ひと息入れる・・・

とまあこんな検査を20匹くらいの羊の糞を相手に格闘していると3−4時間はあっという間に過ぎてしまう。紅茶を新しく煎れ直してから机のある部屋に戻ってひと息入れる。ハッサンは隣に座り、今日の結果を検査台帳に記入するのに忙しい。自分はというとアラビア語のお勉強、なかなか思ったようには話せないが、それでも少しずつうまくなってきているのが自分でもわかるから面白い。最近ではイヤらしい言葉や悪い言葉を覚えだして、タイミングよく笑いをとれるようにもなってきた。みんな僕にそういった言葉を教えたがるので、偏ったアラビア語の知識ばかりが膨らんでいく。

検査台帳を所長室まで届けに行っていたハッサンが部屋に戻ってきた。

「ヨシ、アブドラハーディーが明日砂漠の中のベドウィン・キャンプまで行くけど、一緒に行きたいかどうかと聞いていたぞ。」

「え、行く行く。このところあまり採材に出かけてなかったもんね。それでハッサンも行くのか。」

「いや、俺じゃなくてファレスが行くんだってさ。どうする、やめとく。」

 ハッサンはアブドラハーディーとファレスを僕があまり好きではない事を知っている。

「アブドラハーディーにファレスか、最悪だな。でも面白そうだから行くわ。」

「じゃあ、そう伝えてくる。」

アブドラハーディーというのは研究所の所長だ。まだ30代後半だがルーマニアで学位を取り、ルーマニア人の奥さんを連れて帰ってきたという、かなりいけ好かないインテリぶった男なのである。これまでに何度こいつに約束を破られて言い争いをしたことか、最近では「ヨシは内乱で壊れた廃墟を写真に撮り、日本へ送っている」などとありもしない事をシリア政府筋に報告され、協力隊事務所に事実確認の電話が入ったことがあった。でもまあいつも僕が文句ばかり言っているからか採材には結構協力的で、これまでにもあちこちいっしょに出かけている。たいていの場合はハマの周りでテント暮らしをしているベドウィンを訪ねて、彼らの羊から糞や血液を採らせてもらうのであるが、今回はかなり砂漠の奥深くまで入っていくというのでちょっと心が動く。

もうひとりのファレスというのはこの研究所で一番頭の悪い男である。年はハッサンや僕と同じくらいなのだが、とにかく馬鹿だ。顔の表情からそれがにじみ出ている奴というのもそうざらにはいないだろう。やることも言うことも子供並み、少年のように純真で汚れなき、何ていういい意味ではなく、本当におつむが弱い。両親がかなり裕福なので甘やかされたぼんぼんということか、こういう男は世界中どこにでもいるんだなあと感心することしきり。一度昼食に招待されて実家へ出かけたことがあるのだが、弟はハンサムでしっかりしたいい男だった。ああいう兄貴を持つとやはり弟はしっかりせざるを得ないのであろう。ファレスもハッサンと同じ頃に結婚をした。花嫁は14才。結婚して間もない彼に新婚生活はどうだと聞いたら、

「クワイエス、毎日4回も5回もやってる。」

 だって。それからしばらくして花嫁は実家に逃げ帰ってしまった。これには笑った、笑った。ファレスには悪かったが職場では最高のお茶うけとなった。このファレスが悪いことに所長と仲がいいのだ。というわけで明日の採材はこの最悪コンビと行くのだが、運転手のアブドーもいっしょなのでまだ救いがある。

さてそろそろ2時だ、仕事も終わり。シリアでは公務員の勤務時間は2時までで、街の多くの店も2時で閉まる。そのあとみんな家に帰って昼飯を食べ、昼寝をしてからまた店を開けるのだ。もちろん郵便局など公的な機関の業務は2時で完全に終わり、夕方から再開することもないので結構不便である。だから2つ仕事を持っている人は多い。うちのラボの同僚たちも夕方から自分の店を開いたり、臨床獣医として働いたり、畑仕事をしたりと忙しい。何か研究所にいる時に体を休め、夕方からの仕事に備えているといった感じがしないでもない。

「明日の朝、7時に迎えに行くからな。外で待ってろよ。」

 というアブドーの声を背にしてちゃりんこでえっちらと帰路につく。自転車で出勤してしまったので車で帰れなくなった、えらいこっちゃ。帰り道でホブス(丸くて平たいアラブのパン)に野菜とオリーブ、チーズなんかを入れて巻いたサンドイッチを買い、ひたすらペダルをこいでジェヌーブ・サッカネのアパートへ向かう。部屋で甘い紅茶を飲みながら昼飯を食べ、腹がふくれると昼寝。これだから太るんだけど郷に入っては郷に従え、睡魔と争う気なんて毛頭ない。

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