肉屋で過ごす・・・

だいたい予定していた買い物も終え、さて家へ帰ろうか夕飯をどこかで食べていこうか思案に暮れる。荷物も重たいし、すぐに暗くなってくるだろうからこのまま大人しく家へ帰ろうかなとも思ったが、夕飯を作るのも面倒だなと心を決めハッジ・ブラヒームの肉屋で食べることにした。アレッポという北部の街へ続く道沿いにある肉屋だ。ハマでの最初の一年間はその道路沿いの街はずれにあるアパートで暮らしていた。最初にハマへやってきた晩、食糧を探して街へ向かってトボトボ歩いていた時にその肉屋を見つけたのが始まりだ。まだ右も左もわからない頃に行って親切にしてもらった場所には愛着を感じるもので、その店もそんな憩いの場のひとつとなった。街の中心から橋を渡り、公園沿いを歩いていく。すると左へ曲がる道の入り口のところで、全身黒ずくめでベールをかぶったおばあさんが座っている。何をしているんだろうと思いながらその前を通り過ぎた時、しゃがんだおばあさんの足の間の地面からちょろちょろと水が流れてくるのが見えた。何とすわりションをしているのだ。いくら全身を覆っているとはいえ、これは反則何じゃないのかなあと思う。あたりにはまだ人が沢山歩いているというのに、感覚の違いというのは恐ろしいとつくづく感じる。そういえばシリアでは男のすわりションをよく見かける。バスの休憩時間などにそこここでやっているのだが、その姿はどこか女々しくもあり不思議な光景である。ガラビーエというすそまである長い民族服を着ている人が多いため、すわってやった方が楽なのだろう。それに裾が汚れぬように気をつけさえすればあそこを見られる心配もない。立ちションの場合、だだっ広い野原でやるのは落ち着かないものだ。それなりに塀やら木やらを探さなければならない。が、すわりションだとそんなこともない。「オシッコをしている」という事実は隠しようもないが、男の場合は注目に値しないから許せる。しかしやはりいくらお年寄りとはいえ女性にはやめてほしかった。まあ、後にも先にも女性のすわりションを見たのはその時が最初で最後だったので、そのおばあさんはよほど切羽詰まっていたのだろう。

公園を過ぎてしばらく歩くと長い上り坂になる。えっちらおっちら進んで行くと先の方に若いあんちゃんが立ってじっとこちらを見ている。近づいて行くと遠くを見つめているようなふりをしながらちらちらとこちらに目を向ける。そして僕が横を通り過ぎると今度は早歩きで追い越して行き、先の方に行って同じように立ち止まって待っている。こういうあんちゃんはとにかく多い。そこまでして東洋人を見たいのかとあきれるばかりだが、ここハマでは日本人ウォッチングが若者のトレンディーな娯楽のひとつになりつつあるようだ。この程度だとまだいい。やっかいなのは小学校高学年から中学生くらいの年齢のこまっしゃくれたガキどもだ。とにかくしつこくすり寄ってくる。話がしたいだけなんだろうなあとは思うのだが、あまりに数が多いのでいちいち対応もできず、気分が優れない時は神経に障るばかり。近寄ってきて必ず聞くのは「今何時」である。時計を持っているガキでさえ聞いてくる。たいていの場合無視するか「知らない」と答えることにしている。すると、

「だって時計をしているじゃないか。」とくるので

「これは壊れてんの。」と答えることにしていた。これで終わればいいのだが、ひねくれたガキはこの後「アナ・ヤーバーニー(私は日本人)」と歌い出す。これは当時、シリアのテレビで放送されたコメディー番組の中で使われた曲で、日本人をかなり笑いものにした内容だったらしい。全くタイミングの悪い時にシリアへ来る羽目になったもんだ。三年近い滞在中、何度この歌を聴かされたか知れない。

坂道を上りきったところにハッジ・ブラヒームの肉屋がある。ハッジは3人の奥さんと20人の子供を持つ。いつも店で働いているのはアスカリ(兵役)を終えたばかりのムハンマド、現在アスカリに行っているアハマッド、そしてまだ16歳のマフムートの3人兄弟。それに雇われ従業員のライーフで、すぐ裏に住んでいる。彼らの他にいつも店で遊んでいるちび助が二人、6歳になるフェイサルと3歳のバッシャール。ハッジの20人の子供の中で一番下の二人、特にフェイサルは僕のお気に入りだ。アハマッド、マフムート、フェイサルの3人は母親が同じなので顔がよく似ている。

シリアの子供は本当にかわいい。特に赤ん坊から小学校低学年くらいまでの子供は無条件にかわいい。これがエジプトまで下ってしまうとかわいい子供をあまり見かけなくなる。トルコ、シリアあたりはヨーロッパとアジアの血が混ざり合う地域だからかわいい子が多いのだろうか。そういえばシリアは女性も美人が多いが、エジプトはそうでもなかった。そのかわいい子供たちも小学校高学年くらいになるとこまっしゃくれて生意気になってくる。そして15,6歳くらいで大人びてしまい、アスカリに行く頃になるともうどう見ても目のぎょろっとしたアラブの男になってしまう。どうしてこんなにかわいい子供たちがあんなむさ苦しい大人になってしまうのか、まあ遺伝というのはそういう残酷なものなのだろう。そういえばマフムートも最初に会った頃はまだ14歳であどけなさが残っていたが、今では大人びて憎たらしくなってきた。

肉屋の店先には皮を剥かれて内蔵を取り出された羊が丸ごとぶら下げてある。それを客の注文に応じて切り刻んでいく。僕はここで肉を買うことはあまりないが、そのかわりにカバーブを焼いてもらって食べる。日本でシシカバーブといえば羊の角切り肉の串焼きと相場が決まっているが、本場であるシリアではあれをシャカフという。カバーブは羊のミンチ肉を香辛料の葉っぱと混ぜ、つくねのように串に丸長くくっつけて焼いたもので、僕の一番の好物だ。今日はアスカリから休暇で帰ってきているアハマッドに500グラム焼いてもらった。店の前の歩道に焼き鳥を焼くような台があり、いつも炭に火がついているのであっという間に出来あがる。これをホブスにくるんで口の中へ入れると香辛料の香りが漂い、ジューシーで肉のうまみが広がり本当においしい。よくこの店に来るのだが、用事が無くてフラフラしていても誰かしらが相手になってくれるので気が休まる。フェイサルがいれば遊んでやれるし、マフムートも好奇心旺盛なので色々とうるさい。客がいないとみんなで店の前に並べた椅子に座って紅茶を飲み、おしゃべりに花を咲かせる。職場以外に自分をいつでも受け入れてくれる場所を作るということは大切で、くだらない話をしていてもそういう時間を過ごすことこそが僕がシリアで暮らしている最大の理由かなと感じていた。

フェイサルも家へ帰っちゃったし、あたりもすっかり暗くなったし、腹もふくれたし、そろそろ家へ帰るよと立ち上がると、

「これからライーフの家で酒を飲むからちょっと待て。」と言う。

「いやあ、明日仕事で朝早いから帰るよ。」と返すと、

「まあいいじゃないか、飲んでけよ。」とあごをつかまれた。

 今夜は遅くなりそうだと覚悟を決めて再び椅子に腰を下ろす。しばらくして肉を冷蔵庫に仕舞い、シャッターを閉めてみんなでライーフの家へ移動する。近所の連中やライーフの兄弟も加わるのでいつも結構な人数になる。イスラム教徒は酒を飲まないなんていうのは大嘘で、シリアではビール(牛のしょんべんの様だ)もワインも生産している。でも一般庶民が飲むのはシリアの地酒アラックで、アルコール分が高いため水を注ぐと白く濁る。ギリシャのウゾーと同じ種類の酒だ。彼らはこれを飲みながら巻きタバコを吸う。そして酒がまわってくるとそのタバコにハッシシを入れて吸い出す。僕自身はタバコを吸えないのでもっぱら飲むだけだが、タバコとハッシシでは匂いが違うので彼らが吸いだすと一発ですぐにわかる。「ハマは特にイスラム教の戒律の厳しい街だから大変だぞ」と言われて赴任したのだが、ふたを開けてみれば何でもありで他のどの街よりもタブーがまかり通っている様な感じがする。表面上は厳しく縛られているからこそ、陰に隠れてタブーを楽しむのだろうか。いずれにしろ一般庶民は聖人のような暮らしなどできないということだ。酒を飲み出すとみんな話に夢中になって早口になり、僕のアラビア語力では会話についていけなくなってしまうことが多い。それでついつい飲む方に走ってしまいがちになる。夜11時を過ぎたところで酔いがまわった僕は「帰るぞ」と宣言し、タクシーでジェヌーブ・サッカネのアパートへ戻った。

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