテント村に到着した。これから搾乳が始まるのだろう。シャッターチャンスを逃すまいと、急いで丘から駆け下りた。

羊たちが戻ってくると搾乳をするために手際よく並べ始める。羊は一頭ずつ交互に向かい合わせて並べられ、一本の長いロープで次々に前足を縛って動けないようにされる。両側の羊の前足が同じ位置にあるわけだから、顔が向きあって目を合わせているのではなく、交互に重なり合っている形だ。こうしておいて両側から二人の人間が順に乳を搾っていく。羊たちは慣れたもので大人しくじっとしている。この搾乳は放牧に出ていた男の人、つまり先程テントでもてなしてくれたご主人の息子さんと彼の奥さんが担当していた。まわりでは小さな子供たちがきゃっきゃと遊んでおり、一番上のお姉ちゃんは搾り終わった乳を運んだりして手伝っていた。ベドウィンはたいてい乳が搾れる雌だけを育て、雄は小さいうちに売ってしまうか食べてしまう。群れに残れる雄は種付け用の優秀な雄だけである。人間社会よりも厳しいのだ。この家族は200頭近くの羊を持っていたが、まだ子供が生まれていない羊も多くて現在搾乳しているのはそのうちの半分くらいだという。それでも100頭だからかなり時間がかかるだろうとのんびりカメラを構えていたら、彼らはさすがに慣れたもので手際が良く、ほんの1時間程度で搾乳は終わってしまった。

さてそれではこれから採材かと思いきや、昼飯を食べてからにしようということになった。テントに戻ると他のメンバーはまだ話に興じていたが、うまいこと一段落したのを見計らい、ご主人にテントの中を見せていただけないかと申し出た。このテントは山羊の毛で織った布で作られており、内部はかなり広い。ついたてでいくつかの部屋に仕切られ、僕たちはが座っているいわゆるリビングの両側にも部屋があるのがわかる。ご主人が言うには「女達の仕事場である台所はお見せできないが、この両側の部屋をお見せしよう」とのこと、喜び勇んで彼の後についてまずテントの一番端の部屋へ入った。そこにはかわいい子羊が数頭つながれており彼の奥さんがミルクを飲ませている。

「何でこの子達は特別にテントの中で育てられているのですか。どこか具合でも悪いのですか。」

「いやいや具合が悪いのではなく、この子達は将来群れを率いるボスの候補生達なので大切に育てているんだ。」

 つまりこの子羊たちは、将来群れを率い雌に種をつけるべく選別されたエリート達なのであった。へえ、と感心しながらも、将来勇ましい男にならなければいけないというのに、何とも過保護に育てられるんだなあとおかしくなった。

さてお次はリビングをはさんで反対側の部屋である。中へはいると何と部屋の真ん中にゆりかごが吊されており、その中でかわいい女の赤ちゃんがすやすやと眠っていた。全く予期していなかった光景で、薄暗い部屋の真ん中にぽっかりと浮かぶように赤ちゃんが眠っていたので、神秘的な空気さえ感じられた。ご主人の息子さん夫婦の子供だという。さっき羊の乳搾りをしていたご夫婦だ。僕のつたないアラビア語では「かわいい」としか言い表しようがなかったが、生命というものはこんなに幼いうちから純粋なエネルギーを発しているんだなあといたく感激してしまった。

テント観光ツアーから戻るとリビングには既に食事の支度が整えられていた。メインに大きなフリッケの皿が置かれ、そのまわりにホンモスやムタッバル、オリーブやサラダといった小さな皿が並ぶ。飲み物はラバンだ。フリッケは麦ご飯の上に羊の肉をのせた料理で、味付けもはっきりしており僕が好きなシリア料理のひとつである。このために今日は雄の子羊を一頭つぶしたのだという。さっき見た子羊の兄弟だろうか。ホンモスはひよこ豆のペースト、ムタッバルは茄子とラバンで作ったペーストで、この二つはどこで食事をしても必ず出されるシリア料理の定番、ホブスにつけて食べると美味である。サラダは普通、野菜を細かく刻んでドレッシングと混ぜてある。ベドウィンにとって野菜は貴重だろうにと申し訳なく思う。ご主人の「ビスミッラー」のかけ声の元に食事が始まる。すべてホブスでつまんで食べる。口へ運ぶのは右手だけ、左手は料理を取る際に添える程度だ。羊の肉もやわらかくてすぐにちぎることができる。シリア人の男たちはおしゃべりでよく話すのだが、食事の時だけは皆もの静かになり、せっせせっせと料理を口に運ぶ。そんなに急がなくてもと思うのだが、ゆっくり食べていると口に合わなくて食べたくないのではと勘ぐられてしまうので、彼らのペースに合わせてせっせせっせと口に運んだ。ラバンの酸っぱさがさわやかで、羊のこってりした脂を洗い流してくれる。20分もするとみんな手の動きが鈍くなってそろそろ終わり、この余った残りの料理を女たち子供たちが食べるので、きれいに食べ尽くすなどという下品なことはしない。隣でお腹をすかせて待っている彼らのためにみんな急いで食べているのかもしれない。

さてこれであとは採材を残すのみかと思いきや、そう人生は甘くないのだ。食事が終わると紅茶である。甘い甘い紅茶を飲みながらまたおしゃべりが始まる。そうして満足すると次は昼寝モード。いつもだと、みんなが昼寝をしてから帰ろうなどと言い出すと「ねえ、早く帰ろう」とだだをこねるのだが、この日ばかりは気分が良くて僕も絨毯の上で横になった。テントに空いた小さな穴から光が漏れてくるのを見ているうちに眠ってしまい、アブドラハーディーに起こされるともう3時を過ぎていた。1時間くらい眠っていたらしい。「採材しなくていいのか」と言われて飛び起きた。さっきの息子さんがそこらで草を食べている羊を一頭ずつ捕まえてくれるので、ファレスと僕が手分けをして糞を取るのだ。ビニールの手袋をして肛門から指をつっこんで糞を引っ掻き出す。これで結構簡単に採取できるが、羊にしては迷惑な話だ。引っ掻きだした糞を手に持ったまま手袋を反転させながら脱ぐと中に糞が入ってそのまま持ち帰れる。こんな調子で40頭ほど糞を採取、その他に10頭ばかりの羊から採血させてもらい、その場で血液塗抹を作った。羊の採血は首の静脈から、毛がモコモコしているのでなかなか見つけにくいのだが、丹念に毛をより分けて首の根本を抑えると血管が浮き出してくるので思ったほど難しくはない。採材がまだ終わらないうちから、アブドラハーディーと運転手のアブドーはそそくさと帰り支度を始めている。さっきまでのんびりしていたのにいざ帰るとなったら行動が早い。この日は流星群が見える日だったので、ぜひテントに泊めてもらって星を眺めたかったのだが、所長が明日用事があるというのでそれはかなわなかった。採材も1時間で終わり、このベドウィンの家族のひとりひとりにお礼を言って帰路についた。ハマに着いたときにはすっかり日も暮れていた。

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