ウガンダ行きの準備に入る・・・

イギリスに来て2年半が過ぎようとしていた。日本にいる友達の間では「柏崎はアングロサクソン人にいじめられて落ち込んでいる」などという噂が流れていたようだが、単調ながらも考えさせられることの多いリバプール・ライフを僕は楽しんでいた。

実験の方も順調に進んで、開発に取り組んでいた診断法も先が見えてきた。だいたいこんなものが出来上がった。一本のディップスティック上に4種類の診断液を貼り付ける。それとは別に反応液も用意しておく。このディップスティックをまず検査する動物の血液につけその後で反応液に浸すと、感染したトリップスの種類によって違った場所が丸い赤に染まるという簡単な方法だ。マルセルとの当初の約束通り6月から2ヶ月間、フィールド・トライアルをしにウガンダへ行くことになり、その準備に追われることになる。頼みの綱のカレンはNGOからの要請で2ヶ月間、ザンビア大学で免疫学の講義を担当することになり行ってしまった。

僕は現在フラットを借りているハースト家を5月いっぱいで出ることにした。出発は6月半ばなのでそれまでは実験動物ユニットで働いているガリーの家に居候だ。ガリーは医科昆虫教室で働いているスーと一緒に暮らしているのだが、この2年間でこの二人とはかなり親しいつき合いをするようになっていて、彼らの方から僕の居候を申し出てくれた。スーはちょっと太めだが、気だてが優しくかわいらしい女性。しかも美しいブロンド・ヘアーをなびかせており、がさつなガリーにはもったいない。

イギリス人の人間関係に対する僕の感想はおおむねこんな感じである。イギリス人は一般的にすごく親切だがそれはかなり表面的である。例えば5分や10分で済む親切だと快く引き受けてくれるが、半日とか一日とかという時間を人のために割くことは稀だ。ところが一旦親しくなるととことんまで面倒を見てくれる頼もしい友人になる。このガリーがまさにそんな感じの友達であった。若いガリーとスーの同棲生活に入り込むのは心苦しかったが、二人とも迷惑な様子は全く見せなかった。エライのだ!

引っ越しが終わり6月に入って出発までの2週間、ウガンダへ持っていく診断キットの作製に追われていた。検査数2000を目標に準備を進めたが、結局1700頭分の血液を検査できるキットを準備したところで時間切れとなった。まあ、これで良しとしよう。その合間を縫ってワクチン接種にも追われた。幸いにも協力隊に参加した折りのワクチン接種で、重要な疾病に対する基礎免疫はできていたので、今回はブースター接種のみとなった。それでもコレラ、破傷風、狂犬病、髄膜脳炎という4本のワクチンを接種され、抗マラリア薬の服用も始めた。コレラのワクチンは専門家の間でもその効果に疑問の声が上がっているのであるが、イミグレの時イエローカードを所持していないとその場で注射される危険性があったために泣く泣く腕を差し出した。髄膜脳炎は当時ウガンダで流行の兆しがあったため、絶対にやっておくようにと強く申し渡された。

出発の前日、スーパーバイザーのデイビッドから注射器と針を沢山渡された。常にこれを持って行動し、調査中、交通事故などで病院に運ばれた場合はこれを使うよう医師に頼めとアドバイスを受けた。もちろんエイズ対策である。国民の6人にひとりがHIV陽性のウガンダでは、注射針の使い回しによるエイズ感染が懸念されていたからだ。あとは航空券と調査費用。これはイギリスのODA予算から出ていると聞き、何と懐の深い国かといつもの悪口の数々を心から反省する。調査費用は1000ポンド、当時のレートで25万円くらいだった。これで十分なのかどうか全く予想がつかない。まあ、頻繁にウガンダへ出かけているデイビッドが決めた金額だから十分なんだろう。

その日は学内の教職員用休憩室にソファのクッションを並べて寝た。翌日、マンチェスター発の便は朝早く、ガリーの家からでは一番列車に間に合わない。一応学内に泊まることは内緒にしていたため警備員の足音に敏感になり、あまりよく寝付けずに朝を迎えた。5時半には大学を出てライムストリート駅に向かう。まずマンチェスターからベルギーのブリュッセルへ飛び、夜の便でウガンダへ向かう予定だ。すぐに電車に飛び乗り、マンチェスター駅からはタクシーで空港へ向かう。空港に着いて緊急事態発生。何と旅行費用、パスポート、航空券を入れた小さなかばんをタクシーの中に忘れてきてしまった。茫然自失、どうしていいかわからずにしばらく立ちつくす。冷や汗ばかり流れてくる。飛行機の出発時刻は迫っているが、これら三種の神器がなければどうしようもない。リバプールへ一旦戻るかとあきらめかけた時、空港内のアナウンスで僕の名前が呼ばれた。あわててインフォメーションに行くと電話だという。受話器を渡されて話すとさっきのタクシーのドライバーだった。ホッとして全身から力が抜けていくのがわかる。九死に一生を得た。これから空港まで届けに来てくれるという。電話を置いて外で待つこと30分、僕の三種の神器が到着した。往復分のタクシー代を払い何度もお礼を言い、僕はカウンターへ向かった。こういう親切に何度助けられたことか。

予定の飛行機はとっくに出発していたのだが、ロンドン経由でブリュッセルまで行かせてくれるとのこと、ブリュッセルからウガンダへは夜のフライトなので時間は十分にある。ありがたい。飛行機の座席についてようやく生きた心地がした。そんな大騒動があったにもかかわらず、昼前にはブリュッセルの街角に佇んでいた。とりあえず博物館をはしごして時間をつぶし、深夜便で一路ウガンダへと飛んだ。

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