イングランド - 学究編

don't give up, no reason to be ashamed
don't give up, you still have us
don't give up now, we're proud of who you are
don't give up, you know it's never been easy
don't give up, 'cause I believe there's a place
there's a place where we belong

- Peter Gabriel -

リバプールに到着する・・・

ロンドンのユーストン駅からインターシティーに乗り、リバプールへ向かう。どんよりした曇り空と単調な風景を眺めていると、これから先の3年間がとてつもなく長い時間のように思えてくる。途中、ラグビーとかストラトフォード・アポン・エイボンなんていう聞き覚えのある名前の駅を通過するが、電車の中からでは特にこれといって見るべきものもない。街の郊外には運河がはりめぐらされており、ところどころにパナマ運河のようなロックがあって面白い。マンチェスターを通るのかなあと思っていたのだが、どうも違うラインを走っているようだ。インターシティーのふかふかなシートに座り、車内販売のまずいコーヒーを飲みながらそんな風景を眺めているうちに電車は鉄橋を渡った。これがマージー・リバーだろう、薄汚れていてビートルズのマージー・サウンドとはイメージが重なり合わない。右手には火力発電所とおぼしきでかい建物が見える。左手には自動車工場。ランコーンを過ぎて間もなくインターシティーはリバプールの町中に入り、予定時間よりも15分遅れでドームのようなライム・ストリート駅のホームに滑り込んでいった。リバプールでの生活が始まる。

駅の近くのB&Bにチェックインする。「地球の歩き方」にオススメの宿として紹介されていたのだが、ここを推薦した人のセンスを疑いたくなるような部屋だ。でかい鞄を抱えて他をあたる気もせず、2−3日中にアパートを決められるだろうからまあいいかと気を取り直して宿泊カードにサインした。ご主人の奥さんは気のいいご婦人で、僕を観光客と思いしきりにビートルズの話題を繰り出してくる。後にも先にもビートルズの話をこんなにするローカルは彼女くらいだった。僕自身もビートルズ世代ではないのでそれほど彼らには思い入れがなく、ただ相槌だけ打っていた。荷物を置いて外に出る。とにかく天気が悪くて街全体が沈んで見えた。中心部に繰り出してあちこち店をのぞいてみると、レコード屋には最近発売されたフィル・コリンズのアルバム、「But Seriously...」が沢山並んでいた。これはまだ日本で発売されていなかったなあと思い、CDプレーヤーも持っていないのにCDを一枚買って誰に対するでもない優越感に浸る。これから先、何年かしてこのアルバムを聴くたびに、きっと今日のこと、今の気持ちを思い出すんだろうなあとぼんやり考えながらB&Bへ戻った。

翌朝も曇っていた。朝のワイドショーのようなテレビ番組にあのシャーデーが出演してスムース・オペレーターを歌っている。朝っぱらから聴くような曲じゃないけど、シャーデーはシリアにいる頃に聞き始めて惚れ込んでいたのでいたく感激、こんな時に自分は本当にイギリスに来たんだなあと実感する。ワイドショーの画面からシャーデーが消えた後、歩いて大学へ向かい、自分のスーパーバイザーとなる教授に会った。あっと驚くフランス人で、ああ、そういえば名前がマルセルだったなあと思い出すが遅い遅い。マルセルは体格のよいやさしそうな教授だ。もうひとりのスーパーバイザーはデイビット、彼はイギリス人で臨床医。それなのにお腹が出ていて背が低い。研究についてはあまり詳しくないが人脈が広く、後に僕のブリストルでの研修やウガンダでの採材をすべてアレンジしてくれることになる。僕が実際に仕事をする実験室にはアメリカ人でリサーチャーのカレンがいた。その部屋を二人で使うことになるのだが、彼女も獣医なので何かと心強い、体もたくましい。ものすごい切れ者で、研究する上で実際に必要なテクニックはほとんど彼女から学んだ。これから最も関わりが深くなるであろう人たちの国籍がみんな違い、「おお、インターナショナルでいい感じ」と気分がちょっと上向いた。

僕が選んだ大学はリバプール大学の医学部に付属する熱帯医学の学校で、元々は船員病院であったのが後に発展して学校になったという。世界で一番古い熱帯医学の学校である。日本ではできない勉強をすることが目的の奨学金をもらって行くのだから、当然のことそれを念頭において大学選びを始めた。何故イギリスにしたかというと、アメリカに魅力を感じなかったからだろうか。留学をしようと心の中で決めた時点で、まだその目処も立っていなかったのに両方の国へ下見に出かけた。イギリスの街はおもちゃ箱をのぞいているような感じ、ロンドンの通りを彩る店のディスプレイのセンスの良さと、そこここに漂う伝統と歴史の香りにすっかり参ってしまったというところか。イギリスの後にアメリカへ出かけたのも悪かったのかもしれない。大都市はどこも同じように見え、底の浅さを感じ、そこで暮らす自分の姿を想像できなかった。確かに自然は素晴らしいが、僕には歴史にはぐくまれた文化がなければ生きていけない。アメリカの文化は強いインパクトを持って僕に迫ってこなかった。ニューヨークのメトロポリタンは圧倒的だが、目を見張った展示はすべて海外から持ち込まれたものだ。アメリカで産み落とされたものではない。ボストンで聴いた小沢征爾さんとボストン交響楽団の演奏にはグッときたが、しかしそれだけでボストンの大学を選ぶわけにもいくまい。

まず留学をするに当たって何の勉強をするか決めなければいけない。しかも日本でできないような勉強である。将来、家畜衛生分野の国際協力に携わるに当たり、何が役に立つのだろうかという疑問が浮かぶ。そこで過去の日本の技術協力プロジェクトを調べてみると、多くが動物用ワクチンの製造か感染症の診断技術の改善であった。この二つを天秤にかけて後者を選ぶことに決める。では次に大学だ。日本では出来ない勉強だから当然日本にはない病気についての診断を学ばなければならない。この時点で自分の頭の中に具体的な病気の名前は上がっていなかったのだが、熱帯で問題になっている動物の感染症と取り組むと面白そうだと気がつく。

マルセルとの学内ツアーを終えた後、アパートを紹介してもらうために学生課へ出向く。僕の条件に合うフラットは一件しかなく、とにかく住所を教えてもらってタクシーで出かけた。大学から西へ向かって5−6キロといったところだろうか。セフトン・パークというでかいでかい公園があるアイグバースという地区で、ペニーレインもこの一角から延びている。映画「オーメン」の中で、悪魔の子ダミアンに似たひとりの子供がこの近くに住んでいるというくだりを思い出した。公園のまわりには煉瓦作りのお屋敷が建ち並んでおり、目的の家もそのうちの一軒であった。応対に出てこられたのはハーストさん、60才過ぎくらいの女性だ。彼女はアイルランド出身で、結婚前はしばらくリバプールに住んでいたという。ここはアイルランド出身者の多い街だ。だからIRAもリバプールではテロ事件を起こさない。結婚後はトンブリッジで暮らしていたのだが最近離婚してこの家を買い、また古巣のこの街へ引っ越して来たのである。「熟年離婚」にまつわる空想が頭の中を駆けめぐりながら話を聞く。地階から2階(日本でいう3階)まで4フロアーあり、各フロアー4室ずつだから全部で16室、築150年と聞いてたまげた。このあたりの家はほとんどリバプールがアメリカとの貿易で栄えた19世紀に建てられたのだそうだ。昔の大英帝国の栄華というものはすごかったんだんなあと実感する。彼女はこの家に独りで住んでいるんだ。地下は現在物置、グランド・フロアーと1階を彼女が使っている。2階は4部屋中、2部屋しか使える状態ではないが、その2部屋とバス、トイレ、台所を独り占めしていいとのことだったのですぐに飛びついた。部屋を見せてもらったら来客用のベッドルームでさえ10畳くらいあり、もうひとつのリビング兼ベッドルーム兼書斎はその倍の広さがあった。これで家賃はひと月280ポンド、当時のレートで約6万5千円。その場で即決し明日から住み始めることにした。

翌日、鞄をタクシーに積んで古い古い新居へと向かった。荷物を部屋に置いた後、買い物をしにハーストさんと近くのスーパー、テスコへ行った。と、スーパーの前でハーストさんが近所の奥さんに捕まり話が始まってしまったので、僕はそばに佇み好青年風の笑顔を作ってひたすら待つ。しばらくしてその奥さんが立ち去り、ハーストさんが僕の方へ向き直り言った。

「今、あの人が何しゃべってたかわかった。」

「いや、あんまり。」

「あらそう、私もなのよ。どうもリバプールの言葉はわからないわ、アクセントがね強いから。だから適当に相づちを打っていたの。ここの方言のことをスカウスって言うんだけど、ヨシもこれから苦労するわよ。」

 この言葉は当たった。スカウスはほとんど英語らしく響かないし、語尾が常に上がる感じでなかなかなじめなかった。子供が話すとめちゃくちゃかわいいのだが、大人が話すともろ「私は労働者です」という感じに響く。日本でもそうだがイギリスの方言は相当なものだ。フットボールのワールドカップ・イタリア大会の時にキャプテンを務めていたポール・ガサコインはちゃきちゃきのニューキャッスル訛りを使っていたし、前回、日本・韓国大会でのスター、ベッカムはもろ強い労働者クラス訛りでインタビューに答えていた。果たしてリバプールでプレイするオーウェンはスカウスを話すのだろうかと彼のインタビューを楽しみにしていたのだが、ついぞ日本のテレビでは確認することができなかった。リバプールに住み始めて数ヶ月後、僕は小冊子「スカウスの正しい話し方」のパート1、2、3をみんな購入した。

さてセインズベリーから戻って部屋のかたづけに取りかかる。夕方、ほっと一息ついてコーヒーを煎れ、その香りを楽しみながら外を眺めると、この家の広いバックヤードの向こうにレストランが並ぶラーク・レインの灯りが見えた。日本を出発する前に心に決めた約束事3つが頭に浮かぶ。ひとつ目はもちろん博士号を取ること。ふたつ目は日本語の本を読まないことで、そのとっかかりとして80冊あるアガサ・クリスティーの推理小説を読破する。彼女が書く本はストーリーが面白い上に登場人物の心理描写に優れているので、イギリス人を理解する上で役に立つのではないかと考えたからだ。うまいことに英語のセンテンスが短くて読みやすいという利点もある。いずれにしろ活字好きの僕にとってはなかなか厳しいおきてになりそうだ。そしてみっつ目が人からの誘いを断らないこと。人づきあいは最初大変でも、長くつきあううちに楽しくなってくるものだ、、、と期待して。さて、明日から5年ぶりの大学生活が始まる。

次へ