シープ・ドッグ・トライアルを見る・・・

「ねえ、カレンさあ、毎日ラボで実験していて何か欲求不満がたまらないか。」

「それってフィールドに出て動物にさわりたいっていうことでしょ。」

「そうそう、やっぱりお日様の下で動物と一緒にいたいよねえ。」

「じゃあ、今度の週末にシープ・ドッグ・トライアルを見に行こうか。確かウェールズの近くの村でやってたと思うけど。調べとくからさあ、土曜にでも行こうよ。最も実際に動物にはさわれないけど、ここにいるよりいいよね。」

 というわけでイングランドで一番気候の良い初夏のある週末、シープ・ドッグ・トライアルを見に出かけることになった。テレビでトライアルの様子をよく目にしていたので、いつか実際に見てみたいと思っていた。カレンによれば地区ごとの予選会はこの時期あちこちで頻繁に行われているという。ローカルな情報誌にそのスケジュールが載っているので、出かけて行けば誰でも観戦できるという。

もともとこのシープ・ドッグ・トライアルは、1980年代に羊飼い達が彼らの犬の能力をよく似た状況下で比較する理想の方法として考案された。現在では毎年7月か8月に4カ国(イングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズ)でナショナル・トライアルが開催され、9月に開かれる国際大会には各国から15チームが参加する。近年になって全世界的にシープ・ドッグ・トライアル熱が高まり、大陸ヨーロッパや、ニュージーランド、オーストラリアなどでもトライアルが行われてはいるが、全世界的な大会はイギリスの狂犬病検疫の関係で開催がなかなか難しいという。日本人でも国際シープ・ドッグ協会に加入している人がいるらしい。

「ベイブ」というイギリス映画があった。ボーダーコリー犬に育てられた子豚がシープ・ドッグ・トライアルに出場して優勝するという話だ。あの映画では出場規定に犬でなければならないという決まりがないと設定しているが、実際はとんでもない話で、国際シープ・ドッグ協会に登録されている犬しか出場することはできない。シープ・ドッグとして最も一般的なのがボーダーコリーで、イギリスではトライアルに出場する犬のほぼ100%がこの血統だろう。

良く晴れた土曜の朝、僕はカレンの黄色いミニクーパーに乗り、えっちらおっちらとウェールズへ向かった。イギリスは天気が良いとすべての色が浮き出してパステル画のような美しさを放ち出す。空と雲と丘と木と草と花と道と家。それらが織りなす構図と色彩の微妙な関係が静かな空気を生み出している。特に郊外の風景は映画を見ているようで、会話も途切れ途切れになりがちだ。「へー」とか「ほー」とか意味のない単母音のため息が感嘆符付で繰り返される。リバプールから西南の方角へ車を走らせれば30分ほどでウェールズに入る。入った途端に道路標識はウェールズ語に変わり、何と発音するのかわからない子音ばかりの地名が多くなった。

「今日は何という村でトライアルをやってんの。」

「えっと、この村。」とカレンが運転しながら地図を指す。発音できない。汗がにじむ。

「へえ、ここか。もう近くじゃん。」とお茶を濁すと、

「何て読むかわからないんでしょう。」と突っ込まれた。

それらしき村にたどり着くと、「シープ・ドッグ・トライアル会場あっち」と汚い字で書かれた紙がそこここに貼ってあり、何とか会場となった牧場までたどり着くことができた。もうだいぶ人が集まっている。年に一度のお祭りといったところだろう。今日はかなり暑いのでアイスクリームやドリンクの出店も繁盛している。カレンと僕は会場となるフィールドのすぐ横に陣取り、まずは食料補給。カレンが右手でスナック菓子をほおばりながら左手に国際シープ・ドッグ協会公認本を広げ、競技のルールを説明してくれた。

一般的にトライアルは400メートル以上のコースにおいて5匹の羊を使って行われる。国際大会の決勝ラウンドではコースは700メートルに延長され、羊の数も20匹に増やされる。まず競技者と犬がスタート位置に立つ。競技が開始され左手遠方から5匹の羊がリリースされると、犬は競技者の合図によりぐるっと羊の方へ回り込む。そしてその羊をまとめ、競技者の正面から約400メートル程度離れた場所まで連れて行く。これがひとつ目の要素である「アウトラン」で、20ポイントが割り当てられている。次に羊の動きを止め、方向転換をさせて競技者の方へ向かって動き出させる。これを「リフト」と言い10ポイント、2つ目の要素だ。3つ目も10ポイントの「フェッチ」で、動き出した羊をなるべく真っ直ぐに競技者の待つ場所まで連れて行く。この時1カ所ゲートが用意されているので、羊にこの間を通らせなければならない。競技者の所までたどり着くと、今度は競技者の位置を頂点にして一辺が150メートルくらいの逆三角形に羊を回らせる。普通、この三角形の底角付近にひとつずつゲートが用意されているので、同様にその間を通らさなければならない。これが「ドライブ」という4つ目の要素で20ポイント。次に羊を競技者の前方に書かれた円の中へ連れて行く。この時競技者と犬が羊をはさんで対峙するような位置を取ると羊が円の中で動けなくなる。そして犬がじりじりと近づき、指定された1頭の羊だけを他の4頭から引き離す。これが5つ目の「シェド・シングル」で、20ポイント。最後に羊をフィールドに作られた囲いの中へ追い込み、全部の羊が中にはいると競技者が柵を閉める。これで競技が終了する。最後の要素が「ペン」で同じく20ポイント、つまり合計100ポイントで競われる。採点は減点方式で行われ、この6つの要素に割り当てられているポイントから、犬もしくは競技者がミスをした場合に点が引かれていく。もちろん制限時間が決められているので、その時間内にすべての要素を終えなければならない。

カレンの説明が終わるか終わらないかのうちに競技が始まった。この競技会ではコースの様子が少し違うようだ。5頭の羊が左手奥からのこのこフィールドへ歩き出してきた。競技者が合図をして犬が勢いよく走り始める。大きく弧を描いておどおどと歩く5頭の羊へ向かう。犬は羊に近づくと左右に大きく動いて方向を修正しながら、羊を競技者の前方へと導いていく。そしてリフト、これが競技の流れを左右する大切な瞬間だ。ここで羊の気持ちをつかまなければならない。羊が競技者の方向へ歩き出すかどうか、最初の勝負所。注意深くそして確実に羊の向きを変え、何とか歩き出した。ゲートを抜けると今日のコースでは大きく左手の方へ羊を連れて行かなければならない。マイクロバス程の大きさのキャンピングカーが置いてあり、観客の方へ向いている側面の前と後ろに出入り口が開いている。その出入り口は地面よりも高いため、後ろの口には地面から伸びた板が渡してある。ああ、この後ろから羊を中に入れて前から出させるのだなと納得した。

かくして羊がやって来た。当然渡し板に踏み出す前に躊躇するが、最初の一頭が歩みを始めると後の4頭もついて上り始めた。中に入ってしまえば後は簡単で、後ろから追われて必然的に前から飛び出してきた。そしてそのまま今度は反対側にある柵まで追い立てられた。ここからまた緊張の時間が流れる。羊達は柵の前にとどまってはいるものの中へ入ろうとしない。犬は彼らとの間に微妙な距離をを保ちながらにじり寄る。耐えきれなくなった2頭が脇へずれるとすぐにそれを修復する。そうして追いつめられた羊は柵へ入る以外に逃げ場を見つけられなくなり、5頭全部が収まったところで競技者がゲートを閉めた。これで終了だ。

うーん、僕は自分が戌年生まれであることが非常に誇らしくなった。と同時に未年(ひつじ年)生まれの人に対しては慰めの言葉もない。これほど犬が賢いとは考えてもいなかったし、羊はやっぱり馬鹿だった。何を考えているのかわからないのである。牧野にボケーッと突っ立ってメエメエ啼いているだけなのだ。しかしそういうところが文系ピープルにはミステリアスでロマンティックに映るのかもしれない。村上春樹さんが羊にまつわる小説を書かれているのも、そんな羊の雰囲気を感じ取られたのだろうか。

突っ立ていたのは羊ばかりではない。競技者自身もまたそのように見えた。一応ずっと犬を見守ってはいたが、動いたのは最後にゲートを閉める時だけ、あとは「何してんの、おじさん」と問いかけたくなるほどであった。しかしそれはもちろん外見の事であり、実際は笛などを使って指示を出しているという、、、そう願いたい。

シープ・ドッグの訓練には大変な労力を要する。子供の時から育て、犬との特別な絆を養っていかなければならない。訓練はまず羊に慣らすところから始められ、次第に教え込んでいく。初期の訓練は新鮮さと緊張感を保つため、ワン・レッスンを10分以内に終えるのがいいという。コマンドは数種類決められており、例えば "Come by" は犬を時計回りに動かせるコマンド、"Away to me" は反時計回りにといった具合だ。この練習を円形の大きな囲いの中などで行っていく。身振り手振りでコマンドを出すのは、犬の注意を逸らすことになるので好ましくないと言う。訓練者は常に犬と羊の位置を考え、犬がコマンドを理解できるように、自分の体を両者の間に割り込ませたりしながら訓練する。もちろんそれぞれのコマンドごとにホイッスルの吹き方も違ってくる。"S" で始まる言葉、例えば "Shoo" や "Shush" などは一般的に犬を元気づけて動きを良くする効果があるらしい。

その日、だいたい20組くらいが出場した。途中、ゲートを通らせる時に5頭がバラバラになってしまったり、キャンピングカーになかなか入って行こうとせず、フィールドを何周かしてしまったりという差こそあれ、全ての組が最後まで競技を終えて途中棄権という事態が全くなかったのには感心した。カレンや僕が予想した結果は、審判員の採点結果とは大きく異なり、まだまだ採点のポイントが理解できていないんだなあと、戌年生まれの自分の未熟さを感じた一日だった。最もその点についてはその後も何度か見に通った成果が表れ、だいぶ競技の善し悪しを判断するコツがつかめるようになってきたと思う。これを人間にやらせたらいったい何人くらいで犬一匹の働きができるのだろう。子供たちにやらせてみたら面白いと思うのだが。

次へ