人種差別は何故起こる・・・
ウガンダ行きを前にしてツェツェを使った実験を行うためにブリストルへ出かけた。今回で3度目になる。研究所のスタッフともすっかりうちとけて気兼ねなく仕事ができる。研究所にはジョン・エンヤルというウガンダ人の研究者が研修に来ていた。話を聞いてみると僕がもうすぐ出かけることになっているウガンダの研究所で働いているとのこと、色々と情報をもらったりして話が弾んだ。大学の同じホステルに泊まり一緒に食事をするので、つまりは朝から晩まで一緒にいることになる。
翌日、ジョンは金をおろしに行ってくると言ってブリストルの銀行まで出かけて行った。ところが戻ってきて言うには、まだ金が振り込まれていないと言われたという。彼はブリティッシュ・カウンセルからスポンサーシップを得てやって来たのだが、カウンセルからは既に振り込んだというレターが届いていた。その翌日、今度は僕がついて一緒に銀行へ出かけた。ジョンを待たせておいて僕がレターを持って窓口で聞いてみた。するとあっさり振り込まれていると言う。そこでジョンを呼んで昨日の応対を説明させたのであるが、相手は私ではちょっとわからないの一点張り、いずれにしろ金は引き出して銀行を後にした。これはちょっとした担当者のミスだったのだと僕は簡単に考えていたが、ジョンはそうは受け取っていなかった。イギリス人は顔で笑って丁寧な対応をしながら差別をすると言う。これまでにも何度もこんな事はあったと。僕はといえば考えすぎ何じゃないかと思い、あまり気にもしていなかった。
日本からやって来た友達と湖水地方へ出かけるため、リバプールでレンタカーを借りたことがある。GパンにTシャツといういつもの汚い格好で駅の近くの会社に入り、車を借りられるかと聞いた。どのランクの車も空いているというので、一番安いのを選び免許証を見せたりして手続きを始めた。そこへ3人組の黒人が入ってきた。みんなリッチな格好をして太い金のブレスレットとネックレスをしている。しかもハンサムだ。すっかり圧倒された僕と友人はカウンターの端に寄り、申込用紙への記入を続けていた。彼らは電話で予約した者だと言い名前を名乗った。担当者がリストを見てチェックするが、そういう名前で予約は預かっていないと言う。それに今日は予約が一杯でお貸しできる車はないため他を当たってくれないかと丁寧な口調で言った。今さっきどのランクの車も空いていると言ったばかりなのに、と驚いた僕が顔を上げると、さも黙っていろとでも言うように目配せする。彼ら3人組は渋々と店を後にし、担当者は何事もなかったように手続きを進めた。
こんな事もあった。イギリスでの学生生活も2年を過ぎた頃、新しいPhDの学生が入ってきた。リビア人のサミールでなかなかいい奴だ。僕は単純に忘れかけているアラビア語を練習する相手ができたと喜んでいた。その頃は、彼とリーと僕が同じ部屋で仕事をしていたので、入り口のドアにリビアとイギリスと日本の国旗を貼った。しかしそのほんの数日後、3カ国の国旗のうちリビアの旗だけがなくなった。
「あれ、なくなっちゃったねえ。」と僕がのんきに言ったら、サミールは、
「取られたんだよ、よくあることさ。」と一言。こんな事を予想だにしていなかった僕は、返す言葉が見つからなかった。世界中から学生が集まるこの学校でこんな事をする人がいること自体驚きであったし、またこんなちっぽけな国旗でさえ許せないほどの憎しみを抱いている人がいるんだという事実に、冷や水を浴びせられたような思いがした。
モザンビークから来たルイスは獣医寄生虫教室の学生である。同じ獣医だという仲間意識からよくカレンと僕のいる部屋に遊びに来ていた。そんな折り、モザンビークから彼の奥さんがやってきた。ちなみにルイスは白人で奥さんは白人と黒人の混血である。カレンが気を利かせて僕らを食事に招待してくれた。行ってみるともうひと組若いカップルがいた。何でも南アフリカから来たそうで、両親はアイルランド人、白人である。しばらくカレンと同じアパートに住んでいるらしく、ちょうどいい機会だからとカレンがついでに呼んだらしい。と、会話が進むにつれこのカップルの奥さんの方が差別発言を連発するのでさすがに鈍感な僕もビックリした。言った後で「ウップス」とか言ってお茶を濁す。カレンはルイスの奥さんに気を遣ってあたふたしている。うーん、南アフリカではこれが普通なんだろうかと薄ら寒くなった。
会話の中ですごくくだらないことを言った時、中年代のイギリス人に
「ヨシ、自分自身を大陸のレベルまで落とすな。」と何度か言われたことがある。訳のわからないことがあると、
「これはスペインの古い習慣に違いない。」と言って笑う人もいた。
ジョンの件も、レンタカーの件も、サミールの件も、ルイスの件も、あまりこういう差別に慣れていなかった僕としては結構なカルチャー・ショックだった。「差別はいけません、みなさん」、何てステレオタイプな説教をするつもりはさらさら無いが、どうしてこういった感情を自分の心の中にしまっておけないものなのだろうかと思う。少なくとも日本ではそんなことはない、と思っていた矢先、こんなドキュメンタリーがテレビで放映された。「Race Apart」と題されたその番組は日本における差別問題を取り上げていた。部落、在日朝鮮人、アイヌにスポットを当てながら、日本における差別の実態を取材し、何故日本人はこんなに民族の純潔を守ろうとするのかと結んでいた。イギリスは国家としては多くの移民を受け入れてきた。が、まだ庶民のレベルでは差別が残っているのだ。では日本はどうなのだろうか。誰もが知っている通り国としての方針はほとんど変わっていない。では庶民はとなるとこれもどうも怪しい限り、考えさせられてしまう。イギリス人に聞くと移民は受け入れているものの、移民者といわゆるアングロサクソンであるイギリス人との結婚は驚くほど少ないらしい。人は基本的に他人に対して優越感を持ちたいものだと思う。そういった優越感を持つことが人間としてごく自然な感情だとしたら、差別意識などなくなるはずがない。それゆえその優越感をどんな形で表すか、もしくは抑えるかでその人の人となりが現れてくるのだろう。ジョンやルイス達がこれまでどれだけ嫌な思いをしてきたか、考えなければいけないことが沢山ある。
これは差別とは少し趣を異にするのだが、イギリスには信じられないくらいに感じの悪い人がいる。初対面でありながらよくもこれだけ人に対して意地悪くなれるなあ、とものすごく気分が悪くなる。湾岸戦争が始まった翌日、あろうことか僕はパンナム機でアメリカへ向かうという愚行を犯した。コスタリカ人とパナマ人の友達に会いに中米へ出かけるためで、そのトランジットがマイアミだった。朝、ヒースローに到着すると空港は戦車で囲まれていた。この光景を見て初めて状況の深刻さに気がつく。いつも遅いのだ。パンナムのカウンターへ向かうとそこだけ他と隔離されている。客がいない。入り口でまず荷物とパスポートのチェック。こういう部署にいるイギリス人はおおむね慇懃無礼だ。人を疑ってかかるのはまあ仕方がないとしても、対応だけは丁寧にすべきだと思うが、彼らは自分が与えられた権力を最大限に行使する。その日の係官もものすごく感じが悪かった。特に僕のパスポートにはアラブ諸国のビザが沢山押されていたため、かなり不審に思われたようだ。ボディチェックまで受けてようやく解放、カウンターへ向かう。その日のフライトはジャンボジェット機に乗客が20人いなかった。マイアミでもトランジットだというのに荷物検査を受けたが、アメリカの係官は非常に感じが良く、少しアメリカの好感度が上昇。しかし次に乗ったガテマラ、コスタリカ経由パナマ行きのフライトで、アメリカ人スッチーにガテマラ人と間違われ少々憤慨、好感度は元に戻った。
さて2週間後、中米で遊び呆けてイギリスへ帰国、またまた税関で捕まった。
「ちょっとあなた、こっちへ来なさい。」
すごく若い女性の検査官で、左の耳にピアスが4つ、右に2つ。結構遊んでいそうな姉ちゃんだ。
「荷物を検査します。」と言うので、ナップサックを開けようとした。
「あなたはさわらないでいい。」と言われ、ふてくされて立つ。なかなか開かない。仕方なく手伝おうと手を出した。
「さわるなと言ったでしょう。」
「だって開け方がわかってないじゃないか。」
「あなたは私の質問にイエスかノーで答えればいいのよ。」
ふーむ、こんなセリフは親にも言われたことがない。彼女は荷物の中身ひとつひとつについて調べていく。麻薬でも持っていると思ったのだろうか。荷物が終わると今度は別室に通されてボディチェック。当然何もない。
「何か見つかったか。」と尋ねた。
「荷物をパックしてもいいわよ。」
「何か見つかったのかって聞いてんだよ。イエスかノーで答えろ。」もちろん相手は無言で次の乗客を捕まえに行った。僕はそこでゆっくりゆっくり丁寧にパッキングをした。隣で検査をしていたそのピアス女検査官が言う。
「早く荷物を詰めて行きなさい。」
「それじゃあお前が出したんだからお前がやれよ。」と言い返して更に丁寧に荷物をつめた。
リバプールの入国審査事務所へビザの延長に出かけた時も同じだった。部屋にはいると正面に窓口が三つあり、部屋の壁に沿って並べられた椅子に10人くらいの人が座って待っていた。僕は最後尾に腰掛ける。開いた窓口に先頭の人から順番にすわっていく。空気が重い。窓口にいる3人中、2人が泣いている。やりとりは聞こえてこないが、内容は容易に想像できる。待っている人たちも少なからず怯えており、みんな無言だ。早々に帰らされる人が続いて、順番はかなり早くまわってきた。ふと見ると僕の前に座っていた女性が二番目の窓口でもう泣き出している。僕は一番左側の窓口に当たり、「俺も泣いた方がいかなあ」と考えながら係官の前の席に着く。大学からのレターを見せてビザの半年間の延長を願い出た。その時点で僕は論文をほぼ書き上げていたため、あとは審査と手直しに半年あれば十分だろうと考えていたからだ。
「金はあるのか。」
「銀行に十分な金額が残っている。」
「残高の証明書を見せろ。」
「そんなものを持ってこいとは言われなかったので用意していない。」
「じゃあ、ビザは出せないな。」
「ここに大学からのレターがあり、教授がサインしているじゃないか。それで十分だろう。」
「いや、残高の証明書がいる。そんな事は常識で、みんな持ってきている。」
「わかった。じゃあ、今、教授に電話をかけてくれ。そっちが大学の証明書を信用できないと言うのであれば俺も納得できない。あんたが大学と話をするべきだ。」
これで相手が折れ、9ヶ月のビザが支給された。
まあ、どこの国も入国審査官とか税関の検査員というのは感じの悪いものだが、イギリスは先進国の中でも群を抜いていると思う。どうしてあそこまで意地悪くなれるのか。これが実際に生活の場でもそういう人がいるので驚く。マルセルの秘書のジーンがそのひとりだ。
「ジーン、お早う。」と言って秘書室に入るが無言。顔さえ上げない。朝はほぼ例外なく機嫌が悪い。この雰囲気に飲まれてはいけないのだ。努めて明るく
「マルセル、来てる。」と聞く。
「自分で確かめればいいじゃないの。」
「あ、はい。」
マルセルの部屋は秘書室の奥にあってドアが閉まっていた。ノックするが返事なし、ドアを開けていないのを確かめる。
「何時頃来るかわかる。」
「知ってるわけないでしょう。」
「伝言頼める。」
「後で来て自分で話しなさいよ。」
いつもこんな感じだ。最初の頃、僕のことが嫌いなんだろうと思っていたのだが、他のスタッフに聞いてみると誰にでもあんな感じで「学内最悪の秘書」に毎年選ばれていた。
リーズ城へ遊びに行こうとバスのチケットを買いに行った。ところがその直後に電車で行った方が便利な事に気づきキャンセルを願い出た。窓口の女性が言う。
「あら、このチケット、つい今し方発行されたものじゃない。」
「ええ、ちょっと気が変わったので。」
「気が変わったって、随分無計画ねえ。よく考えて買いなさいよ。」
「そんなことはあなたに言われることではないでしょう。ちゃんとチケットの裏に所定の料金を払えばキャンセルできるって書いてあるんだからキャンセルして下さい。」
「全くいい迷惑だわ。」
「それがあなたの仕事でしょう。早くしなさい。」
その女性は全身で嫌悪感を発しながらしぶしぶキャンセルに応じた。しかし、チケット代約二千円ほどの全額を細かいコインで返してきた。これにカチンときた僕はそのコインをひとつひとつゆっくり拾い上げて次の客をブロック、嫌がらせの反撃に出る。早くどきなさい、と怒鳴る彼女を無視して作業を続け、手の甲を彼女の方へ向けてVサインを放ちその場を去った。この裏Vサインはイギリスでは非常に悪い意味を持つ。
他にもまだまだあるがきりがないのでやめておく。僕はこういった感じの人の悪さをあまり他の国で経験したことがない。何でイギリスにはこんな人たちがいるのか未だに不思議である。これは差別とはちょっと違うが、優越感に裏打ちされたそれに近いものがあると感じていた。
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