ブリストルへ行く・・・

さてテーマもようやく決まったので、少しずつ目標に向かって実験を始めなければならない。ところがラボに行っても何から手をつけたらいいのかわからず困ってしまった。うちの免疫グループでトリップスの研究をしているのは、隣の部屋にいるテクニシャンのフィルと学生のジェニファーだが、基礎を教えてもらうには何か二人とも頼りない。それでマルセルと相談して、トリップス関連の診断と実験の基礎を習うために、イギリスで唯一トリパノゾーマの研究だけを行っているツェツェ研究所へ2週間ばかり行くことになった。同じ教室の修士課程で勉強しているケニア人留学生、モーリスが一緒に同行するという。彼は医者で、奥さんと子供をケニアに残し一年間の留学中だ。ひとことで風貌を表現すれば苦み走り過ぎちゃったおじさんという感じか。彼と行くその研究所はブリストル大学獣医学部のフィールド・ステーションの中にあるという。久しぶりに牛や馬に会えそうだ。

出発の日、モーリスとライム・ストリート駅で待ち合わせをした。彼はほぼ時間通りにやって来るなり、

「マンデラが釈放されたな。これで南アも少しは変わるだろう。」と興奮気味に言った。 それはネルソン・マンデラが南アフリカでの長期にわたる刑務所生活から解放された翌日の事だった。恥ずかしいことに僕はその日までネルソン・マンデラのことを何も知らなかった。

「誰それ。」と聞き返すと、驚くモーリス。日本人のアフリカに対する意識の低さを見せつけた格好だ。それから約一時間、ブリストルへ向かうインターシティーの中で僕はモーリスから南アフリカの差別政策とマンデラという人間についての講義を受けた。僕の中ではそれがブラック・アフリカとの最初の出会いだったと思う。白人対黒人の葛藤の歴史は長く、今までにも嫌というほど本やテレビや映画で見てきてはいたが、実際にそれがどういうレベルで起こっているのか実感としては湧いてこない。それはこの先のイギリス生活を通して実際に触れる機会があったのだが、その事についてはまた後で書くことにしよう。

ブリストルでローカル線に乗り換えて指定された駅で降りると、僕たちを受け入れてくれたドクター・ゴッドフリーが車で迎えに来ていた。図書館にこもっていた時に読んだ論文の中に彼の名前が沢山出てきたので良く覚えている。とても品のいいイギリス紳士といった感じの方、トリパノゾーマの研究では有名な人だ。ドクター、ドクターと呼んでいるとデイビットと呼んでくれと言われた。人によっては最初からファーストネームで呼ばれるのを嫌がる気難しがり屋もいるので、初対面の人の呼び方には気を遣う。

獣医学部フィールド・ステイションはラングフォードという小さな村の中にあった。パブが一軒と郵便局をかねた雑貨屋が一軒しかない。ステイション自体はさすがに広くいったいどのくらいの面積があるのだろう。羊や牛の姿を久しぶりに見てそれだけでうれしくなる。研究所はキャンパスの一角にあった。こぢんまりとはしているが清潔で働きやすそうなラボだ。デイビッドは僕ら二人のためにしっかり2週間のカリキュラムを組んでくれていた。こういうところはイギリスの教育機関の素晴らしいところだと思う。二人だけだからまあ適当にというのではなく、必要な研修項目について、それらを担当するスタッフの予定にあわせて時間割を組んでおいてくれる。資料もコピーして揃えておいてくれるので、いつ、何についてどこで誰に習うのかがはっきりしている。修士課程のカリキュラムなども非常によく考えて作られているので、僕も暇があると講義を聴かせてもらっていた。

さてこの研究所が他と違うのは、その名前にある通りツェツェバエを繁殖していることである。もちろん繁殖して大空に放つわけではなく、実験に使うのだ。しかしよく逃げ出して研究所内を飛んでいることがあり、これが外へ出る時にいっしょについてきて、ホステルの近くまで追いかけられて逃げまどったことが何度かあった。最初に刺された時にとんでもなく痛くてそれ以来恐くなった。トリップスを感染させたツェツェは片方の羽を切ることになっているので飛べないから安心しろとの事。学生生活の後半でツェツェを使った感染実験を始めることになり、僕はこの後もこの研究所をしばしば訪れるようになる。

ツェツェはサハラ砂漠以南のアフリカに生息している吸血昆虫でトリパノゾーマを媒介する。大きさは普通のイエバエとあまり変わらないが、もっとすばしっこいというか直線的にピシッと鋭く飛行するという感じだ。こういうことを言うとよく友達に、

「お前は獣医なんだから感覚的に物事を言うな。もっと科学的に説明しろ。」となじられるのだが、できないものは仕方がない。僕は感覚的な獣医なんだ。話を元へ戻す。あたりまえの話だがツェツェはその生態がイエバエとは大きく異なる。まず一回に一匹の幼虫しか産まない。しかも乳腺のような器官を持っていて、お腹に子供を抱えている間授乳するという。その後地中に産み出された幼虫はそこで成長して成虫になる。成虫の寿命は約半年とすごく長いが、その割に産み落とす子孫の数は非常に少ない。少し科学的になってきたか。

この他にもツェツェには面白い特徴がある。それは共生する微生物をしかも数種類体内に抱えているということだ。つまりその微生物はツェツェの体内に住んでツェツェが吸う動物の血液から養分を吸収して生きているわけだが、それと同時にツェツェが必要とする養分を作り出している。つまりツェツェが生ていくために必要だが、動物の血液には含まれていないような栄養を作り出しているという。

何かこれを聞いて大学の時に勉強した反芻獣の生理が頭に浮かんだ。牛や羊のような反芻獣は草原で草を食べている限りにおいてタンパク質を多く摂取することはない。しかし彼らはとてつもなく大きな第一胃の中に小さな原生動物を沢山持っており、その微生物が人では体外に排出されてしまうアンモニアのような不要物を食べ、それに含まれる窒素(非蛋白体窒素という)からタンパク質を合成していくという事である。つまり牛が必要とするタンパク質をお腹に住む原生動物が合成してあげているわけで、ツェツェの共生もこれに似ているなあと感心してしまった。だから生き物は面白い。

ではツェツェがトリパノゾーマに感染した動物の血液を吸った場合、どんなツェツェもトリップスに感染してしまうのだろうか。答えはノーである。何とツェツェは昆虫でありながらトリップスの感染に抵抗する免疫反応を持っている。ツェツェの持つレクチンという物質によって、血液にまざって腸に入ったトリップスは殺されてしまうのだ。ところがある特別な微生物を持つツェツェの体内では、この反応が阻止されて感染が成立する。この微生物は特別な系統のツェツェに見られ、母から子へと受け継がれていく。

実はこの腸管内の感染が成立してもそれでツェツェのディフェンスは終わりではない。トリップスにはもうひとつ越えなくてはならないハードルがある。腸管内のトリパノゾーマが次に唾液腺の中へ移行して発育し、初めて動物に感染可能になるのであるが、その移行に際しても同じようなバリアがあることが知られている。以上のような理由から、自然界ではほんの一握りのツェツェしかトリップスに感染しないため、実際に眠り病の流行が起こっている地域にあっても、ツェツェのポピュレーションにおけるトリップス感染率はきわめて低い。だいたい1000匹中1匹以下と考えられ、そんな低い感染率でさえヒトの間で流行が起こってしまうのがこの病気の恐ろしいところだ。ちなみに研究所で繁殖されているツェツェはもちろん感染能力のある系統のハエだ。

モーリスと僕の研修では、種類の異なるトリップスの見分け方から始まり、感染血液からトリップスだけを取り出す方法、一般的に行われている診断方法、より高度な生化学的分類法などの実習、そしてツェツェの生態学へまで及んだ。先に書いたようなツェツェの体の仕組みばかりでなく、その飛ぶルートやスピードにまで言及している。隣でモーリスが

「見つけたら殺しゃあいいんだ。」と呟いているのが聞こえる。まあそれはそうなのだが、駆除するためにそういうことまで調べているのだろう、昆虫学者は。僕はあくびをかみ殺すのに苦労した。

現在使われているツェツェを捕まえるためのトラップは黒い布と青い布の組み合わせで出来ている。普通、餌や匂いなどで虫をおびき寄せるようなトラップが一般的だが、ツェツェの場合はそういったものは何も使われない。この青と黒の組み合わせが重要らしく、青が誘引色、そして黒はランディング・カラーなのだそうだ。トラップの青い色に惹きつけられて集まり、黒い布に留まって罠に捕まるという。本当だろうかと思うのだが、専門家が言うのだから本当なんだろう。結構アグレッシブな虫だと思っていたのだが、思ったよりは頭が悪そうでちょっとがっかりした。黒人と白人が一緒にサバンナを歩いていたら、ツェツェは黒人の方を刺すのだろうか、なんていう疑問も湧いてきたが質問はしなかった。アフリカに行く機会があったら青い服と黒い服は着ないようにしようと心に決める。いずれにしろ青と黒のコーディネートはあまり好きではない。

さて研修中の週末、花柄のネクタイを買いたいというモーリスのたっての希望でブリストルの街まで出かけた。

「花柄のネクタイなんか似合わねえよ。」と言ったのだが聞かない。もうわがままなんだから。フィールド・ステーションのあるラングフォードからブリストルまではバスで一時間半くらいかかる。しかもバスは2時間に一本しかない。9時頃のバスに乗ったので11時前には到着して街をうろうろ、かなりモダンなたたずまいで、どこにでもあるWH Smith や Marks & Spencer が並んでいる。街中はあまり面白くないが、港に行くと風がさわやかで心地よかった。ウォーターフロントは整備されていてちょっとした観光スポットになりつつあるといった風情だ。いくつか店を見たがなかなかモーリスの気に入る柄が見つからない。苦虫をかみつぶしたような顔をしていて結構うるさいのだ、このおっさん。モーリスがもう少し見て回りたいというので、僕はその間に散髪へ行くことにする。裏通りに一軒見つけて扉を開けた。短くしてくれと頼んだのは確かだったのだが、限りなくスポーツ刈りに近い短さまで切られてしまい顔が引きつった。

「随分短くなったね。」と言うと、

「うん、いいだろう。」とおじさん。僕は皮肉のつもりで言ったのに鈍感な奴。

散髪後、お気に入りのネクタイが見つからなかったモーリスと合流して昼飯を食べ、午後はバースまでローマ時代の風呂を見物に出かけた。ちょっと期待して行ったのだが、やっぱり見るだけで風呂には入れなかった。街はこじんまりと美しくイギリスらしい。モーリスは僕の頭が目に入るたびにニヤニヤと嫌らしい笑いを浮かべている。

その日の晩はデイビッドに誘われてミディイーバル・バンケットなるものに行った。中世の晩餐会といったところだろうか。牛小屋でやると聞いていたのでどんなんだろうと思っていたのだが、小屋といってもかなり大きな牛舎で、もちろん牛はいないし柵はすべて取り外され掃除もゆきとどいていた。しかしあのなつかしい牛の糞の匂いがほのかに漂っている。その牛舎の真ん中に舞台が置かれ、それを囲むようにしてテーブルが並べられていた。出席者は100人以上いる。そのほとんどの人が中世の衣装をまとっており、デイビッドもどこで調達したのかタイツをはいて中世の貴族のような格好をしていた。中には乞食の格好をしている人もおり、知っていれば僕もせめて着物くらい着て参加したかったのにと悔しい思いをした。食事は正式なコースでイギリス料理にしてはおいしい。5点満点で3.5をあげたい。食事の途中から舞台では4人のプロによるジャグリングが始まり、大いに観衆を沸かせてくれた。この村では毎年一回こんな晩餐会を企画するのだそうだ。イギリス人も難しい顔をしてなかなか人生を楽しんでいる。ポケットに手を突っ込んで夜道を歩いて帰りたい気分だったが、朝までに帰り着けそうにもなかったのでやめておいた。

僕はこのモーリスとの研修の後も何度かこの研究所に足を運んだ。ツェツェを使った感染実験のためだ。生きたトリップスと血液を混ぜて特別なシートの上に広げ、その上にゴムのシートをかぶせる。そしてそのシートの上にツェツェが入ったかごを置くと、ゴムシートの上から血液を吸い始める。これだけで感染は終了、あとは2−3日おきに普通の血液を与えてやる。待つこと1ヶ月、ツェツェの解剖をする。まず冷蔵庫にカゴごと放り込み5分置く。そうするとツェツェは寒くて動けなくなるので解剖しやすくなる。カゴを冷蔵庫から出したら、氷の上に置いたシャーレの中にツェツェを取り出す。これでずっと大人しく解剖の順番を待っていてくれる。ハエの解剖は別にどうって事ない。腸管と唾液腺と口吻といって血を吸う針の様な部分を調べるため、その部分だけはピンセットを使ってきれいに取り出すが、あとはグジャグジャになってもかまわない。ただ、実体顕微鏡(低倍率の顕微鏡)を覗きながら行うため、まどろっこしいといえばまどろっこしい。取り出した器官をスライドグラスに乗せ、顕微鏡で感染の有無を調べることになる。前にも書いた通り、この研究所で育てているツェツェは基本的にツェツェの感染に感受性のある系統のハエだが、それでも半数くらいのツェツェは感染していない。しかし感染が成立しているツェツェの腸管の中を見ると、ものすごい数のトリップスがうごめいているのが見え、最初に目にした時には驚いた。顕微鏡の中の世界は裸眼で見えない現実を映しており、胸が躍る。こんなことに喜びを感じるんだから、僕はなんて安上がりな男なんだろうかと思う。

モーリスとの最初のブリストル訪問は、花柄のネクタイを見つけられないままに無事終了し、再びインターシティーに乗ってリバプールへ戻った。帰ってから僕の髪を見たラボの連中が口々に、

「Oh, Yoshi, I'm sorry about your hair.」と言う。

「これが今ブリストルで一番流行しているヘア・スタイルなんだぜ。」と返事はするものの全く説得力がなく、言った後に自分の言葉が頭の中で空しく響いた。その後モーリスはリバプールで気に入った花柄のネクタイを見つけて購入した。

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